第27話ジュール・ナールの逃走

「クソッ!オイ!貴様ら!あの娘を攫って来い!多少手荒な真似はしても構わん!だが、傷物にはするなよ!良いな!!」


 キャメロン・フーリエは苛立ちを隠そうともせず、語気を荒げて連れて来た5人の護衛に命令を下した。


「残りは私と来て護衛をしろ!コープタウンまで戻るぞ!お前達は娘をそこまで連れて来い!!」


 フーリエはそれだけを早口で捲し立てると、直ぐ様自分の部屋のある方向へと、通路を足早に向かって行った。


 5人居る男の内、二人が目配せをし合うと、直ぐにフーリエの後を追って行った。

 更に二人の男が、互いに口角を釣り上げながら頷き合い、それとは反対の方向へと向かった。


 残った最後の1人、ジュール・ナールは眉根を寄せ、右手の指で自分のこけた頬を掻きながら、大きく垂れた目で天井を見上げていた。


 どうにもいけない。

 小娘を攫えと言われ、楽な仕事だとニヤケながら向かった二人の方へ身体を向けると、巨大で分厚い鋼の壁にでも阻まれている様で、身体を進ませる気がまるで起きない。

 それならばとフーリエの後を追おうとしても、やはり重い鎖にでも足が囚われている様で、足が前へ出ようとしない。


 これは詰んじまったか?


 自分の丸い鼻をコリコリと掻きながら、然も困った様に大きく溜息をつき呟いた。



 ジュール・ナールは、物心ついた時から社会の裏街道に身を置いていた。親兄弟の顔さえ知らない。

 生きる為には何でもやって来た。

 他人を傷付け奪う。それは当たり前の行為だった。

 特にそれで良心が痛む事も無い。


 野生動物が、他の動物を捕食するのと何ら変わらない。

 彼にとっては、それが生きる事だったからだ。


 そんな、人の社会に於いて野生動物と変わらぬ剣呑な生活を送っていた彼が、今日まで生き抜いて来れたのは、その絶対的な危機察知能力があったからだ。


 絶対に進んではいけない道。

 絶対に選んではいけない選択。


 常に彼はその自らの内から発する、神憑り的な警告を信じる事で、今日まで生き延びて来れたのだ。




 この護衛の仕事を受けた時は、随分楽な仕事だと思っていた。

 実際、騎士団に囲まれ、その内側を守っているだけで良いのだ。騎士団の壁を超える者などいる筈も無い。

 移動中にやる事なども殆ど無い。

 大抵は外から見えない馬車の中で、それなりに楽しませて貰っていた。


 そもそも今回の雇い主が旅先の街々で、アンダーな場所へ愉しみに行く時の案内と護衛が、本当の意味で彼らの仕事だったのだ。


 雇い主は中々に良い趣味を持っている為、その趣向に合う店は、より深い場所の非合法な店となってしまう。

 当然騎士団を護衛に連れて行ける筈も、ましてや案内など出来る訳もないので彼らの出番となる。


 この雇い主は、年端もいかぬ相手を甚振るのが大層好きらしく、そんな性癖を満足させるとなると、必然的に表だって商売をしている所からは大きく外れてしまう。

 そんな趣向を持つ癖に、世間体だけは必要以上に気に掛けるのだ。


 ある時など、灯りのある所で自分の顔を見られたからと、行為の最中にソレを縊ったと言って来た。ソレの後片づけをして置けとも。

 店側に、そのの損害賠償の交渉や廃棄も彼らがやった。

 ジュール・ナールは「つくづく地位のある奴ほど好き勝手やるよな」と、物言わぬ姿となった娘の身体を処理しながら、苦笑をしていた。

 こういった作業にも、ジュール・ナールは忌避感や罪悪感を覚える事は無い。彼にとっては、在り来たりな作業の一つでしかないのだ。

 雇い主の後片付けや尻拭い。

 この旅での仕事は、大体がこんな物だった。


 勿論、護衛もしっかりやった。

 元からアンダーな世界を生き抜いてきた彼だ。腕にも相当の自信があった。


 騎士団と行動を共にして、彼らとの実力も推し量れた。

 団員クラスなら問題無く対処できる。数人に囲まれても包囲を抜けられるだろう。班長クラスでも問題無い。

 だが、あの大隊長と副長は別格だった。


 あんな化け物達はそうそう見ない。

 裏の世界の、それも余程大物のボディーガードか、始末屋の類でも無けりゃアレは相手に出来ない。

 多くの強者と渡り合って来た彼にも、自分には到底手が出せないと思わせる力量を感じさせていた。



 だが、それ以上に衝撃だったのがアムカムだ。


 一体何なのだ此処の住人達は?


 昔から、アンダーな住人の口からアムカムの話は上がっていた。


 アムカムの奴等に手を出すな。

 もしも奴らと事を構えそうになったら、迷わず、脇目も振らず逃げろ。

 奴らはアンタッチャブルだ。

 数や武器でどうこう出来ると思うな。

 奴らには関わるな!

 

 そんな台詞を時たま耳にする事はあったが、大抵が酒の席での事だ。話半分に聞いていた。


 しかし実際にアムカムに来て見て、それが比喩でも大袈裟に風呂敷を広げていた訳でも無かった事を思い知った。

 その辺に歩いている奴が、騎士団の班長クラスより明らかに強いのだ。

 自分の嗅覚が、そいつらには絶対近付くなと、ビンビン警報を鳴らしまくる。

 更には、あの副長や大隊長より、遥かに化け物だと思える奴らが何人も居た。


 一緒に雇われている連中は、この事にどの程度気付いているのか……。

 少なくとも二人は、何らかの違和感は感じている様だ。こう言った嗅覚が鋭い方が、この世界では長生き出来る。


 だが残りの二人はダメだ。

 他の街で雇い主と世話になった屋敷と同じ感覚で、此処でもメイドにちょっかいを掛けていた。

 メイド達は奴らに触れられる事無く、自然な動きで奴らの手を躱していた。

 奴らは首を傾げるだけで、躱されているとは思ってもいない。

 此処のメイド達もいい加減化け物の類だ。そんな事にも気が付かない此奴等は、間違いなく長生き出来ない。


 今も、領主の娘を攫うのが楽な仕事だと、笑いながら向かって行った。


 馬鹿なのか?アイツらは?


 楽な仕事だと?冗談じゃない!

 表面はその辺の小娘と同じ様な雰囲気を装っているが、あれがこの村一番の化け物だ!

 強者の気配を一切感じさせない事が、より不気味だ。


 それにあの目!

 あの海の様なコバルトグリーンの瞳が、途轍もなく深い海の底へ繋がっている様だった。

 あの目で一瞥されただけで、魂の奥底まで見据えられた様な気分になった。


 その果て無く深い瞳の様に、娘の底が丸っきり見えないのだ。


 だと言うのにあの連中は……、物が見えない者は実に幸せだ。

 アレにちょっかいを掛けるぐらいなら、クイーンヒュドラの巣穴に潜って、卵でも採って来る方が格段に生存率が高い!

 それが判らないアイツらはもう終わりだ。

 それを指示した雇い主にも、まず先は無い。


 進むもダメ。後ろへ行っても終わる。

 やっぱり詰んでいる。

 こりゃもう潮だ。


 前も後ろも駄目なら、別の道を行くしか無ェわな。


 ジュール・ナールは目の前の窓を開け、細身の体をマントで包ませ、音も無くアムカムハウスを後にした。





     ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 彼らが使おうとしていた薬は、麻痺毒だった。

 いわゆる筋弛緩剤の類だ。

 強力な薬だが揮発性も高く、外で使うとしたら直接顔にでも当てなければ、殆ど効果は期待できない。


 だが、室内なら効果は十分に期待できる。

 この通路の広さなら、薬の容器を足元に投げ付けて中身を飛び散らせれば、半径1メートル程の空間が30秒弱、薬の効果で満たされる筈だ。

 湿らせたタオルででも口元を保護すれば薬は防げるが、咄嗟にそんな事に思い至る者などそうは居ない。一息吸い込めば終わりなのだ。


 まあ、もし万が一薬が躱されたとしても、刃物で脅してやれば済む話だ。

 領主の娘……良い家の小娘など、ちょっとした暴力を示せば直ぐ片が付く。実に楽な仕事だ。

 傷物にするなとのオーダーだったので、薬でかたが付いてくれれば手っ取り早い。


 彼ら二人は通路の角に身を寄せ、その向うの通路を覗った。

 ちょうどターゲットの娘が、メイドと二人連れだって此方へ向かって来る所だった。

 男達二人は目線を合わせ頷き、口元をマスクで覆い、ターゲットの足元へ薬の容器を投げ付けた。

 ターゲットまでの距離は10メートルと無い。薬瓶を投げ付けたのと同時に走り出す。

 容器は、思い通りにターゲットの足元で弾ける様に割れた。

 無色無臭のガスが溢れ、ほぼ一瞬で効果が現れる筈だ。


 男達はそれぞれのターゲット、娘とメイドに向かって走って行く。薬が効き昏倒した時に、倒れた拍子に大きな音を出させない為、その身体を受け止めるつもりなのだ。


 だが、ターゲット達に薬が効いている様子が無い。

 娘は足を止め、足元で割れた容器に視線を落としているが、意識は正常に保っている。


 薬の効果が現れなかった事に、男二人は瞠目するが、直ぐ様走りながら腰のナイフを抜き、突き出した。

 どこか、此方からは分らない空気の動きがあり、薬が効果を出すより早く散ってしまったのかもしれない。

 咄嗟の状況判断で立ち回れねば、プロとは言えない。

 男達は暴力で言う事を聞かせると言う、最も単純で一番効果的な手段を使う事にしたのだ。


 二人はそれぞれのターゲットに向かって、身を低くして走った。

 娘に向かった男は、右手にナイフを持ち、左手を広げ、娘の行く手を阻む様にして突き進んで行く。

 そのまま抱え込み、口元を手で覆い、ナイフを喉元へ突き付けるつもりなのだ。


 脚が床を蹴り、そのまま娘に手が届くと思われた時、娘が下げていた左手を上げ、その指先がナイフを握る自分の右手に触れたように感じた。

 その瞬間、男の意識が吹き飛ばされた。



    ◇



 ギュルン!と言う、風切る音を響かせ、男の身体がコマの様に超速回転をし空気を切り裂いた。

 直後、パン!という、何かが破裂した様な音がその場に響き渡る。


 スージィに向かって来た男の、ナイフを握っていた右手が、大きく外へ弾かれる様に吹き飛ばされ、その勢いのまま腕に身体が引き摺られ、高速で回転し飛ばされ壁にブチ当ったのだ。


 右腕が非常識な形に曲がり、その全身は潰れたカエルの様になり壁にへばり付いていた。

 顔面は潰れたかもしれないが、辛うじて生きてはいる様だ。


「脆っ!?ナンデ?何でぇ?ステファンにしてる様に、フレンドリーフィンガー使ったの、にぃ?」


 スージィが小首を傾げ、この有り様が実に不可解だと口にした。

 可愛く言っているつもりらしいが、その惨状は変わらない。


「お嬢様……、アムカムの者と、外の者とを同列に扱うのは間違いでございます」

「そうなの?ぅーん……、そうなの、ね……?」


 アンナメリーは、スージィを諭す様に注意を促すが、スージィは悪びれた様子も無く、やはり不思議そうに小首を傾げたままだ。「悪いのはコイツ等だしねー」位にしか思っていない。

 壁にへばり付いて無残な姿を晒している男に対してなど、良心の呵責も痛みも何にも無い。

 元より、自分はおろかアンナメリーにまで不快な害意を向けながら襲って来た輩だ。

 優しく手加減をしてやる理由など、在る筈も無い。


 一方、アンナメリーに向かった男は、彼女の足に踏み敷かれて居た。

 足元の男は、ナイフを握っていた筈の右腕が、二の腕からもう一つ関節が出来た様に曲がり、アンナメリーの足で背中に押し付けられ踏み付けられている。

 うつ伏せで床に押し付けられたその顔は、白目を剥いて泡を吹き、意識はとうに手放している様だ。



 散布された麻痺毒は、既に揮発して毒性は失われている。

 スージィは何らかの毒が散布された事は気付いたが、その事を意識する前に、既に身体は毒をレジストしていた。

 この程度の低位の毒が、スージィの身体に作用を及ぼす故も無いのだ。


 更にアンナメリーも近くに居たのだが、彼女にも毒が作用した様子は無い。


「アンナメリー。毒が撒かれたはず、だけど……、貴女は大丈夫、なの?!」

「お気遣いありがとうございます、お嬢様。ですが、ご心配には及びません。わたくし、幼少の頃より、あらゆる毒に耐性を持つよう訓練されておりますので、この程度の麻痺毒など、効果の出ようが御座いません」

「……あ、そ、そうです、か」


 恐らく、何らかの対処を取っていたのだろうと思い聞いてみたが、なんだか、さり気無く凄い事を言われた気がする。「サラリとあれが麻痺毒だったと分ってしまうのも凄いけど……。どういう幼児教育をして居るのでしょうか?バイロス家は?!」「一体何を育てるつもりなの?!」などと考え、頬が引き攣るスージィだった。


 そんな事を考えていると、アンナメリーがポンポンと手を叩いた。


「今、この汚物を片付けるよう指示を出しました。つい無駄な手間を取られてしまいましたが、お嬢様、急いでお部屋へ向かいましょう」


 アンナメリーが、スージィにそんな言葉をかけている間に、数人のメイド達が音も無くその場へ集まって来た。

 そのままアンナメリーが男達へ向けフワリと手を振ると、メイド達は流れる様な作業で男達を連れ出し、汚れた床や壁を綺麗に片づけ清掃を始めた。


「さあ、お嬢様、此処はこの娘達に任せてまいりましょう。出来るだけ急ぎませんと」

「……ええ、アンナメリー、急ぎま、しょう。急いで支度を、整えるの、です!!」

「この者達の目的や黒幕は、この子達に任せておけば間違いありません。大丈夫です、この子達は良い仕事を致しますからね、安心ですよ……。まぁ背後に誰がいるかなど分り切った事ですが、証言は必要ですからね……ぅふふふ」

「……あ、さ、左様です、か…………」


 スージィは、アンナメリーの薄い笑いに若干引き攣りつつも、彼女を連れ立ち、足早にアムカムハウスの自室へと向かって行った。


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次回「辺境のプリンセス」

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