義母と義妹と顔合わせ
「あっ……ああっ……ああっ、あっ……ああっ……ああっ」
二年ぶりの他人――父以外の人物との面会に、吃音が上手くできなかった。長い間引きこもって人と会わない生活をしていると、発声が上手くできないのだ。久しぶりに会う他人を目の前にして、緊張しているという事も多いにあった。
アリサの事は知っていた。同じ学園の中等部で有名人だったから。隣にいる若い女性に目が行く。アリサと同じように、金髪をした美女だ。そしてきめの細かい、白い肌。とてもアリサの母親には見えなかった。二人が並ぶと、姉妹にしか見えない。
それほどまでに彼女は若々しかったのだ。俺の存在を見て、苦々しい顔をしているアリサとは対照的に、まるで天使のような朗らかな笑顔を浮かべてくる。
なんて良い人なんだ……。今の俺の恰好ははっきり言って、浮浪者のような、ろくでなしにしか見えない恰好なのに。そんな慈愛に満ち溢れた笑顔を浮かべてくるなんて。
「……真治か。こっちに来なさい。ソーニャさん、うちの息子の真治です」
そう、父は言った。
「初めまして、真治君。私はソーニャと言います……そして、こちらが娘のアリサです」
「……初めまして、アリサと申します」
二人は俺にそう、挨拶をしてきた。アリサに至っては初めましてではない……覗き穴越しに目を合わせている。学園ですれ違った事はあるが、会話を交わした事はない、それは会った事になるだろうか? ならないかもしれないが。だから一応は初めまして、という事になるのかもしれない。
「真治……お前も挨拶なさい」
「は、は……はじめまして……泉真治と……言います」
言えた。どもりながらもなんとか、自己紹介ができた。これは俺にとっては物凄い事だ。すごく達成感があった。
「結婚前に言った通り、真治は前妻を亡くしてから塞ぎ気味でね……一応は娘のアリサさんと同じ、学園で学年になっているんだ」
父はそう、説明した。俺が学園でいじめを受け、不登校の引きこもりになったという理由については伏しているのだろう。
言わない方が良い事というのも世の中には確実に存在する。嘘も時と場合によっては必要だ。嘘や秘密の何もかもが悪いわけじゃない。俺はそう思っている。
「あら……そうでしたわね。色々、あったのね、真治君。あなたの心は凄く、傷ついたんでしょうね」
ソーニャは慈愛に満ちた眼差しを俺に向けてくる。
「でも……もう安心していいのよ。私の事を本当のお母さんだと思って、接してきてね。私もあなたを本当の息子のように扱って、愛を降り注ぐから……」
そう、ソーニャは俺に優しく語りかけてきた。
「そして、この子……私の愛娘であるアリサの事は実の妹のように思ってちょうだい」
「げっ! ……じ、実の妹……うげぇ……」
アリサは吐きそうな表情――心底嫌そうな顔になる。整った顔をしたアリサが珍しく見せる、歪んだ表情であった。美少女というのは表情を歪ませても、それでも尚、絵になるような表情になるものだった。
「なに? アリサ、不服そうね」
「そんなの不服に決まってるじゃない……」
父の手前、どう不服なのか、具体的に言うの留まったようだ。だが、無理もない。普通の感覚だ。落ち度は俺にある。俺がアリサの立場だったら、同じような感情を抱くであろう。断固拒否する。それがまともな人間の俺みたいな引きこもりの根暗野郎に抱く印象であろう……。
義母であるソーニャさんの態度がおかしいのだ。聖母か何かだとしか思えない。
「何が不服なの? アリサ」
「不服なところしかないじゃない……まず、その臭いよ……うぷっ!」
アリサは産気づいたかのように、むせた。無理もないだろう……俺は引きこもりな上に、風呂に滅多に入っていないのだ。不衛生な事この上ない。全身から悪臭を放っている事だろう。
女性は匂いに敏感な生き物だ。男性より嗅覚が鋭い。清潔に暮らしているであろう、アリサからすれば俺の放つ異臭はとても耐えられるものではない事だろう。
「……臭いなんてお風呂に入ればすぐにとれるわよ」
「それもそうだけど……そもそもお風呂に入るなんて当たり前の事ができないなんて、人としてどうかしてる……」
もっともな台詞だった。ぐうの音も出ないとはこの事だ。
ははっ……その通りだよ。風呂にも入らないし、何にもできない最低のクズ人間なんだよ俺は。引きこもりだし、将来性ゼロのゴミクズだし、ただの粗大ゴミだよ。粗大ゴミ。こんな俺、すぐにでも死んだほうが世の為になるんじゃないか……って本気で思わなくもない。
「臭い以外にも私が兄として認められないところは無数にあるけど……というか、義理の兄であるという事実は変えられないからせめて表に出ないで欲しい」
俺は身も蓋もない事を言われる。
「今はできない事があっても、これからできるようになっていけばいいじゃない。人は成長する生き物なのよ……誰だって最初からできるわけじゃないもの」
ソーニャはそう語る。それももっともだが、自分にできる努力すら最初から放棄している、どうしようもない人間もいる……例えばそう、俺みたいな奴がそうだ。才能がない上に、最初から何もやろうともしない。何の見込みもない人間なんだ、俺は。
「そうだ!」
ソーニャは手を叩いた。何かを思いついたようだ。
「真治君、親睦を深める為にお母さんがあなたの背中を流してあげるわよ」
ソーニャは俺にとんでもない事を言ってきた。
「えっ!?」
「ちょっ! お母さんっ!」
「い、いいのかい、ソーニャさん。そんな事をさせて」
「いいのよ……誠さん、私、真治君と本当のお母さんみたいになりたいの……さっき言ったでしょ。あなたの心の傷を、私が本当のお母さんみたいに癒してあげたいの……」
「い、いや……そんなまずいですよ」
俺は抵抗した。
「いいから、いいから、遠慮しないで……ところで、来たばかりでわからないのだけれど、浴室はどっち?」
「あっちです!」
「あっちね……わかったわ!」
俺は抵抗を見せるのだが、その抵抗も虚しく、ソーニャに浴室まで連れていかれるのであった。
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