第18話 皆を守る霧の魔法使い
そこには、見慣れた霧の魔法使いが立っていた。
「……ミストさん?」
「あっ! ルーチェちゃん! あー! 良かった! いきなりドロレスさんがにゅっと現れたらどうしようかと思った!」
「な」
あたしは隠し持つ杖を強く握りしめる。
「何か?」
「被験してもらった日数の代金、支払われてないでしょ? これ」
「えっ」
膨らんだ封筒を渡され、中身を見てみる。領収書がついてる。一週間に線が引かれ、三日となっている。ゼロがいち、に、さん、よん……
(……あれ、今月もうバイトしなくても良さそう……)
「実験できたのは三回だけだったけど、結構いいデータ取れたみたいだよ。ありがとうだって」
「……はあ」
「うん。それで改めて」
ミストが帽子を外し、お辞儀した。
「この度は、我が魔法調査隊にご協力頂きた、誠に感謝しております。短期間ではございましたが、誠にありがとうございました」
「……」
「……っていう挨拶回りね。今、人手不足で私が回ってるってわけ」
「……あの、皆さん、だ、大丈夫、で、で、でしたか?」
「ああー……何人か精神病院に運ばれたけど、でも大丈夫。ほら、女の子が侵入しちゃってたでしょう? あれの処理に追われたディクステラ隊長が魔法使うの止めてくれたから、なんとか最小限の被害で済んだよ」
(……あ、そういえばいたな。あの子、何だったんだろう?)
「あー、それと、ルーチェちゃん、ディクステラ隊長がね?」
「はい?」
あたしの目が輝いた。
ミランダ様は片目を痙攣させた。
セーレムは興味深そうに――優秀ノートパソコンの匂いを嗅いだ。
「実験ご協力お礼がてら、ルーチェちゃんの部屋にあった家具の一部を贈呈するようにと! あ、ドロレスさん! お邪魔してます!」
(の、ノートパソコンと……マイクと……新しいヘッドフォンと……あと……あと……!)
ランニングマシーン。
「うびゃぁあああ……!!」
あたしはミストの両手を抱きしめるように握った。
「ありりりありがとうございます!!」
「喜んでくれてよかったー!」
「ミランダ様! 置いていいですか!?」
「返却」
全ての家具達にミランダ様が杖を構えた。あたしはミランダ様を必死に抑える。
「駄目です! ミランダ様!」
「どこに置くんだい。こんなでかいの。いらないよ。ルーチェ、私の家だよ!」
「で、で、でも、ぱ、パソコンはブログ用に使えるし! 動画ももっとクオリティ高く編集出来ます! メールも出来ます! 事務作業が出来ます! あと、あと、ヘッドフォンとマイクで録音が出来ます! それ、それと、ら、ら、ランニングマシーンは……ダイエットが出来ます!」
「っ!」
――倉庫にランニングマシーンが置かれ、リビングの隅にノートパソコンや録音機器一式が置かれた。あたしは光り輝くこの子達をうっとりと見つめた。
「これで……もっと小説が書ける……!」
「発声の練習じゃなかったかね?」
「うびっ! も、もちろん、録音して、発声練習に使います! 動画を見るためや、小説に使おうなんて、お、お、思ってません!」
「なら良いけどね」
「それと、もう一つあってねー?」
「もう一つ……?」
「オープン!」
ミストが布をめくると、鳥かごに入った白いフクロウが顔を上げていた。あたしははっと息を呑み、鳥かごに近づく。
「もしかして……アウルさん?」
「ホー」
「……えっと、なぜここに?」
「なんかねー? 隊長がルーチェちゃんの使い魔として連れて行けってー」
「……使い魔?」
「このお爺ちゃん、前から死ぬなら外で死にたいってずーーっと言っててさ? だったらルーチェちゃんのこと気に入ってたし、老後の人生……あ、鳥生? 可愛い女の子のボディーガードとして過ごした方が幸せなんじゃないかって」
「……え、で、でも……」
ミランダ様を見る。ミランダ様の顔が言う。お前には早い。まだ駄目。元の場所に返してきなさい。
「……あの、こ、断わったら、アウルさんはどちらに?」
「大丈夫。元のお家に戻されるだけ。魔法調査隊の一員として、死ぬまであそこで働いてもらいます」
「……えっと、アウルさんはどうしたいですか?」
「……」
「あれ? アウルさん?」
「あ、ルーチェちゃん、魔法の契約解除してるから話せないよ。そうしないとルーチェちゃんが契約できないでしょう?」
「あ……そっか」
この場で答えを聞くことは出来ないのか。アウルがあたしを見てくる。
(アウルさんの意見を聞きたいんだけど……あ、そうだ)
「……セーレム、アウルさんの言いたいことわかる?」
「フクロウと喋ったのはネズミの取り合いをした以来だ。よお。鳥公。俺、セーレム様ってんだ。俺がこの屋敷で一番偉いんだけど、あんた誰?」
「ホー」
「え、何それ」
「……。ポォー。……」
「ルーチェ、こいつ、ここに置いてくれたら、ご飯が美味しくなる方法を教えてくれるって! 俺、美味しいご飯食べたい!」
「そ、それは、あ、あ、アウルさんが、ここに置いてほしいって願ってるってこと?」
「え? なんかよくわかんねえけど、役に立つって言ってるよ。お前の知らないことも知ってるから、ご飯と寝床さえ用意してくれたら色んな話が出来るって」
「アウルさんが言ってるの?」
「うん。ジュリアの苦手な食べ物はピーマンと人参だって。ミランダと同じかよ。仲良しだな」
(……アウルさんは、逃げられないあたしに逃げろと助言をくれて、話を聞いてくれて、助けてくれた。……貴方がそう言うのなら……)
あたしは強い眼差しでミランダ様を見た。しかし、ミランダ様は首を振った。止めておきなさい。お前、餌代は誰が出すと思ってるんだい。あたしは鳥籠をミランダ様に向けた。ミランダ様は首を振った。駄目。面倒見きれないだろう。返しなさい。あたしとアウルが一緒にミランダ様を見た。ミランダ様が首を振る前に、アウルが鳴いた。
「ホー」
「ジュリアからルーチェを守ってくれるって」
「ジュリアがそいつを送ったんだよ。監視役だよ。監視役」
「ミランダ様!」
あたしは鳥籠の横で勢いのまま土下座した。
「この、こ、この方は、あ、あたしが、狂わないように、羽根を一枚犠牲にしてくれました! おんっ、恩があります! これが恩返しになるなら、この方を、ここに置いていたたた、いただきたいです!」
「え? 羽根? アウルさん、ルーチェちゃんに魔力の羽根をあげたの? 私にはくれなかったくせに!」
「ホー」
(ん? 魔力の羽根?)
「……そのフクロウ、魔力持ちかい」
ミランダ様が鳥籠を覗いた。アウルの羽は白く光っている。ミランダ様が睨み目でアウルを観察した。
「……お前、使い魔の意味をわかってるんだろうね? 主の側にいて、主の分身となり、時には主のための犠牲となる。組織の鳥としてやってた方が自由が利くんじゃないかい?」
「……」
「……お前もわかってるはずだよ。ルーチェが……」
ミランダ様がアウルに声をひそめて言った。
「どうなっても知らないよ」
鳥籠の扉を開けると、アウルが籠から飛び出し、大きな羽を広げてリビングを飛び回る。ミランダ様があたしに言った。
「ルーチェ、腕出しな」
「え? 腕?」
「こうやって」
「こうですか?」
ミランダ様と同じように肘を曲げると、そこにアウルが硬い足をあたしの腕に引っ掛けるようにして着地した。わあ! すごい! ミランダ様がため息混じりにミストに顔を向けた。
「懐いちまってるみたいだから、とりあえず置いていきなさい。そっちの方が貴女も怒られずに済むだろう?」
「仰る通りです! やー! 助かりますー!」
(すごい! このままモフモフできる! わー! アウルさん毛がふわふわー!)
「それでは、用事が済んだので、私はこれで!」
「(あっ)み、ミストさん」
あたしは立ち上がり、ミストに向き合う。
「あの……色々と、えっと、ありがとうござ、あの、お世話になりました」
「あー、いいえー! これもお仕事ですからー!」
「……あたしが、あの、途中で、いなくなって、その、何か、言われませんでしたか?」
「ああ、大丈夫。隊長から聞いてるよ。ルーチェちゃん、ドロレスさんと喧嘩して家出してたんでしょう? ふふっ。仲直りして帰っていったから、しばらく実験には来ないでしょうって。残念だよ。もう少し話せると思ってたのに!」
ミランダ様のこめかみに青筋が立った。何も言わないでおこう。
「ちょっとの間だけだったけど、出会いは一期一会! 実験でも、見学でも、魔法調査隊に入団したいと思ったらいつでもどうぞ! 待ってるからね!」
「……あ、よ、よかったら、あの……チャット……」
「あっ! やだ! 交換してくれるの!? やったー! 友達増えたじゃーん!」
最後にチャットの交換だけして、屋敷の前まで見送る。
「本当に……あ、ありがとう、ございました」
「とんでもない。こちらこそ」
「この後も、挨拶回りですか?」
「この後は銀行強盗が立て籠もってるみたいだから、警察のお手伝い」
「あの……頑張ってください」
「もちろん!」
ミストがニッ、と笑った。
「魔法調査隊は市民の味方。今日も私はみんなも守りに行ってきます。……なーんてね!」
冗談混じりに笑ったミストが霧を放ち、その霧が空へと駆け出していった。霧が雲と同調して見えなくなっていく。
霧の魔法使いは、今日もみんなを守りに町を駆け回る。
(……ミストさんは、最後まで優しいお姉さんだったな。……ジュリアさんにあまり虐められないといいけど……)
屋敷の中からアウルが飛び出した。風が吹き、その風に揺られるように空を飛び、また戻ってくる。あたしが腕をさっきのように上げると、そこへ着地した。アウルは綺麗な青い目をしている。
「……まさか、こ、こんなことになるとは、お、思いませんでしたね」
「……」
「あの、あたし、まだまだ、っ、が、がっ、……学生ですけど、こんな、喋り方ですけど、が、がーんばるので、よろしくお願いします」
「ポー」
「……なんか、あれですね。話さないと、ほん、本当にフクロウなんですね」
あたしとアウルが屋敷の中に戻り、ミランダ様の前に膝をついて座った。アウルは地面に着地し、セーレムがあたしの膝に乗った。
ミランダ様、ありがとうございます。
「そうだよ。感謝しな。飯代を出すのは私なんだからね」
それで、ミランダ様、契約ってどうしたら出来るんですか?
「……一旦、保留にしな」
え?
「そのフクロウは生まれつき魔力を持って生まれたフクロウらしくてね、魔力持ちは魔法使いの使い魔として契約するなら存分にその魔力を活かせる、が……ルーチェ、お前は魔法使いかい?」
……いいえ。
「プロとなってからでも遅くない。とりあえず学生のうちは、ペットにしておきなさい」
……じゃあ、あの、せめて、言葉を話せるように出来ませんか? あそこにいた時は、この方、喋られていたんです。
「ルーチェ、お前の部屋の左から3番目の本棚の上から2段目にある、動物魔法書を持ってきな」
え?
「もう一回言うかい? 左から3番目の本棚の上から2段目。動物魔法書」
ひ、左から3番目の上からいち、に、2段目……あ、も、持ってきます……。
「これ、どこ行くんだい。杖は何のためにあるのさ。このぼんくら!」
あっ! ひぃ! すいません!
あたしは杖を構えた。よーし!
「扉を開けて、左から1、2の3番目。上から数えて2段目の、動物魔法書姿を見せて。あなたがきっと役に立つ」
あたしの魔力が部屋へと流れていき、ずっと眠っていた魔法書が棚から引きずられるように出てきた。なんじゃ。わしに何の用じゃ。長らく眠っていたのに。ふわああ。ふわふわ浮いて、あたしの手にやってきた。カビ臭い。
(こんな本あったんだ……)
ミランダ様が指を鳴らすと勝手にページが開かれた。うわあ! やっぱり無詠唱で魔法使えるのかっけー! ミランダ様の魔法、何度見てもすごい!!
「ここ」
「耳の幻聴作用による呪文……え、言葉しゃ、喋ってるわけじゃ、ないんですか!?」
「お前猫語を話せるのかい? すごいねぇ。……魔法は魔力分子を組み合わさって形となるんだよ。セーレムが喋ってるように聞こえるのは、魔法が私達の耳にかかってるから」
「えへぇ……。……でも、アウルさんの言葉は聞こえません」
「そりゃ、元雇い主の契約解除の際に、そのアウルってフクロウの声を言葉として認識する魔法をも解除しちまったようだから、そうだろうね」
「なるほど」
「出来るね?」
「やってみます」
集中して。魔力をアウルに向けて。アウルの声を言葉として認識する。
「汝の声は言葉となりて、耳に入れば形が読める」
あたしの杖から魔法の粉が飛び出し、アウルにかけられた。粉がアウルの中に入っていくと、アウルが首を傾げた。
「ホー。まだしばらく鍛錬が必要そうだな。ルーチェ」
「わっ! すごい! 少しノイズ入ってるけど、聞こえます!」
「力みすぎだね。力抜いてやってごらん」
「……汝の声は言葉となりて……耳に入れば形が読める」
「……どうかな」
「あ、さっきよりは綺麗です!」
「さっきよりはね」
「練習します! アウルさん、また話せてう、嬉しいです!」
「助かったよ。俺にあそこは窮屈でね。ここの方が気楽で良さそうだ。気に入ったよ」
アウルがミランダ様を見上げた。
「世話になる」
「……騒ぎを起こしてごらん。小麦粉を沢山つけた唐揚げにしてやるからね」
「言っとくけど、俺の方が偉いからな! わかってる!?」
「ああ、ああ。わかったよ。セーレムと言ったかな。あんたの邪魔をする気はない。俺の飼い主はルーチェだからな」
「よろしくお願いします!」
「ちなみに、ルーチェ。あの木には、既に住んでいる者はいるのか?」
(木?)
アウルが屋敷の窓から見える木を眺めている。窓を開けると、アウルが飛び出し、木に止まった。
「……こいつは良い。最高の寝床だ。空気が美味い。森の匂い。木の匂い。俺はここで寝ることにするよ。だが、その籠は取っておいた方がいいだろう。俺を持ち運ぶ時に便利だぞ」
「ですって。ミランダ様」
「倉庫に入れときな」
「はーい。あ、ミランダ様、ランニングマシーンやりませんか? 操作の仕方教えます」
「……念の為聞いておこうかね」
「教えます!」
あたしとミランダ様が倉庫に歩いていく中、セーレムがそわそわした様子でアウルを観察する。アウルは風に当たり、呟く。
「そうか。今の季節は……秋だったか」
――険しい表情でランニングマシーンに乗るミランダ様にボタンを教えていく。
「ここで動きます」
「動いたね」
「スピードを上げます」
「なるほど」
「さげ、下がります」
「ふむ」
「ここで止まります」
「ほう」
「以上です」
「……やってみるかね」
(うおおお! ミランダ様のランニングマシーンチャレンジ!)
あたしはスマートフォンのムービー機能を起動させた。
(どうぞ! ミランダ様!)
ミランダ様が深呼吸し、カッ! と目を見開き、電源ボタンを押した。スタートする。スピードを上げていく。走り出す。全力疾走する。
(うおーーーー! ミランダ様が走ってるーーーー! あっ)
ミランダ様が足を滑らせた。
(ひゃっ!)
ミランダ様が宙に浮き、転倒を回避した。
(すげー! これが魔法使いの転び方!)
「……これ、意外と楽しいね」
「楽しいですよね! あたしもトレーニングが必要だと思ってたので、こういうのがあるとすごく助かると思って!」
「トレーニングね。それなら森を走れば……あっ」
「え?」
「ルーチェ」
ミランダ様が振り返った。
「それだ」
「え?」
「トレーニングだよ」
「はい。トレーニング……」
「次、ジュリアが会いに来たら、こう言いなさい」
ミランダ様があたしに助言した。
「……え、でも、それ……」
「それならあの女も納得するさ。流石にね」
「……」
「ルーチェ、変人には変人で返さないと相手は引かない。押されていく一方さ。ここいらでちょいと転ばしてやろう」
ミランダ様がニタリと笑った。
「我ながら素晴らしいアイデアだよ」
(貴女は鬼のように恐ろしい……)
ミランダ様の笑みは、しばらく消えなかった。
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