第36話ハワード・クラウドの咆哮

 壱の詰所内大会議室*15:30


 その瞬間、その気配を感じ取ったのはハワード・クラウド一人では無かった。

 数人が同時に、ガタリッ!と椅子を跳ね退け、詰め所内の会議室の大テーブルから立ち上がっていた。


 それとほぼ同時に、詰所の建屋内に激しく警鐘が響き渡った。

 この詰所の物見櫓から鳴らされている物だ。

 カンカンカンカンカンと、5回ずつ打ち鳴らされて行く。


「5の鐘か……、マルセル!物見にもう一人上げろ!ゲイリー!下の階に居る者達の装備を整えさせろ。第一級戦闘装備だ!出来た者から外回りの警戒だ!一人で行かせるな!常に3人以上で行動させろ!!」


 ハワードが立て続けに指示を飛ばして行く。


「御頭首!この気配!……これは5の鐘って事はありませんよ!」


 ハワードと同じく気配を感じ取っていたライダーが、ハワードに近づき押し殺した声で警告を発した。


「分っておる。ライダー、お前も装備を整えろ。マルセル!物見に、森の中だけでなく村全体を見渡すよう伝えろ!ゲイリー!今、詰所ここに団員はどれだけいるか?」


 ハワードが指示を出しながら、自らも周りに居る者の手を借り、詰め所に保管してある自身の装備を身に付けて行た。

 スラックスの上からブーツの様な脛当てを履き、シャツの上からは、胸部の左半分を覆う胸当てを装着し、左腕に肩当てまで一体化している腕当てに腕を通し、胸当てに固定する。右腕には肘まである腕当て、手甲を着けた。


 どれも魔獣の革を何層も重ね固めた、軽く堅固な革鎧だ。

 更には魔導合金板もその間に貼り合わせられ、依り頑強に、より魔導効率が高い物となっている。

 その表面いたる所には、荘厳な装飾の様に細かな魔法印が、幾重にも刻み連ねられていた。

 この魔法印に魔力を流す事で、装着者の基礎能力を向上させ、革鎧の防御力をも大幅に上昇させる。

 ハワードが夏の初めにこの装備でボアに出くわしていれば、躊躇いも無くそのまま瞬時に殴り倒していただろう。

 この強力な魔装鎧まそうよろいこそが、アムカム護民団の基本装備なのだ。


 そして、ハワードがその手にする武器は、大型の剣ツヴァイヘンダー。

 それを背側に背負い、愛用のロングソードは腰に吊るす。



 ハワード、ライダーなど上段位の者達が装備を整えたのと同時に、再び警鐘が鳴らされた。

 鐘が、4回と2回を分けて何度も打ち鳴らされる。


『報告!対敵を確認!シャドウドックの群れ総数およそ30!』


 伝声の魔道具を使い、物見から届く声が室内に響いた。


「4-2の鐘?30だと?!ゲイリー!ありったけの防柵を運び出せ!ライダー!先頭で指揮を取れ!マルセル!道を開けさせろ!直接見る!」


 矢継ぎ早に指示を飛ばすと、ハワードはそのまま駆け出し、物見櫓の梯子を一気に登り上がった。

 物見櫓は3メートル四方程の広さがある、そに居た三人の若者は、突然上がって来たハワードに驚き、目を見開いた。


「貸せ!ワシが確認する」


 そう言ってそこに居た者を押し退け、櫓に取り付けられている石板に右手を乗せた。

 これは『索敵魔法』が込められた石板だ。

 森の中各所に設置されている『探査の魔道具』が捉えた状況を、これを通じ操作者へ伝える事が出来る魔道具だ。

 物見櫓では常に目視とこの『索敵盤』を使い、森の動向を監視している。

 今はハワードは意識を集中し、魔道具が送り込んで来る情報を吟味していた。


 やがて半眼だったハワードがカッと目を見開いた。


「索敵精度が浅い!何が30か?!100は下らんぞ!更に空からも来る!!」


 『索敵盤』を扱っていた者は、忽ち顔色を失い震えだしてしまった。

 他の二人も同じ様に顔を蒼ざめさせた。

 恐らく対敵の多さに探査魔法の処理が、この若い団員では追い付かなかったのだ。

 これは経験の無さ故の物だ。

 その事が分っているハワードは、それ以上は追及しない。震えている若者の肩に手を置き。


「今は集中しろ。慌てるな?とにかく集中して森の中の動きをお前が把握するんだ。そして逐一ちくいちマルセルに報告しろ。出来ぬ者にマルセルは此処を任せはしない!やれるな?」


 落ち着いた声で相手の目を見ながら、言い聞かせる様に若者に話す。


 肩を叩かれた若者は勢い良く首肯し「やってみせます!」と声を上げた。

 ハワードは頷き返し、他の二人にも。


「空からも来るぞ。此処にも来る!お前達は目視もしながらコイツを護れ!」


 二人が同時に「ハイ!」と返事を返す。


「マルセール!!空からも来る!あと3人!弓と矢を持って上がらせろ!槍も忘れるな!残りの弓は東西に展開だ!ありったけのジャベリンを外へ出せ!!煙弾を上げろ!赤三つ!!第三種特別警報だ!鐘を鳴らせーーーーいっっ!!!」



 再び立て続けに指示を叫び飛ばしたハワードは、そのまま櫓の手摺に手をかけ、ヒラリと外へと飛び出した。

 物見に残った三人が、あっ!と声を上げるが、ハワードは櫓の5メートルはある壁を降下して詰所の屋根に着地する。


 全身の発条を使い衝撃を和らげ、その勢いを乗せたまま屋根を駆け下り1階のひさしへと更に飛び降りた。

 そしてそのまま地上まで降下した。

 それを目撃していた物見の上の3人は、目を見開き固まっている。


「ゲイリー!ジャベリンを持って来い!!」


 ハワードは詰所を背に、腕を組んだまま森を睨み立った。

 詰所と森の間には凡そ20メートル四方の敷地が広がり、詰所の正面には5メートル幅の道が森の中へと拓かれ延びていた。


 道の両側の森の端には、木々を阻む様に太い丸太を打ち込んだ防御柵が、延々と連なり伸びていた。

 詰所の後ろにも、かなり古びてはいるが同じような防御柵が森と平行に連なっている。


 この柵と柵との距離は、凡そこの半世紀で、村人達が森を切り拓く事で得た領域だ。



 アムカムの森は、イロシオ大森林が常に侵食を続ける、魔境の末端だ。

 常に森を拓き魔獣を駆逐して行かなくては、森に隣接する村々は、何れこの大森林に侵食される。


 もし森を抑える者が居なくなれば、簡単に此処は森に埋もれてしまう。

 何もしなければ、何れはこの国が、この大陸全てが森に覆われるだろう。


 50年前、後ろの防護柵がある場所までがアムカムの森だった。

 今、森の中から迫る魔獣共に、易々とこの50年で得た領地を押し戻され、森に返してやるつもりは毛頭無い。


 ハワードは自分の周りにジャベリンが突き立てられていく中、腕を組み仁王立ちをしたまま、厳めしい面持ちで森の奥を睨めつけていた。



 そのハワードの元へ、やはり全身を革鎧で包み、黒い顎鬚を蓄えた壮年の男が近付いて来た。


「御頭首、戦力は低団位者21名、中団位者10名、上団位者は私と御頭首を含め7名、全員で38名。半数以上が低団位者です」


 と第十班班長である、ゲイリー・メヤーズが真剣な眼差しで団員数を報告する。


「ふん!上中団位者が、半数近くも居るではないか?」


 ハワードが事も無げに鼻を鳴らす。

 その時、伝声の魔道具から声が届いた。


『報告!対敵、シャドウドック120!ブルータルバット70!正面林道より凡そ60、遅れて東西の森の中に30ずつシャドウドック接近中!ブルータルバット正面に30、東西におよそ20ずつ展開して接近中!』


「よーーし!良くやった!良く見極めた!!」


 ハワードは、物見の若者の報告に、良くやったと激を飛ばした。

 櫓の上から「ありがとう御座います!」と嬉しげな声が響いてくる。

 と、そこへライダーも近付いて来た。


「御頭首、この数は……」

「どう見る?ライダー、ゲイリー。これは魔獣の暴走かスタンピードの類だとでも思うか?」

「まさか!こんな統率された動きがですか?」


 ゲイリーが「考えられない」と否定した。


「複数種の魔獣が無秩序に暴れているなら分ります。ですがこの集団は明らかに一つの意志の元に動いている」


 ライダーも、森を見据えながら厳しい表情のまま答えを返した。


「ああ、ワシもそう思う。此処には間違い無く何者かの意志がある。ご丁寧にも、村の主力が殆ど居ないこのタイミングでの襲撃だ。ヘンリーも村には居ない。祭壇で祭司官の祈祷に依る大規模防護結界も展開できない。コレが偶然か?はっ!狙いは何だと思う?」

「村の殲滅……、ですか?」


 その目に敵意を露わにしたゲイリーが問い返す。


「最終的にはそうなのだろうな。だが、この程度の戦力で村の殲滅など烏滸おこがましいにも程がある!今ここへ向かって居るコイツらの目的は、恐らくワシらの足止めだ。ということは……るぞ主力が!」


 ゲイリーとライダーが、ハワードの言葉に一層表情を厳しくさせた。


「この犬共がこれだけなのかも怪しいが、今ワシらがしなければ成らぬ事は、向かって来る敵を、出来るだけ速やかに殲滅し、敵主力を見極める事だ。……とは言っても、これだけの広範囲だ、全てを止めるなど不可能だがな」


 そう言ってハワードは肩を竦める。


「だから抜けた物は放って置け。そいつらは村の者達に任せる。ワシらは抜けた物を追うのでは無く、向かって来る物を一匹でも多くほふるのだ」

「その為の特別警報ですか?」

「そうだ!アムカムの村の人間を甘く見ている者が居るのなら、この村が一筋縄ではいかんと云う事を、そいつらに思い知らせてやれば良い!」


 ハワードが髭に埋まった口元を釣り上げ、猛然たる笑みを浮かべ語る。

 それを見てゲイリーとライダーも、釣られた様に笑みを零した。


「低団位の小僧共には、ちと荷が勝ちるかも知れんが、中上の団位者ならば一人一殺など、どうと云う事もあるまい?何、一人20もほふれば釣りが来る」


 ハワードが「余裕であろう?」とにこやかに二人に問いかけた。


「御頭首は相変わらずお厳しい」


 いやはやとゲイリーが笑いながら頭を掻いた。


「なんだ?20は厳しいか?何ならワシが半数片付けてやっても構わんぞ?ん?」

「そうは行きませんよ御頭首!半分は私の獲物です!」


 おどけた様に提案するハワードを、ライダーが笑顔で制する。


「ふん、ならばお前が主力だライダー。最前列でほふり切れ!ワシは此処からジャベリンが尽きるまで空を射抜く!その後は遊撃に回る。ゲイリー、低団位の者達は必ず3人一組で当らせろ!犬共を足止めをさせ、確実に仕留めろ!そろそろ来るぞ。行け!戦闘開始と同時に第一種特別警報だ!2の鐘を打ち鳴らせ!!」


 「ハッ!」と一礼しゲイリーとライダーは其々の持ち場へと走り去る。




 ハワードは背に携えたツヴァイヘンダーを抜き、地面に剣先を向け突き立てた。

 そのまま手近にあるジャベリンを引き抜き、重さとバランスを確かめる様に一、二度手の中で弄ぶ。

 そしておもむろに胸を反らし、ジャベリンを振りかぶった。

 「ぬぅん!」と全身の筋肉をその一瞬だけ爆発させ、砲弾が撃ち出される様に、ジャベリンが前方斜め上空へと投げ放たれた。


 ジャベリンは大気を貫き一直線に飛び進む。

 そしてそのまま、森の枝葉の間に打ち込まれると思われたその時、突然木々の間からブルータルバット飛び出し現れた。

 ジャベリンは、飛び出して来たブルータルバットの身体を容易く貫き、そのまま射落とした。



 ブルータルバットは、体長1メートル程で、翼長は5メートル近い巨大な蝙蝠だ。

 黒い体色に、鼻面の伸びた口元の牙は長く鋭い。

 性質は凶暴で、目に付く獲物には見境なく襲いかかり、その牙を突き立てる凶悪な魔獣の一つだ。


 その黒い大蝙蝠が、甲高く引き絞る様な声を発しながら、地上へ落ち息絶えた。

 それを合図にした様に、森の中から次々と獣達が飛び出して来た。



 シャドウドックは、その名が示す通り影の様に黒く、毛足の長い山犬だ。

 群れで獲物を襲う獰猛な魔獣が今、赤い目を光らせ牙を剥き出しにした大集団で、アムカムの森を駆け抜けて来る。



 たちまち林道は、シャドウドックに覆い尽くされて行った。

 しかしライダーは目の前に迫るシャドウドックを、次々と一刀の元に切り捨てて行く。

 他の者達もそれに続き、林道を抜けようとするシャドウドックに打ちかかる。

 上空を抜ける蝙蝠は、ハワードのジャベリンで次々と貫かれ、弓の装備者に矢で射落とされた。


 詰所前の空間は忽ちの内に喧騒に包まれ、血しぶき舞い散る戦場と化した。

 その戦場の中、警鐘が激しく2回ずつ打ち鳴らされ、村の中へと鳴り響いて行った。


「索敵を怠るな!全方位の視認も続けろ!決して何も見逃すなよ!」


 ハワードが物見に向かい声を張り上げると、櫓の上からも勢いのある声で、了解の返事が返って来る。

 20数本あったジャベリンを投げ尽くしたハワードは、突き立ててあったツヴァイヘンダーを抜き取り、そのまま前線へと駆け抜けた。

 自身の身長にも匹敵し、重量もある大型剣をその体躯から軽々と操り、次々とシャドウドックを両断して行く様は正に鬼神の如し。


 目の端で、一人の低団位者が転ぶのが見えた。

 そこへ透かさず3頭のシャドウドックが襲いかかり、牙を突き立てようとする。

 ハワードは腰のロングソードを引き抜き、牙を立て様とする1頭へ投剣し、その脇腹へロングソードを突き立てた。

 ロングソードを投げ付けたのと同時に走り、ツヴァイへンダーを右手一本で振り抜き、2頭目の胴を両断する。

 そのまま左の拳を振りおろし、3頭目の脊髄を砕いた。


 上中団位者の魔装鎧なら、シャドウドックの牙如き通しはしない。

 だが低団位では鎧に練り込める魔力が拙い。

 そこまでの強度が期待できないのだ。


「無理に前へ出る必要は無い!防御を確実に、仲間で1頭ずつ確実に仕留めろ!」


 ハワードは、転んだ低団位者が仲間に助け起こされたのを一瞥し、ロングソードを回収しながらそう言葉をかけ、次の獲物へと向かって行った。



 ライダー・ハッガードは、騎士団時代から愛用しているナイトソードを振るい続ける。

 その刀身に添う様に穿たれた血抜き溝には、装飾の様に魔法印が刻み連ねられ、使用者が魔力を籠め続ける限り、聖気を纏い、強度を上げ、切れ味を落とす事無く振るう事が出来る。


 所詮相手は4足の獣だ。

 前脚を斬り落とすだけで機動力を奪える。

 堅固な鎧も無い、刃を通せば致命傷を与えられる。

 後は如何に効率良く斬り伏せるかだけだ。

 数の暴力?そんな物は関係ない。


 ハッガードの男は、一度敵と向かい合ったのなら、引く事などしはしない!


 ハワードに、半分は自分の獲物だと大口を叩いたのだ。

 少なくとも目の前に迫る黒い波は、全て斬り伏せる!

 それでも足りなければ、左右に散った残りの影犬シャドウドックを追わねばならんな、と考える。

 この程度の獣の群れで怯むほど、ハッガードの男は温くは無いぞ!とライダーは歯を剥きだして猛然たる笑みを浮かべ、片端から血飛沫ちしぶきを舞わせて行った。



『煙弾を確認!黒と黄!弐の詰所です!』


 伝声の魔道具からの声が辺りに響き渡った。


「ぬぅ、やはり抜かれたか!」


 ハワードが影犬シャドウドックを斬り伏せながら、東の空に目を向けた。

 彼方の空に上がった、黒と黄色の煙の柱を確認した。

 黒と黄の狼煙は、詰所の防護柵を魔獣が突破した事を意味する。


(戦闘が始まって30分と言った所か……、持った方だな)


 その時、ザワリとハワードは背筋を走る物を感じ取った。

 咄嗟に林道の奥を鋭く睨みつける。


「ライダァーーー!下れぇーーーーぃ!!!」


 ライダーに声高に警告を発しながら、前線へと向かおうと目の前の影犬シャドウドック達を斬り飛ばす。

 ほゞそれと同時に、ライダーが何かに弾かれた様に林道入り口まで飛ばされて来た。

 ライダーは咄嗟にナイトソードの腹を盾にして、衝撃を受け流し、後方へ跳び退いたのだ。

 後方に飛ばされはしたが、ライダーは両脚で地を捉え、踏み締め制動をかけ、難無く様戦闘態勢を取り直す。


 ザワリと、影が林道から溢れ出る様に見えた。


「やあ、驚いたな。これに耐えちゃうヤツが居るんだ?ビックリだよ」


 影が言葉を発した。

 やがて影が人の形を取り始めると、戦場の空気が一変した。

 今まで、血肉が飛び散る生臭さが立ち込めていた戦場の匂いとは別次元の、重く吐き気を催す様な腐臭が漂い、息が詰まる気配が辺りを包み込んで行く。


「ローレンス、先走るな」


 影がまた一つ、人の形を取る。


「そうよォ、ローレンスってば直ぐ一番に手を出しちゃうんだものォ!ずるいのよォ!」


 また一つ影が増えた。


「だって、この犬たち全滅しかけてるじゃないか!やっぱり此処の層は結構厚いよ?」

「確かにな、我々の介入には良いタイミングだったんじゃないかな?」

「それでも、誰が最初に手を出すかは、別のお話じゃないかしら?バーニーはローレンスに甘いわ」


 影が一つ増える程、悪念に満ちた気配が濃厚になって行く。

 人影は全部で5つだ。等しく同じ様な執事服に身を包み、銀の髪を持っている。

 見た目は美しい姿形を取った少年少女だが、その存在感は不浄物の様に毒々しい。


 既に魔獣の群れは、ほぼ壊滅に追い込んでいた。

 団員の士気は上がり、勝ち戦の様相を示していた。


 だが状況が一転した。

 低団位の者達は気配に飲まれ、身動きすら取れずにいる。

 中位の者の中にも、動きに精彩を欠く者達が幾人もいた。

 更に数頭とはいえ、生き残った魔獣たちが村の中へと向かってしまった。

 上位の者達は警戒を強め、動きの隙を覗っている。


「なんだかコレ!さっきから鬱陶しいわ!」


 最後に現れた少女に見えるその銀髪の執事服が、自らの長い髪を払い除ける様な動きをする。


 その動きと同時に、物見の上から弾かれた様な叫びが上がった。


「イカン!『索敵盤』から離れさせろ!!」


 物見の上の、索敵をしていた団員が昏倒したようだ。

 取敢えず意識を無くしてはいるが、無事な事を上から伝えられた。


「マルセル。索敵はもう必要ない。低団位の者達を魔獣の追撃に向かわせろ」


 ハワードの指示に、低団位者達が纏まって村へ向かおうとするが……。


「行かせるワケないだろ」


 最初に現れたローレンスと呼ばれた執事服が、その手を振る。

 すると足元の影が蛇の様にのたうち、素早く伸び、進もうとしていた団員達の肩を、脚を貫き、そのまま影は水に溶ける様に消えて行った。

 身体を貫かれた者達は、その場で倒れ悶絶する。


「ま、陽に当たると直ぐ消えちゃうんだけどね」


 その執事は倒れた者達を、薄笑いをして眺めながら、そう言って肩を竦めた。


「ローレンス、分ってると思うが、まだ死なすな」

「分ってるよエイハブ。ちゃんと加減は心得てるよ」


「貴様らぁぁ!!」


 ハワードが怒りを隠そうともせず、歯を剥き出し睨みつける。


「さあ!諸君、前座は終わりだ!ここからはボク達がお相手してあげるよ!」


 ローレンスと呼ばれた執事服が両手を広げ、芝居がかった口調で、その場に居る者達に宣言した。

 5体の執事達が並び広がり、その足元の影がユラユラと幽鬼の様に蠢く。

 団員達に緊張が走る。武器を握り直し隙無く身構えた。



 だがその中で一人だけ身動ぎもせず、只ひたすらローレンスと呼ばれた銀髪を、憤怒の表情で睨み続ける者が居た。

 ライダー・ハッガードだ。


「貴様だ……、忘れんぞ貴様の事は!……忘れんぞ!貴様ぁあぁぁ!!」

「……どうした!ライダー?!」


 ハワードが執事達から目を離さず、絞り出す様に声を発したライダーの肩に手を置き問いかけた。


「御頭……、いえ、クラウドさん。奴です間違いない!忘れる物かっ!!」

「ライダー?」

「10年前のあの時!俺を抑え込んでいたのは奴です!この顔この声!忘れる物か!!!」


 ライダーの脳裏に甦る。

 その時の情景が、感情が、口の中に広がる血の味が。



     * * * * *



 雷鳴轟く中、神殿の祭壇は破壊され、神殿長は吹き飛ばされ瓦礫の下だ。

 何人もの子供達が目の前で犠牲になり、それを止めようと立ち向かった護衛の筈の団員達は、悉く打ち倒された。

 自分とラヴィも怒りに任せ立ち向かったが、難なく組み伏せられてしまった。


「貴様ーーー!離せ!離せ畜生!!!」

「うるさいなー、直ぐにキミの番になるからさ、大人しく待っててよ」


 ライダーは抑えられた頭を更に床に押し付けられ、砂を噛む。


「くっそ!ラヴィ!ラヴィー!!」

「なに?そんなにあの子が気になる?なら見てる?すぐ終わるよ?」


 ライダーは背中を踏みつけられ、身動きもとれぬ状態で髪を掴まれ、頭を上げさせられた。

 その口から、ぐぅと呻き声が漏れる。

 顔を上げさせらたその先に、ラヴィニア・クラウドが居た。


 ラヴィニアはその身を仰け反らせ、宙に浮いている様にも見える。

 だが彼女の腰には、か細い腕が差し入れられ、その細い腕一本で宙に支えられていた。

 ラヴィニアの身体は、見えない力に押さえつけられている様に、そのまま微動だにしていない。


 床には、ポタリポタリと血の滴が落ち、小さな血溜りを作っている。

 見るとラヴィニアの右腕が、在らぬ方向に捻じれ曲がり、力無く垂れ下がっていた。

 そこから骨が皮膚を突き破っているのだろう、血が腕に幾本もの筋を作り、滴り落ちていた。


 そんな大怪我を負っているにも関わらず、彼女の眼の力は失われていなかった。

 力在る眼で、しっかりとライダーを見据えていた。


「ラヴィ……畜生!ラヴィ!ラヴィ!!」

「ライダー…………」

「ラヴィ!ちっくしょう!今助けてやる!待ってろラヴィ!畜生!離せ!離せよ畜生ぉぉ!!ラヴィーー!ちくしょーーー!!!!」


 ライダーを踏みつけている脚が、更に力を籠め彼を床へと押し付ける。


「はは!バカだな助けられる訳無いじゃない!ちゃんと見てなよ!」

「く、くそ!くそっ!くそぉぉーー……!」


 ライダーの眼に涙が溢れ、視界が歪む。

 歯を食いしばり顔を床に押しつけながら、悔し涙を零して行く。


「ラヴィ……!ちくしょ……ぉ」

「ライダー……!」


 ラヴィニアの声は未だ力衰えず、暖か味と共にライダーへと向けられた。

 彼を力づける様な彼女のその声に、ライダーはハッとして彼女を見返した。


「ライダー……お願い、お願いだから……、諦めないで!みんなを……護って!アナタなら出来る。絶対できる!私信じてるもの!お願いよ!ライダー…………ぁ!あっ!ぁぁあぁーーあぁぁーーーーーーっっっ!!!!!!」


 ラヴィニアの喉元に、この惨劇の首魁がその牙を突き立てた。

 絞り出す様な彼女の声が、神殿の中で震える様に響き続ける。

 やがてその声も小さく途切れ、その肌も血の気を失い、蝋の様に白くなって行った。


 ゴトリ!とラヴィニアの身体が床へと放り投げられた。

 彼女にその牙を突き立てた者は、口元をモゴモゴと動かし、やがて血の様に赤い舌先の上に、小指の先ほどの美しい紅玉を乗せ出した。

 それを指先で摘み、明かりに透かす様に覗き込む。

 その、ルビーの様に煌めく宝玉を。


「凄い……!こんな綺麗な星珠せいじゅは初めてだっ!こんな純粋に澄み切って……魔力もこんなに上質で濃厚な……完璧だっ!こんなの見たことが無いっ凄い!凄いよっ!!こんな掘り出し物が手に入るなんてっ!最高だよこの村はっ!ハハッ!アハハハ!!」


 オルベット・マッシュ。

 子供を喰らい星珠せいじゅを得るトゥルーヴァンパイア。

 この惨劇の首魁しゅかいだ。


 『星珠せいじゅ』それはアストラル体とマナスを封じ固め、その者の魂の輝きを秘めた魔力と生命力の塊だ。


 オルベットは今、手に入った最高のその品を興奮した様子で讃えている。


「おめでとうございます!オルベット様」

「ありがとうローレンスっ。今日は最っ高の日だよっ」


 祝いを述べるローレンスの足元で、ライダーが狂おし気に足掻いていた。


「うあーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!ラヴィラヴィラヴィラヴィ!!ちくしょちくしょちくしょーーー!!貴様貴様貴様貴様貴様貴様っ!!!許さん!許さんぞ貴様ぁぁ!!殺してやる!殺してやる!!殺してやる!殺してやるぞ!!ちくしょーーーーちくしょう!!ラヴィ!ラヴィラヴィーーーーっっ!!!!」


 床の上で足掻き続けるライダーを、オルベットは嬉し気に見下ろして言葉を発した。


「お?コッチも良い感じで煮詰まってるじゃないかっ!いいねっ!期待できるねっ!今日は本当に最高の日になりそうだっ」


 ライダーはオルベットを睨み、ひたすら怨嗟を零し続ける。

 頭の中が、怒りで真っ赤に染まるのを感じていた。

 だがそれも、その直後オルベットの後ろの壁が、白光と共に弾け飛んだ光景を最後に途絶える。


 次に彼が意識を取り戻したのは、惨劇より1週間も後のこと。

 既にラヴィニアは帰らぬ人となっていた。


 ライダーは彼女の墓石の前で、声を上げて泣いていた。

 彼女の最後の言葉が、頭の中から消える事は無い。

 その想いを胸に、いつまでも、いつまでも……。



     * * * * *



「なぁにィ?ローレンス、アンタの知り合いィ?」

「さあ?昔の事だろ?そんなの一々憶えて無いよ。わかんないよ」

「それはそうだな。憶えている方が珍しいな」


 銀の執事たちが気怠げに会話を続けていた。

 それを見るライダーの眉間には、激しく深い皺が刻まれて行く。

 ギリギリと音を上げそうな程、歯が食い縛られていた。



「ライダー……まさか、まさか此奴こやつは……?」


 ハワードがライダーに問いかけようとしたその時、村の中から鐘の音が鳴り響いて来た。

 それは、詰所が鳴らす警鐘の様な重い音では無く、澄んだ響きを帯びた鐘の音だ。

 だが、澄んだ音色にも拘らず、その鐘は何度も何度も勢い良く鳴らされ、一刻の猶予も無い様な、切羽詰った響きを帯びていた。


「この鐘……まさか!学校か!?」


 ゲイリー・メヤーズが驚きの声を上げた。


「そうか……そうだ。此奴こやつらがそうならば……狙いは、子供等か!!」


 ハワードが、憤怒の表情で執事達を睨めつけた。


 そして、それと同時にその奥から、更に深い暗闇が津波の様に溢れて来た。

 低位の団員達が、顔色を一気に失っていく。


「やあっ実に良いタイミングじゃないかっ!イライザ達良い仕事をしたねっ」


 濃厚な闇が形を作る。

 色味の無い白い髪。

 冷え込む様なセルリアンブルーの瞳。

 黒のアウターに白いシャツ。

 その胸元には、貴族の様な襞の多いジャボを着け、その中心には瞳と同じ色の宝玉が光を放っていた。


 ソレが現れた瞬間、その場の悪念が深く濃度を増し、その場に居た者達を飲み込んで行く。

 顔色を失った低団位の者達は、最早動く事すら叶わない。中団位の者達も、脂汗が止めど無く溢れて行くのを感じていた。


 そんな中、只独りライダーが叫びを上げる。


「貴様ぁあぁーーーっ!!貴様だっっ!忘れんぞぉ!!忘れる物かぁぁ!貴様は!!貴様はぁぁぁーーーっっっ!!!!」


 一層の憤怒を深め、肚の底から血を吐く様に怒りを絞り出す。

 ナイトソードを握り締め、今にも飛び掛らんと身を低く構えて行く。


「いきなり失礼なやつねェ。コイツは殺しちゃって良いですかァ?オルベット様ァ」


 銀髪をミディアムボブにして、黒いリボンを巻いた少女の姿を取る執事服が、不機嫌な様子で許可を求める。


「まあ待てライラっ。でも面白いねっボクを知ってる奴が居るんだっ?」


 オルベットは胸元の宝玉を触りながら、楽しげな様子でライダーを眺めた


「ふ、そうか……、コイツか……。コイツなのだな?ライダー……」


 ハワードが静かにライダーに問いかける。


「そうですクラウドさん!コイツです!コイツこそがっ!コイツがラヴィを……ラヴィををっ!!!」


 ライダーもオルベットを睨みながらハワードに応える。


「ク、そうかククッ……クッ、クック……。そうか、……ついに、ついにか……クックックッ」



「ナニィこの爺さん?いきなり笑い出してェ。気持ちワルッ!これもアンタの知り合いなのォ?」

「だから知らないよ!」


 ライラと呼ばれた執事が、ローレンスと呼ばれる執事へ嫌そうな視線を向けて訊ねた。


「マルセーーール!!戦唱を唱えよ!!戦意を上げーーーーぃっっ!!!」


 ハワードはツヴァイハンダーを勢い良く地に突き立て、胸を反らし、大気を震わし声を上げた。


「フ、フハハ……フハ、ハハ、ハハハ!ハーーッハッハッハッハァ!!!

 会いたかったぞ!会いたかったぞォ!!チャイルド!イぃぃーータあぁぁぁーーーーッ!!!

 さあ!遠慮なく来るが良い!!ワシがこの手で!!!

 今こそ!ワシがこの手で貴様を滅殺してくれるっっ!!!!!」


 歯を剥き出し、獰猛な笑みを浮かべながら、『灰色の鉄鬼神』ハワード・クラウドが吠え上げた。


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・アムカム村警戒警報

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    |   |  |高脅威値の魔獣が

    |第三種| 5|セーフゾーンに侵入。警戒せよ。

    |___|__|________

    |   |  |魔獣が森から出る危険有り。

警戒警報|第二種|4-2|警戒を強めよ。

    |___|__|________

    |   |  |『溢れ』の可能性有り。

    |第一種|4-1 |より一層警戒を強めよ。

____|___|__|________

    |   |  |『溢れ』が村に及ぶ可能性有り。

    |第三種|3-2|村人は戦闘準備せよ。

    |___|__|________

    |   |  |大規模『溢れ』が発生。

特別警報|第二種|3-1|会敵次第戦闘開始。

    |___|__|________

    |   |  |村全域戦闘開始。

    |第一種| 2|敵を殲滅せよ。

____|___|__|________




次回「コリン・ソンダースの憂惧」

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