部屋の掃除を終える

 ジリジリジリジリジリジリ………。


「ううっ…………ううっ……ううっ」


 目覚ましの音が五月蠅かった。その日は土曜日だ。学校は基本的に休みの日だ。会社は普通にある事もありうるが……。完全週休二日制ではない会社もこの日本社会では普通に存在するらしい……。つくづく働きたくないものだ。俺には労働の適性などないだろうし。


 さっき寝たばかりだというのに、なぜ起きなければならない。眠い……あまりに眠い、睡眠時間が足りてないではないか……。


 こんなつらい状況、せめて、せめて心優しい純粋無垢でお兄ちゃん大好きな義妹に起こされないと釣り合わないではないか……。


 しかし、現実は無情であった。


「いつまで寝てるのよ……起きなさい」


「ぐわっ!」


 俺は蹴り飛ばされた。そして、ベッドをゴロゴロと転がり、ゴミの散乱した床に落ちる。


 ドン! 痛みと衝撃で俺は目を覚ました。


「な、なにしやがる!」


 俺は叫んだ。俺を蹴飛ばしたのは当然のようにアリサの奴だった。


「いつまで寝ているのよ……今日は朝から部屋の掃除をするっていう手筈だったでしょう」


 その後、話し合った末に三人で朝から部屋の掃除をする事になった。掃除に手をつけたのが金曜日だったので、二日目の今日は土曜日になるというわけだった。

 

 父は土曜日でも出勤があるらしく、帰って来れるのは夕方になるという話だったから。残る三人で俺の部屋の片付けを行う……という話の流れに最終的にはなった。まともな生活リズムをしている義母ソーニャと義妹アリサにとっては朝7時に起きるなどという事は至極普通の事で、なんともないかもしれないが。


 生活リズムが昼夜逆転している俺にとってはまさしく地獄のような苦行であった。


「何をやっているのよ。朝普通に起きるくらい誰でも出来る事でしょう……大した事でもないんだから」


 アリサは平然と言ってのける。朝7時に起きる事を普通の事だと……。


「……お前はわかっていない。引きこもりの俺みたいな人間が朝7時に起きるのがどれほど大変な事なのか……」


「大変かどうかはわからないけど、朝普通に起きないと学校にも会社にも行けないわよ……そのまま一生引きこもって生活していくつもりなの?」


「うっ……!」


 アリサに痛い所を突かれ、俺は押し黙ってしまった。そうなのだ。一生引きこもるわけではなく、普通に学校に行ったり、会社に行ったりする場合。昼夜逆転のままでは生活していくのが困難になる。いずれ俺が社会復帰をするつもりなら、朝起きる事なんて出来て当たり前にならなければならないのだ。


「どうせ直さなきゃいけないのなら、今すぐ直した方がかえって楽よ」


「お前の言う事も最もだ。待っててくれ……今洗面所で顔を洗って、それから準備するから」


「お母さんもそのうち準備して部屋に来ると思うから……早くなさい」


 そう、アリサに言われる。アリサは完全武装していた為、義妹に朝起こされたとはいえ、色気もへったくれもなかった。やはり理想は現実とは程遠かった。現実は厳しかった。残念ながら……。


 ◇


 洗面所に移動した俺はパシャパシャと洗面器で顔を洗った。鏡に映った自分を見る。そこには情けない顔をした一人の男がいた。当たり前だった。今まで俺は嫌な事から逃げて、楽な方を選び続けてきた。そうして、引きこもり生活を続けてきたのだ。だけど、これからは今の自分のままじゃダメなんだ。俺は変わらなければならないのだ。変わらなければ一生同じような引きこもり生活のままだ。


 そんなままじゃ、天国へと旅立った、俺の本当の母さんに申し訳が立たなかった。


 変わっていく為の第一歩を踏みだす為に、俺は身支度を整え、自分の部屋へと戻っていったのである。


 ◇


「おはよう! 真治君!」


 部屋に入るなり、義母ソーニャが快活な声で挨拶をしてきた。部屋の惨状を改めて聞かされていたソーニャは皆と同じように完全武装をしていた。マスクをしている為、その表情を読み取る事はできないが、何となく、目元は笑っていたような気がする。


「おはようございます……ソーニャさん。すみません、余計なお手間を……」


 俺はソーニャにそう、謝罪をする。


「いいのよ……こんな惨状、放っておけるわけがないもの。一緒にこの家で暮らす家族として、こんな酷い状況、放ってはおけないわ」


 ソーニャはそう言った。


「それにしても、何度見ても酷い状況ね……」


 ソーニャは改めて、俺の部屋を見渡し、そう感想を呟いた。性格の良い理想的な母親としか思えないソーニャを以てしても、そういう感想を抱くしかない。それほど、あまりに酷い状況だったのである。俺の部屋は。


「すみません……ソーニャさん」


「別に謝らなくていいの……謝ってほしいわけでもないし。謝ったからって状況が少しでも良くなるわけじゃないじゃない」


「そうそう……謝ってる暇があったら手を動かして欲しい。これは酷いわよ。外部業者に頼んだら平気で何十万位は請求されそう」


 そう、アリサは足場のない所を、もはや靴で踏みつけて移動し、ゴミをゴミ袋に入れていた。アリサの言う通りだった。こういったゴミ屋敷、あるいはゴミ部屋を掃除する外部業者も存在するが平気で何十万と請求されるだろう。


 ああいうサービスは割高であるし……民間サービスなのだから当然だが、それだけ俺の部屋の状態が酷かったのだ。


「とにかく……やるしかないのよ。やるしか……」


 こうして、俺達はゴミの山相手に、悪戦苦闘する事になった。そして、時間は過ぎていく。貴重な休日を割いてくれた二人には感謝してもしきれなかった。


 そして、時が過ぎ去り夕暮れ時になる。父親である誠が帰ってくる時間帯になってきた。


 ◇


「まだやってるのか、お疲れ様だな……」


 父親が飲み物やすぐに食べれそうなおにぎりなどを買って帰宅してきた。もう、日が沈み、夜になろうとしている。


それまで、ろくに休憩も取らずに作業をしていた為、俺達は疲労困憊だった。


「疲れた……もう、限界……」


「少し休みましょう……」


「ええ……そうしましょう」


 部屋から出た俺達は床にへたれこんだ。


 だが、苦労した分、部屋は片付いてきた。後、もう一息というところであった。


「……やっと人間の部屋になってきたわね」


 溜息交じりにアリサは告げる。


 それに関しては全くその通りだ。別に嫌味だとも感じない。アリサの言う通りなのだった。足の踏み場のある、まともな部屋になってきた。あと少しで整理整頓された綺麗な部屋になるだろう。ゴミさえ片付ければ後は簡単な作業があるだけだった。


「ほら……これでも飲んで少し休んだらどうだ」


「あ、ありがとう……父さん」


 俺は父からお茶を受け取る。


「……後は僕も手伝うから」


「……ありがとう……あなた」


 父と義母ソーニャが見つめ合う。


 そうだった。当たり前の事なんだが、二人は新婚だった。再婚なので、普通の新婚ではないが、お互いに新しい関係を始めたばかりだ。それなのに、息子である俺が引きこもりであるという問題を抱えている為、新婚生活を満喫できないでいる……。俺が二人の生活を邪魔しているのだ。


 俺の落ち度で二人に迷惑をかけている……。それだけじゃないんだ。義妹であるアリサにも迷惑をかけている。これじゃあ、関係としては義兄なのかもしれないが、とても義兄(あに)なんて名乗れるはずもない。愚兄も良いところだった。


 父の助力もあり、程なくして、部屋の片付けは完了した。


「見違えたわね……元が酷かったから、ギャップが凄いわ」


 アリサは綺麗になった俺の部屋を見て、目を丸くしていた。目の前には見違えた綺麗な部屋があった。とても俺の部屋とは思えなかった。


「これが俺の部屋か……ははっ。完全に別の部屋じゃないか」


「これに懲りたら……もう汚さない事ね。汚したらすぐに片付けるのよ。そうすれば負担が少なくて済む」


 アリサにそう諭される。


「正論を言うな……正論を」


 ニートや引きこもりに正論が通用するわけもない。面倒くさいから、だるいから、明日からやればいいから、色々と理由をかこつけて、だらしのない人間達はやるべき事を先延ばしにするのだ……。そしてその結果より酷い結果となるのだが、駄目人間達にはそんな事わからないのだ。いや……わかってはいるかもしれないが、やめられないんだと思う。それが人間の性(さが)なのかもしれない。


「疲れたー……私はお風呂入って寝る」

 

 アリサは風呂場へ向かおうとする。その際にアリサは俺を横目で見やり、ボソりと呟いたのだ。


「覗かないでよ……」


「誰が覗くか!」


 俺は顔を真っ赤にして叫ぶ。


「どうだが……人の着替えは鼻息荒くして覗いてたくせに」


 アリサにそう、毒づかれる。


「うっ……」


 それを言われると身も蓋もなかった。返す言葉もないとは、まさしくこの事だ。


 こうして俺の部屋の大掃除は悪戦苦闘しつつも二日目をして終わったのである。


 予定していたよりもずっと早く終わったのは皆の協力があったからに他ならなかった。


 少しずつ、前進してはいるが……今のままじゃダメだ、そう、俺は思うようになった。


 社会復帰に向かって、もっと前進していかなければならない。いつまでも引きこもっているわけにもいかなかったのだ。


 俺は長らく通っていなかった学園に行く事を覚悟したのだ。


 そして俺はその覚悟を翌日の晩飯の際、家族の皆に伝える事にした。


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