第四十四話 ミラー家の夜・二度目 上

 ――歓楽都市フォーチュン 東の郊外 ミラー家客室


 夕食のあと、俺たちはミラー家邸宅の二階にある客室に案内された。


 俺は仲間たちとは別の部屋で、椅子に座って考えを整理していた。


 ――オレを倒しても、この国は……いずれ魔族に支配され……。


 ゾラスが最後に残した言葉。メイベルは王都が魔族の脅威にさらされていると言っていた――そして、ラクシャは『姫騎士』であるリスティを探すよう命令されていた。


 これらの事実から見えてくるのは、王都べオルドを狙っている魔族が、リスティに何らかの脅威があると認識していること。彼女の持つ技『ブレッシングソード』は、ラクシャの防御能力を無効化した。同じように、他の魔族に対しても天敵となると考えられる。


『マイト、ちょっといい?』


 ドアがノックされる。直前まで気づかないのは珍しいが、それだけ考えに集中していたということだ。


「ああ、どう……」


 どうした、と言いかけて言葉を失う。ドアを開けると、甘いような香気が広がった。


 風呂上がりでそのまま来たのだろう、リスティが立っている。アリーさんに借りたものなのか、バスローブ姿だ――しっかり前は閉じられているが、それでも堂々と出てきていいのかと思いはする。


「お風呂、先に頂いたわよ。マイトも入ってきたら?」

「あ、ああ……悪いな、わざわざ呼んでもらって」

「マリノちゃんも一緒に入ったんだけど、のぼせちゃったみたいで。さっき、間違えて薬草酒を飲んじゃってて、それがお風呂で回っちゃったらしいんだけど」

「何をしてるんだ……まあ、大事ないなら良かったが」


 ウルスラが飲んでいるのだからと思って背伸びをしてしまったか――俺を呼びに来るのも本来ならマリノがやるところを、代わりにリスティが来たということか。


「……マイト、さっきから目が泳いでるけどどうしたの?」

「い、いや、そんなことは……そうだ、俺が上がってきたら後で話をしないとな。今後のことを決めないと」

「……その……さっきもちゃんと言ってたのに、また確かめるのも、心配性みたいだけど……」


 リスティが何か言いにくそうにしている――バスローブ姿で頬を染められると勘違いしてしまいそうだが、そういう話ではない。


「魔族と戦って、マイトが凄いっていうことが改めて分かって……そんな人が、私たちに合わせてくれているのなら、それは……」

「俺はそんなに器用じゃないよ。いや、結果的には器用なことをしてるのかもしれないが、賢者としてまだ駆け出しなのは事実だ」

「……それって、『賢者として』っていうことなら、やっぱりそれまでに凄いことをしてたの?」


 今日のリスティは鋭い――しかし『転職』は通常ではありえないことなので、元は盗賊だったと説明すると、さすがに何者なのかと思われてしまうだろう。


「マイトと前に組んでた人たちは、あなたが強いってことを知ってたと思うんだけど……その人たちは、今どうしてるの?」

「それは……無事だとは思う。だが、簡単に会えるってこともない」

「えっ……そ、そんなにあっさり話しちゃっていいの?」

「リスティが気になるのなら、話すこと自体は問題ないが……」

「……良かったぁ……っ」


 急にリスティが胸を押さえて言う――何が起きたのか分からず、こちらはすぐに言葉が出てこない。


「そんなに強いマイトだから、やっぱり本来の居場所があるんじゃないかって……でも、こうやって話してくれるなら大丈夫よね」

「そういうことか。俺が何も話さないようなら、やっぱりいきなり抜けるんじゃないかと心配してたわけだ」


 今度はリスティの方が答えない――顔を赤くしてはにかむ姿を見れば、こちらも毒気を抜かれてしまう。


「まあ……おてんばな王女が、冒険者をやってる理由には興味がある。といっても、だいたい想像はできてるけどな」

「……我が儘なことをしてるって思うでしょ?」

「自分の思ったようにやるのが一番だ。俺はそう思うけどな……って、偉そうに言うことでもないな」


 自分のことを全て明かさないでいるのは、俺もリスティも同じで――だからといって、何が悪いというわけでもない。


「あ……プラチナとナナセが呼んでる。私たちはちゃんと起きてるから、マイトも後で来てね」

「ああ、分かった」


 返事をしても、リスティはすぐに行こうとせず俺を見ている――何か楽しそうだ。


「……ひくちっ」


 またも不意を突かれる――今のはくしゃみのようだが、リスティの顔が耳まで真っ赤になっている。


「そんな格好してると風邪引くぞ」

「わ、分かってるわよそんな……ひくちっ。み、見てなくていいからお風呂に……っ」

「ああ、すぐ入ってくるよ」


 思わず笑わずにはいられなかったが――こんなふうに冗談めいたやりとりをして笑うのは、久しぶりかもしれない。


「……主様の笑顔は可愛いね。これはいいものを見たな」

「っ……お、お前……」


 後ろからスッと姿を見せたのはウルスラだった。リスティたちと風呂に入っていたようだが、今は様子見をしていたようだ。


「ボクも一緒に入ろうかなと思ったんだけど、二度風呂はやめておこうかな。主様の部屋で一休みすることにしよう」


 俺の返事を待たず、ウルスラは部屋に入っていく――あまりにも自由すぎる。俺が風呂の準備をする間も楽しそうに見ているものだから、落ち着かないことこの上なかった。


   ◆◇◆


 ミラー家の浴場を使わせてもらうのは二度目だ。マックスさんがなぜか俺を待ち受けていて、普通に一緒に風呂に入ることになった。


「いやいや、申し訳ありません。夜の見回りから戻ったところで」

「何か気になることはありましたか?」

「おかげさまで至って平和です。植物の魔物でなければ、この辺りに出る魔物は私どもでも退治できますからね」


 職業が『農夫』であるマックスさんの身体はよく鍛えられている。いつも爽やかに笑っているような人だが、身体はやたらと筋肉質だった。


(俺も盗賊の頃は鍛えてたが、腕力系の職とは筋肉のつき方が違うよな)


 賢者になって少々細身になってしまったので、もう少し鍛えた方が良いだろうか。見た目に関係なく盗賊レベル99の身体能力を引き継いでいるのだが。


「では、私はお先に上がらせていただきます。マイトさんはごゆっくりどうぞ」

「ありがとうございます」


 マックスさんがザバァ、と浴槽から上がって出ていく。一人になって考えるのは、さっきリスティと話したことだ。


 本来の居場所――魔竜を倒すまではそのことだけ考えていて、仲間たちも同じで。


 このメンバーならどこまでも行けるし、どんな相手でも倒せると思った。


「……本当にそうだったよな」


 俺は一度命を落としたが、魔竜を倒すことはできた。しかし俺たちは、魔竜とその眷属のことを全て知ることができたわけじゃない。


 人間の敵であり、戦わなければならない。何故そうしなくてはならないのか、それは疑問を持つようなことではない――女神が倒さなければならないというなら、無条件で正しいことだ。


 ――迷わずに歩き続けてください。


 ――あなたに『  』の加護があらんことを。


 あのとき、女神は何を言ったのか。


 転職は、神の定めた摂理を外れている。それもまた、女神自身が定めたものという言い方ではなかった。


 女神より上位の存在がいる。それほどの力を持つものが、なぜ魔竜を人間に倒させるという方法を選んだのか――それもまた『摂理』だということなのか。


 あまりこういうことを悩むのは得意ではない。シェスカはいつも思慮深く助言をくれたし、エンジュは合理的な見地で話してくれた――ファリナはといえば、彼女は否定するかもしれないが、その発言は本能型だった。


 ――迷うのは、進めないところまで進んでからでいいわ。


 ――ファリナはそう言って迷子になるのよね……お姉さんは心配だわ。


 ――マイトがいれば最短経路を見つけてくれるので、信頼しています。


 リスティに言われたからというわけじゃないが、記憶が蘇ってくる。


 魔竜の呪いを受けて死んだときに、記憶の多くは失われたように思った――断片が残っていても、それは完全なものじゃない。


 あの時話していた三人の姿が、思い出せない。どんな顔をしていたか、どの場所で話をしたのか。


 このまま時間が流れたら、思い出すことも無くなっていくのか。


「……深刻な顔をしてるのね」


 ――近くから声が聞こえてくる。


 浴室の扉が少しだけ開いている。マックスさんが出ていってから時間が経っているので、入れ替わりで誰か入ってきたのだろう――そう、冷静に考えるべきだ。


 ここで女性の声がするわけがない。今のは気のせいだ、論理的に考えてそれが正しい――はずなのだが。


「っ……お、お前は……っ!」

「……思ったより素直な反応ね。問答無用でコインでも飛ばしてくるかと思った」


 そこに立っているのは――黒い翼こそ出していないが、俺たちが倒したはずの魔族。


「ラクシャ……なのか?」


 銀色の髪に、白い肌の裸身。そして頭から生えた角――黒く滑らかな尾。


 しかし人間を絶対的な下位存在と見なす、冷たい瞳だけが同じではない。俺を見る目には、驚くべきことに敵意が感じられなかった。

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ラスボス討伐後に始める二周目冒険者ライフ ~はじまりの街でワケあり美少女たちがめちゃくちゃ懐いてきます~ とーわ @akatowa

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