第七話 月下の女神/初戦闘

 ギルドを出て、マイトがリスティに声をかけられた頃、『彼女』は自分の空間でそれを見ていた。


 マイトを転職させた女神である。彼女がマイトと邂逅したときとは違い、風景は夜に変わっていた。


 深い青と黒を溶かしたような空に、白い月が浮かんでいる。


 女神は月明かりの下で浮遊し、目の前の空間に浮かびあがった映像を見つめている。


 仄かな光を放つその映像の中には、青髪の少女について歩いていくマイトの姿があった。


「……何を見ているんですか? ルナリス姉さま」


 女神の後ろの空間が歪み、姿を見せたのは――金色の髪と灼眼を持つ、女神と瓜二つの女性だった。


「あなたの信仰者が、英雄マイトに声をかけました」

「そうですか。レベル3の人間が、英雄に恐れず声を掛ける……興味深い光景ですね」

「イリス、あなたがそう仕向けたのではないですか?」 


 イリスと呼ばれた金色の髪を持つ女神は、姉と呼んだ相手にただ微笑を返す。


「私は英雄ファリナを見ていましたので。母国に帰ってからの彼女の姿を見てみますか?」

「それは私の管轄ではありません」

「あの四人の中で、どうして姉さまは『盗賊』の彼を選んだのですか? それに転職などという、理を曲げるようなことを許して……」

「私の力だけでは理を変えることはできない。彼が転職することを、この世界が許したのです」

「……その思い入れが、主の意志に背くことのないように願いますよ」


 イリスはルナリスの見ている光景を一瞥し、さほど興味もないかのように、この場から去ろうとする――しかし、その前に。


「あなたは、ファリナたちにマイトの選択を知らせたのですか?」


 問いかけに答えは返らなかった。空間が歪み、イリスの姿が消える。


 ルナリスは再び、映像を注視する。


 ――やがてその目が見開かれる。マイトがその手に鍵を生み出し、箱を開けた。


「……あの地域の冒険者では、通常は開けられない箱。それをあの鍵で開いた……やはり……」


 空中に浮かび上がっていた映像がかき消える。


 ルナリスは自分の身体を抱くようにする。そして震えるような、ささやかな歓喜を込めた声で言った。


「『レベル1』に『戻った』のではなく……マイト、あなたは……」



   ◆◇◆


「っ……マ、マイト……さん? 箱の中身、何だかすごくない……?」


 古びた木箱の蓋を開けると、銀貨がゆうに百枚くらいと、金貨の袋が入っている。そしてポーションのような丸底の瓶と、魔石のついたレザーのブレスレットが入っていた。


「……これからは貴殿をマイト殿と呼ばなくてはな」

「それじゃただの現金な人じゃないですか……ああ、でも、パンの皮と菜っ葉のスープからは卒業できるんですね、これで」

「あっ……ち、違うのよ、貧乏とかそういうわけじゃなくて、もしものときのために倹約をしてたのよ」


 急に態度が変わった三人を見て、ふぅ、と思わず息をつく。


 察してはいたが、そろそろ言ってもいいだろうか――彼女たち三人の、冒険者としての率直な印象を。


「まあ……三人を見てれば、仕事はスムーズには行かなそうだってのは分かるよ」

「くぅっ……何ですって……!」

「い、言いましたね……言ってはいけないことを!」

「下手に出ていれば付けあがってくれる……!」

「分け前については俺の一存で決められるって、そこのリスティが言ってたんだけどな」


 俺の機嫌を損ねない方がいい、なんて意地悪を言ってるようだが、ここは心を鬼にする。


「くっ……す、好きにしろ! この身体は屈しても、心までは汚されない!」

「か、身体……そういう話になってるんですか? 私も求められてますか?」

「そ、そんなこと、私に聞かれても……」


 さっきまでクールそうに見えたプラチナだが、すでに涙目になっている。他の二人も顔が真っ赤だ――レベル1の相手にここまで言われれば、さすがに堪えるか。


「……分かってるわ、私だってそんなに都合のいい話はないと思ってたもの」

「いや、俺の取り分は一割でいいよ」

「半分、いえ、七割くらいで勘弁してもらって……えっ?」


 ナナセは目を丸くする。俺は銀貨を三枚手に取り、それを彼女たちに見せながら言った。


「ひとりあたり銀貨一枚ずつ。それが俺の考える正当な代価だ」

「そ、それでは、見つかった宝の十分の一にも……」

「箱を運ぶのも大変だったろうし、俺としても有り難かったから。また何かあったら相談してくれ。さっきのは悪かった、脅かしてごめんな」

「……マイト」


 ちょっと格好つけすぎたか――説教してるように思われても何だし、そろそろ退散した方がいいか。


 ポーションの中身とか、ブレスレットの性能とかが気になったりはするが、同じパーティでない以上は干渉しすぎてはいけない部分だ。


 ――そう考えて、立ち去ろうとした時。


 首の後ろがちりつくような感覚。『盗賊』でなくなっても、魔物からの殺気を感じなくなったわけじゃない。


「出てきちゃったわね……もう一度、森の奥に追い返してあげる」

「えっ、ちょっ……弓とか持ってるんですけど、あのゴブリン……ッ、それに、何か大きいのも……っ」

「案ずるな、私が守ってやる。白銀の閃光の守りを見せてくれよう」


 攻撃が得意そうな二つ名なのに守備型なのか――と突っ込みはさておき、期せずして、転職して初めての戦闘に突入してしまった。


 レベル1で、魔法職の賢者。ファイアボールも使えない俺は、普通に考えれば戦力にならない。


 なのに、どうしてか。少し離れた場所から姿を見せたゴブリンたち、そしてゴブリンの親玉らしいホブゴブリン。彼らの姿を見ても、こう思った――全く負ける気がしないと。

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