第22話ソニア・クラウドの憂い事

「フーリエ様!本当に私が同行せねばならぬのでしょうか?」


 アムカム側との会談の後、使節団に宛がわれた一角のラウンジで、コナー・クラークがキャメロン・フーリエに不安を訴えていた。


「クラーク君、今更どうしたのだね?王都出発の折りに、そう決まったでは無いか」

「……し、しかし!このような未開の地で……、あ、あんな……、あ、あのような野蛮な人種達と行動を共にするなどっ!!」


 クラークは思い出していた。先程までのやり取りを。サイレンス・クロキと名乗った男の剣呑な目つきを。そしてイロシオ大森林へ共に行くと言い出した、アムカムの現頭首ハワード・クラウドの覇気を。



     ◇



 コナー・クラークは生粋の文官である。荒事などとは無縁に今日まで生きて来た。


 そんなクラークが何故、こんな辺境まで来たのかと言えば……。

 直属の上司であるフーリエが、調査使節の代表になった事が主な理由ではあるが、彼にとってはそれだけでは無い。


 正直、始めイロシオ行きを共にするつもりはクラークには無かった。


 イロシオ大森林は、話でしか聞いた事の無い魔獣溢れる辺境だ。

 殆ど王都から出た事の無いクラークにとっては、そこは正に未知の領域だ。

 クラークがそんな場所へ赴くなど、考える以前の問題だった。


 しかしキャメロン・フーリエは、クラークが辺境行きを承知させるだけの報酬を提示して来たのだ。

 それは、フーリエの持つ豊かな人脈だ。


 フーリエ本人も、傍流とは言え貴族の血筋だ。歴史に名の残る、あのバルデモンデ家に連なる者だ。


 フーリエは、その血筋の力で様々な人脈を形成している。

 ある者は王室に連なる者。又ある者は全大陸に手を広げる企業の取締役。更にある者は神殿庁の高位官。

 決して能力が高いとは言えないフーリエが、今の要職に就いているのは、そんな後ろ盾がある為だとクラークは知っていた。


 そんなフーリエが使節団へ同行するなら、特定の人々を紹介しても良いと言って来たのだ。

 更に、責任職へ昇進する為の推薦状も用意すると言う……。



 コナー・クラークは、自他ともに認める出世欲の強い人間だ。


 自分は優秀な人間なのだから、同期の誰よりも早く、高く出世するのは当然の事だ。

 頭の回転も速く、常に最適解を選び、的確で効率が良い人の使い方も出来る。

 後は、確かなパイプさえあれば、それさえ上手く使えば、自分は何処まででも上がって行ける。

 それがコナー・クラークが常々抱いている思いだ。


 そんなクラークにとって、フーリエの誘いは魅力的な提案だった。


 イロシオ行きを共にするのは、魔獣などの人外を退治する事に長けた騎士団の精鋭、機動重騎士団。

 この国に、騎士団以上の戦力などあり得ない。

 今回はその大隊が、イロシオ調査団の主戦力となると言うのだ。


「これ以上頼もしい護衛は無いとは思わんかね?」


 フーリエはクラークに語った。


「なにも、イロシオ大森林を縦断する必要はないのだよ。重要なのは調査団が派遣されたと言う事実なのだ」


 有史以来の大異変だ。国が何もしない訳には行かない。

 かといって、デイパーラ山脈にまで足を踏み入れるなど、人類には到底不可能だ。

 それでもイロシオまで調査団を送りだし、その地へ足を踏み入れたと言う事実が政治的には必要なのだ、とフーリエは語る。


「現地ではガイドとしてアムカム護民団の協力を仰ぐ。名前の通った者を連れ出せれば、我々の評価も上がると云う物だ。キミは彼等や騎士団に護衛され、3~4日森を探索してくれれば良い。ナニ、往復で半年と少しの出張をする物だと思えば、容易い物だろう?それで晴れてキミは格上げだ」


 フーリエの提案をクラークが承諾するのは、至極当然の事だったのだ。



     ◇



 しかしクラークは今、「話が違う」と思い始めていた。


 荒事とは無縁の生活を送って来たクラークにとって、アムカムの民の放つ気配は、非社会的な集団が放つ物と違いは無い様に思えた。


 ここへ到着するまでの旅路は、騎士団に守られ実に安全で快適だった。

 フーリエに逆らう者など当然の様に居ない。

 旅の道すがら、フーリエのお零れで随分と美味しい思いもさせて貰った。

 馬車の中でなど、外から見えないのを良い事に、昼間から好き勝手な事もやっていた。


 これは、貴族筋のフーリエが居るのだから当然なのだ。

 血筋を重んじるのは、中央に居る者にとって当たり前の事だ。


 だが此処の者はどうだ?

 血筋に敬意を払う者など居ないと公言する。


 地方に行く程に、血筋に対する敬意が薄くなると話では聞いていたが、それを目の当たりにするのは初めてだった。


 クラークは幾分、動揺を感じ始めていたのだ。




     ◇◇◇◇◇




「うむ、キミの言いたい事は良く分る。だがね、キミは運が良いとも言えるのだぞ」

「……は?運……ですか?私が……でしょうか?」

「そうだキミだよ!考えても見たまえ!クラウド卿は本来であれば、アムカム辺境伯の爵位を持つお方だ!キミはそのお方と、未開の地を共に切り開いて行く事になるのだ!何という誉れであろうか?!」


 フーリエがクラークを使節団の副官へと誘ったのは、この男が扱い易いからだ。


 自分への評価が低い、と常に身の丈に合わぬ評定を望む姿は、傍から見れば滑稽だが、餌になるモノを与えれば幾らでも言う事を聞く。

 その思考は実に分り易い。


 自分は安全な後方に残り、調査団全体の動きを監督する義務があるのだ。

 誰が態々危険のある前線になど行く物か。


 前線には、自分に代わってクラークに行って貰わねば困る。

 その為に態々連れて来たのだ。

 道中も、大分美味しい目を見させてやった。

 与えた分はしっかり働いて貰う。


 今更、ここで尻を捲くるなどは許される事では無い。逃げれば出世コースからは完全に外れる。

 無事に王都まで帰る事も出来ないであろう。


 クラークが選べる道は、始めから一択しか無いにも拘らず、こうして説得をしてやる自分は、なんと優しく度量の深い人間なのであろうか。


 フーリエはそんな自分の考えに悦に入りながら、クラークへの説得に言葉を紡ぎ出して行った。



「………」

「その事実は中央に戻ったその時、周りにどれだけ良い心証を与えるか?!……想像して見たまえ?」

「……は、……む」

「私にはね、クラーク君。我らが王都に晴れて凱旋の暁には、キミに紹介する方々に、どれだけの好印象で受け入れて頂けるか……想像に難くないのだがね」


 一週間もすればグレード持ちは帰って来ると言うが、そこからまた準備を整えるとなれば、更に1~2週間は必要になってしまう筈。

 一月近くもこんな所で足止めなど、冗談では無い。

 不必要に経費が嵩めば、自分の評価も落ちてしまう。

 ましてや戻って来るグレード持ちが、どの程度名を馳せる者なのかも分らない。

 そんな賭けの様な真似は出来ない。

 一刻も早く出立させるのが望ましい。


 大体にして、御頭首自ら立ってくれると言うのだ。こんな美味い話は無い。

 卿を出立させたとなれば、自分の評価が最大級に上がるのは間違いない。

 クラークの我侭などで、ケチを付けられても堪らん。

 是が非でも行って貰わねば。


 フーリエが、腹に一物を抱えながらクラークの説得を続けて行く。

 


「む……む、……」


「……それに忘れたかね?キミは元より、何時までもイロシオを進む必要は無いのだ!3~4日も進んだ先で作るベースキャンプの完成を確認すれば、晴れてキミは補給の部隊と共に戻って来れるのだ。……ほんの4~5日の話ではないか」

「……そ、そうでしたな……、いや、そうでした!」


「何の心配もいらぬよクラーク君!キミは約束された栄光に思いを馳せていれば良いだけだ」

「は、はい!ですれば、お約束通り!何卒遠征成功の暁には、皆様方へのご紹介の程、よろしくお願い致します!」


「うむ!任せておきたまえ!」


 まだ陽が頂点へと至る前にも拘らず、ほの暗い室内で下卑たる男達の、薄い笑いが静かに響いていた。






     ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆







「ふん!虫の好かない連中だ!」


 使節団代表との会談が終了した後、ハワードと三家の家長達は評議会会議室へと赴いた。

 サイレンスが椅子に座るなり、開口一番で毒を吐いた。


「そう言うなサイレンス。あ奴は只、己の向上心に素直なだけの人間だ」

「物は言様ですよ御頭首。あれは野心の為には手段も選ばぬ、只の自己中ですよ」


 呆れた様なアルフォンスの言葉に、ハワードは肩を竦めて見せた。


「まあ、多少なりとも腹の探り合いは心得ているのもであろう?お主たちと同じようにな」


 そう言うとハワードは、サイレンスとアルフォンスを見て楽しそうに目を細めた。

 サイレンスとアルフォンスは何の事かと目を背ける。


「煽り役と宥め役。相互で決まった役割を演じているのを眺めるのは、中々に面白かったぞ」

「それを綺麗にひっくり返されましたからね。全く、御頭首はお人が悪い……」


 アルフォンスが再び呆れた様に嘆息した。


「あの者の人となりは、既にアンナメリーより伝え聞いていたのでな……」

「バイロス家の諜報網ですね?やはり、昨日馬車から出て来た二人も……?」

「うむ、彼女達には苦労をさせた……」


 オーガストの問い掛けにハワードが頷き、昨日フーリエ達と馬車を共にしてきた女達が、アムカム所縁の者である事を肯定した。


「あ奴は、己が如何に高い評価を得られるか……常にそれだけを気にしておる」

「見た目通り、意地の汚い輩と言う訳ですか!」


 サイレンスが吐き捨てる様に言い放つ。


「しかし、所詮は目の前の餌に忠実なだけの、只のお人好しだ。つまらぬ禍根を残すより、貸しを与えてやった方が良い」


「だからと言って、御頭首御自ら出られる事はありません!我々の誰かが出れば事足ります!」


「Aグレードを一人二人連れ置くより、ワシを駆り出せた事で、あ奴に対する評価は大きく上がる。ワシ以上に、あ奴にとって大きな餌は無いぞ。それになオーガスト……前にも言った筈だ。お主ら三家が、村を長期で空ける事は許されん」


「彼等は分っていません!イロシオの超深層へ挑む事がどう云う事か!……僅かな油断一つで何が起きるか判らない!……そんな事はこの村の者なら子供でも知っています!それを彼らは全く理解していない!!」

「そんな彼らを導く為の我らだろうよ」

「ですから我等の内、誰かが赴けばと……」

「オーガスト!お主らあってのアムカムだ。……もしもの事態は許されん。お主らは、ワシの様な『飾り』では無いのだ」

「御頭首の代りなど、おりはしませんよ!!」

「落ち着けオーガスト」


 サイレンスがオーガストの側面から、軽く握った左の手でその胸元を叩いて諌める。

 オーガストは一度息を飲み、上がっていた呼吸を整えた。


「それにな、今はあの子が居る……。託せる者が居るのだ。心置きなく挑めるとは思わんか?」

「……御頭首」

「アムカムに生まれた男なら、深淵に挑まんとするのは当然であろう?」


 古来よりアムカムの民は、侵食激しいイロシオ大森林を切り拓く事で、生を繋いで来た。

 アムカムに生きる者にとって、より深く大森林の深淵へと足を踏み入れる事は、何よりの誉れでもあったのだ。

 だがそれは同時に、生きて帰れる見込みの薄い道行である事も意味している。


『森に生き、森へ還る』オーガストは、古くからある言い回しを思い出していた。


 その昔、アムカムに住まう人々がまだ生きるに辛い時代。

 子供達が森で生死を天秤に掛けられていた時代。

 子供達だけでなく、年老いた者もその行く末を森に託していた時代の言葉だ。


 今は既にその様な時世では無い。

 だが、ハワードは森の奥に死に場所を探しているとでも言いたげだ。



 オーガストがサイレンスがアルフォンスが、ハワードの後ろで睨みを利かせる姿を……、初代のアムカム領主ジオロア・アムカムの肖像画を見上げた。

 

その荘厳な額縁に刻み込まれた文言に、三人は意識を向ける。


『イロシオを拓き進む者よ、不退転の覚悟を以ってその土を踏め』


 オーガストが息を飲む。アルフォンスとサイレンスも動きを止めた。


「それにな……、イロシオの深層へ踏み入る……、此れはワシにとって、最後の機会だ!」

「御頭首……貴方は……」

「あそこには……、返して貰わねばならない物がある」


 ハワードは三人の前で静かに語る。


「あそこには……、ロランが待っている!」


 ハワードの瞳が語る、最後まで燻る男の焔を。

 胸の奥で灯し続けていた消えない焔を。

 渇望を続けていた奔流を、決して潰えぬ雄心を。






     ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






 その日の夕食はアムカムハウスの広間で、ハワードパパ、ソニアママの三人で頂いた。

 



 今、村は嘗て無く渾沌とした、浮き足の立った状態だ。

 騎士団が到着し、役場での仕事も混乱を極めているそうだ。


 そんなアムカムハウスには今、村長のオーガストさんを始め、御三家の方達も泊り込んで仕事をされている。


 その為、食事は皆さんと一緒する事が多い。

 特に夕食は、皆さん情報交換も兼ねているので、ご一緒に頂いている。

 良く、ビアース家の奥方様モリーさんや、クロキ家の奥方様、ビビのお母さんであるジェーンさんも来られて、ご一緒した。


 昨夜などはクロキ家が一家でいらっしゃったので、ビビと弟のエドも一緒に食事をした。

 なんだか、こういう大勢で食事するのってチョット楽しくなるね。



 でも、今夜はハワードパパが三人だけで食事をしたいと仰ったそうだ。


 食事をしながらわたしは、その日にあった事をお二人に話していた。


 騎士団の装備の事は余りにも衝撃的で、話をせずには居られなかったのだが……。

 お二人は始終、楽しそうに聞いていてくれた。




 その後、食後のお茶お頂きながらハワードパパは、ソニアママとわたしにお話したい事があると仰った。


 エルローズさんとアンナメリーが、お茶の準備をしてくれた。


 エルローズさんが見守る中、アンナメリーがポットの中の茶葉を躍らせ、丁寧にお茶を注いでくれる。


 立ち昇る香りを楽しみながら、暫くは言葉も紡がず三人で静かにお茶を頂いていた。

 お茶を頂くハワードパパからは、想いを定めた様な嫋やかでいて重厚な意志の流れを感じてる。


 それを感じ取っているのか、ソニアママは静かでいて深く柔らかな心もちをされていた。

 まるでこれから来るモノを、余す事無く受け止めようとする様に……。


「……イロシオへの探索は、ワシが行くことにした」


 徐にパパが切り出した。

 お茶を口元へ近づけていたソニアママの手が止まる。


「ハワード……」

「これが恐らく……最後の機会だ……」


「………」

「三日後の29日に出立する」


 何か言いたげに、ティーカップを置いたソニアママの手が空を掴み、思い直すかの様に両の手を膝の上へと静かに置いた。


「明日、一度家へ戻り準備を整えます。スージィ、手伝ってくれる?」

「あ……、は、はい」


 目を伏せたまま話すソニアママの胸の内が見える様で、わたしの胸の奥もズキリとした痛みを覚えた。


「あ、あの!ハワードパパ……!」

「スージィ、村を頼んだよ……。約束をしてくれたね?」


「あ……、は、はい」

「村を……、ソニアを頼む。……約束だ」


 ハワードパパは、その決意を肚の奥底へと深く沈め置きながら、それでいてとても優しく柔らかい目で、頼み込む様にわたしの眼を見詰めながら仰った。


「あ・・・ハワード、パパ・・・、ソニア、ママ・・・!」


 わたしは隣に座るソニアママの手に自分の手を重ね、静かにティーカップを見詰めるそのお顔を横から見詰め、少し冷たくなっているその手をソッと握った。

 ソニアママはわたしのその手を、ギュッと強く握り返してきた。


――――――――――――――――――――

次回「アウローラ騎士団の出陣」

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