第26話キャメロン・フーリエの動揺

 その晩、キャメロン・フーリエは上機嫌で床に就いた。

 やっと目当ての娘と二人だけで、会食をする事が出来たのだ。


 今までは大人数での会食であったり、母親という余計なコブが付いて来て、真面まともに会話する事が出来なかった。

 だが、それがやっとこの日に叶った。会話の内容にも満足している。


 自分の経歴にも、王都の様子にも始終感心した様に頷いていた。

 あの年頃の娘なら、少し王都の話をしてやれば興味を示すのは当然なのだ。

 今頃は、華やいだ王都の様子でも夢想して興奮しているのではないか?

 所詮相手は田舎者の小娘だ。後2~3回も王都の話をしてやれば、王都の事で頭が一杯になるだろう。そうすればもう此方の物だ。


 あの娘は、王都でもそうそう見ない上玉だ。

 まだ幼さは残るが、もう大人の付き合いを覚えても良い頃だろう。

 少なくとも、自分が指導してやる分には十分に成長していると、フーリエは判断していた。


 細い肩と、そこから伸びる瑞々しい二の腕。流れるように動く白い指先は、その動く様も目を引かずには居られない。

 細くしなやかな首の上には少し小さめの頭部が乗り、そのバランスも素晴らしい。

 形の良い卵形の頭部の頂きから、ゆるやかに流れる様に尖った小さな顎へと続くライン。

 そしてその中心に、小振りだが形の良い小鼻が正面に突き出ている。

 その小鼻を挟む二つの眼は大きく、コバルトグリーンの光りを湛えていた。

 零れ落ちそうなその瞳は、一度目にすればそこから目を離せなくなってしまう。まるで魅了の魔法が籠められてでもいる様だ。

 そしてその髪は赤く透き通り、光を受け澄んだ光を放つ。それはまるでルビーの輝きだ。

 更にその胸元の双丘は、男の欲求を満たすには既に十分な大きさだ。

 そしてあの細い腰。

 そこから続く丸みを帯びた曲線は瑞々しく、やがて来る成熟期を十分期待させる物だった。


 なんと云う極上品であろうか!

 つくづく自分は運が良い。こんな田舎に来て、これだけの拾い物が出来るとは!

 何れあの娘を王都へ連れ行き囲ってしまへば、どれ程の愉しみが味わえる事か……。今から想像するだけで笑いが込み上げる。


 今なら煩い父親も居ない。

 寧ろ母親と二人、家長の不在で心細くなっている筈だ。

 此処で優しい言葉と、理解と、将来への夢を与えてやれば信頼など簡単に得られる。

 丸め込むなら今が絶好の好機なのだ。

 こんな事は、今迄に何度もやって来たのだから間違いはない。

 あの年頃の娘程、落し易い物は無いのだ。


 キャメロン・フーリエは、やがて訪れると確信する享楽に思いを馳せ、飽きる事無く下卑た笑いを続けていた。




 翌日、まだ陽も明けぬ時間にキャメロン・フーリエは、けたたましい喧騒で心地良い夢の時間の幕を落された。


 フーリエは不機嫌にベッドを降り、ガウンを身に着け、この騒々しい騒ぎの元へ抗議を叩き付けようと力任せにドアを開けた。


「あぁ!フーリエ様!!良かった!丁度お呼びに上がった所です!!」

「何事だマゴック!この騒々しさは何だ?!」


 それは、フーリエが王都より連れて来た従者の一人だった。

 フーリエは今回の旅に、自分の身の回りの世話をさせる為、幾人かの従者と、騎士団とは別に個人的な護衛を連れて来ていた。

 護衛は、フーリエが騎士団の眼には憚られる場所に出向く場合に必要で、金品さえ与えれば大抵の事はする者達だ。


 これらの者達の旅費も使節団の経費で賄われているのだが、フーリエはそれを必要な出費であるとし、公費を私用に当てているなどとは露程も思っていない。

 その為に文官たちが経費の計上に寝る間を取られても、それが彼らの仕事だとしか考えていないのだ。


 今、その連れて来た従者の一人、マゴックと呼ばれた小柄な壮年の男は、落ちくぼんだ目を剥きフーリエに向け、慌てた様に言葉を発した。


「森のキャンプ地より報せが届いたとの事です!急ぎフーリエ様をお呼びする様にと、騎士団の方が!!」

「伝令か?確かに予定の日程では補給基地も出来、伝令がそろそろ戻る頃の筈だが……。それにしては五月蠅過ぎるのでは無いか?!まだ暗い内から何だこの騒ぎは?!伝令を迎えたほどで騒ぎ立てる事かね?ん?そうではないかマゴック!?」

「はっ!左様で御座います!左様で御座いますが……、お客様は、一度フーリエ様へのご報告と、ご確認を取って頂きたいと仰っておりますので……」

「私への客?確認?誰だ?その朝早くから騒ぎ立てる無礼な者は?騎士団の者で間違いないのだろうな?」

「ハ、ハイ!間違いございません!私、この旅の間、毎日の様にお目にかかった居りましたので間違い様が御座いません!機動重騎士団第7班班長、ルーク・トレバー様にございます!」





     ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 ルーク・トレバーは、まだ夜も明けぬ早朝、ケイシー・ギネスからの報告を受けて直ぐ、自らの班を引き連れアムカムへと急ぎ戻っていた。

 現在アムカムハウスに居る調査団代表であるキャメロン・フーリエに、緊急事態の報告とその後の指示を仰ぐ為だ。


 彼はアムカムハウスへ到着する前に、壱の詰所で護民団に、また部下達を走らせ村の仮宿舎で待機している騎士団へも、緊急事態への体勢を整えるよう指示を発していた。

 直ぐにでもイロシオの友軍へ、増援として向かう為だ。


 ケイシーは増援では無く『防衛準備』と言っていたが、冗談では無い。機動重騎士に、仲間を見捨てる様な者が居るものか!

 ケイシーが持って来た映像装置に映し出された物は、確かに大きな脅威だ。あんな物等と対峙するなど戦慄すべき事態だ。

 だが!だからこそ!そんな事態に陥っている仲間を見捨てる事など出来る訳がない!!


 防衛体制はアムカム護民団へ任せ、自分達はフーリエの許可を取り付け次第、一刻も早くイロシオへ向け増援として出陣するのだ。


 トレバーがアムカムハウスのホールで、フーリエの従者に彼への取り次ぎを頼み待つ間に、事態を聞きつけた村長のオーガスト・ダレス、そしてサイレンス・クロキ、アルフォンス・ビーアスのアムカム三家の家長達、更に頭首夫人と娘であるソニアとスージィの母娘も、事態の詳細を知る為にその場へと集まって来ていた。


「これは皆様お揃いになって、こんな時間から騒ぎ立てる事なのですかな?高々伝令が戻っただけでありましょう?」


 キャメロン・フーリエが、ホールに集まった者を見回し、大きな鼻を鳴らして呆れた様に彼らに言葉を投げた。


「……どうやら、現状への認識力が不足している様だな」


 サイレンスの呟きに、フーリエが眉をしかめた。


「30分前にキャンプ地に伝令が到着。イロシオの深度3万5千にて敵戦力と接触。総数2千を超えるとの報告です」


 そんな二人の遣り取りにも囚われず、トレバーが直ぐ様前に進み出て報告を始めた。


「に……、2千!?敵?魔獣ではないのか?し、しかし30キロ以上も先の話であろう?」


 トレバーがその数に動揺するが、直ぐに此処より遥か先の事だと安心を得ようとする。


「まずは此方を御確認下さい」


 そう言ってトレバーが真鍮色の筒状の物を取り出し、そのままアムカムハウスの執事達がホール中央に用意したテーブルへと向かった。


 そのテーブルには、天板一杯にクリスタルを加工した様な、透明な半球体が据え付けられていた。

 ソニアが、これは映像の投影装置なのだとスージィに耳打ちする。

 スージィは、初めて見る魔道具に驚き、目を見開いていた。


 トレバーが、持っていた筒状の物を投影装置の脇へと差し入れ、そのまま魔道具を操作し始めた。


 スージィにはその筒状の物が、嘗て神殿で見た『積層筒型魔方陣マジックチューブ』に似ている様に思えた。

 ソニアに聞いてみるたところ、やはりこれは情報を記録する魔法陣が内包された物で、魔法電池マジックセルも内蔵されている『魔法蓄積筐体カートリッジ』と呼ばれている物だと教えられた。


 そんな説明をソニアから受けている間に、テーブル上のクリスタルの半球体が光を帯びて来た。

 透明だったクリスタルの内側が、霧が掛った様に霞んで行く。

 やがて、霧の中でぼやけた何かが動き出す。

 その霧の中で動く曖昧な輪郭に、少しずつ焦点が合い始め映像としての形を取り始めた。


 機動鎧を装着した騎士団の者達が走っているのが分る。

 森の奥にしては少し木々が疎らな様だ。

 騎士団の者が此方に向かい、後方を指差し何かを叫んでいる。

 口を大きく開閉していた。恐らく「下れ!」と言っているのだろう。

 直ぐにそのまま前方へ去って行った。


 音も、色も無い映像だった。

 スージィは、昔のトーキー映画の様だと思いながら映像を見詰めていた。

 いや、テレビなどの記録映像で見た過去のモノクロ映像よりも、もっと動きが荒い。まるでコマ落ちの動画の様だ。ピントも随分甘いと思う。


 それでも、何が起きているのかは分った。


 前方の木々の間から白い何かが出て来た。

 ワラワラと次から次へと溢れ出す様に。


 それは武器を手にした白骨だった。

 武装したスケルトンの群れが押し寄せて来たのだ。


「馬鹿な!スケルトンウォーリアだと?!」

「いや!骨だけでは無い!肉付きだ、動きが早い、アンデッドウォーリアも居るぞ!」


 サイレンスとアルフォンスが目を見張り声を上げた。

 画面の中ではそんなアンデッドの群れを、次々と薙ぎ払う騎士団達の姿が映し出されている。

 記録者も、そんな騎士団の頼もしい姿に安心感を覚えたのだろう、それまで慌ただしく揺れていた映像に安定感が生まれて来た。


「な、なんだ……、こ、これなら特段慌てる必要も無いのではないかね?増援を送るまでも無い様に見えるが?」


「……今、一瞬映ったのは『黒岩』だな?」

「そうだな、3万5千と言っていた距離とも……、キャンプ予定地とも位置が合う」

「『黒岩』近くでアンデッドが湧いただと?しかもこの数?馬鹿な!あり得ん!!」


「……いや待て!何だアレは?!」


 フーリエが初めて見るアンデッドの悍ましさに顔を歪めながらも、騎士団の活躍に安堵を覚え、警戒が過ぎるのではと告げるが、オーガスト、アルフォンス、サイレンスの三人は事態の異常さを確かに感じ取っていた。


 オーガストとアルフォンスは画面の後方、木々の隙間から一瞬だけ映った小高い黒い丘の様な物から、そこを『黒岩』付近だと判断した。

 その場所でアンデッドが発生する筈が無いとサイレンスが声を上げる。


 古戦場の跡などならともかく、此処はイロシオだ。アンデッドが発生したとしても、精々一度に数体程度だ。

 アンデッドが大量に発生する為には、濃い魔力と膨大な人の感情の澱みが必要になる。

 イロシオは確かに魔力の濃い場所ではあるが、この『黒岩』付近ではその流れも速く、大きな魔力澱みが生まれ易い場所では無い。

 画面に映るアンデッドは、一見して三桁を超える様に見える。

 此処には、それだけのアンデッドが生まれる要因が無いのだ。


 フーリエが楽観的な希望を見出そうとするのを余所に、眉間の皺を深めた三人が、次の瞬間更に目を見張った。


 上方、画面奥に連なる木々の枝の間、20メートルを超える針葉樹のその向う側から、何かが姿を現した。

 それは、白く丸みを帯びた大きな物だ。

 やがて暗く深い眼窩を樹木の横から覗かせたそれは、明らかに巨大な頭骨だった。

 人ひとり分程の大きさの頭骨を持つスケルトンが、その場に立ち、巨大な足を踏み出したのだ。


 それはそのまま長大な腕を振り回し、その場の騎士達を薙ぎ払い始めた。


「な?!何だこれは?!!何なのだこの化け物はっ?!!」

「グレイトスカル?!」

「アンデッドの上位種だと?!馬鹿なっっ!!」

「脅威値70だぞ!こんな所に現れる物じゃ無い!!」


 フーリエが、その巨大な姿に悲鳴を上げ後ずさった。

 オーガストとサイレンスが、それを『グレイトスカル』と言う名の上位アンデッドだと見定めた。

 その相手に対しアルフォンスは、騎士団員単体の戦力では厳しいと見る。


 騎士団の隊員の戦闘値は凡そ20、これは護民団では4thフォースの上位だ。

 班長クラスで30。これは5stフィフスと並ぶ。

 安全マージンは隊員で4人以上、班長クラスでも2人から3人は必要だ。


 だがそれも、1対4で確かなフォーメーションが組まれていてこそ意味を成す。

 この乱戦状態の中で、そのパワーバランスが常に保てるとは思わない方が良い。

 前線の者には、常に通常の5倍、6倍の負荷が掛っていると考えるべきだ。


 ダーレス達三人は言葉を発する事も無く、重い考えに沈んで行った。


「ぬ?なんだ?!ど、どうしたのだコレは?!!」


 と、突然乱れた画像の揺れに、フーリエが不安げに叫んだ。


 撮影者が何かを発見したのだろう。画面が右へ左へと動く事で、この魔道具の操作者が右往左往している事が判る。

 やがて突然動きを止め、ズリズリと後ずさりしている様に画像がユックリ後方に下がっていた。


 だが、それが突然つんのめる様に後方から前方へ向け、画像がガタリッと揺れた。


 そして撮影者に何かの影が落ち、次の瞬間、画面の視点が高く上がり、そのまま映像が縦に回転し始めた。

 撮影器具が、クルクルと回りながら飛んでいるのだろう、空と森の木々と地面と、森の中に蠢くアンデッド達とそれを薙ぎ払う騎士団が一瞬ずつ画面に映り込み流れて行く。

 やがて器具が地面に落ちたのか、画面が僅かに跳ね返り、そのまま動きが固定された。

 そして、巨大な白い何かが迫り映像が途切れた。


「……最後のは、……何だ?」

「巨大な物だ…。グレイトスカル……か?」

「いや!あれは人型の物では無いぞ!」


 オーガスト、アルフォンス、サイレンスが画像の最後を考察していた。

 あのスケールは、大型のアンデッドの物で間違はいない。

 だが、撮影者を襲ったであろう、最後に画面を掠めたその白い影は、とても人の姿を成しているとは思えなかった。


「大型アンデッドは『グレイトスカル』の他に『スカルセンティピード』、『オールド・スケイル・ダイナソー』が確認されたそうです」

「「「……なっ?!!」」」


 トレバーの報告に三人が絶句した。


「どちらも脅威値100オーバーだぞ!!騎士団だけでは準備も無しに挑める相手では無い!」

「いや!だが御頭首とコンラッド老なら!」


 脅威値100オーバー。

 その戦力は戦闘値20の者5人と同等と言う単純な計算は成り立たない。それは既に別次元の存在だ。

 上団位の8thエイスで戦闘値は60。10thテンスでも90だ。

 単体でそいつらと対等以上に渡り合えるのは、同じく戦闘値100を超える者だけだ。即ち『グレード持ち』と言われるグレードA以上の者達しか居ない。


 グレードAの戦闘値は110だ。

 既に前線を退いているハワードとコンラッドの二人は、暫定的に現在グレードAと云う事になっている。

 しかし二人は現役時代、『AAAトリプル』を超えるエクシードクラスだった。

 嘗てその戦闘値は200を超えていた。


 二人は今、マーシュ・カウズバートの手に依り調整された装備を身に着け、現役さながらの力を取り戻していると言う。

 この二人が揃っていれば、脅威値100オーバーが来たとしても恐れるに足りない。


 だが…………。


「大型アンデッドは複数体確認しているそうです。少なくとも、各5体以上は見たとケイシーは……」

「「「……!!」」」


 三人が三度みたび目を剥き、言葉を失った。


 ソニアの握っていた手に力が籠められ、白く変色していく。

 それを見たスージィが、ソニアの手に自らの手をソッと添える様に置いた。


 脅威値100オーバーが複数体。しかもそれが10体以上存在するかもしれないと言う。

 1対1の戦闘であれば、あの二人が後れを取るなどあり得ない。

 だがしかし、それが10体以上との対峙となれば話は別だ。難易度が全くの別物になる。

 しかも雑魚とはいえ、アンデッドの軍勢も同時に相手にしなくてはならない。

 騎士団と共同戦線を張るとしても、その物量差が圧倒的すぎる。


「更に、奴らは統率された動きを取っていたと報告を受けました。つまり……」

「指揮をする者が居るのか!?アンデッドの兵団だと?!!」

「はい、その数2千までは確認していますが、恐らく実数は更に数倍かと…。ケイシーは、大地の六割が白で埋まっているとの声を聞いたそうです……、それが進軍して来る!……と」

「なんてこった……!!」


 オーガストが思わず口走った。

 唯でさえ厄介な大形を複数含んだ、膨大なアンデッドの群れだ。

 しかもそれは只の群れでは無く、意志を持って進軍する兵団かもしれないと云う。

 これだけの兵力が、一体今まで何処に潜んでいたと言うのか?


「オーガスト、これが『溢れ』の要因だな」

「……ああ、まず間違いない。それが今、森の中から外へと溢れようとしている……」


 オーガストとアルフォンスは、このアンデッドの兵団こそが、村々に及ぼす『溢れ』の原因だと推論していた。

 アンデッドが膨れ上がって行った事で、魔獣が押し出され、『溢れが』起こっていたのだと……。


 そして今、森の深淵からこの軍勢は動き出した。


「くそ!オレは出るぞ!オーガスト!!急いで人員を揃える!」

「待てサイレンス!」

「時間が惜しい!話は後だ!!」


「ま、待て!なんだ?一体何が起きていると言うのだ?!」


 キャメロン・フーリエが、慌ただしく動き始めたサイレンスに不安を隠そうともせず問いただす。


「分らんのか?!騎士団が奴らと接触して既に15時間以上が経っている!奴らは足が速く休息も必要としない!伝令より遅いなんて事はあり得ない!伝令は今朝戻って来た!にも拘らず奴らはまだ此処に辿り着いていない!分るか?!誰かが奴らを食い止めていると云う事だ!」


 サイレンスが苛立ったようにフーリエに言い放った。

 アンデッドの群れは、本来であれば既にこの村へ雪崩れ込んでいても可笑しくない。

 だがそれを森の奥で、今も調査団が堰き止めているのだ。


 不死の兵団が、何時此処へ現れるか判らない状況であると理解したフーリエの顔が、目に見えて血の気を失って行った。


「ま、待て!では何時この化け物共が此処へ雪崩れ込んで来るかも知れんと云う事か?!」

「だからそう言っているだろう!急ぐぞアルフォンス!ありったけの戦力で向かうぞ!!」

「フーリエ代表!我々にも出撃の御許可を!このまま仲間を見捨てる事は出来ません!」


 最早一刻の猶予も無いと言う様に、サイレンスが森への増援を宣言する。

 トレバーも遅れてなる物かと出撃の許可を求め、フーリエに詰め寄った。


「バ、バカな!出撃?何を言っている?そんな事……、きょ、許可出来るものか!!防衛だ!守備を……守りを固めろ!!!貴公らもだ!アムカム護民団の出撃も許さん!!今ある戦力全て、全力を挙げて防護に当るのだ!!!!」


 クソ!!冗談じゃない!こんな話は聞いていないぞ!


 フーリエは腹の奥で悪態を吐いていた。


 この旅は最も安全な物だと聞かされ、それを自分も納得していた。

 だが、こんな化け物共が進撃して来る可能性があるなど聞いてはいない!

 殿下も首座大司官パトリアルクス猊下も、一言も仰っていない!聞いていたらこんな所まで来るものか!!

 猊下が是非にと仰ったから、この仕事を引き受けたのだ!帰ったら特別に報償を弾んで貰わねば割が合わない!


 クソッ!!それに万が一軍を動かし守りを薄くして、そんな軍勢が此処を突破したらどうするつもりなのだ?!

 そのまま国の中に溢れ出し、被害でも出したら誰が責任を負うのだ?!

 そんな事に成ったら、私の経歴に傷が付くではないか!冗談では無いぞ!!

 こんな村など、どうなっても構わんが、それだけは絶対に避けねばならん!

 どんな犠牲を払わせようとも、此処で何としても喰い止めさせるのだ!


「し、しかしフーリエ代表!!」

「ふざけるな!!許さんだと?!我々が貴様の命令に従う必要が何処にある?!!」


 フーリエの言葉に、トレバーとサイレンスが目を見開き動きを止めた。

 そしてサイレンスが、幾ら国の機関とはいえ調査使節団にアムカムに対する命令権など無いと声を荒げた。

 その場に居た者全てが、兵を出す事を許さぬと言うフーリエを、驚愕の色を浮かべた目で見詰めていた。


 サイレンスや人々の眼に怯みながらも、フーリエは更に続ける。


「わ、私はアウローラ国家評議会と王室庁の名代だ!私の言葉は国家の意志だ!それに真っ向から歯向かうのであれば、それは国家への反逆だと知れ!!」

「前線に居る者を見捨てろと言うのか?!!今この瞬間も、御頭首とコンラッド老が壁になって防いでるのが分らないのか!!」

「じじぃの事など知った事か!!そ、それよりも!そんな化け物共を……こ、国内に解き放つ責任を……だ、誰が取るつもりだ?!!防衛だ!死ぬ気で防衛線を張れぇ!!!」


 自分の決定こそ、今この場では国の決定と同義であるとし、フーリエは強固に防衛線を築く事を強いて来る。

 そして、あまつさえハワードとコンラッドを見捨てろとも言い出した。

 その瞬間、その場の空気が凍り付く。

 同時にサイレンスがフーリエの胸ぐらを掴み上げ激高した。


「貴っ様ぁぁ!!!」

「ひぃぃ!!な、ならば!アムカムは……ア、アウローラ共和王国への反乱の意志在りと判断する……までだ!!」

「……!このっ!!」


 サイレンスに胸ぐらを掴み上げられ顔を蒼ざめさせながら、尚も自分への反抗は国家への反逆だとフーリエは断じる。

 そんな強引な話が通る訳がないと思いながらも、サイレンスはそのフーリエの強気な言い草に絶句する。

 思わず力を抜いたサイレンスの手から抜け出し、フーリエは上がった息を抑えつつ、サイレンスに目を合わせぬ様に、その手を睨みながら襟元を直した。

 そこへトレバーが出兵の嘆願を始めた。


「代表!お願いです!!どうか……どうか前線の仲間の元へ!!我らを!!!」

「駄目だ駄目だ!!一兵たりとも出撃は許さん!!全兵力を持って防衛線を築けと言っているであろうが!!」

「そこを曲げてのお願いです!どうか!!!」

「ゆ、許さん!!絶対に許さん!!どうしてもと言うのなら……き、貴様1人だ!貴様1人だけで向かえ!!!」

「…………くっ!」


 今度はトレバーを睨みつけながら、フーリエはその嘆願を切って捨てた。 

 フーリエは騎士団に対しては、間違いなく決定権を持っている。

 彼が騎士団の出撃を認めなければ、兵は出せ無い。

 トレバーはフーリエに食い下がるが、頭から却下され言葉を失う。


 苦しげに歯を食い締め拳を握るトレバーの後ろから、「待て」と言う様に軽く上げた右手を向けて、今度はオーガストが前へ進み出て来た。


「それならば、我々からも1チームだけ……、向かわせて貰っても構いませんか?」

「な、なんだと?!!」

「1チームですよ、たった数人の1チーム……」

「む……、だが……」

「現在アムカムの村に残る村人は、総数2,352名。アムカムの民は、年寄りや子供でさえ、その辺の衛士よりも戦力は上ですよ?」

「……ん、む……」

「その中から向かわせるのは、女性だけの1チームだけです。どちらにしても偵察は必要でしょう?何時、何処から来るのか知る為の手段は必要だ。違いますか?」


 オーガストが、偵察に1チームだけ出撃させろと提案する。

 だがオーガストは、フーリエに向け言葉を紡いでいない。

 その視線の先にはスージィが居る。


 スージィとオーガストは視線を交わし、小さく頷いた。


 フーリエは、そんなオーガストの目線に気付かず思案する。


 確かに偵察は必要だ。いつ来るか判らぬ不透明な状態は取敢えず脱せる。

 それに、女のチーム一つだけだと言っている。少なくとも騎士団の人員を裂くよりは戦力の低下が無い。

 ましてや森を知っているアムカムの者だ。騎士団の者より偵察向きなのは間違いない。

 それに2,000人超えの戦力は欲しい。

 今から付近の都市へ連絡を放っても、それだけの数の衛士を揃えるとしたら、どれだけ時間が掛る事か……。


 条件は悪くない。


 寧ろ此方は失う物は無い。

 後方から討伐隊が組織され、それが辿り着くまで持てば良い。

 いや!私が安全地帯へ避難するまで持つ事が重要なのだ!!後はどうなろうと知った事では無い。

 恐らくこの村はもう終わりだ。

 襲い来るアンデッドに踏み荒らされ、やがて魔獣にも蹂躙され、この国の地図から消え失せる。


「……む、……む、そ、その1チームだけだ!!それ以外の村人は女子供問わず、残らず防衛に当らせろ!良いな?!!!」


 フーリエは咄嗟にそれだけ考えて、吐き捨てる様にオーガストに言葉を叩き付けた。


「マ、マゴック急ぐぞ!急いで出発の準備をするのだ!!」

「は?……は、はい!!只今!急いで直ぐに!!」


 今の内に避難するのが、間違いなく正しい選択だ。

 此れから壊滅するこの村から確保……いや、保護出来る物は出来るだけしておいた方が良いだろう。


 更にそう考えを巡らせたフーリエが、従者に命令を飛ばした後、スージィに向かって手を差し伸べた。


「さあ!姫、参りますぞ!」

「はい?わたしです、か?」

「勿論で御座います!スージィ姫様に於いて他に御座いません!何卒ここは、このキャメロン・フーリエと共に、御出で下さいますようにお願い申し上げます」

「この大事の時に、フーリエ様は、どちらへ行かれるのです、か?」

「無論避難でございます!我々は、一刻も早くこの村から離れなければなりません」

「そうですか……、わたしは行けま、せん。フーリエ様は、お気をつけて避難されて下さい、ませ」

「……ちっ!イイから此方へ来られよ!!」


 本来ならば、村がこんな危機的状況に陥れば、心情穏やかで居られる訳がない。

 ましてや年端もいかぬ小娘が、怯えぬ筈も無い。

 そう考えたフーリエは、スージィに共に行こうと誘いをかけたのだ。


 だがスージィは、醒めた表情でフーリエの誘いを往なして行く。


 つい苛立ちを覚えたフーリエは、スージィのその細腕を掴み、無理やりにでも連れて行こうと更に手を伸ばした。


 だが、いくら手を伸ばしてみても、フーリエの手はスージィの腕に届かない。

 スルリスルリと何故か空を掴み、スージィを掴む事が出来ない。


「む、むむ?これは?む?」


 フーリエにはその事が理解出来なかった。

 自分の身に何かあったのか?幻覚の類でも見せられているのかと、引き戻した自分の手を見詰めてしまう。


「どうぞ、お逃げ下、さい……。フーリエ、様?」

「くっ!」


 スージィが醒めた目で、酷く冷たく言い放った。

 フーリエはそのスージィの眼に怯み、言葉を詰まらせた。

 その深いコバルトグリーンの瞳に、底の知れない不安を掻き立てられ、フーリエは知らぬ内に後ずさっていた。


 だが、フーリエは無意識に自分の身体が下がった事、心が怯えを感じた事に激しく苛立った。

 こんな小娘相手に、自分ともあろう者が何を怯んで居るのか!


「このっ!こ、後悔するぞ!チッ!マゴック!行くぞ!!」


 フーリエは、そのまま苛立たしげに捨て台詞を吐き身を翻し、従者を引き連れその場を去って行った。


 トレバーも直ぐ様その場で「失礼します!」とアムカムの者達に頭を下げ、騎士団の仮宿舎へと戻って行った。


 彼は1人ででも、森の奥へと向かうつもりだと言った。

 宿舎へは、後詰めの班長達に事の顛末を伝え、後の事を任せる為に一旦戻り、その後、森へ入るアムカムのチームと合流したいと言う。

 オーガストはそれを快く受け入れ、彼を送り出した。


 トレバーを送り出した後、オーガストはスージィに向かい言葉を掛ける。


「……スージィさん」


 スージィはオーガストと視線を合わせ頷くと、隣に控えていたアンナメリーに、小首を傾げながら問いかけた。


「アンナメリー、直ぐに、わたしの装備を取りに行けます、か?」

「ご安心くださいお嬢様、既にお嬢様のお荷物はアムカムハウスこちらに御座います」


 スッとスージィの脇で頭を下げ、アンナメリーが澱み無く答えた。


「15分で、お嬢様のお支度は済ませてご覧に入れます」

「ありがとうアンナメリー。オーガストさん、30分後に壱の詰所へ伺い、ます」


 スージィの言葉に、オーガストが一歩進み出た。


「スージィさん……、どうか、どうか御頭首を……」


 アルフォンスとサイレンスも「お願いしますスージィさん」「頼む、お嬢」とオーガストに続いた。

 スージィは三人にニコリと微笑み、一言「はい」とだけ答えた。


 そのままスージィはソニアと向き合う。


「スージィ……。あの人を、……ハワードをお願い」


 ソニアがスージィの手を取り、祈る様に言葉を紡ぐ。


「大丈夫です、ソニアママ。お仕事にかまけて、ママを寂しがらせる、ハワードパパを、ちゃんとお家に連れて帰り、ます。安心して待っていてください、ね?」


 そう言うとスージィは、小首を傾げてニコリと微笑んだ。


――――――――――――――――――――

次回「ジュール・ナールの逃走」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る