後編

「で、どういうことなの?」

「どういう、とは」


 場所は変わって勝手知ったるエンリーハ先輩の部屋。


 ソファに座らされた私は、隣のクッションが沈むのを感じてもそちらを見られないでいた。


 しかしいつまでもそういう風にしているわけにもいかない。意を決して、足を組んで隣に座るエンリーハ先輩を見る。先輩はソファのひじ掛けにひじをついてこちらを見ていた。


 その爬虫類のような縦に長い瞳孔が、今だけは恐ろしく感じられる。


 いや、別に私は悪いことなどひとつもしてはいないのだが、なんだか雰囲気的に恐ろしい気持ちを抱いてしまっているのだ。


 エンリーハ先輩はいつものようにへらりと笑うけれど、目は笑っていない。怒っている人間によくあるやつだ。


 しかし「どういうことなのか」と問い詰められるように聞かれても、なんと答えればいいのかわからない。


 より正確には、「なんと答えれば適切なのかがわからない」といったところだろうか。


 エンリーハ先輩を怒らせるのは本意ではない。既に怒っているようだが、その火に油を注ぎたくない。それは、人間が抱く感情としてなんらおかしくはないはずだ。


 私が言葉を探している時間に飽きたのか、エンリーハ先輩が先に水を向ける。


「なんでデートしてたの?」

「デート……じゃない、です」

「ああ、練習……だっけ?」


 私は我が意を得たりとばかりに何度もうなずいた。


 けれどもエンリーハ先輩はそんな私を見て深い深いため息をつく。


「――んなわけないじゃん」

「……え?」

「どーせマツリちゃんのこと真っ向から誘えないから、『デートの練習』とかいうこすい技を使ったってところでしょ」

「そんなことないと思いますけど……」

「そうだって」


 私に頼みごとをしてきた彼とはそれほど親しいわけじゃない。好意を抱かれる心当たりもない。


 エンリーハ先輩はなにか勘違いをしているようだ。


 エンリーハ先輩はまたため息をついた。


「ふざけてるよなあ。オレのつがいに手ぇ出すとか……」


 私はエンリーハ先輩の横顔を見た。イラ立ちを隠しきれていない顔だ。


 しかしカフェでのときのように、私はエンリーハ先輩の言ったことが理解できずにぼうっと先輩の横顔を凝視する。


 聞き間違いでなければ、今先輩は「オレのつがい」と言った。話の流れから判断するに、「オレのつがい」が指す人間は……私?


 ……いや、聞き間違いかもしれない。だって私はエンリーハ先輩の「つがい」なんかじゃなくて、ただのセフレなのだから。


 きっと、そうだ。


「マツリちゃんもさあ、オレのつがいなんだからちょっとはそういう意識持ってよね」


 呆れた顔をしてこちらを見るエンリーハ先輩。


 一方、二度も「オレのつがい」という単語を聞いた私は思考をフリーズさせた。


 青天の霹靂だった。


「つがい……?」


 思わずうめくように問えば、今度はエンリーハ先輩が不思議そうな顔をする。しかしすぐに合点がいったという表情を作って、私に説明してくれる。


「人間はあんまり『つがい』って言わないかー。『夫婦』とか、『伴侶』って意味ね」


 いえ、私が聞きたい説明はそれじゃないんですが。


「婚姻届けを出していないので『夫婦』とか『伴侶』という呼び名は適切ではないのではないでしょうか」


 いや、別に私が言いたいのはそういうことじゃないんだけれども。


「マツリちゃんは割と形式にこだわるタイプなんだね? 別に役所に認められてなくても夫婦にだって伴侶にだってなれるでしょ」


 まあ、それは正論なんですけれども。


「私って……せっ、先輩の……つがい、なんですか?」


 つっかえながらもなんとか確信を口に出すことができた。


 そんな異様とも言える私の様子から聡明なエンリーハ先輩はなにかを――いや、正確に私の考えを悟ったらしい。


「は?」


 エンリーハ先輩の口から珍しく間抜けな声が出た。


 そしてそのあと、わざとらしく腕を組んで眉間にしわを寄せて私を見る。


「マツリちゃん……もしかして――」

「ご、ごめんなさい……」


「怒らないでください」。私が蚊の鳴くような声で言うと、エンリーハ先輩はみたび深いため息をついたのだった。



「じゃあ、なに、オレって可愛い後輩をセフレにするようなヤツに思われてたってこと? 傷つく~」


 かくかくしかじか……とこれまでの経緯を説明すれば、エンリーハ先輩はまた盛大に溜息を漏らした。


 私はなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。が、冷静になって考えてみれば、私にばかり落ち度がある話でもないと思うのだ。


 エンリーハ先輩は、あの日初めて行為に及んだ日に私が「つがい」になったと思い込んでいた。けれども――。


「言われないとわかりません!」

「言わないとわからないの?」

「そ、そりゃそうでしょう……? 確かにそっちのほうの国ではあんまり『お付き合いしてください』とか言わないらしいですけれども……『好き』とか『恋人になって』とか言われなきゃわからないですよ!」

「『好き』って言ってなかったっけ?」

「聞いてないです……」


 エンリーハ先輩の言葉に私は脱力する。


 私の国では「恋人同士」という状態に至るにはまず「お付き合いしましょう」「いいですよ」というところから始まる。


 しかしエンリーハ先輩の母国を含むこちらのほうの国では、あんまりそういうやり取りを経て「恋人同士」になるわけではない……ということは知識としては知っていた。


 ただ、明らかに私の身にはついていなかった。完全に見落としていた状態だったわけである……が。


「先輩はなんでそんなに自信満々に『つがい』だって思ってたんですか?」

「えー? 普通にヤってるときに脚絡めてきたら両思いだと思うでしょ?」

「え……? ……いや、わかんないです」


 本気でわからなかったのでその通りに答える。


 行為の最中に脚を絡めていたことくらいは記憶している。記憶している、が、果たしてその行いがイコール両思いとなるのかが私にはさっぱりわからなかった。


 エンリーハ先輩は一瞬ぽかんとした顔をしていたが、少しだけ眉間にしわを寄せて説明してくれる。


「オレたち竜人には尾があるでしょ? で、ヤるときはその尾を絡めてするの。でも人間には尾はないでしょ? でもマツリちゃんは脚絡めてきてオレの尾に触ってたから……」


 正直に言えば「え?」という感じだった。呆気に取られる、とはこういうときにこそ使うべき言葉なのだろう。それこそ一〇年くらい封印してから満を持して使うべきだと思うくらい、私は呆気に取られた。


「ぶ、文化が違いすぎてそんなのわからないですよ……!」


 誤解は解けた。いともあっさりと。


 しかしこれまでの私の葛藤はなんだったんだろうと思う。


 早々に両思いになっていたのに、ずっと片思いだと思って、しかもちょっと自己陶酔が入った思考とかしていて……ああ、恥ずかしい!


「こういうこといちいち言わないと伝わらないのめんどいね」

「めんどうくさがった結果がコレですよ?! 先輩も反省してください!」

「あはは」


 あはは、ではない。しかしそう言う気力すら今の私には残っていなかった。


「もう私に言っていないこととかないですよね……?」

「んー……」

「あるんですか?! この際だからもう言っておいてください!」


 逆切れしている自覚はあったが、恥ずかしすぎてどうしてもそういう勢いになってしまう。


 しかし次の瞬間には沸騰していた私の顔から、さーっと血の気が引くことになるのだった。


「一応、人間の国だから手順踏んでからって自重してたけど。マツリちゃんとするときにいつも妊娠させてえ~って思ってたんだ。……マツリちゃんの言う通り、ちゃんと言ったんだから、もういいよね? 子づくり解禁ってことで」


 よくない。


 しかもまた文化の違い的なそれを感じる……!


 しかしエンリーハ先輩のことはこんなしょうもないゴタゴタがあっても好きという気持ちが消えなかったので……恐らく近い将来、私は先輩との子供を産むことになるんだろう。そういう予感だけは、強くあった。


 果たして私は無事故郷に帰ることができるのか。それは神のみぞ知るところと言ったところだろう。

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