第一章:アムカムの村

第12話ハワード・クラウド大いに驚く

 その日、ハワード・クラウドは憂鬱であった。


 ハワードは今、黒毛の馬に引かれた一頭立ての馬車を操車して、家路を辿っていた。


 黒い日除け帽と上着に白いシャツ、帽子から覗くグレーの頭髪と口髭、馬車を操る姿勢は真っ直ぐで澱みが無い。

 その出で立ち姿だけで、彼が実直な人間である事が覗え見える。


 濃い眉の奥には、強く鋭い眼差しの灰色の目が佇んでいた。

 しかし、今のそれは決して威圧を感じさせる物では無かった。

 今の彼の眼には、親しみ易い暖か味を湛えながらも、僅かな迷いの色を浮かべていた。

 更に、髭に埋まった口元も少しだけ歪め、悩まし気に思案顔をしている。


 本来であれば、この馬車には甥のウィルを乗せ、共にアムカムにある我が家への帰路に就いている筈だったのだ。

 だが、コープタウンにある駅馬車の停車場で、ハワードを待っていたものは、御者から手渡された一通の手紙だった。


 それは甥からの物で、急な試験でどうしても時間が取れなくなった事。約束を守れない事に対する丁寧な謝罪と、伯父と伯母への労りの言葉で埋められている物だった。



 ハワードの弟フィリップスの息子であるウィル・クラウドは、12都市の一つデケンベルにある高等校の2回生に在籍している、今年17歳の快活な若者だ。


 ウィルは夏になると、毎年1週間ほどアムカムへ遊びに来て、クラウド家で過している。


 今は子供のいないクラウド夫妻にとって、ウィルの訪問は毎年心待ちなイベントなのだ。

 全寮制の高等校へ進学してからは、夏の長期休暇が始まると、そのままこちらへ来る手筈になっていた。


 妻のソニアを、一体どう慰めたものか。……あれ程楽しみにしていたと言うのに。

 一週間も前から、女中のエルローズと二人で、ああでもないこうでもないと楽しそうに準備に勤しんでいたのだ。

 二人の落胆ぶりが目に浮かんでしまう。


 ハワードは思案気に嘆息しながら、帰路を独りで馬車で進んでいた。



 この時期に、突然の試験と云うのも大体察しは付く。

 十中八九、デイパーラ山脈の異変絡みだろう。


 神々が棲まうと言われる、聖なる山脈デイパーラ。

 そこに異変が起きたのは二日前の事だ。


 山々が輝いたと言う者も居る。

 閃光を見たと言う目撃者は数多い。

 その後に雲が掻き消え大気が震えた。

 大気の振動はこの村の者なら誰もが経験した事だ。


 そして山々が形を変えた。母なるデアの頂さえ、その身が削られ大きく変貌していたのだ。


 これを神々の怒りだ、邪神の復活だと騒ぐ者も居ると聞く。


 いずれにしても、各地に与えた影響は計り知れない。

 恐らくは調査団が編成されるのであろう。

 人員の編成は急務だ。


 また、神々の山脈の異変だ、人心を惑わす輩も現れるだろうし、各地で魔獣の活性化もあり得る。

 それらに対する警備力の強化も必要だ。

 必然的に人手不足になる。


 ウィルは優秀な騎士候補の学生だ。

 割かれた人員に対する補充要因として、試験と云う名の実地研修が実施されるのだろう。


 ハワードは今、アムカムの森の脇道を通りながらそんな事を考えていた。


 アムカムの森。

 それはアムカムの村北側に広がる、この国の果てだ。


 この村の名前を有する森だが、その実は、国の北部に果て無く広がるイロシオ大森林の南端の一部の事だ。


 デイパーラ山脈に異変があったなら、その麓に広がるイロシオ大森林にも何らかの影響があったとしても可笑しくは無い。

 この村に住む者にとって、アムカムの森の警護は生活の一部でもあり、最も重要な案件の一つだ。


 アムカムの森と共に生きる村の民以上に、この森に詳しい者はこの国には居ない。



(本格的な調査団がイロシオ大森林へ向かう事になれば、この村からも人員を割かねばならん。イロシオを抜けデイパーラへ辿り着くなど、到底成し得るものではない。それでも、行ける所までは進まねばなるまいな)



 ハワードは馬車を走らせながら思索する。


 今ハワードはアムカムの森を右手に見て、その脇道を西へ向けて移動していた。

 森の淵には太い丸太で組まれた防護柵が、森を囲う様に設置されている。

 道はその柵に沿って作られていた。

 本来なら通る必要のない道だが、森の現状も確認しておきたかった。


 本音を言えば、妻達へウィルの事を伝える時の事を考えると、自分らしくも無く弱気な事に、つい大回りな道筋を選択してしまったからなのだが……。


 ふと、右の森の中に、何時もとは違う何かを感じた。


 アムカムの森は、村が守り人となり管理もしている。

 森の端から2~300メートル程奥までは、まず魔獣は出ない。


 常に村人が警戒に当たっていて、魔獣を発見すれば速やかに処理を行っているからだ。


 森の外周を住処にする様な弱い魔獣なら、村の子供でも問題なく対処できる。


 時折、もっと深淵から上がってくる強力な魔獣もいるが、その時は村の護民団が事に当たる。  

 純粋な戦闘力だけを見れば、護民団のそれは王都の騎士団にも引けは取らない。

 むしろ上位の者達ならば、騎士団をも凌駕する。


 今、その森の中から只ならぬ気配が漂って来ていた。

 デイパーラの異変以降、村では森の警戒レベルを上げている。


 今も多くの村人が森の中へ外へと巡回し目を光らせ、異常があれば直ちに村に警報が響く筈だ。



(警戒網から抜けたモノが、居るのかもしれんな)



 ハワードの眼差しが鋭さを帯び、手綱を引いて馬車を止めた。

 ちょうど柵が途切れ、森の中へと道が伸びる丁字路の手前だ。

 日除け帽を座席に置き、愛用の剣を手に取り、馬車を降りた。


 馬にこの場で留まる様言い含め、馬車の車輪を止める。

 レグルスと言う名のこの馬は、もう20年以上共に過ごしている。 


 人の年齢にすれば結構な歳の筈だ。

 前脚の鱗の細かい傷を撫でながら思う。


 付き合いが長い上、殊の外賢いこの馬は、ハワードの言葉が分ったとばかりに目を合わせ、足元の草を食み始めた。


(馬車をここへ止めて置けば、程なく見回りの誰かが見つけ、ワシがここから森へ入った事に気付くだろう。オーガスト辺りが見つけてくれれば、話しは早いのだがな)


 そんな事を考えながらハワードは、腰に愛剣を携え森へと入って行く。


 この道は森の中へ100メートル程進むと、ちょっとした広場に出る。

 村人達で半径10メートル程の円形に拓いた場所だ。


 ここが森の中で警戒に当たる時の中継点となったり、場合によってはバトルポイントとして魔獣との戦闘も行われる。


 こういった場所は森の彼方此方に在る。

 ココからも東西に道が延び、その先にこの場所と同じ様な広場が作られていた。

 500メートルから1キロ置きに、アリの巣の様に森の中に広げているのだ。


 ハワードはその広場の中へ足を踏み入れた。



(居るな……、有難い事に途中の道すがら襲って来る事が無かったが……向こうも様子を見ていると云う事か?ふむ……3?いや、4は居るか?イカンな、気配が尋常では無いぞ。雑魚のそれとは明らかに違う!)



 そろそろ昼に差し掛かかる頃だ、陽は高く日差しは眩しい。

 だがアムカムの森は深い。

 この時間でも陽が届かぬ場所も多い。

 しかし、この広場には十分な陽が差し込んでいる。


 だからこそ樹木の陰がなお一層、その奥に居るモノの姿を見辛くする。


 動いている物がいるのが分る、ズルッズルと重い何かを引き摺る様な音もする。

 二対の赤い目が光る。

 その近くにもう一対。

 更に少し離れた場所にも一対、そしてその傍にもう一対。



(ぬぅ。4体か…いや?違うな!)



 その内の一体がゆっくりと広場の中へ姿を現す。

 赤い目を持つ巨大な蛇だ。

 首回りは直径50センチ程か?大人をそのまま飲み下せそうだ。

 その太い首を持つ頭がもう一つ。胴体から別れて出ている。

 『ツーヘッド・ボア』この魔獣の呼び名だ。


 2つの首を支える胴体は太く平たい。

 首の長さは2メートル程、それを太い胴体が地表で支え、そこから更に細くなった尻尾が1メートル程伸びている。

 その先端には毒々しい黄色の棘が、明らかに毒針と分る棘が突き出していた。



(抜かったわ!これは不味いぞ。『ツーヘッド・ボア』など中層以上の深い所にいる魔獣だ。浅層相手の若造どもでは荷が重すぎる。ワシとて今の装備だけでは相当にまずい。だが子供らが出くわせでもしたら取り返しがつかん!)



 腰の剣に手を当てる。

 長年使いこんだロングソードだ。

 自身の装備を身に付けていないとはいえ、此れ一本ででも、中層の相手に十分太刀打ちできる自信はある。


 だが『ツーヘッド・ボア』は厄介だ。

 猛毒の牙を持つ頭が二つ、連携を取って別々に襲って来る。

 その毒にやられれば、人間など半時はんときも持たず死に至るだろう。


 そして尾の毒針だ、頭に意識を向けていると別の方向から襲って来る。

 その毒は直ちに死に至るモノでは無いが、麻痺を引き起こし身体の自由を奪う。

 甘く見られるモノでは無い。



 実質『ツーヘッド・ボア』との戦闘は、3対1の戦いと同じだ。

 攻撃を全く受け切らずに倒せるほど、甘い相手ではない。

 毒牙をしのげる防具は必要だ。


 それが二体。これは6対1の戦いの様な物だ。

 本来、この状況なら直ちに逃げ出すのが正解だ。

 正面からの戦闘など正気の沙汰ではない。


 だがハワードは上着を脱ぎ捨て、ロングソードを引き抜いた。



(どうせ、逃がしてくれそうには無いしな……)



 もう一匹のボアが、少し離れた場所から広場へ姿を現した。

 双頭を左右に広げ行く手を遮り、左右から挟み込む様にに迫って来る。


 ならば、やらずばなるまいよ。


 と、ロングソードを肩へ担ぐように構え、腰を落とした。


 挟み込まれる前に動く!


 地を蹴り一息で右側のボアへ、最初に現れた方の間合いへ入り込む。


 ロングソードを右の首の目の前で勢いよく下に降ろし、そのまま左側へ斬り上げた。

 切っ先は、鋭く左の首の喉元を切り裂いた。


 切断には至らないが首の重さで後ろに仰け反り、千切れかけだ。

 そのまま体を回転させ、千切れかけの首の側からボアの後ろ側に回り込んだ。


 勢いを殺さずそのままで、ロングソードを振りかぶり尾の付け根へ叩き付けた。

 尾を断ち切られた痛みと怒りで、残った首が背中側に首を向ける。


 だがハワードは間髪入れずロングソードを左側から水平に振り切る。

 今度は綺麗にボアの首が落ちた。


 一連の動作を流れる様に、ほんの一瞬ひとまばたきの間にやってのけた。



 もう一匹のボアはハワードが動いた直後に後を追い、後ろから襲いかかろうとしたが、すぐさま一匹目の陰に彼が隠れてしまった為、攻めあぐねてしまった。


 今は警戒と怒りを露わにし、口を開いて牙を見せつけながら威嚇音を出し、ハワードと間合いを取り合っている。


(さて、これでイーブンと云う訳だ!)


 絶体絶命の状況をひっくり返す。

 実に痛快だ。

 思わず口元が吊り上る。

 クルリクルリとロングソードの切っ先を右で、左で回しながら、ボアを周り込む様に距離を測って行く。


 と、目の端で何かが動いた。

 左の樹木の陰から、何かが飛び出して来たのが見えた。

 『グレイ・ウルフ』だ。

 背中に長いタテガミを生やした、ダークグレイの大型狼の魔獣だ。

 コイツも本来は中層以上に居る筈だ。


(しまった!気配を見誤った!やはり3体ったのか!)


 グレイウルフは、真っ直ぐハワードの首筋目掛けて飛び掛って来た。

 その体長は2メートル近い。 

 体当たりされただけでも致命的だ。

 ハワードは咄嗟に身体を倒して躱すが、その爪が左の二の腕をシャツの上から抉って行く。

 グレイウルフの爪も、硬く凶悪だ。


 身体を倒しながらもハワードは、ウルフの身体の下でロングソードを振り切った。

 刃はウルフの腹を真横に切り裂き、その臓物を零れ落させる。

 ハワードは背が地に着く直前、何かが足元に迫って来るのを感じた。

 直ぐさま躱そうとするが間に合わない、直後に左のくるぶしの上の肉が抉られたのが分った。


「ぐっ!!」


 身体が地面に着くと同時に身体を転がし、ボアから距離を取り、すぐさま体を起こした。


 ボアの尻尾の毒針が、ハワードの左足を襲っていたのだ。


(何がイーブンかっ!この粗忽者そこつものがっ!調子に乗ったわ!!)


 周りへの警戒を怠った己を叱責する。

 既に、左のすねから下の感覚が無い。


(避けながら……と云うのは難しいな。一撃の力が足りんだろうし、避けきれん。

ならばこのまま致命の一撃をくれてやろう。コイツを無傷で、このまま外に出す訳にはいかん!)


 ハワードはその場で腰を落とし、ロングソードの切っ先を地に付けるように左に構え、力を溜める。

 左腕の感覚も殆ど無い、このまま身体を発条ばねにしてロングソードを振り切る為に、全神経を研ぎ澄ました。


 獲物が動きを止めた事で、ボアは一気に仕留めにかかろうと動き出す。

 双頭の口を開きハワードへ向け、その毒牙を突き立てようと、一気に距離を縮めて来た。


 ハワードはギシリと筋肉を軋ませ、解き放つ瞬間を測る為、更に身体を深く沈める。

 しかし、感覚の無くなった左脚に引き摺られ、僅かに態勢が崩れてしまう。


 ボアが躍りかかるが、ハワードは初動が遅れてしまった。


 だが、ボアの牙がハワードへ届く一歩前。

 その時突然、槍が両者の間に突き刺さった。

 ボアは鼻先に刺さった物に驚き、一瞬怯んだ。


(槍だと?!いや、枝か?!これは木の枝だっ!!)


 槍と思ったそれは、ハワードの身の丈ほどもある、樹木の枝だった。

 その枝が、何処からともなく突然、ハワードとボアの間に突き立ったのだ。


 ハワードが、そのボアの一瞬の怯みを逃さず力を解き放つ。

 狙うは首の生え際の下、コイツの心臓のある場所だ。

 ロングソードは解き放たれるまま、力強く水平に薙ぎ払われる。


 突き立つ諸共、ボアの胴体を両断した。


 二つに分かれた身体は苦しげにその身を暴れさせ、のた打ち回るが心臓を失った身体は直ぐに動きを止めて行く。


 ハワードは力を使い果たし、その場に倒れ込んだ。

 愛剣もその手を離れ、並ぶ様に横へ落ちた。


(いかんなぁ、ソニアを慰めてやらねばならんのに。こんな所で寝てる場合では無いのだが……もう、下半身の感覚がないわ)


 仰向けになり日差しを浴びながら、青い空を眺めてそんな事を考えていた……が。


 フッと、頭の上で何かが動く気配を感じた。

 まだ居たのかと一瞬警戒したが、どうやら人の様だ。

 その人物はハワードの傍らまで来て膝を突き、顔を近づけ声を掛けて来た


「ダイジョブ・・・です・・・、か?」


 視界にその人影が入った時、ハワードの息が一瞬止まった。


 刹那の間、見上げるその影に、重なる人物を見た気がしたのだ。


(……!そんな!ラヴィ?!まさか……まさか?!!)


 だが、そんな事はある筈が無い……と思い直す。

 一瞬の幻影は消え去り、1人の少女の姿をそこに見た。


 鮮やかな、輝くルビーような赤い髪の少女が、クリスタルの様に煌めくコバルトグリーンの瞳で覗きこみ、心配そうに尋ねて来ているのだ。


 透き通った優しげで、愛らしい声だ。


 その少女の装いは、この辺りでは見ない服装だ。

 森の中を彷徨った様に、あちらこちらが破れたり汚れたりしている。

 手足も同様だ、顔も随分汚れている。


(美しい少女なのに可哀相に台無しだ。……迷い人か?)


 すると、少女はハワードの頭の後ろに手を差し入れた。


「ひかげ・・・いきます・・・、いま」


 そう言って自分の身体を引き寄せた。

 少女が自分を抱きかかえようとしていると知り、ハワードが慌てる。


「ま、待ちなさい、とても一人では……」


 ハワードの身長は195cmある。

 今年で62だが、日々の鍛練は怠った事は無い、その身体は今だ隆々とした筋肉に覆われている。

 とても小柄な少女一人の力で、持ち上がる物では無い。


 しかし、そんなハワードの心配を余所に、少女は何の躊躇いも無く、軽々と彼を抱き上げてしまった。

 驚きでハワードは目を見開く。言葉も出ない。

 そんなハワードの視線に気付き、少女はコテンと小首を傾げ、不思議そうな顔で見返した。


 そのままトットットと、軽い足取りでハワードを運び、日影に優しく横たえる。


「けん・・・もって、きます・・・、いま」


 そう言うとハワードを置いて、少女は剣のある場所まで戻って行った。


「ま……」


 まだ周りに魔獣がいるかもしれない。

 そう注意を促そうとしたが、思った様に声が出ない。

 麻痺が、全身に回って来始めていた。


 少女がロングソードを拾い上げ、こちらへ向かって歩いてくる。

 その後ろ、陰の濃い森の中から、ダークグレイの塊が少女へ向かって飛び出して来るのをハワードは見た。

 グレイ・ウルフだ。


「あ……!」


 咄嗟にハワードが叫びを上げようとしたが、やはり声が出ない。


 なんってこった!

 おのが未熟さで自分だけならまだしも、この見ず知らずの娘まで巻き込んでしまうとは!!


 護民官として剣を捧げて来た人生の最後で、なんという失態であろうか。

 ハワードは思わず、己に対する憤りで唇を噛み切っていた。

 今まさに、その牙が少女へ届くと思われた瞬間。


 フワリ……、と少女が舞った。


 次の瞬間、グレイ・ウルフが二つになる。

 前脚の付け根から背中にかけて斜めに切り離され、跳び出した勢いのまま少女の脇を抜け、前方に落下して行った。


 ハワードの動かぬ体の背筋に、ゾクリと走る物があった。


 何と云う美しい剣筋だろうか。

 何の気負いも力みも無く、ただ自然に剣が舞った。

 スッと吸い込まれるように刀身が入り、何の抵抗も無く抜けて行く。

 自分の剣は、これ程の切れ味を持っていたのだろうか?否、使い手の力量である事は明白だ。

 一点の曇りも無い澄み切った動きだ。

 それに比べ、おのが剣のなんと荒い事か。

 あの流れる様な切っ先の光跡、あの美しい光は忘れられる物では無い。


 赤い髪を揺らし、フワッと少女の動きを追いかける様に、スカートの裾が舞い降りた。


「さいご・・・これが・・・だいじょ、ぶ」


 涼しげな眼差しで、グレイ・ウルフだった物を見下ろしながら少女が呟く。

 と、少女がハワードを見てハッとした。


「ごめなさい・・・どく・・・おそなった・・・きづく、の」


 少女が慌てた様に、ハワードの元へ駆け寄って来た。

 そして横になったハワードの左側で膝を付き、脛の傷口の上へ右の掌を当てた。


「なおす・・・ます・・・すぐ・・・まって」


(今治すと言ったか?何をする気なのだこの娘は?まさか!この若さで解毒の技が使えると言うのか?)


 少女が何をするにしても、動かぬ体では見守るしかない。

 ハッキリとは聞こえないが、何やら呟くのが分る。

 脚と掌の間に光が集まった。


 ハワードの目が、再び驚きで大きく見開かれた。


(おお!癒しの輝きか?!本当に使えるとは……。それもこれだけ暖か味のある光を、この歳若い少女が?)


 感覚が無くなった筈の左脚に、優し気な暖か味が広がる。

 ユックリとその暖かさが、ハワードの全身を廻るのが分かった。

 左腕のウルフに抉られた部分にも、先程噛み切った唇も、柔らかい温かさが沁みて行く。

 全身から力が抜け、身体が楽になって行くのを感じる。


 フッと光が消え、身体に現実の感覚が戻って来た。


「うまく・・・なおす・・・できまし、た」


 少女がホッとしたように息をつき、嬉しそうな笑顔をハワードへ向けた。


「おお、動く、傷も……無い。凄いな」


 ハワードが身を起こし、身体から麻痺が取れ動ける事を確認した。

 腕と脚にも触れ、傷が無くなっている事に感嘆する。


 傷の治しを早め苦痛を軽減する癒しの技なら、この位の歳の子供でも使える者は少なくない。


 だが傷を完治させ解毒を行い、あまつさえ直ぐさま動けるようにする治癒の技など、しっかりとした訓練を受けた神官でなくては扱えない。

 ハワードは、改めて驚きの目で少女を見た。


「ありがとう、君のおかげで助かった」


 少女が嬉しそうに微笑んでいる。


「それにしても、君は何者なんだね?剣技も癒しも、とても只者とは思えん。一体何処から来たのかね?いや、そもそもこの国の者ではないね?」


 少女が、微笑みのまま固まったようだ。


「あっと、すまない。自己紹介もまだなのに立て続けに色々聞いてしまったね……。ワシはハワード・クラウドという、見ての通りくたばり損ないの老骨だ。改めてお礼を言わせて頂くよ。ありがとう、君のおかげで命を拾えた」


 ハワードは立ち上がり、佇まいを正しながら礼を言う。


「わたし・・・スージィ・・・いいます・・・です・・・よかった・・・ぶじ・・・あんしん・・・、です」


 少女も改めてハワードへ笑顔を向け、手に持っていたロングソードを彼に手渡した。

 ハワードは、ロングソードを受けとりながら考える。


(言葉がたどたどしいのは、やはり国外の者だからか?密入国か?この軽装でか?今の装いを見るに、数日森の中で過ごした様にも見える。国外でかどわかされ、この森へ逃げ込んだ?だが、この娘ほどの手練れをさらう事が出来る者が居るのか?いや、薬でも使われれば……。何れにしても、家族と連絡を取る必要はある。この森は、このようなが一人だけで居て良い場所じゃ無い)


 突然、娘を失った両親の嘆きは想像に難くない。

 ましてやこの娘の髪を見ていると、尚の事胸が締め付けられる。


 娘に自分の国の事を聞いてみたが、初めて聞く名前を口にした。


「ここはアウローラと言う国なんだが、分るかね?」

「あうろーら?・・・しり・・・ま、せん」


 やはり国外の者か。


「自分がどこから来たかは、分るかい?」


 そう言うと少女は、恐る恐る森の奥の方を指差した。

 本当に攫われたのか?いや!家族と旅行中に遭難した可能性も。


「家族は?ご両親は一緒ではないのかね?」


 思わず少女の肩を掴んでしまった。


「りょうしん?・・・いません・・・さいしょ・・・から」


(何と云う事だ。この娘は本当に一人で、この森で過ごしていたと言うのか)


 思わず眉間に皺を寄せ、厳しい表情になってしまう。


 すると、どこからか、ク~~~~と言う可愛らしい音が聞こえてきた。

 見ると少女が真っ赤になって、自分のお腹を押さえている。

 ハワードは驚いた様に手を離し、少女を見下ろした。


「あ・・・あの・・・すみま・・・すみま、せん・・・、あの」


 少女が下を向いて、赤くなりながら慌てた様に謝罪を口にする。

 ハワードはそれまであった緊迫感が、ゆっくり消えて行くのを感じていた。

 毒気を抜かれた様に、少女を見ながら相好が崩れてしまう。


(もう昼を回っているな……、ソニアが昼食を用意して待ちわびている筈だ。細かい事など、もうどうでも良い。今は恩人であるこの娘をもてなしたい)


「これから屋敷へ戻って昼食の予定なのだが、良かったらキミも一緒にどうかな?妻が、連れて帰る予定だった客人の分まで、タップリと料理を用意している筈なのだ。とても我々だけでは、片づけられる量ではなくてね。一緒に食事をして貰えると、とても助かるのだよ」


 ハワードが大きく手を広げ、歓迎する様に少女に伝えた。


「しょ・・・しょくじ・・・りょうり?・・・ちゅうしょく・・・たっぷ、り?」


 少女がアワアワと目を見開きながら小刻みに震え、真っ赤な顔でハワードを見つめて問い返して来た。


「そう!タップリの料理だ!特に鳥のハーブ焼き!ワシはあの塩気の効いた鳥が好きでね」


 ハワードは出がけ間際、ソニアが調理の下ごしらえをしていた鳥を思い出しながら、嬉しそうに語った。


「しお!!はーぶ!!・・・、とり!」


 更に目が見開かれ激しく潤んでくる、今にも涙が零れ落ちそうだ。

 口もアウアウと閉まらなくなっている、こちらからも今にも涎が零れそうだ。

 可愛い娘がそれはイケナイ。


「どうかな?招待に応じて貰えるかい?」

「めいわく・・・ない・・・ですか?・・・おじゃま・・・ない・・・です、か?」


 少女は両手を胸の前でワキワキと動かし、顔を真っ赤にして、本当に今にも泣き出しそうな様子で聞き返して来た。

 ハワードはつい破顔してしまう。


「勿論だとも!迷惑でも邪魔でもない。一緒にお昼を食べたいんだ!」


 笑いながら右手を差し出すと、少女は一度その右手を見てからハワードの顔を見て、嬉しそうに何度も頷いてから、両手でその右手にヒシッと掴まった。


 ウィルは連れて帰れないが、今日のお客は特別だ。

 さあ、早く帰ろう。

 ソニアが驚く顔が目に浮かぶ。

 きっと喜んでくれるに違いない。


 ハワードは少女を連れ、楽しげに森中を抜けて家路を急いだ。

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次回「ハワード・クラウド食事を楽しむ」

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