第6話 霧の訪問者


 あー、筋肉痛がやばーい。


(学校つらーい)


 ひりひりする太ももの痛みに耐えながら席に座ると、暗い顔をしたトゥルエノが隣に座ってきた。


「あ、トゥルエノ」

「……ルーチェ、昨日は、あの……」

「おはよー。昨日? 帰り大丈夫だった?」

「……反省してるの。ついていくのは、流石に良くなかったって」

「ああ、だ、大丈夫だよ」

「怒ってない?」

「全然。むしろこえ、声かけてくれたら良かったのに」

「や、デートの邪魔をするつもりとかはなくて……ただ、心配だったっていうのもあって……でも、良くなかったって思ってる。ごめん。ルーチェ」

「あー……でも、本当にあたしは何も思ってないし、気にしないで?」

「ルーチェ……」


 トゥルエノの目に涙が浮かび、あたしの腕に抱き着いた。


「絶交されたらどうしようかと思った!」

「全然。それよりトゥルエノ、今度一緒にす、す、スポーツせ、センター行こうよ。楽しかったから」

「いいよ! 全然行く!」

「トランポリンで魔法とか使ってみたいよね。魔法専用のスポーツせ、センターとかないのかなあ?」

「あったと思う。冬休みとかに行く?」

「あ、行きたい」

「いいよ。一緒に行こう」

「やった。……アーニーちゃんとアンジェちゃん、どこで会ったの?」

「パンケーキ屋で見かけて……私と同じ行動してたから、声かけたの。そしたら、本当に目的が同じだったから、だったら一緒に行動しようってなって……」

「すごい。スパイみたい!」

「クレイジー君にもチャットで謝っといたけど……今日直接会いに行く予定」

「トゥルエノって……そういうとこ偉いよね。ちゃんとひ、ひ、非を認めて、謝りに行くって……」

「や、当たり前だよ」

「ううん。出来ない人いるじゃん。悪いのに認めず自分を棚に上げる人」

「そういう最低な人にはなりたくないから」

「トゥルエノのそういうところ好き」

「ありがとう。でも、本当に悪いことしちゃったから、ルーチェ、なんかお菓子おごらせて?」

「あ、だったら珈琲がいいな。ブラック。飲んだら集中できるの」

「あとで買いに行くね」

「一緒に行こう」

「うん」


 予鈴が鳴った。皆が席に着き、先生が入ってくる。一限目はフィリップ先生の授業だ。


「さて、諸君、おはよう」

「「おはようございます」」

「今日の授業は滑舌。みんなも知っての通り、何度も言うけれど、しつこいと思うが、魔法使いに滑舌の悪い人はいない。滑舌は良くて当たり前。これが出来ない人はもう既に依頼は来ないし生き残れないと思いなさい」


 フィリップ先生が録音機を出した。


「みんなに原稿を配ろう。これを読んで録音し、それを聞きながら解説していくよ」

(録音かー。屋敷で最近毎日やってたけど、こういう場所だと上手くいかないから嫌なんだよな。恥ずかしいし)


 フィリップ先生が杖を振ると、原稿が一人一人に配られた。あたしも前に浮かぶ原稿を両手で掴んで読んでみる。


『鼠に悩む国の町とある日男がやってきて 

 全ての鼠をけちらした金貨五枚のお仕事さ

 しかし金貨は貰えずに人間みんな男を無視した 

 怒った男は笛を吹き子供を連れていったのさ 

 子供は手紙を残したよ海を泳ぐと書いたのさ

 散歩に出ると書いたのさ三日月の夜には月明かり

 光り輝くあなたに会いたい』


「初見読みが苦手な人が大半だと思います。では、答えられる人はいるかな? なぜ読む際に、言葉を躓かせるのだろう。なぜすんなり読めないのだろう。原因は二つ考えられる。一つ目、口が慣れてないため、母音の『あいうえお』がちゃんと発音できない。二つ目、目が追い付かない。目で追っているといずれどこを読んでいるかわからなくなる。だから、滑る。躓く。これを私達は『言葉を噛む』と言っている。別に言葉なんて噛めないのにね。なぜ噛むという言葉が出来たのかは私にもわからない」


 みんなが小さくクスッと笑った。


「ならばどうするべきか。この原因を埋めれば噛むことは圧倒的に少なくなるということ。この対策は人それぞれ。しかし私がみんなにアドバイスするならば、こう言おう。文節ごとに線を入れるなり、印を入れるなりしてみたらどうだろう、とね」


 フィリップ先生が線を入れてみた。


「さあ、一度真似してもらおうか」


 あたしは真似をして線を書いた。


『鼠に/悩む/国の町/と/ある日/男が/やってきて/

 全て/の/鼠を/け/ちらした/金貨/五枚の/お仕事/さ

 しかし/金貨は/貰えず/に/人間/みんな/男を/無視/した 

 怒った/男は/笛を/吹き/子供/を/連れて/いった/の/さ 

 子供/は/手紙/を/残した/よ/海/を/泳ぐ/と/書いた/の/さ

 散歩/に/出る/と/書いた/の/さ/三日月/の/夜に/は/月明かり/

 光り/輝く/あなた/に/会いたい』


「どうだろう。これだけでも違うんじゃないかな?」


 あたしは感心した。すごい。これなら読める。


「だが、まだ躓くと思うよ。ふむ。では次だ。区切った頭の文字に目を置くようにしてごらん。鼠なら『ね』。悩むの『な』、国の町の『く』。ふりがなの印を書いてもいい」


に/む/の町//る日/が/ってきて/

 て/の/を//ちらした/貨/枚の/仕事/さ

 かし/貨は/えず/に/間/んな/を/視/した 

 った/は/を/き/供/を/れて/った/の/さ 

 供/は/紙/を/した/よ//を/ぐ/と/いた/の/さ

 歩/に/る/と/いた/の/さ/日月/の/に/は/明かり/

 り/く/なた/に/いたい』


「ちなみに、音読はまだだ。その前に、これをあいうえおで言えるかい?」


 あたしはやってみた。よくわからなくなった。


「この時点であいうえおが言えてない人は必ず言葉を噛みます。私達の言語は結局あいうえおの前に子音が来て初めて文字となる。口があいうえおの形になってない以上、文字は成立しない。おや、アラン。良くないね。君のしたことを教えよう。今君はとても大きく口を動かした。それに関しては褒めてあげよう。しかし、滑舌というのは、滑る舌と書いて滑舌というんだ。つまり、口の中の形が文字を作っているわけであって、それは外の唇ではないわけだ。だから口を大きく横に広げて練習したところで意味はあまりないよ。ひょっとして君は、普段割り箸を噛んで練習してるかい?」

「はい。やってます!」

「ほう。そうかい。ではアラン、教えよう。割り箸を噛むのは良いことだよ。でも感じてほしいのは口の形ではなく、口の中の状態だ。口内の頬の筋肉や、歯の位置、舌は下で固定。あいうえおという時に、舌を上げている人は滑舌が悪い人だよ。ふむ。舌を前歯後ろの位置で喋るのが正しいと言ったのはどこの誰だろうね? 口を閉じている時は前歯後ろが正しい位置になるけれど、喋る時は舌は不要だよ。もちろん、た行やな行、ら行は動かすけれど、さ行なんて動かしてしまったらたちまち空気が口から出て行って原型すら残らない。喋る時は基本舌は下に固定。そして、横ではなく、上下に口を動かして喋ってごらん。上奥歯に空気が当たるのを意識するんだ。そうして読んだら、どうなるかな? アラン」

「鼠に悩む国の町、ある日男がやってきて、全ての鼠をけちらした。金貨五枚のお仕事さ」

「とある日の『と』が抜けた。それ、印をちゃんと書かないから目が追い付かないんだ。印を書いて、今度はあいうえおで読んでごらん」

「えういいあ、ああう、う、ういお……うい?」

「えういいああうういおあい、あういおおおああっえいえ、うええおえういおえいあいあ。これで読むと、どこが言いづらい連続母音なのか、どのくらい連続しているのかがわかるだろう? だからより気を付けないといけない。体も動かしてごらん。首や頭をちょっと頷くように、『ゆっくり』読んでごらん」

「えういいああう」

「もっとゆっくり」

「えういいああう」

「アラン、もっとゆっくりだ。もーーーっとゆっくり読んでごらん」

「……えういいああう、ういおあい、あうい、おおおああっえいえ、うええおえういおえいあいあ。」

「それで子音をつけると? ゆっくりだ」

「鼠に悩む国の町、とある日男がやってきて、全ての鼠をけちらした」

(うわ! はっきり聞こえる!)

「わー! すごーい!」

「ふふん! そうだろう! でもこれも訓練だ。私はやり方を教えるけれど、それをどう有効活用するのかは君達次第だ。さあ、録音するよ。こっちに来て一人ずつやっていこうか」

(あたし絶対噛む……)


 フィリップ先生が一人ずつ録音していく。あたしの番になった。名前を呼ばれて前に出る。


「やあ、壊れたオルゴール君、久しぶりだね」

「お久しぶりです……」

「やってみようか」

「はい」


 あたしは原稿を読んでみた。フィリップ先生が頷いた。


「そうだね。君はやっぱり、早口だね」

「はい……」

「もっとゆっくり読んでごらん。冒頭だけ」

「鼠に悩む国の町、とある日男がやってきて、全ての鼠をけち××た」

「『けちらした』の『ら』と『し』が滑ったのがわかるかい?」

「わかります」

「君の場合は人とちょっと違うんだ。おそらく君は、色んな考えを持ってる脳なんだ。息を吸う、ゆっくり読む、目で追いかける、母音を読む、口から出す。この行動が人よりも慣れてないんだ。だからそれを一気にやろうとするからパニックになって緊張して、早口になって発表を終わらせようとする」

「……あー! 確かに、そうかもしれません!」

「ふふっ。だったらもっとゆっくり言ってごらん。大丈夫。私は焦ってないし、時間はまだある。そんで、じゃあ、私に伝えてごらん。一人ではなく、私に言うんだ。ゆっくりね。せーの」

「……鼠に悩む国の町、とある日男がやってきて、全ての鼠をけちらした」


 自然とゆっくりになった。あたしは今の感覚に心から驚く。


「えー、すごーい! やばー!」

「やばくないよ。それくらいが通常のスピードだと思った方が良い」

「やばいですね! すごいです! フィリップ先生!」

「ははは! 壊れたオルゴール君は相変わらず納得した時の反応が凄まじい。今年は放射線が漏れてるね。君と話す時は厚着をしないと攻撃を食らうよ」

「や、そんなことないです!」


 笑いながら否定するとみんなもクスクス笑い始める。


「今後も訓練を怠らず。魔法使いになりたいならば当然のことだと私は思います。さあ、まだ何分か残ってる。質問はないかな?」


 数分の質疑応答で授業が終わった。今日はとても為になる授業だったのではないだろうか。


(確かに印を書いたら読みやすくなって、なおかつ人に伝えようとすると自然とゆっくりの速さで読める。すごいな。やっぱり人に伝えようとして練習する方が喋りの練習になるのかも。帰ったらセーレムに付き合ってもらおう)

「ルーチェ、さっき滑舌良くなってたよ!」

「すごいね。あたしもびっくりした」

「やっぱり母音の練習大事なんだね」

「印つけるだけでも全然違ったからびっくりした。これなら目でどこ読んでるか、なんとなくわかるの」

「私もそれ驚いた。こういう作業が呪文のミス防止になったりするんだろうね」

「次調合だっけ?」

「そそっ。行くついでに珈琲会に行こう」

「賛成」


 あたしとトゥルエノが教科書とノートを持って立ち上がった。



(*'ω'*)



 フィリップ先生の授業を思い出しながら、レジをやっていく。


「(母音を意識して)いらっしゃいませー。お待ちのお客様どうぞー」

「ではこちらで1440ワドルでございまーす。はい、2000ワドルおあうかりしまーす。(あ、zが言えなかった)560ワドルのお返しでーす。あざまーす。(めっちゃ早口だし、めっちゃ滑った。もっとゆっくり意識……)いらっしゃいまー……(うわ、めっちゃ混んでる! 急がないと! 商品レジ通して、お金預かって、渡して、)あざましたー! お次のお客様どうぞー!(やばいやばいさばかないと!)」


 レジでゆっくりなんて言えない。練習出来ない。意識できるとしたら母音くらいかな。でも混んだらそんな余裕も出ない。


(あー、疲れた……)

「お、ルーチェちゃん、お疲れ様でーす!」

「あれ、先輩、上がりですか?」

「外、見てみなよ」

(うん?)


 事務所の窓から覗いて、やっと気づく。うわ!


「霧だ」

「なんか妙に濃い霧が出てるんだとさ。ちょっとカメラ回して来いって上司から連絡入ってたから、早上がり」

「お疲れ様です」

「新手の異常気象かな。最近妙な事多いから。ルーチェちゃん、帰り道気を付けなよ!」

「はい。先輩も」

「じゃ、お疲れ様でーす!」

(霧か。珍しいな)


 あたしはミランダ様にチャットを打つ。


 <ミランダ様、お疲れ様です。今バイト終わりました。何か買ってくるものはありますか?


 すぐに既読が付いた。


 >私も今帰ってきたばかりだから夜ご飯がまだなんだよ。食材もあまり残ってなくてね、鶏肉が切れてるから必ず買ってきておくれ。

 <わかりました。セーレムのお菓子はまだありますか?

 >それは大丈夫そうだよ。

 <野菜とかも買っておきますね。

 >頼んだよ。

 <承知しました。


(鶏肉はうちにないから……おかず買っておくか。調味料はまだ大丈夫だったはず。あ、これ美味しそう)

「あ、ルーチェちゃんお疲れ様。ちょっと安くしようか?」

「え、いいんですか? お願いします!」


 同じバイトの人に安くしてもらった食材をいくつか買い物バッグに詰め込んで、ほくほくしながら外に出る。


(わあ、まじで霧じゃん……)


 あたしは辺りを見回す。


(スーパー寄って鶏肉買わなきゃ)


 あたしは濃い霧の中を歩いていく。


(あれ、道が見えなくなってきた。やばくね、これ。車の音もしないし、人の気配もない)


 足音が響く。


(あれ……スーパー……こっちの道で合ってるよな……?)





「ルーチェ・ストピドさんですね?」





 振り返ると、灰青色の魔法使いの帽子を被った女性が立っていた。


(え、誰だろう?)

「初めまして」

「ああ、えっと……」

「お迎えに参りました」

「は? 迎え……ですか?」

「ええ。ディクステラ隊長から連れてくるようにと」

「(ディクステラ? ……あ)……あー、ジュリアさんですか?」

「この度は、実験のご協力ありがとうございます」

「……実験?」

「それでは行きましょう」

「えっ」


 女性があたしの手首を掴んだ。


「あの」


 女性があたしに杖を構えた。


(え、何が起きて……)

「霧よ」


 口が動く。


「意識を飛ばせ」












「ミランダ、ルーチェの奴、まだ帰ってきてないの?」

「……電車でも逃したかね」


 ミランダが魔力を風に乗せて、ふう、と息を吐いた。風よ、ルーチェの居場所を教えておくれ。魔法が中断された。


「……?」


 ミランダがもう一度やってみた。魔法が遮断された。


「……」

「はあ。なんだか眠たくなってきた」

「セーレム、留守番頼むよ」

「なんだよ。ルーチェの奴、やっぱり終電逃したわけ? あいつぼけてるからなー」


 ミランダが大股でリビングから出ていった。


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