第四十五話 ミラー家の夜・二度目 下

「……一体どういうことだ?」

「私の方が聞きたいんだけどね……貴方の仲間が使役しているスライムがいるでしょう」

「アムのことか? ……アムがラクシャに擬態してる?」


 ラクシャの姿をした人物は苦笑する――そして、胸のあたりに触れてみせる。


「ここに私の魔石が入っているのよ。それで、私の姿を『再現』した……こんな高度な魔法生物が、どうしてこんなレベル帯にいるの?」

「どうしてと言われても……俺の仲間が作ったとしか言えないが。アムは大丈夫なのか? お前に乗っ取られたってことなら……」

「っ……や、やめなさい。ここにある魔石を抜かれたら、元のスライムに戻るから。私は貴方に言いたいことがあって来たのよ」


 ラクシャはこちらに歩いてくる――そして自分が裸だということに今さら気付いたかのように、手で身体を隠す。


「……こんな格好で来たからと言って、勘違いしないで。もう少し慣れれば服だって再現できるわ」

「勘違いって……アムの身体なんだから、早く返してやってほしいがな」

「……そう、一度倒した相手には関心がないっていうことね。レベルにそぐわないくらい強いし、突然変異を起こす人間っていうのもたまにはいるのね」

「変異って言い方も気になるが、まあ世の中には色々あるってことだ。魔族でも知らないことはあるんだな」

「くぅ……」


 悔しがる様子を見ていても、あれほど好き勝手暴れていた魔族と同じ相手とは思えない――言葉に棘はあるが、どこかしおらしくなっている。


「それに俺は、裸で来られたからって油断するほど甘くないぞ」

「……分かってる、そんなこと」

「え?」


 素っ気ない返事のあと、ラクシャは俺の様子をうかがったあと――その場に膝を突いて、俺に頭を下げた。


「っ……いきなりどうした?」

「貴方……いえ。マイト様……」


 急に態度が変わったというよりは、ここに来てからずっとそうだったのだろう。


 何かに必死に耐えているような。そうしながらも平静を保とうとしていたが、ここにきて抗えなくなった――そんな様子に見える。


「マイト様に倒されたとき……覚えていますか? 貴方は私の何かを開けて……」

「何かって……あれのことか……?」


 ラクシャに聞かれて思い出す。彼女が魔石になる前に、胸の前に錠前が出てきて、光の粒になって消えた。


 『ロックアイⅠ』で錠前が見えるようになり、それを『白の鍵』で開けることで、仲間の持つ封印技が解放された。


 それを敵に対して行うとどうなるか。魔族に対する特別な効果なのかは分からないが、ラクシャは俺に対して敵意を持てなくなっている――というか、服従してしまっている。


「魔族として長く生きてきても、あんな経験は初めてでした。そして貴方は、魔石を売ってお金にせず、手元に残していた……ですので、こうなったのは必然です」

「そういうつもりじゃなかったんだが……魔族と和解ができるとは思ってなかったし、本気で倒したからな」

「それでも結果的にこうなっています。もう一度倒して頂くのなら抵抗はしません……このスライムの方の身体からも離れます。しかし、私が持つ情報はマイト様にとっても価値があるはず。必要であればいくらでも……っ」

「っ……わ、分かったから、急に動かないでくれ。服を再現することはできるか? できないならタオルでも何でも使って隠した方が……」

「かしこまりました、すぐにそうさせていただきます」


 ラクシャはあっさり立ち上がると、脱衣所にいったん戻っていく。


 女性の魔族は魅了能力を持っている場合が多く、他種族の男性を服従させてどこででも支配者になれる。ブランドもそれでラクシャに操られてしまっていた。


 そんな相手が俺の言うことを忠実に聞いてくれるというのは、正直言って現実味がないのだが――戻ってきたラクシャはまた床に膝を突いて、俺の指示を待っている。


「あー……えーと、ラクシャが今どういう状態なのかは分かった。敵対もしないし嘘もつかないと約束するなら、ある程度は自由にしてくれていい」

「いいえ、こうしたいというのは魔石の姿になってからずっと思っていたことですから」

「ラクシャとの戦いで傷ついた人もいるし、これまでも人間に敵対してきたんだろうが。俺としては、あんたを利用して魔族に策を仕掛けるとか、そういうことはしない。かつての味方を裏切るようなことなら話す必要もない」

「魔族は個々が支配域を持つように動くものです。私とゾラスはある魔族の支配下に置かれていましたが、個別に従っていただけで、馴れ合いのようなものはありません」


 魔族同士の関係性にもさまざまな形があるので、少なくともラクシャと彼女を従わせていた魔族との関係はそういうものだったということだろう。


「その支配が、俺が鍵を開けたことで解けたってことなのか?」

「はい……そんな魔法を見たことがないので、私も初めての経験ですが。魔族として常にあるような性質は、今は消えているようです」

「その性質っていうのは……破壊衝動か?」

「はい。他の種族を破壊し、支配せよという感情です。それが消えていなければ、今の時点で私は貴方様に刃を向けていたでしょう」


 魔族は人間に敵対するものであり、表から裏から侵略し、支配しようとする。


 それは本能的なもので、個体によって衝動の強弱はあっても変えられるものではない。それが俺の魔法によって変化したというのは、もっと驚くべきことなのだが。


「落ち着いているんですね。戯言を、と怒ったりもなさらない……」

「今の状態だと嘘は言えないんだろう」

「はい、自分でも可笑しくなってしまうくらい。あなたに対して誠実であることが、何より正しいと感じています」


 リスティたちの錠前を開けても、こんな状態にはならない。魔族の錠前を開けた場合はこうなるということか――ラクシャに対しては、偶然条件を満たしたのか。


「……いけない……まだ慣れてないから、『再現』を続けられる時間が……」

「そうか、分かった。ラクシャが持ってる情報については、次の機会に……」


 ラクシャは首を振る――そして、こちらにさらに近づいてくる。


 敵意を感じないので、逃げる理由もない。裸であることにも構わず、ラクシャは浴槽に入ってくる――そして、俺の手を取った。


「……許可を得ずに魔力を頂くことはできないみたい……よろしいですか?」

「そういうことか。ラクシャも自分で言ってた通り、俺の魔力はそんなに多くないぞ」

「戦う力が必要なわけではないので、最低限いただければ大丈夫です」


 その最低限でどれだけ吸われるのか――と思ったが、喪失感はそれほど大きくはなく、俺の魔力を吸ったラクシャの身体が淡く発光する。


「んっ……い……」

「そんなにか……その反応は誤解を招くぞ」

「魔族にとって、自分の身体に合う魔力は何よりの甘露ですから」


 合わない魔力というのもあるのか――と問答しているとまた時間を失うので、本題に移らなければ。


「早速聞かせてもらうが、王都近くの塔にいる魔族の目的は……」

「王国を支配することです。私とゾラスより力のある魔族……レベルは45。『暗夜のサテラ』という名で呼ばれています」

「……二つ名からすると、夜に強くなる種族か。何度か戦ったことがある」


 ラクシャが驚いたような顔をする――その後には、敬意を込めた目で俺を見てくる。


「サテラは吸血鬼です。私は夜魔と呼ばれる種族で、吸血鬼に使役されることが多く……サテラがこの大陸に入る際に同行しました。ゾラスも同じです」

「まずいな……吸血鬼は一体いれば眷属を増やせる」


 メイベル姉さんが言っていた通りなら、サテラは二ヶ月前から塔を根城にしている。それだけの期間があれば、王都にサテラが眷属を送り込むには十分だ。


 王都に潜入している俺の旧友、ガゼルとエルク。ガゼルは負傷し、エルクが傍についているという話だったが、なるべく早く安否を確認しなければならない。


「サテラは自分を倒せる可能性のある者を排除するために、王族の血を引く姫を私たちに探させていました。『姫騎士』という職業が王家に伝わる剣を手にしたときのみ、自分を傷つけうると考えたんです」

「このレベル帯でも、万難を廃することにしたのか……」

「はい。やはり、レベルの差が絶対というわけではない。マイト様と戦って、それがよく分かりました」

「ラクシャの時もだが、レベル差がある相手と戦うときはそれなりの準備が必要だ。いろいろと上手く噛み合って勝てたが、仲間を危険にさらすのは避けたいな」

「……マイト様ならば、大丈夫なのではないですか? レベル30の私に、仲間を連れて勝っているんですから」


 なんとも気楽に言ってくれる――だが危険だからと一人で動いたりしたら、それこそパーティを組んでいる意味はなくなる。


「パーティ全員でここまで切り抜けてきたんだ、今後もそうしていければいいが……」

「……ふふっ。マイト様にそんなに想われている方々が羨ましいです」

「想うというか……心配はする。頼ってもいるけどな」

「では、そういうことにしておきましょう。魔族は人間の機微に疎いものですし」


 敵として戦っている時にはそんなことに興味がありそうには見えなかったが、立場が変わると違う一面が見えるということか。『錠前』が外れたことでそうなったのか、それともラクシャの元来の性格なのか。


 しかしまた魔力切れが近づいているのか、ラクシャの目の焦点が合わなくなる――この状態になっても吸わないのだから、こちらの許可なく吸わないというのは絶対なのだろう。


「……今回は、時間切れ……ですから、また……」

「ああ。ラクシャの魔石を持ってサテラに近づいても、再び支配されたりはしないな?」

「……問題は、ありません。私はもう、マイト様の……」


 全て言い終える前に、アムの身体からラクシャの魔石が分離する――そして、ダークエルフのような姿に変わった。


「……お腹空いた」

「お疲れ様、アム。大丈夫だったか?」

「……石を食べると、形が変わる」


 アームドスライムにはまだ不明な点が多いが、アムとしては魔石を食べたという認識だと分かった――アムの体内で溶かされたとかそういうこともなく、無事のようだが。


「……ふにゃ……」

「っ……だ、大丈夫なのか本当に」


 アムが球形のスライムの姿に戻りそうになる――だが再び元の形に戻る。


「マスター、私、今までと何か違う……」

「違うって……もしかして、レベルが上がったとか? ラクシャとの戦いで活躍してくれたしな」


 『魔物使い』をやっている冒険者に聞いたことがあるが、使役した魔物も経験を積むとレベルが上がる。一度レベルを測定してみた方がいいかもしれない――ギルドでできるのかは不明だが。


「……前よりも、お腹が空いてる」


 続けて出てきたのがそんな台詞で、気が抜けてしまう。


「『形が変わる』と魔力を使うんだよな……魔法生物も大変だな」


 アムはこくりと頷く。俺の魔力はどれくらい残っているのか――枯渇するまで吸わせるわけにはいかないが、さっきの礼の意味でも少し与えなくては。


「魔力なら吸ってもらっていいぞ」

「……いただきます」


 手を出すと、アムが両手で包み込むようにする――アムの身体が淡く発光し、しばらく吸った後で彼女は頬を手で挟むようにする。


「……美味しい。マスター、大好き」

「そんなになのか……俺も魔法生物だったら、魔力を美味しく感じるのかな」


 アムは答えず、まだ魔力を欲しがっているようだったが、大人しく湯に浸かる。もう少ししたら上がるか、と考えていると。


「……マイト、そこに誰かいるの?」

「ふたつ人の姿が見えるようだが……」

「ああっ……アムが瓶から出ちゃってます。ということは……」


 俺が風呂に入っているところに様子を見に来るというのもどうなのか――と突っ込みたくはあるが、長風呂なのでのぼせていないか心配したのだろうか。


「マスター、呼ばれてるから言ってくる」

「あ、ああ……って、ちょっ……!」


 アムが浴槽の中で無造作に立ち上がる。そのままぺたぺたと歩いて浴室から出ようとする――こうなってしまうと、後からでは止めようがなかった。


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