第24話アムカムの聖域

 そこは、30メートル四方に草地が広がる小高い丘だった。


 森の入口から5キロ程進んだ場所で、既に中層と言われている領域だ。

 だが、この丘に魔獣は侵入して来ない。

 アムカムの森に於いて、唯一と言って良い安全地帯だ。


 此処までの道のりで、魔獣の襲撃はそれなりにあった。

 だが騎士団の中に、ここまでの領域で、魔獣に後れを取る者は居ない。

 順調に、一日目の道程をこなして来たと言える。


「おお!此処が名高い『勇者の丘』ですか!」


 第3班班長トニー・イーストンが、丘に足を踏み入れるなり感極まった様に声を上げた。

 その顔は歓喜に溢れている。それはまさしく、少年が憧れの英雄ヒーローを前にした時に浮かべるような表情だ。


 勇者の物語は、この国の者なら、子供の頃から何度も聞かされて来た御伽噺だ。

 トニー・イーストンも当然その例外では無い。勇者物語に憧れた少年時代を過ごして来た。


 恐らくは、騎士団に属する者の殆どが、彼と同じ様に勇者の物語に胸躍らせた覚えがあるのだろう。皆一応に瞳を輝かせている。


「此処は、そんな偉そうな名前の場所じゃねぇぜ」


 するとトニーの後ろから、ぶっきらぼうに野太い声が掛けられてきた。


 突然の声に驚いたトニーが振り向けば、そこには巨大な戦斧を担いだ大男が立っていた。

 男は、頭髪と同じ白髪交じりのキャロットオレンジの顎鬚を、左手でショリショリと摘み上げながら、静かな面持ちで丘の周りに視線を巡らせている。

 革の胸当てを押し上げ、戦斧を担ぐ隆々とした肉体は、とても70を迎えようとする老人の物では無い。

 その内から圧倒的な強者の闘気が漏れ出ている事に、その場に居る者全員が感じ取っていた。


 そこに立つのは、アムカム12班の一つ、ブロウク家の前家長コンラッド・ブロウクだ。


 コンラッドの存在感に圧倒されたトニーは、一瞬、呼吸を忘れ生唾を飲み込んだ。


「あ……、いやしかし!此処は嘗て勇者が顕現したと……」


「そんな御大層な場所じゃ無ぇんだよ!」


 それでもトニーは、この場所の名を知る者は多いと、自分を含めこの地に憧れを抱く者は数多い、と告げようとしていた。

 決して、この場所を軽んじている訳では無い、と伝えたかったのだ。

 だが、その言葉を遮る様に語気を強めたコンラッドに、トニーはその先を続ける事が出来ない。


「よせ、コンラッド」


 ハワードがコンラッドの肩に手を置いた。

 コンラッドは一つ舌打ちをして目線を逸らし、そして誰ともなしに言葉を紡ぐ。


「此処はな……何の事は無い、一人の娘が、故郷へ帰る事を、家族に会う事を、唯々願っていただけの場所だ。大昔、そんな事があったってだけの場所だ。そんな仰々しい名前で呼んでくれるな」


 そう言うとコンラッドはその場を離れ、大荷物を背中から降ろしたジルベルトの所へ行ってしまった。


「すまないマイヤー殿。気にしないでくれ」

「いえ!此方こそ皆様のお気持ち考えず……、申し訳ございませんでした」


 ハワードとセドリック・マイヤーが、互いに身内の無礼を詫びていた。


「ただ、分ってくれマイヤー殿。此処はアムカムの者にとって、思い入れのある場所だ。村人以外に使わせる事に幾分抵抗を感じる者も居る」

「それでも使わせて頂ける事に、感謝の念が堪えません。出来うる限りの礼節を以って、使用させて頂きます!」


 マイヤーの硬い言葉にハワードの顔が綻ぶ。


「とは言った物の、遠慮などせず普通に野営場所として使ってくれて構わんよ。なに、コンラッドあれもああ見えて、根は只のお人好しだ。今頃ばつが悪い思いをしている筈だ。後で野営設営の手伝いに行かせよう」

「はい、ありがとうございます、クラウド卿」


 コンラッドに、悪印象を払拭する機会を与えて欲しいと言うハワードに、マイヤーも笑顔を浮かべて承諾した。



     ◇



「ま、まったく……何て所だ……、何て所なんだ此処は?!」


 コナー・クラークが、顔を蒼ざめさせながら呟いていた。


 王都からアムカムへ辿り着くまでの間、整備された街道での旅は快適だった。

 それでも人里から離れた地では、それなりに魔獣との邂逅も経験していた。


 王都生活しか知らぬクラークにとって、初めて目にした魔獣は恐怖その物だった。

 赤い目をした山犬。奇声を上げて襲って来た猿の様な魔獣。仔牛ほどもある猪。

 ゴブリンの集団に出くわした事もあった。


 とてもではないが自分達普通の人間が出くわせば、魔獣がたった1体でも確実に命を落とす確信がある。


 しかし、そんな恐ろしい相手を騎士団の者達は、ほんの一人や二人で次々と打ち倒して行ったのだ。

 その様子を見てクラークは、やはり騎士団は最強なのだ。と、そんな者達に守られている自分は特別なのだ。と、己の自尊心を満足させるのと同時に、この旅の安全さも確信していた。


 だが、この森へ来てからはどうだ?

 まだ半日しか経っていないが、この森の異常さは何だ?これまで通って来た道のりとは明らかに違う。


 決して騎士達が苦戦している訳では無いが、魔獣達の現れる頻度が違う、数が違う。

 この半日で、一体どれ程の魔獣が襲って来たというのか?


 この森の旅路では、今まで我が身を守っていた馬車など無いのだ。

 あの巨大なサソリは一体何なのだ?あんな大きな灰色の狼など見た事も無い!それにあの頭が二つもある巨大な蛇!

 あの中の1体でも、騎士団の包囲を抜けて来たら……。想像するだけで、嫌な汗が背中を伝って落ちる。


 此処は、彼の想像を遥かに超える魔境だったのだ。

 たった半日で、クラークはこの旅に出た事を後悔し始めていた。


「……クラーク様、此方の確認を……お願い出来ますか?」


 臍を噛むクラークに、彼の補助と言う名目で連れて来られた部下二人が声を掛けて来た。

 彼等は手に、水晶球が取り付けられ魔法印の刻み込まれた筒状の物を持っていた。

 これは、僅かな魔力を流し込む事で映像を記録出来る魔法道具だ。


「なにっ?!そんな事はお前達でやっておけ!一々私の手を煩わすな!!」

「い、いえ、申し訳ありません……、し、しかし、クラーク様に決裁をして頂かないと、記録の保存が出来ません……」


 遠征の記録を取る事は、彼らが騎士団と同行している理由である。

 流石に、その本来の仕事を疎かにする訳には行かない。


「ちっ!ええい!貸せ!!」


 クラークが忌々しげに舌打ちをすると、職員の手から乱暴に記録装置を奪い取った。

 そのまま装置の記録を読み取って行くが、内容など頭には入って来ない。

 如何にしてこれから数日間、無事に過ごし帰還出来るかと云う事にしか思考が動いていないのだ。

 改めて記録装置から流れて来る魔獣の姿に、コナー・クラークの生存本能が悲鳴を上げた。

 いざとなれば、此奴らを盾にしてでも生き延びなければ。最も重要なのは私の命なのだ!と焦燥感に苛まれながら、血走った目で二人の職員を覗き見ていた。


 ほんの半日、たった半日アムカムの森を通り抜けただけで、コナー・クラークの精神は軋み始めていた。



     ◇



「うひょひょひょひょ!愉快、愉快。実に愉快!じゃのぉ!」

「ノソリ君、随分楽しそうじゃな?何か良い事でもあったのか?」

「何を言っておるのかのぉ?モリス君は?こんな最高の場所におると言うのにのぉ!やはりボケてしもうたかのぉ?!」

「ば、馬鹿モン!ボケてなどおらんわ!!大方、次から次へと押し寄せる魔獣にヒートアップしとるだけなんじゃろうが!!」

「まったく!全くじゃのぉ!此処は凄ンい場所じゃのぉぉ!」


「なんですかー?随分楽しそうに騒いでますねー。お二人共ー」

「おお!セイワシ君の助手君ではないか!何とかしてくれ!ノソリ君が喧しくて敵わんのじゃ!」

「はぁー、何とかと言われましてもー、どうかなさったんですかー?ノソリ先生ー」


「キミは此処まで何をを見て来たのかのぉ!此処は魔力生成生物、つまり瘴気と化した魔力から生まれる魔獣の宝庫じゃからのぉ!森の浅い部分にはまだ外と同じ様な、魔力変性生物。つまい普通の生物が瘴気で変質した魔獣も幾分おったがの、奥に行けば恐らく生成生物ばかりになるじゃろうのぉ!魔力生成生物をこんな間近に、しかもこんな大量にお目にかかれるなんぞ、王都ではあり得んかったからのぉ!これが興奮せずにおられるかのぉぉ!!」

「あ、ぁー、そーですかー。でも落ち着いて下さいノソリ先生ー。血圧が大変な事に事になってしまいますよー」


「ふむ、どうかしたかねジョスリーヌ君」

「あ、セイワシ先生ー。ノソリ先生が大変なんですよー」

「ふむ、ノソリ君が興奮するのも良く分るね」

「そーなんですかー?」

「ふむ、この地の魔力量、そしてその流れは尋常では無いからね」

「むむ!セイワシ君まで興奮気味じゃな?!」

「ふむ、此処にはまるで世界中から魔力が集まっている様だからね。奥へ進むほどに魔力の密度も増している。此れだけの魔力流の中で生じる澱みも相当な物になる筈。強力な魔獣が発生していて当然の場所と云う事だね」


「あー、セイワシ先生もー、何気にヒートアップしてますねー」

「そうじゃろ、そうじゃろ?だがセイワシ君。そんな魔力の濃い場所で、普通の人間は大丈夫な物なんじゃろか?」

「ふむ、あの文官君達だね?ま、この辺りならまだ問題無いだろうね。しかし、後4~5千メートルも深く潜ったら、我々や騎士団の様に魔力を扱う事に長けた者でなければ只では済まないだろうね」

「えぇーー、それー、大変じゃないですかー。あの人達ー、魔力圧に押し潰されちゃいますよー」

「ふむ、ジョスリーヌ君、相変わらず君が言うと緊張感が無くなるね。まぁ、どちらにしても問題は無いのだけれどね。私が貸し与えた防魔装備であれば十分耐えられる筈だよ」

「あぁー、あのマントがそうでしたねー」

「なるほど!それなら安心じゃの!」

「ふむ、まあ後3~40キロは持つだろうからね!我々だって何も対策をしなければ50キロ辺りまで持てば良い方だろうからね」


「なるほど、そら大変じゃな!大変じゃが……今はワシはこの足元の構造物の方に気が惹かれるんじゃがな!」

「ふむ、村でヘンリー君が教えてくれた地中の構造物の事だね?確かに興味深くはあるね」

「一体何で出来ておるんじゃろうか?どっから採掘して運んで来て、どんな加工をしたんじゃろうか?」

「ふむ、この場所だけ魔力濃度も希薄で流れも実に穏やかだね。地下の構造物と因果関係があると考えても可笑しくは無いね。ふむ、調査する価値は十分あるね」

「そうじゃろ、そうじゃろ?調べさせて貰えんじゃろか?掘り返しても良いじゃろか?」

「止めて下さいよー、お二人共ーー、そんな事したらー、村の方達に御迷惑かかりますよーー」


「ふむ、そうか、教えてくれたヘンリー君にも申し訳が立たないかね」

「むむ、ヘンリー君か、確かに此処の研究をしていたのは彼じゃったからな。勝手に掘り起こす訳にはイカンじゃろうな」

「そうですーそうですよーー。それにしてもー、あの神殿長と皆さんお知り合いだったんですねー?」

「ふむ、君は知らなかったかな?ジョスリーヌ君。ヘンリー君は前に大学で教鞭を取っていたんだがね」

「10年も前の話じゃ、助手君は知らんじゃろうよ」

「へー、そーだったんですかー。初耳ですーー」


「相変わらず、クソ真面目な男じゃったのぉ」

「ぅお!ノソリ君生きておったのか?!」

「生きて居るからのぉぉ!人を勝手に殺すんじゃぁ無いモリス君!!」

「てっきり頭の血管が切れてしもうたと思っていたんじゃが、生憎無事だった様じゃな」

「生憎とはどういう事かのぉぉぉ?!!」

「ノソリ先生ーノソリ先生ーー、やっぱり血管が切れそうなのでー、落ち着いて下さいーー」

「ふむ、ジョスリーヌ君、君はやはり緊張感が感じられないね。ふむ、それでヘンリー君だけどね。彼も結婚したので少しは砕けたかと思っていたんだが相変わらずだったと云う事だね」

「うひょひょひょ、何と言っても、教え子と引っ付いた位だからのぉ」

「ぅえぇーー、そーだったんですかーー?あの真面目そうな方がー教え子に手を出してたんですかーー?」

「まぁ押し掛け女房だったそうじゃからな。村に旅立ったヘンリー君を追いかけて行って、居座ったそうじゃよ」

「へーー、どっちにしてもー意外ですーー。あー、皆さんー、テントが組み上がったみたいですー。お早く荷物を移してくださいねー。ほらー、とっとと移動ですよー」

「むむ、押さんでもちゃんと動くわい!セイワシ君!君の助手は相変わらずワシらに遠慮が無いんじゃな?!」

「ふむ、ジョスリーヌ君は我々に対して敬意と云う物を持ち合わせていないからしょうがないね」

「はいー、キリキリ歩いて下さいねーー」

「全くもって嘆かわしいのぉ。うぉ!引っぱ……、引っ張らなくても歩けるからのぉぉ!」


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次回「スージィ・クラウドの憂鬱」

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