第14話 完璧な氷の魔法使い


 翌日――あたしは頭を押さえながらスマートフォンで先輩に連絡する。


 先輩……あの動画……何なんですか……。

『あ、見た? いやぁー! すごかったよ! ミランダ、パルフェクト、ジュリアの第三スターの集まった姿!』

 いや、そこじゃないんですよ……。あたしが言いたいのは……。


 クラスメイトが興奮気味に動画を見ている。そこからは「おねぇーちゃん大好きーーー!」というあたしの声が聞こえる。


『いやあ、わかるよ。ルーチェちゃん。パルフェクトって包容力があるから……お姉ちゃんって言いたくなる気持ち、わかる。なんだよ! ファンクラブの一員ならそう言ってくれたら良かったのに!』

 ファン……クラブ……っすか……?

『あれだろ? パルフェクトファンクラブの妹組って言われてるやつだろ?』

 なんすか……。それ……。

『あれ? 違うの? パルフェクトの妹になりたい人達が集まったグループだよ』

 そんなのあるんですか……?

『パルフェクトのお姉ちゃんになりたい姉組っていうのもあるぞ』

 いや、もうなんか、もう………はい。もう……いいです……。

『そうだ。ルーチェちゃん。昨日ミランダ・ドロレスに送ってもらってただろ。飛行魔法乗りたがってたし、……どうだった?』

 ……それが……その……あんまり覚えてなくて……。

『感動しすぎて忘れちまったか! あははははは!』

(ああ、頭痛い……なんだこれ……吐き気するし、ぐらぐらするし、気持ち悪い……)

『今度またラーメン食いに行こうよ! じゃ、取材あるから!』

 はい……。


 あたしはスマートフォンを切った。


(ああ、まじで駄目だ……。午後まで持たない……)


「ルーチェ、バイト帰りだったの? 大変だったね」

「ね、パルフェクト先生どうだった?」

「ミランダ・ドロレスどうだった!?」

「ジュリア・ディクステラと話した!?」

 ……気持ち悪いから保健室行ってくる……。

「おばさん、大丈夫?」

 おばさんって言わないの。……心配してくれてありがとう。


 あたしは教室から出ていき、保健室へ繋がる廊下を歩く。


(ああ、ふらふらする……。まじで感じたことのない気持ち悪さ。妙に下痢気味だし、ミランダ様は引き籠もって部屋から出てこないし、セーレムはのんびり忙しない同盟がうんたらかんたらって言ってるし、気前の良い先輩は動画投稿サイトに動画載せるし、しかもその動画に映ってるあたしが変なこと言ってるし……何なんだよ……。みんな何なんだよ……)


「っ!」


(水しか飲めない……。気持ち悪い……。うう、また吐きそう……。まじで無理……。アルバイトは休むとして……早退しようかな……)


「ルーチェ!」


 ……振り返ると、階段を上がった先の廊下にパルフェクトが立っていて、あたしを見下ろしていた。ふわりと微笑む。


「……あと三分で授業が始まるんじゃないの?」

 ……気持ち悪くて……保健室に行くところです……。

「ああ、副作用の影響ね。昨日すごく酔っ払ってたから、二日酔いってところかな」

 ……それじゃあ。

「待って」


 パルフェクトが階段を下りてきた。


「一人だといざって時誰も助けてくれないでしょ。先生がついていきます」

 結構です。

「生徒を心配するのも先生のお仕事です」

 保健室の場所知らないくせに。

「ルーチェ♡は知ってるでしょ? 私はついていくだけですから」

 ……あ、そう。


 あたしとパルフェクトが廊下を歩く。予鈴が鳴った。さあ、授業の始まりだ。だけどあたしは保健室に行かないといけない。あたしの足が動く。パルフェクトがついてくる。あたしは黙って歩く。パルフェクトが口を開いた。


「ルーチェ」


 あたしは前を見て歩き続ける。


「昨日のこと覚えてる?」

 ……誘拐されて電気魔法で拷問されたことですか? 先生。

「あれは拷問じゃなくて、しつけ」

 どこがだよ。

「副作用で酔っ払った時のこと覚えてる? 動画であったところ」

 言わないで。もう。……まじで消えて失くなりたい……。

「ね。ルーチェ。……まだわたくしのこと、不幸な姉だと思ってる?」


 あたしは足を止めた。


「……わたくしは、確かに消えない傷を負ったよ。絶対に癒えることのない傷をね」


 でも、


「魔法使いは楽しいよ」

 ……だろうね。

「女優も楽しい。タレント業も」

 だろうね。

「わたくし、テレビでお話したり、お芝居をするのが好きみたい。でも、魔法も好き。一番好き」

 ……だろうね。

「魔法を使ってるとね、わたくしだけの氷がわたくしを守ってくれるような気がして、もっともっとって思うの。もっともっと綺麗な氷を出したい。もっともっと美しい姿で。もっともっと可憐な姿で」

 ……。

「今がね、一番充実してて、楽しいよ。ルーチェ」


 お姉ちゃんは微笑む。


「ルーチェを邪魔だなんて、疎ましいなんて思ったこと無いし、考えたこともない。むしろ……ルーチェがいたから今のわたくしがいる。ルーチェがいない人生なんて、わたくしにとって、魔法がない人生と同じくらいありえない」


 お姉ちゃんの手が伸びた。


「大好きだよ。ルーチェ」


 後ろから抱きしめられる。


「ルーチェは頑張り屋さんだから、あまり無茶しちゃ駄目。わかった?」

 ……魔法使いなんて辞めればいいのにって、言わないんだ?

「言った所で無駄でしょ?」

 ……まあ。

「本当は辞めてほしいけど」

 ……いいじゃん。別に。誰にも頼ってないし、障害を言い訳にもしてないんだからさ。

「でもね、ルーチェ。魔法使いって思った以上に危ないお仕事も沢山あるんだよ? わたくしは先生について行ってたからそういうの慣れちゃったけど」

 ADHDの話、した時覚えてる?

「……最後に会った時?」

 ん。

「うん。ルーチェとの会話は毎回録音してるから探せばデータファイルあると思うよ」

 ……。自分の言葉聞いてみたら?

「……わたくし、余計なこと言っちゃった?」

 ……。

「ルーチェ、……わたくしもルーチェと同じ。大切だからこそ幸せになってほしいの。ルーチェが苦しいなら魔法使いなんて諦めてしまえばいいのにって、そう思うの。今でもね」

 ……。

「でも、……ルーチェが、……それがいいなら」


 お姉ちゃんが口角を下げた。


「覚悟を決めなさい」


 あたしの耳にはっきりと伝える。


「生半可な覚悟じゃ、この世界やっていけないよ」


 あたしよりも経験を積んでるプロの魔法使いが、あたしに助言をくれる。


「魔法使いになりたい人は大勢いる。才能ある人がすぐに集まる。そこに健常者も発達障害者も関係ない。頑張りなんて関係ない。努力なんて関係ない。出来るか出来ないかの世界でしかない」


 厳しい世界だよ。


「それでもやりたいなら」


 お姉ちゃんがあたしの背中を押す。


「頑張って。ルーチェ」


 振り返ると――やっぱり隙のない笑顔の仮面で、ナビリティお姉ちゃんは素顔を隠していた。


「お姉ちゃんはルーチェを待ってるよ」

 ……いや、魔法使いになっても……お姉ちゃんとは仕事したくない……。

「えーー!? なんでーー!? 一緒に歌とかダンスとかして、魔法ライブとかしようよーーー!」

 は!? 絶対やだ!

「わたくし夢が出来たの! 魔法使いになったルーチェ♡と冠番組を持つの! それで、わたくし達みたいな色んな愛の形で結ばれたカップルを呼んで、トークショーをするの!」

 わたくし『達』ってなんだよ! 色んな愛の形ってなんだよ!! 

「あ、そうだそうだ」

 無視するなぁーーー!

「ルーチェ♡、これ」


 お姉ちゃんが封筒をあたしに出した。あたしはきょとんとして受け取り、中身を見て――不審な目をお姉ちゃんに向けた。


「一昨日の分のお金。わたくしが出すって言ったのに、ルーチェに支払わせちゃったでしょう?」

 ……。

「それと、ちょこっとお小遣いも」

 ……。

「ちょこっとだけだよ。1000ワドルだけ」

 ……。

「困ってるんでしょう? こういう時は素直に甘えておきなさい」

 ……見返りとか求めない?

「見返り? やだ。お姉ちゃんがルーチェ♡にしてあげたいだけなんだから、見返りなんて求めないよ」

 ……一緒に住まないよ。

「心変わり待ってる」

 ……。


(……まあ、1000ワドルだけなら……いっか)


 あたしはちらっとお姉ちゃんを見上げて、目が合って、目をそらして、でも……これだけは伝える。


「……ありがとう。……お姉ちゃん……」


 封筒で口元を隠して言うと――お姉ちゃんの目がくわっと見開かれ、即座に両手であたしの両肩を掴み――唇を押し付けようとしてきた。


「っ!!」


 ぞわっとしたあたしは手のひらを全力で広げて、両頬を挟んで押さえつけた。


「むほっ★!」

 油断も隙もない!

「ひゃっへ! ルーチェ♡ひゃへひゃふひゃひゃひゃひゃひひゃっははら!」

 貴女のそういうところだよ! そういうところが嫌いなんだよ!!

「ルーチェ♡! 一回だけ! 一回だけでいいの! むぅーーーー♡!」

 お前反省してねえだろ!! やめろぉーーー!!

「ああ! 可愛い! ルーチェ♡可愛い!!」

 やめろって離せってうわああやめろぉおおお! んんんんーーー!!


 めちゃくちゃお姉ちゃんに唇を舐められてキスされて舐められてつばだらけにされる。唇が離れると、あたしはめちゃくちゃ唇を袖で拭きまくる。


 畜生! ぐすん! ミランダ様にチクってやるから! ぐすん! ひぐ! ぐすん!

「ああ……抵抗できずに泣き喚くルーチェ♡も可愛いぃ……♡」


 ぞくぞくぞくぞく。


「ルーチェ♡、一緒に住もうって言わないから……泊まりにおいで」

 ……ミランダ様も一緒でいいなら。

「あのババアはやめて」

 ババアじゃないよ! ミランダ様は誰よりも美しいあたしの先生なんだから!!

「ルーチェ♡、悪いことは言わない。あのババアは止めた方がいいと思うの。お姉ちゃんはね、そう思うの。あのババアはね、なんか……嫌なものを感じるの」

 逆にお姉ちゃんのせいでミランダ様はふさぎ込んでるよ。どうしてくれるんだよ。

「そのまま部屋から出られなくなればいいのに」

 お姉ちゃん!

「あ、そういえばルーチェ♡もあったね。部屋に閉じこもって電話する真似してて……急に飛び出していったんだよね」


 あたしがきょとんとすると、お姉ちゃんが首を傾げた。


「覚えてる? 受話器のおもちゃ」

 ……あー。なんか持ってた気がする。

「ルーチェ♡、ずっと持ってたんだよ。受話器の相手とお話するんだって言って」

 ……ふーん。

「そしたらある日、急に血相変えて家から飛び出していったんだよ」

 ……飛び出したって、どこに?

「外に出ていっちゃったの。もう大慌てでパパとママが探しに行って、わたくしも捜したんだよ。そしたらルーチェ♡はね、すごく暗い路地裏に倒れて……寝てたの」

 ……それいつの話?

「わたくしがまだ死んでないから、もうだいぶ前」

「覚えてない」

「ルーチェ♡ちっちゃかったもん。これくらいかな?」

 ね、そんな思い出話し話すくらいなら、早く彼氏作って結婚したら?

「何言ってるの!? お姉ちゃんと結婚するのは、ルーチェ♡でしょ!?」

 もういいから。そういうの。

「え? お姉ちゃんは本気だけど」

 ……。パルフェクト先生。女と女は結婚できません。ましてや姉妹同士では結婚できません。

「ああ、大丈夫。結婚式は同性婚合法の国でやるから」

 ……。

「ん? どうしたの? ルーチェ♡、顔色が悪いよ?」

 ……お腹痛くなってきた……。

「大丈夫!? ルーチェ♡! 早く保健室に行こう!? わたくしが……いっぱい……看病してあげるから……♡」

 あ、もう結構です。お腹いっぱいです。きついです。重いです。まじで近づかないでください。お願いします。許してください。ごめんなさい。


 あたしは大股で歩き出すと、お姉ちゃんもすごく大股で追いかけてきた。お願い。やめて。ごめんなさい。やめてください。もう関わらないでください。やめてってば!! にこにこしながらぴったりくっついてついてくるな! そういうところだよ! やめろって! お姉ちゃんのばか!!


「ルーチェ♡可愛い。はあ。可愛い。本当に可愛い……。なんでこんなに、はあ、ルーチェ♡……」


 完璧な氷の魔法使いが、吐息混じりに小さく囁いた。


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