episode零

辰星歴しんせいれき2418年3の紅月あかつき6日深夜


 それは深い森の中。

 地の果てまでも続く、深い樹木の海の中。

 僅かな光を残しながら、影に覆われ行く二つの月が重なり、もう間も無く真の闇がその地に落ち様とするその時。

 4つの影がその大地を疾く走る。


「ようやくっ、ようやく着いたのかいっ?!」


 子供の様な大きさの影が、安心した様に呟いた。 


「もう此処まで来れば、魔獣は侵入出来ません。この地は古き結界に守られております」


 女性の様なシルエットを持つ影が静かに答える。


「ハッ!とんでもねェ所だなオイ!まぁそれなりには楽しめたけどヨ!尤も、もう打ち止めだがな!クハハッ!」


 一際大柄な影が面白そうに言葉を発した。


「思ったより時間を取った。急ぐぞ」


 ローブを纏った人影が急ぎ進む事を促した。


「はい!ロドルフ様!」

「くっそっ!なんだってこんな目にっ!」

「まあ無事に此処まで来れたんだから良いじゃねェか?!なあオルベット!クハハハッ!」

「ボクはっ!お前みたいなバトルマニアじゃないんだよっ!ハルバートっ!」

「ン?そのわりにゃ、十分元気が有り余ってるじゃねェか!あ?クハハッ!」

「ちっ!」



 そこは樹木が深く生い茂る中、突然開け広がった空間だった。

 高さのある樹木は伸びてはいないが、一面を人の姿を隠す程の草叢が広がっている陸上競技場程の空間だ。

 その開けた草地を見下ろす様に高台がある。


 植物に覆われながらも岩肌を覗かせ、この広場を見下ろす様に隆起する高台。


 その高台に登って行く4つの影。

 それは広場の反対側が緩い斜面になり、人が登り上がれるような造りをしていた。

 登り切った先は、小さなステージか祭壇跡の様なスペースがあった。

 人が一人立てるだけの細やかな広さだ。


「クラリモンド。お前達はそこで待て」


 クラリモンドと呼ばれた影が、美しいプラチナブロンドの髪を落としながら傅いた。


「畏まりましたロドルフ様」


 ロドルフと呼ばれた重厚なローブを羽織る人影が一つ、祭壇跡へと足を踏み入れて行く。

 その姿はフードで頭を覆われている為表情は分らないが、僅かに覗く口元が、壮年に達する前の男の物だと分る。

 黒いローブのベルベットの様な光沢と、袖口や前面の合わせ目に施された金糸に依る細やかな刺繍の豪華さが、それを纏う者の地位の高さを伺わせる。


「ちっ!偉そうに!人間風情がっ!」


 オルベットと呼ばれた小さな影が、忌々しそうに言葉を発した。

 その装いは黒のアウターに白いシャツ、胸元には貴族が身に付ける様な襞の多いジャボを着け、その中心には、鮮やかな真紅に輝く宝玉が、清らかな光を放っていた。


「ご機嫌斜めだなぁ。オルベットよ?クハッ」


 ハルバートと呼ばれた影は、大柄で浅黒い肌をしていた。

 サルエルパンツの様なゆったりとした布地で下半身を纏う以外は、小さなチョッキの様な物を羽織っている。

 その半裸の身体には、魔術的な意味合いを感じる多くの刺青が見て取れた。

 長いドレッドヘアと、黒い髭に覆われた顔から覗く赤い目は、軽い口調とは裏腹に油断の無い光を帯びていた。

 そしてその背には、己が身程もある巨大な剣が括りつけられている。

 それは怪しげな骨ででも出来ている様な武骨さと、禍々しさを併せ持ち、鞘にも納めぬ剥き出しの刀身は、刃が血で固まり創り上げられている様な悍ましい光沢を放っていた。


「御二方とも、お静かに願います。間も無く儀式が発動いたします」


 肩を出し、胸元が大きく開かれた赤いドレスを纏うクラリモンドが、二人に注意を促した。



 祭壇の中央に立つロドルフが、懐から道具を一つ取り出した。

 それは、手の中に納まる程の小さなランタンの様な物だ。

 ソレを右の掌に乗せ、空に向かい高く掲げた。


 空では二つの月が綺麗に重なり合い、やがて僅かに残っていた光も隠されて行った。

 世界を闇の帳が覆い尽くすと、空一面の星々が煌めきを増し地上を照らす。

 掲げられたランタンに、闇の中から絞り出された様に光が集まり、その中心が淡く輝きを帯びて行く。


 淡いライムグリーンに似た輝きを放つランタンに反応する様に、男の足元も光を放ち始めた。

 それは祭壇を囲む様に、幾何学的なラインで織り込み魔方陣を刻んで行く。

 祭壇を魔方陣が覆い尽くすと、それに呼応する様に眼下の広場も光を発して行った。

 植物に覆われた大地が輝き、祭壇で描かれた魔方陣をトレスする様に、同じ図形が巨大に広がり、描かれ、地を覆う植物を巻き上げながら光の柱を立ち上げた。


 ロドルフの掲げた掌の中に、全ての光が集まり始める。

 足元から立ち上がる光が、眼下に広がる広場から立ち昇る巨大な光が、空から降り注ぐ星々の光が、男の右手へと集まる。

 そのランタンの中へと、輝きが吸い込まれる様に集束し、……そして空の全てが落ちて来た。



「……素晴らしいです。ロドルフ様!」

「すげェな…、とんでも無ェ量の魔力が詰まってるじゃねェか」

「ちっ」

「此処は嘗て神代かみよの時代、異界の神々を降ろす為に創られた儀式の場だったそうで御座います。その目論見が上手く行ったかのか、今となっては知る由も御座いませんが……。それでも二つの月が揃って欠ける大蝕甚だいしょくじんのこの時にこそ、この儀式陣は発動させる事が出来るのです。今、この儀式を成す為の魔力は全て魔力結晶マナクリスタルに吸い尽くされました。現状、この一帯は魔力の空白地帯となっております。御見事で御座いますロドルフ様!これだけの魔力の奔流を、余す事無く纏め上げるなど、とても並の技量で成せる業では御座いません!」

「それもこれも王様の御助力があったからだっ!シッカリ感謝しろよ人間っ!」

「勿論で御座いますオルベット様。ミムロードのお導きあればこそで御座います。此処へ到達する為のゲートも、ミムロードのお力に依るものです。しかとその意に従い、力を役立てねばなりません!オルベット様」

「ちっっ!」 



「『鍵』への道は未だ遠い……か」


 手に持つランタンの中に納まり、淡く輝く魔力結晶マナクリスタルを見詰めながらロドルフが呟いた。


「クラリモンド。急ぐぞ」

「はい!ロドルフ様!」

「何だぁ?もうやる事は終わったんじゃ無ェのか?」

「ハルバート様。現在、此処一帯は魔力の真空状態になってございます。やがてイロシオの濃厚な魔力の波が、この空白を埋めんと押し寄せて参ります。迫る魔力は暴風となり、如何な我々とて無事では済まされません」

「オイオイ、そらヤバいんじゃ無ェのか?出てきたトコに戻るだけの時間はあんのか?」

「ミムロードよりゲートキーをお預かりしております。ですが起動に必要な魔力が今この地には御座いません」

「おいっ!どうするつもりだ人間っ?!」

「それを使わせて頂く」


 ロドルフが、オルベットの胸元に輝く真紅の星珠を指し示した。


「なっ?!ふっふざけるなよっ!」


 オルベットは、ロドルフが自らの星珠を使い、起動に必要な魔力に当てるつもりだと察して気色ばむ。


「これはボクの取って置きだぞっ!それを何でこんな事で使わなくちゃいけなんだっ?!」

「己が役目を果たされよ。オルベット殿」

「きっ貴様っ!端からボクを予備の魔力代わりに使うつもりだったなっ?!冗談じゃないぞっ!誰がお前なんかの為にボクの大事な星珠を使う物かよっ!!勝手に魔力嵐マナストームにでも何でも飲まれてくたばるがイイさっ!ボクには関係無いからなっ!」


 オルベットは怒気を隠そうともせず、牙を剥き出しにしてロドルフに怒声を浴びせた。


「拒否をされるか?」

「当たり前だっ!断固拒否だっ!!」

「フム、良かろう。クラリモンド」


 ロドルフはオルベットへ伸ばしていた手を戻し、クラリモンドへと向き直る。


「はい!ロドルフ様!」

「此処で貰うぞ。お前を」

「あぁ!ロドルフ様!ロドルフ様!!今!此処で!私を貴方様にお捧げ出来る!ああ!!」


 クラリモンドが瞳を潤ませ、縋り付く様にロドルフにその身を寄せた。


「なんだっ?突然何を言っているんだっ?お前達はっ?」

「決まって居ります!私の命を!私の魂をロドルフ様にお使い頂けるのです!ああぁ!何という幸せで御座いましょうか?!」

「クラリモンドの魂を魔力に変換してゲートキーを使うつもりかァ?」

「なっ?!バカかっ?お前っ!人間の為にっ!こんな事の為に存在を消すつもりかっ?!」


 呆れた様に表情を引き攣らせるオルベットを余所に、クラリモンドは恍惚とした面差しで、身を預けたロドルフを見上げている。


「あぁ……、嬉しゅう御座います、嬉しゅう御座います。ロドルフ様ぁ……」

「断っておくが……、私のクラリモンドを使うのだ。役目を果たさぬ貴公らを連れて行くつもりはない」


 ロドルフは身を預けるクラリモンドを腕に抱き、そのドレスの胸元を無造作に引き下ろした。

 押え付けられていた二つの大きな房が、弾ける様に零れ出し揺れる。

 クラリモンドは、その弾ける揺れに反応する様にその身を震わせた。

 クラリモンドが潤んだ瞳でロドルフを見上げる。

 ロドルフはクラリモンドの眼を見詰めたまま、その胸元に右の五指を這わせた。

 クラリモンドがビクリと身悶えし、口元から切な気な吐息を漏らした。

 ロドルフの右手が光を放ち、小さな魔方陣を刻み込んで行く。

 クラリモンドが息を乱し、上気した顔を悦びに染めて行った。

 どうかしてやがるっ!とオルベットが毒づいた。


「こいつらっ!だけどなっ力ずくでその魔道具を奪えばっ、済む話なんだよっ!」

「やめとけ。お前ェじゃそいつをどうにか出来る力は無ェよ。オルベット。分ってんだろ?」

「クッソっ!ならお前も手を貸せっ!ハルバートっ!」

「だからもうスッカラカンだって言ってんだろうがよ!ここまで来るのに魔獣共相手に全部使い切りだ!今日はもうどうしようも無ェ」

「『不死将軍ハルバート』ともあろう者が情けないぞっ」

「ここは折れろオルベット」

「なんだとっ?!」

「考えても見ろ。魔力嵐マナストームを凌いだとしても、この辺の魔獣共相手にしなけりゃ、イロシオからは出られ無ェ。ヤツらにお前ェが太刀打ち出来るか?ましてや、この辺には魔力喰いの魔獣も多い。そんなの相手でお前ェじゃ200年や300年かけようと、こっからは出られ無ェぞ!ま、俺はそれでも構わねェけどな!それにな、何よりクラリモンドを、こんなエロい女、こんな所で使い潰すなんざ勿体無ェ!クハハッ!」

「くっ!このっバトルマニアの変態めっ!!」

「クハハッ!それにな……、ロードもそれを望んでるぞ」

「くっそっ……、王様もかっ」

「考えろオルベット。でなきゃお前ェは今、此処には居ねェ」

「………ちっ!分ったよっハルバートっ。今回はっ、今はボクの負けだよっ。おいっ!人間っ!ロドルフっ!!」

「…………」

「コレはくれてやるっ!だがなっ!これは大きな貸しだぞっ!分ってるなっ?!ロドルフっ!!」

「……感謝しよう。オルベット殿」

「ちっっ!!」


 オルベットから真紅に輝く星珠を受け取ったロドルフは、それを右手の指先で摘み上げた。

 胸元で右の掌を上へ向け、親指と中指で星珠を摘み持つ。

 そしてそのまま、右手に仕込まれたゲートキーを起動させた。

 右手に、小さな幾何学的な魔方陣が展開されて行く。

 その中心でロドルフは星珠を砕いた。

 パキリと高い音を立て飛び散った星珠の欠片は、そのまま大気へ溶け消える。

 解き放たれた魔力が、うねり広がり渦を巻きながら魔方陣と重なって行った。

 魔方陣はロドルフの手から離れ、大きさと輝きを増し、やがて彼の前にゲートを開いた。


「上手く開いた様だ。クラリモンド。お二人を先導して差し上げろ」

「畏まりました。オルベット様、ハルバート様。此方へ、どうぞ御早くお通り下さい」


 装いの乱れを正したクラリモンドが、二人を案内する様にゲートの脇へと立った。


「ふんっ!ボクの取って置きを使ったんだっ!当然だっ!」


 オルベットが当然の事だと言う様に、憮然とした表情で真っ先にゲートを抜けて行く。


「ハルバート殿。今一度頼み事がある」


 ロドルフがゲートへ近づくハルーバートに声を掛けた。


「構わねェぜ。ま、報酬次第……だがな。クハッ」


 ハルバートがクラリモンドを上から下まで舐め回す様に眺めながら答えた。

 クラリモンドは眉一つ動かさない。


「後で聞いてやるぜェ」


 振り返りもせず、右手を上げながらハルバートはゲートを抜けて行った。

 ロドルフに一礼し、クラリモンドがその後に続く。


 一人残ったロドルフは、その場で北方に白く聳える山々へとその身を巡らせ、フードの奥からその先へ鋭い視線を向けた。


「只、居るだけの神などに如何な存在意義があると云うのか。例え世界が終わる日が来ようとも、其処へ座したまま只眺め続けるれば良い」


 届かぬ何かを咎め立てる様に言葉を紡いだロドルフは、山々に背を向けそのままゲートを抜け消えた。





     ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 程なく欠けていた月達に光が戻り、地上を再びその身の明かりで照らし始めた。

 それと同時に、地上を見えぬ嵐が吹き抜ける。

 草木を激しく揺さぶり、無防備に魔力をその身に纏う者達を引き裂き、撹拌し吹き乱す。

 そしてその膨大な魔力の波は広場で収束し、爆散した。

 植物に覆われていた広場は、草木を根こそぎ吹き飛ばされ、瓦礫の転がる荒地と化した。



 やがて深き森に静けさが戻る。

 月達は元の輝きを取り戻し地上を照らす。

 何事も無かったかの様に、樹木の海に風が吹き抜け、緑の波をさざめかせた。


 それまでと何も変わらぬ深い森の中、だが小さなステージの様な高台には、何時の間にか一つの人影が佇んでいた。

 その人影を月達が優しく照らす。

 緩やかに木々の間を抜ける風が、高台まで吹き上がる。

 美しいオブジェの様に身じろぎ一つせず立つ人影は、その身が纏う薄紅色のマントと、紅玉の髪を風に委ね、密やかに、柔らかく揺らめかせていた。


――――――――――――――――――――

これにて『幕間』は終了です。

次回から第二章のスタートとなります。


次回「アムカムの春」

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