第33話錆色の連環

「フレッド!撤収準備急がせろ!リサ達の仕事が終わり次第出発するぞ!!トニー!ノーマン!生き残った馬を並べさせろ!!」


 壁が出来上がってからの騎士団の動きは迅速だった。

 セドリック・マイヤーが、各部隊の責任者に向け指示を飛ばし、撤退の準備を急がせる。

 辺りは既に、深い夜の帳が降ろされていた。

 街の中の日常であれば、人々は昼の疲れをいやす為、就寝の準備を始める頃合いだ。

 だが、この深い森の中、此処にはその動きに精彩を欠く者など皆無だった。


「セドリック殿、行けそうか?」

「クラウド卿!コンラッド殿!三博士のおかげで何とかなりそうです」


 声をかけて来たハワードに、セドリックは澱みの無い声で言葉を返した。


「うむ、撤収の見込みが付いただけでも奇跡だな」

「全くだ!アレを丸ごと封じ込めるとか、完全に想像の外だぜ!」


 ガハハ、とコンラッドが豪快に笑い声を上げると、ハワードもつられる様に頬を緩める。

 だが直ぐに佇まいを正し、セドリックに向かい語りかけた。


「村まで戻れば、神殿が展開する『大規模防護結界』がある。あの強力かつ神聖な結界を前に、不浄物では村の中へは侵入出来ん。それは万を超える軍勢であろうと同じ事だ。村にさえ辿り着ければ、最早一方的な防衛戦ではない。後ろを気にせず真っ向から斬り合える。『無事アムカムに戻り切る』それが今の我々唯一の勝利条件だと思われよ」


 ハワードの言葉に正面から向き合い、セドリックが無言で頷いた。


「殿は我ら三人が引き受ける」

「しかしクラウド卿!それでは……!」

「フッ……、騎士団をイロシオへ導き、無事返すのが我らの務めよ!アンタらは後ろを気にせず、村への道を急げばいい!!それとも何か?俺達に背後を任せるのは不安か?」

「まさか!皆様に殿を務めて頂くなど、これほど心強い事は御座いません!」

「ならばその背を我らに預け、わき目もふらずに進まれよ!」


 ハワードの言葉にセドリックは一歩下り、静かに頭を垂れた。


「当然俺も、お供しますよ」

「自分もご一緒させて下さい!お願いします!」


 セドリックの後ろから、カイル・アーバインとトニー・イーストンが進み出て来た。

 カイルは、自分がハワード達と共にするのは当然だと言いたげに。

 トニーはコンラッドに頭を下げ、行動を共にする許可を求めて来た。


「ガハハハ!ココ数日で良い面構えする様になったじゃねぇか!ええ?トニーよ?!」


 コンラッドが豪快に笑いながら、トニーの背をバンバンと叩いた。


「俺達で後ろから本体を追い立てて、先行したお前のダチに追いつかせちまおうぜ!」

「は、はい!!」


 更に大きく、コンラッドの高笑いが響き渡る。

 その二人遣り取りを、少し離れたハワードとセドリックが、静かに微笑みながら眺めていた。



 ジャラリ……と、小さな音がした。



 ハワード達の後ろでは、多くの者が慌しく動き回り、雑多な音が溢れている。


 居並ぶ馬が踏み締める蹄の音。

 兵站部隊の者が運ぶ武具が打ち合わさる事で鳴る、硬質で騒がしい金属音。

 大きく重量ある物を引きづり立てる摩擦音。

 多くの者が走り回り響き渡る、足早な足音。

 そして、誰かを呼び答え応じる人々の叫びの声。


「ほんとーに身体が動かんのぉ?」

「むむ!不味いじゃろ!このままでは、只でさえヨボヨボのノソリ君が、ヨボヨボのヨボ~~になってしまいそうじゃ!大変じゃ!!」

「何を言っておるのかのぉ!ガタが来ているモリス君こそ、既に腰が大変な事になっているんじゃないかのぉ?!無理したツケはでかいからのぉぉ!!」

「あー、ぜんぜんー、身体がー、動きませんーー。でもー、こーしてー運んでー貰えるのはー、とってもーらくでー、幸せですーー」

「ふむ、全員意識の混濁は無い様だね。身体は暫く動かないけど、問題は無いね」


 兵站部隊の者達に担架で運ばれる、三博士と助手の相変わらずなやり取りも聴こえて来る。



 ……ジャラリ



「リサ、もう仕事は済んだのかい?」


 カイルが、白銀の壁を背に此方へ歩いて来るリサ・タトルに向け、声をかけた。


「ええ、終わったわ。凄いのよこの壁、聖気の吸収率がとても良いの。直ぐに壁全体が『聖成物』になるわ」



 ……ジャラ、……ジャララ



「ご苦労だったリサ。碌に休ませてやれず済まないが、直ぐに部隊の者と移動準備に入ってくれ」

「安心してくれリサ。我々殿が後方にいる限り、君に不浄な者達の手など届かせはしないよ」


 セドリックが労いの言葉をかけ終わると直ぐ、カイルが白い歯を見せ、何も心配は要らぬとリサに告げた。

 それを見ていたハワードとコンラッドが、目を合わせ、肩をすくめていた。



 ジャラ!ジャララララ……!



 リサは黒い大きな目で、一瞬カイルを見詰めると、クスクスと可笑しそうに笑いながら……。


「分かっていますよカイル。お願いし……っはぐゅっ?!……ぃ!!……ひぅ?!」


 ドンッと、後ろから何かに突かれた様な衝撃を受け、リサの身体が前へと動く。


 リサが驚いた様に衝撃を感じた下腹を見ると、そこからは蛇が鎌首を持ち上げる様に、リサの血に塗れた赤錆た太い鎖が突き出し、生き物の様にユラユラと伸び上がっていた。


「……あ、……ぁ、……ひ、ぁ!……くひぃ!ぃぎ!あ!ぎぅ!!」


 リサが、自分自身に何が起きているのか分らぬと言う様、溢れる程に目を見開き、手は何かを掴もうとする様に何度も空を握り開く。

 鎖が遠慮も無く、ズルッズルッとその太い輪が下腹部の肉を押し広げ抜け出て来る。その度に、リサの苦悶の悲鳴が喉の奥から絞り出されて行った。

 

 清涼な蒼だったベルベットのローブの腹部は、溢れ出るリサの血が広がり、どす黒い染みを広げていた。

 リサの脚はガクガクと震え、とても立っていられる状態では無い。だが、その身体が地に落ちる事は無い。

 腰部を打ち抜き、下腹部から突き出ている鎖が、彼女の身体を吊り上げているのだ。

 太腿を伝い垂れ落ちる血液で、彼女の足元に出来た血溜まりが広がって行く。


「ひっ!あぎぃ!!ひぃぎぃいいぃぃぃ!!!」


 ジャララ……!と鎖が更に勢いよく伸び上がる。仄かに聖なる光を放ち始めた壁を背景に、リサの絶叫が暗い森の中に響き渡った。


「リサぁぁーーーーーーーーーッッッ!!!」


 カイルがリサの名を叫びながら、彼女へ向け走り出した。

 彼が地を蹴った直後、風を突き破る様に彼を追い抜く影が二つ。ハワードとコンラッドだ。


 二人はカイル達よりも幾分後方に居たが、鎖がリサを貫いた瞬間に動き出していた。

 カイルの初動が遅かったわけでは無い。彼とて、鎖を見てから動き出すまで1秒と経っていない。

 それ以上に二人の動きが尋常では無いのだ。


 疾風の如き速さで、二人がリサに迫る。

 ハワードは、伸び上がる鎖を抑え、リサを保護しようと手を伸ばす。

 コンラッドは、闇の中から伸び出る鎖を断ち切ろうと戦斧を振り上げた。


 だが、二人がリサに届くより早く、伸び上がった鎖が瞬間的にリサの全身をを絡め取る。そして、まるで足首を掴んだ巨人が嘲笑いながら一気に引き下げでもしたかの様に、右足首に巻き付いた鎖に引き摺られ、リサの姿は一瞬で森の闇の中へと消え去った。


「ひぃぐ!ぃあ!いやああああぁぁぁぁああぁぁぁーーーーーーー!!!!!」


 リサの振り絞った様な痛ましい悲鳴が闇に消える中、ハワードの手は空を掴み、コンラッドの戦斧は只大地を穿ち、辺りに鈍い振動を響かせた。


 だがもう一つ、闇を抜ける影があった。

 魔を見抜くアイパッチの魔法印を仄めかせ、鎖の出所へと向かい走るジルベルト。

 ジルベルトは身を低くし、その目が捕えた森の中で蠢く悍ましい何かへと突き進んで行った。


「ぬぅ?!イカン!避けろジルベルト!!」


 ハワードがそう叫ぶのと同時に、仄かな光を発していた白銀の壁面が閃光に包まれた。


 ジルベルトの目も、同時に異常を捉えていた。瞬時にその場所から後方へ跳び退く。

 直後、ジルベルトが直前まで居たその場所を、轟音を響かせ壁を吹き飛ばし、奔流の様な爆炎が飲み込んだ。


「く!火炎嵐ファイア・ストームだと?!」


 セドリックが、伸び上がる炎に焼かれまいと顔を腕で庇い、それが上位魔法の一撃だと叫ぶ。

 轟々と音を立て吹き荒れた炎の流れは直ぐに収まったが、壁の内と外の木々は燃え上がり、辺りの森の闇を切り裂いていた。




「やたらおかしな魔力の流れがあったので来てみましたけど……、随分と面白い事になっていますわね?」


 いつの間に、何処から現れたのか……、大森林の奥に居るには似つかわしくない、いや、違和感しか感じぬ黒いナイトドレスを着た女が、破壊された壁の前、燃え上がる木々を背にユラリと立っている。


 女は、ゆるくウェブのかかった腰まで届くゴールデンブロンドの髪を、辺りを包む炎の熱に躍らせながら、悩ましげに口元に手を当て「ホホホ……」と小さく笑っていた。


「へぇ……、随分強そうなのが居るじゃねェか!いいねェ!俺好みだぜ!!」


 壁を背にする黒衣の女を見据えていたハワード達の右手側、森の東の闇の中からまた一人、女が姿を現した。


 その女は褐色の肌を持ち、長い黒髪を頭の後ろで髪紐で結び、長い尻尾の様に垂らしている。

 その身には肩当や手甲、脛当てを装備してはいるが、身体には細いストリングスと、僅かな面積しか持たぬビキニアーマーがあるのみだ。

 そして、己の身の丈ほどもある鉈の様な片刃の大剣を肩に担ぎ「へへへ……」と口角を上げ笑っている。


「うふふふ、見てみて、聖職者がこんなに……、しかも乙女も釣れましたよ。ハルバート様への最高の捧げ物になります」


 もう一人、今度は西の闇の中から、女がジャラリと金属音を打ち鳴らし現れた。

 薄青い肌と僅かに尖った耳、白銀の髪は結い上げ、頭の上で纏めている。

 その身は黒革のボンデージを纏い、細いベルトが辛うじて局部を隠す。

 首輪と手首足首に付けられた枷から、共に武骨な赤錆びた太い鎖が垂れ付けられていた。


 その鎖は女の周りを囲う様、周る様に地に置かれ、その場で脈動する様に蠢いている。更に鎖は、そこから幾本も外側へ向かい、伸び広がっていた。

 そしてその内の一本の鎖が、ジャラジャラと音立て上方へと引き上がって行く。



 そこには、先刻森の闇へと消えたリサが、くぐもった呻きを上げながら足から吊り上げられて来た。

 気付けば他にも何本かの鎖が引き上げられ、鎖を纏う女の後ろで、幾つもの人影が鎖に吊るされているのが分る。

 それは、リサと同じ騎士団の聖位職の者達だった。

 今、大隊に4人しか居ない聖位職が全員、クスクスと笑う女の後ろで捕えられていた。


「馬鹿な……!いつのまに?!」


 カイルが、捕えられた者達に目を向け呻いた。

 目の前で襲われたリサに意識を取られていたと言え、他の者が襲われていたと一切気付けなかった事に動揺が隠せない。

 それはカイルだけでは無い、セドリックも、ハワードもコンラッドも同様だった。


「うふふふふ、回復職を最初に潰すのは、集団戦の基本でしょ?」


 鎖を鳴らし手を口元へ寄せ、手にベットリと付着している血を、艶めかしく舐め取りながら当然の事だと女が笑った。


 いつの間にか他の二人も近くに寄り、三人の女が揃い立っていた。

 三人共、血の様に赤い唇を持ち、森の闇の中で炭火の様に紅い眼を仄めかせている。


「ヴァンパイアか……」


 ハワードが、眉間の皺を深く刻み呟いた。


 未だ消えぬ木々が纏う炎の灯りに照り出され、三人の女が赤い口元を吊り上げ怪しく嗤う。

 燃え爆ぜる炎の音と、鎖の響き出す金属音、そして吊るされた者達が漏らす苦悶の呻きをあざ笑う様に、女達の不敵な嗤い声が深い森の中で響き渡っていた。


――――――――――――――――――――

次回「闇の森の囁き」

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