第31話黒い岩の誘い

「倒木を撤去するのは大変でしたから、そのまま補強してテントを張ってしまいました」


 事も無げに、兵站部隊整備主任フレッド・ローリングが言った。


 ハワードが案内された場所には、防御陣地と言うよりはちょっとした砦の様な代物が出来上がっていた。

 最初の戦闘の影響で倒された木々も使っているそうだが、僅か1時間程でこれだけの物を仕上げる兵站部隊の手際に、ハワードは舌を巻いた。


 荒波の様に押し寄せていたアンデッドの群れも、今は引き潮の様に後退し、先程までの喧騒が嘘の様に辺りは鎮まっている。

 それでもまだ、十数体のアンデッドが此方を覗い、隙あらば襲い掛かってくる為、散発的な戦闘は行われていた。


 テントの周りに、倒木を利用して柵を作り、更にその内側にも2メートル程の高さの壁を作り囲っていた。

 土属性の『アースウォール』で作った物だと云う事だ。

 創り上げた兵站部隊の練度は高く、壁は存外に厚く丈夫だった。


 これに聖位職の者達が、神殿の紋章が刻み込まれた『聖別』されたメダルを組み込み、『成聖物』とする事でアンデッドの侵入を阻もうと云うのだ。

 確かにこれなら低位のアンデッドであれば、近づく事はおろか、触れるだけで浄化されてしまう程の効果を発揮するだろう。


 だが、先の襲撃程の大群が押し寄せれば、たちまち大波に呑まれる様に埋め尽くされ、意味を成さない物に転じてしまう。

 ……それでも、十分一時凌ぎにはなる。

 一時凌ぎには……な とセドリック・マイヤーは眉間の皺を依り深めた。


「大隊長、偵察部隊が戻りました」


 槍斧ハルバードを持ったまま天幕の入口を開け、4班班長ノーマン・ランスが声をかけて来た。


 既にハワード達が大型のアンデッドを駆逐して、1時間以上が経過していた。

 星すら見えぬ森の深淵は、既に闇に包まれ、『聖域結界サンクチュアリ』の放つ輝きだけが漆黒の暗がりの中、そこだけを切り取った様に陣を浮かび上がらせている。


 ノーマンが伝えたのは、アンデッドの襲撃が落ち着きを見せ始めた頃、偵察を任せた部隊が戻って来たと言う報告だ。


 今、張られたテントの内、一番大きな物に今回の遠征隊の主要な者達が集められていた。

 騎士団本隊の4人の班長、オブザーバーとしてアムカムのハワード、コンラッドの二人と三博士、そして遠征の責任者コナー・クラークだ。


 テントの中央に置かれたテーブルには、大隊長セドリック・マイヤーと副長カイル・アーバインを中心に、3班班長トニー・イーストン、5班班長リサ・タトル、6班班長コーネル・ウォーリッチが囲んでいた。そこへ、偵察部隊の到着を告げた4班班長ノーマン・ランスが間へ入る。


「お待たせしました大隊長。ただ今戻りました」


 ノーマンの後から、偵察隊を引き連れたマグリット・ゴーチェ、1班班長ジモン・リーツマン、2班班長ライサ・ウルノヴァが続いた。


 元々、先遣部隊を務めた1班、2班は、索敵能力の高い者を揃えた班だ。

 偵察は、その中から選抜された5人と二人の班長、そして部隊長のマグリットの計8人を二組に分け、東西に向けて行われた。


「クラウド卿達が仰っていた様に、『黒岩』は此処から北に凡そ700メートルの距離で、東西に渡って連なっています」


 テーブルの周りに全員が揃っている事を確認したマグリットが、その上に広げられたイロシオの地図に指を走らせながら報告を始めた。


「おかしなのは、此処から西にも東にも2~300メートル進んでも、魔獣が全然出て来ない事なんです」

「『黒岩』に近付く程、草木が目に見えて減っています。『黒岩』のある地点から半径100メートル程の空間は、完全に植物は生成していません。黒い荒地です」


 ライサが、この付近で魔獣と遭遇しなかった事を告げれば、ジモンが黒岩周りの異常を報告した。


「結論から言えば、敵は『黒岩』から来ています。『黒岩』に亀裂の様な裂け目があり、其処から奴らが出て来ています。恐らく本隊は、その向う側かと。現在黒岩のこちら側に居る敵は、……敵は、…………凡そ6千……」

「なんですかそりゃ!?2千って数は何処へ行った?!」

「多分、黒岩の向こう側からどんどん際限無く湧いてるんです……」


 マグリットの報告に、トニーが驚いた様に声を上げ、それにライサが答えた。


「裂け目の幅は5メートル以上あると思われます。そこから大型のアンデッドが姿を見せるのを、目視する事に成功しています」


 ジモンの報告に、一瞬テント内がザワ付いた。


「今回、ブッシュも無い全面岩肌が剥き出しの『黒岩』を登り切る事は、隠密性を保つと言う意味でも実行は控えました。残念ながら、『黒岩』の向こう側を確認するには至っていません。申し訳ありませんでした」

「いや、マグリット十分だ。無理をせずに良く戻ってくれた」


 マグリットが頭を下げると、セドリックが損失の無い十分な成果だと三人に労いの言葉をかけた。


「ブッシュが無くて昇り難い?冗談だろ?それに昔、『黒岩』に亀裂なんぞ無かったぞ?」


 そこへコンラッドが疑問を漏らした。

 コンラッドの知る『黒岩』は、疎らとはいえ草木はシッカリ根付いていた。

 少なくとも、岩肌が剥き出しの禿山などでは無かったのだ。ハワードもそれに頷いていた。



「そりゃ、地殻が動いたからじゃな」

「モリス博士?」

「この『黒岩』は……マヌーライトの鉱脈じゃろ?」


 構造地質学の研究者、モリス・バルタサルが声を上げた。

 一同は一斉にモリスに視線を向ける。


「ちょいと前から、この辺の地質に黒い岩が目立っておった。これはマヌーライトが含まれた地質じゃと、今日の午後にも言った筈じゃ」

「そ、そうだ!だ、だから私は!……私は悪く無い!!」

「落ち着いて下さい、クラーク代理。誰も、貴方が悪いなどと、言っていません」

「まあ、生成した高純度の物は、同じ重さの金より高価じゃよ、と言った途端に目の色が変わったのは間違いないんじゃがな!」

「モリス博士……!」

「だ、だから何が悪い?!国益があると分かって、それを求めるのは国に仕える者であれば当然の事だ!!」


 動揺し、周りに居る者を見回しながらコナー・クラークが大声を上げた。それをセドリック・マイヤーが窘める。




 それは『黒岩』までの距離2キロ弱、時刻は15時を回った頃。

 当初の予定では、その丘にキャンプを敷き、補給基地とする筈だった。

 だが、基地の設営を始めようとしていた矢先、その土地の地質を調べていたモリスの言葉に、クラークが喰い付いた。


 この地に見られる黒い地質は、『マヌーライト』が含まれている物だとモリスは言う。

『マヌーライト』は高い魔導性を持つ鉱物で、精錬され不純物を取り除いた高品質の物なら、同じ重さの金よりも高価だ。

 魔力の流れから、この地には多くの『マヌーライト』が含まれている可能性は高く、今目指している『黒岩』と言うのは、地表に剥き出しになった『マヌーライト』の鉱脈で間違いないと。

 その丘からも2キロ先で東西に連なる『黒岩』は、木々の間から目視出来た。それを、自前のゴーグルで測量しながらモリスが語っていたのだ。


 それを聞いたクラークは色めき立った。

 今、この地に補給基地を作れば、自分はお役御免になり此処から引き返す事になる。

 それは自分にとって待ちに待った時ではあるが、同時に我慢出来ぬ事実でもあった。

 目の前に宝の山があると言うのに、それを目前に指を咥えて立ち去れと言うのか?

 この先の鉱脈に補給基地を作り、そこから採掘の手配を作り上げられれば、一体どれだけの栄誉が得られる事か!

 それが得られれば、此れまでの苦労も報われると言うのに……。

 コナー・クラークにとって、此処で引き返すなどと言う選択肢はあり得なかったのだ。


 クラークは、補給基地設営を始めた騎士団に待ったをかけた。そして、直ちに『黒岩』へ向け出発する事を主張したのである。


 大隊長のセドリック・マイヤーを始め、兵站部隊主任フレッド・ローリングらは、それは無謀な行為だと説得を試みた。

 ここから『黒岩』へは、緩やかな下り道の為、行軍としては今迄よりも幾分早くなるかもしれないが、あと2時間もすれば陽が隠れはじめる。そうすればキャンプの設営はおろか、進軍するのも厳しい。それがこの地では如何に危険な事かはクラークとて承知している筈だ。

 現在の、この高台になっている場所で補給基地を設営する事の優位性などを丁寧に説明し、進軍を思い止まる様に説き伏せようとした。


 だが、クラークは頑として応じず、進軍は続ける事になり、結果、アンデッドとの接敵に至ったのだ。


「クラーク代理、分かっていますから落ち着いて下さい」

「その通りだ、遅かれ早かれ、奴等とはかち合っていた。誰のせいでも無い」

「だが野営予定地を無視して、相当進んで襲われたからな、馬も人もいい加減バテてはいたな」

「……コンラッド!」

「……私は……悪く無い!…………私は……!」


 ハワードが、あれは避け様が無い事だったと言えば、コンラッドがそれを揶揄する。

 クラークの声は次第に小さくなり、その視線の先には誰も映っていなかった。



「それでモリス博士、『黒岩』の亀裂と現状に何か関連が?」

「此処に来るまでにも、幾つもの地層のズレが確認出来ておったんじゃが……、大異変の影響か、地震とかの地殻の動きがあったのか……、恐らく両方じゃろうな」


 セドリックが仕切り直しと言う様に、モリスに改めて問い掛けた。

 モリスはそれに応え、考察を続けた。


「マヌーライトは魔力の吸質性、流動性共に高い鉱物じゃ。その大規模な鉱脈が連なっておるともなれば、この辺の急流の様な魔力の流れも説明が付くと言うもんじゃろ?今回の大異変により、急激な魔力の奔流に曝された鉱脈が歪みを起こし、断裂したのがその黒岩の亀裂なんじゃろうな」

「ふむ、その断裂により膨大な魔力が溢れ、大規模な魔力溜まりが出来たと推測出来るね」

「セイワシ博士……」


 モリスの考察を継ぐ様に、魔導力学のセイワシ・メルチオが話を始めた。


「ふむ、大きな魔力溜まりは、そのまま瘴気へと変質し易いからね。『黒岩』周りの植物の死滅は、瘴気の発生を示していると思うね」


 尤も……、と話を続ける。


「ふむ、しかし、この短期間で、自然に瘴気化するとは考え難いけれどね……」

「では何かそれ以外の要因が?」


 セドリックの質問に、どうなんだろうね?とセイワシがノソリを見やる。


「自然発生したアンデッドと云う物にはのぉ、幾つか特徴があってのぉ」


 セイワシに変わり、今度は魔法生物学のノソリ・カスバルが跡を継ぐ。


「発生したばかりでは、その地から動けんと言うのがあってのぉ。これはその場所の『記憶』が形作った物じゃから、当然と言えば当然なんじゃがのぉ」


「もう一つあってのぉ、奴等は怨念やら情念やら言うアストラルが、エーテル体を取り込み実体化マテリアライズされたものじゃからの、魔力生成生物の一形態と言えなくもないんじゃがのぉ、如何せんアンデッドは端から死んでおるから生物ではないしのぉ!」


 ワシの専門からは外れるがのぅ!うひゃひゃひゃひゃ、と奇声を上げて笑うノソリを、「イイから早く続けんか!」とモリスが後ろ頭を思い切り殴りつける。


「ぐおおぉおおぉぉ!ぐぉ!モリス君!やはりワシを亡き者にする気じゃのぉぉ?!」


「まあ良いがのぅ!実体化したアンデッドはエーテルとアストラルで……、つまり、魔力でコアを形作っておってのぅ、これを散らせばアンデッドは倒せると、此処に居る者なら理解してると思うがのぅ?」


「時間をかけて実体化した骸は、コアが散っても暫くは現世に残っているものでのぅ」


 身振り手振りで大袈裟な動きで説明をするノソリを見て、モリスが「乗ってる様じゃな!血管が切れそうじゃぞノソリ君!!」とヤジを飛ばしている。「やかましいのぉ!」とそれに返し、ノソリが話を続けて行く。


「ところが!今、お主らが戦っている相手は、倒すと、時間を置かずに散り消えて、エーテルに還っておるでのぅ!これは、召喚されたアンデッドの特徴みたいなもんだしのぉ!」

「ふむ、つまり、魔力溜まりを利用して瘴気化し、それを使ってアンデッドを召喚したものがいる。という推論が導き出されるね」


 セイワシの言葉で、テントの中にどよめきが広がった。


「敵はネクロマンサーだと言う事か?!」

「馬鹿な!これだけの数のアンデッドを操るなど、人間の領域を超えているぞ!」

「いや、人間とは限らん。高位のアンデッドが居るのかもしれん」


 ノーマンが、トニーが、コーネルが、班長達が次々と疑問を口にする。

 リサは口元に手を置き押し黙り、アンデッド召喚者の可能性を考えていた。


「いずれにしても、我々に敵対する意思ある者が、そこに居る事は間違いあるまいて」

「……クラウド卿」

「それにな……、『黒岩あそこ』は、奴等アンデッドなんぞが居て良い場所じゃねェ」

「はやるなよ、コンラッド」

「分かってるさハワード。だが、いざとなりゃあ……」

「あぁ、無論だ」


 ハワードとコンラッドが互いの目を見て、敵に対する意思を確認していた。


「敵本隊は視認出来ていませんけど、恐らく、こちら側に居る以上の数が存在していると思います……」

「視認していないのに、何故そんな事が分かるんだ?」

「奴等が集団でいると、僅かな燐光を放っているのが確認出来ます。『黒岩』向こうから放たれているソレは、こちら側に居る連中の物とは比較になりません。間違い無く数倍はありました」


 ライサの言葉にトニーが疑問を投げかけるが、彼女の語る根拠に場がどよめいた。


「……馬鹿な!敵は万を超えるというのか?!」


 堅固隊のコーネルが思わず零す。


「方針は決まったな。逃げの一手だ」

「ですが、撤退しようとすれば奴等は回り込んで来ます。簡単に逃がしてはくれません」

「なに、ワシとコンラッドとで抑え込んで見せるさ。千や二千の木っ端程度、なんとでもなる」

「ふはは!その通りだ!まあ、任せろ!」

「何を言われますか?!」

「馬鹿な!!」

「クラウド卿!!」


 調査団撤退の為の壁になると言うハワードとコンラッドに、カイルが、トニーが、セドリックが声を上げた。


「お主らは、その間に彼等を連れて逃げよ。マイヤー殿、己が勤めを果たされよ」

「ならば俺も残りますよ」

「自分もです!コンラッド殿!」


 三博士とクラークを目で指し、戦えぬ者を護る事が騎士の務めだとハワードは言う。

 だが、それならばとカイルとトニーが前へ出る。


「あー、その事について、提案があるんじゃがな……」


 そんな遣り取りを見ていたモリスが、手を上げ不敵な笑みを浮かべながら彼も前へと進み出て来た。


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次回「北方の三博士」

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