社会復帰の為に掃除を始める

「よし……やるぞ」


 義母との入浴を存分に楽しんだ、俺は再び、部屋に戻った。やはり自室が一番落ち着くが、いつまでもそれに甘えているわけにはいかないと……風呂場の出来事で心を改めた。俺はこのままではいけない……変わらなければならないと思ったのだ。


 だが、そんな簡単に事は進まない。人間は弱い生き物だ。変わろうと思ったくらいで買われれば苦労しない。


「おっと! 忘れてた! パーティーメンバーとネトゲのクエストに出向く約束をしていたんだ!」


 部屋に戻った俺はすぐに、パソコン画面に食らいつく。俺は思った。


『明日から本気出す!』

『明日からやればいい!』

『明日から変わればいい!』


 よくある、ニートや引きこもりが行動を起こさないテンプレ的な言い訳だ。問題の先送り。何の解決にもならない。明日になったら、明日の自分がきっと解決してくれるはずだと。勝手に行動を起こしてくれると本気で思っている。


 けど、その明日が来ても、また『明日からやればいい……』の無限ループで無駄に時間を消費するのは明白であった。


 それはわかっている……だが、わかってはいても弱い俺は実際に行動に移す事はできなかった。何をやればいいのかもわからない……。


 そうやって自分に甘えて、俺は再びゲームの世界に戻っていったのだ。


 ◇


「食らえ!」


 ゲーム内で『ロイド』と名付けたアバターを操り、俺はその日の晩もネトゲをプレイしていた。剣士系の職業に就いている俺の分身(アバター)は、今日も剛剣を振るい、モンスターを一撃で倒した。


 現実世界では最底辺の俺でも、このネトゲ内ではヒーローなのだ。


 チュドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!


 モンスターが、俺の必殺剣で爆発する。一瞬でHPが0になったのだ。


 ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!


 モンスターが断末魔を上げて果てた。


『『『きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!』』』


 ネトゲ内のパーティーメンバーが黄色い声を上げて、俺にすり寄ってきた。皆、美少女の見た目をしたアバターである。


『すごいです!』『流石はロイドさん!』『あのモンスターを一撃で倒されるなんて!』


 きっと、中身はおっさんなんだろうなぁ……とか、切なくなる事は思わないどこう。相手は美少女だ。きっと中身も美少女。そう思っておこう。その方がきっと幸せだ。


「ははっ……何言ってるんだよ。これくらい当然だよ」


 謙遜でも何もない。学校もいかず、勉強もせず、ゲームに明け暮れてればそれ相応に強くなるのは当たり前だった。何も偉くはない。虚しくなるだけだ。


 俺は何も変わりもせず、明日も明後日もこうしてネトゲに没頭する毎日を送るのか……そう思うと、なんだか虚しくなってきた。


「さあ! 次のクエストに行くぞ!」


『『『はい! ロイドさん! どこまでもついていきます!』』』


 こうして俺は何も変わらない一日を過ごすのだった。


 ◇


「ん? ……い、いかん」


 俺は目を覚ます。寝坊をした。既に時間は夕方の5時を過ぎている。いつもは午後2時には起床しているというのに……つい、夢中になって朝までゲームをやりすぎてしまった。


 こんな平日の朝までまともな人間が相手してくれるわけもないから……リアルの事は恐ろしくて聞けないけど、パーティーメンバーもろくでもない連中なんだろう。ろくでなしの中のろくでなしみたいな、引きこもりの俺が言うのもなんだが……。


 いい加減、夕方近くなって腹が減った。今日は親父は家に帰ってくるのが遅くなると言っていた。それにもう、父が食事を部屋まで運んでくる事はない。せめて、食事はリビングで一緒に取るように言われてるんだ。背に腹は代えられない。腹が減ってはどうしようもないのだ。


 仕方がない。何にせよリビングに行かなければ食料が手に入らないのだ。俺は仕方なく、部屋を出て、食料を求めてリビングに行った。


 そんな時の事だった。廊下で、俺の義妹となった――アリサと鉢合わせる。アリサは学園から帰ってきたばかりなので、制服を着ていた。


「はぁ……」


 アリサは俺の顔を見るなり、嫌そうな顔で溜息を吐いてきた。


「なんだよ……人を見るなり嫌そうな顔して」


「……別に。嫌な物を目の前にしたんだから、仕方ないじゃない」


 アリサは溜息交じりにいう。まあ……もっともな言葉ではあった。俺に非があるのだから仕方ない。アリサみたいに容姿端麗な上に文武両道で優秀な人間からすれば……俺のような引きこもりの底辺、ゴキブリに遭遇したかのようなバッドイベンド以外の何物でもないだろう。


「けど、一つだけ良くなった事がある」


「なんだよ?」


「臭いは取れた事……前程臭くはない」


「風呂に入って服を着替えたんだから……当たり前の事だろ」


 俺は入浴して、新しい服に着替えた。


「そう……そういう当たり前の事ができてないから、あなたはダメだったのよ。まあ、そのダメなところもまだ、無数にあるんだけれど……」


 俺はそう、アリサに駄目出しをされる……。


「今後は風呂にくらい入りなさい……淑女(レディ)を前にして、風呂にも入ってないなんて、問題外よ」


 もっともだし……正論だ。俺はそういう、当たり前の事すらできてないからそんな事を言われるのだ。


「……それももっともだ……これからは善処する」


「それから……」


 アリサの小言……というよりも当然の主張はまだ続くようだった。


「あなたの部屋……異様に臭ってくるのよ。掃除くらいなさい」


「うっ……」


 痛いところを突かれた。俺は引きこもり始めてからのこの二年間、まともに掃除をしてこなかった。逃げていたのだ。面倒な事から。そして面倒な事から逃げる度に、余計に面倒になって億劫になってくるのだ。それはもう、負のスパイラルであった。


 俺だけではない。誰でも経験があると思うが。逃げた事が利息をつけて、襲い掛かってくるのだ。


「……時間ならいくらでもあるでしょう。あなたは学園に通っていないのだから」


「それはその……あの……その通りだけどよ。俺にだって色々、色々と事情があるんだよ」


 俺は言うに事欠いて、言い訳をし始めた。自分でも見苦しいとは思っているが、自己保身せずにはいられなかったのだ。


「事情って……ゲームか何かでしょう。そうやっていつまで現実から逃げていれば気が済むわけ? そうやって一生生きていくつもりなの?」


 アリサは俺を冷たい目で見やる。


「うっ……」


 現実の女はいつもそうだ。あの義母——ソーニャみたいなのはおかしいのだ。あれは母親が子供に与えるような、無条件の愛だ。俺がどんなにみっともなくても、子供だから愛おしく思える。それだけの事だ。


 だけどアリサは違うんだ。俺にそれだけの魅力がないから、冷淡に接してくる。それが現実というものだった。現実の女はゲームみたいに、上手くいくわけがない……。俺にそれだけの魅力がなければ好意を抱かれる事は困難なわけだ。


「わかったよ……とりあえず、するよ。掃除」


「よろしい……どうせ時間を費やすなら、少しは生産的な事で時間を使いなさい。それじゃあ、私は勉強するから……」


 そつなく告げられ、アリサはその場を去っていった。


 こうして俺は社会復帰の第一歩として、部屋の掃除に取り組む事になった。





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