第6話 先生からの教え


 アルバイトから帰ってくると、セーレムが玉転がしをして遊んでた。


「はぁ、はぁ……! こいつ、こうしてほしいのか? はぁ、はぁ……! こうか? それともこうなのか!? はあ、はあ……!!」

「ただいまー……」

「こいつ! こう! こう! ここを、こう! ここをこうこうこう!」

(ああ、疲れた……)


 洗った手をタオルで拭き、キッチンに行くと、ミランダ様お手性のじゃがいもスープが余っていた。残してくれたのかな。今夜はこれとパンにしよう。杖を鍋に向けて、呪文を唱える。


「サラマンダー、冷めた鍋を美味しく温めておくれ」


 杖からあたしの魔力が放たれる。火のトカゲがぴょんと飛び出してくる。火のトカゲは可愛らしい間抜け面をして、鍋の中へと飛び込んだ。すると冷えていたスープに熱が加わり、一瞬にして泡と湯気を出した。んー。良い匂い。これは多分、ミランダ様が庭で育ててるハーブを入れてる気がする。わー、良い匂い! 食欲がそそられる。ついでにグラスに水を入れて、準備完了。ああ、疲れたー。働いたー。いただきまーす。


(わあ……じゃがいもスープうま……)


 パンと合わせたら美味しいんだよなあ。これ。セーレムが玉を転がしながらあたしの足元に近づき、その場で寝転がって再び玉で遊び始めた。玉があたしの足にぶつかって、跳ね返ってきたので遊び始める。


「なんだ!? やろうってか!? 上等だ! てい! ていていてい! ほれザーコー! (バコッ!!)にゃあぁんっっっ!?」

(あ、ニュース見よう。ニュースキャスターの人は滑舌が良いから参考になるんだよね)


 リモコンのボタンを押すと、モニターに電源が入り――パルフェクトの顔がドアップで映し出された。


『大好きよ!』


 あたしはパンとスープを盛大に吹いた。


『そうよ! わたくし、貴女が大好きなの!』

「げほげほっ!」

「ぽえ? あれ、ルーチェ、どうしたんだ? 大丈夫?」

『貴女のことを思うと、胸がどきどきして、もう、おかしくなりそうなの! ……ばかっ!』

「げほげほっ! げほげほっ!!」

「ルーチェ、水飲めよ。そこにあるだろ」

「ごくごくごくごく!!」

『本当はもっと側に居たかった……』

「はあ! はあ! はあ!」

『お願い。もう離さないで……ル』


 あたしは息を切らしながら番組のチャンネルを変えた。バラエティ番組に切り替わった。脱力して俯くと、セーレムが心配そうにあたしを見上げていた。


「ルーチェ。お前、とうとう食事中に夏祭りでも始めるの?」

 何も始めないよ。セーレム。パンとスープが変なところに入っちゃっただけ。


 バラエティ番組がCMに切り替わった。あたしは落ち着くために深呼吸をして顔を上げた。――パルフェクトの顔がドアップで映し出された。


「っっっっっ!!!」

『この春オススメのデザート!』

「お、パルフェクトだ」

「〜〜っ!! 〜〜っっっ!!」

『友達と! 恋人と! 青春と! 一緒にわたくしと甘い思い出作らない?』

「いやあ。目の保養だぜ」

『大好きだよ。デ・ルー……』


 あたしはチャンネルを変えた。


「あ」


 セーレムがあたしを見上げた。


「何するんだよ。ルーチェ」

 面白い番組ないかなって思って。


 あ。『月曜日から夜ふかししちゃう』がやってる。これはいい。あたしはまた落ち着いて食事を続きを始める。セーレムがソファーの背もたれに登ってきて、あたしと目線の位置を近付けた。


「ルーチェ、今日の学校はどうだった?」

 んー。いつも通りだよ。

『この衝撃の事実はCMの後で……』

 セーレムは玉遊び?

「ミランダが新しいの買ってきたんだ。仕方ないから遊んでやろうと思ってさ。俺優しいだろ」

 そうだね。


 あたしは水を飲んだ。


『パルフェクトがプロデュースした最高のリップ!』


 あたしは水をセーレムに吹いた。


『これで貴女も、パルフェクトになれる』

「げほげほげほげほっ!! げほげほげほげほっ!!」

「わーお。水も滴るいい男。誰も水遊びしたいなんて言ってないけどな」


 あたしは唸りながらチャンネルを変えた。パルフェクトが出てきた。


『夏に向けてのスポーツドリンク!』


 あたしはイラッとしてチャンネルを変えた。パルフェクトが出てきた。


『冷えたお酒で、大人の夜を過ごしましょう?』


 あたしは癇癪を起こしながらチャンネルを変えた。パルフェクトが出てきた。


『出会いの春に、ラキアージュ』

(あああああああああああああああ!!)


 あたしはテレビの電源を切り、スマートフォンのラジオアプリを起動させた。


(どうだ! ここならお前はいないだろ! ざまあみやがれ!!)


『次のコーナーに行く前に、CMです』

『日曜日はデートに行こう! パルフェクトもおすすめ! 中央区域水族館!』


 あたしはスマートフォンの電源を切って、絶望の世界に叫んだ。


 もう嫌だぁぁあああああああ!!

「なんだい。ルーチェ。うるさいよ。……セーレム」

「俺じゃないよ。ルーチェが勝手に絶望したんだ。……まさかミランダが俺にだけお土産を買ってきたから? あーあ。ミランダ、やっちまったな。言っておくけど俺は悪くないからな。俺は先輩として、新人の玉の遊び相手になってただけだからな。さ、ハニー、遊びの続きだ! (ころころころころ)……おい、逃げるなってば!」

「ルーチェ、食事の時は騒ぐんじゃないって言ってるだろ」

 はっ! ミランダ様!

「明日も学校だろう? さっさと食事を済ませて、課題をやったらどうだい」

 ……ミランダ様!


 あたしは座ったまま頭を下げた。


 お願いです! 一週間休ませてください!

「……なんだって?」

 学校に行きたくないんです!

「……セーレ……」


 ミランダ様がセーレムを呼ぼうとしたけれど、セーレムは既に部屋の外で新しいハニーと戯れていた。へへっ、ハニー。やるじゃねえか。へへっ……! ミランダ様があたしの正面の席に座り、両手を叩くとティーセットが行進してミランダ様の前に整列した。ミランダ様が紅茶をポットから注ぎ、砂糖を入れる。


「嫌なことでもあったのかい?」

 ……はい。……かなり、嫌なことが……。

「ああ、そうかい」

 ……休ませてもらえないでしょうか……。

「別にいいよ」

 えっ。

「休みたいなら休めばいいさ」

 ……良いんですか?

「休んでもらった方がうちとしては助かるよ。家事もやってもらえるし、電話番もしてもらえるからね。ただ……」

 ただ?

「私は常々思うよ。……どうしてお前は自分の首を絞めたがるかね」


 ミランダ様が温かい紅茶を飲んだ。


「『魔法使いになりたい』と思って、その為の『術』を身につけるために、わざわざこんな時間までアルバイトして金を稼いで、毎月毎月安くもない学校代を支払って通ってるのに、一週間分の勉強代を無駄にするのかい?」

 ……。

「ま、いいんだよ。私は。別に。お前の人生だ。お前の金だし、お前の都合だ。休みたければ休めばいいよ。私が魔法使いになりたいわけじゃないからね」

 ……。

「何が嫌なんだい?」

 ……。

「また何か指摘されたのかい?」

 ……そんなとこです。

「なんで指摘されると思う?」

 ……あたしが出来てないからです。

「そうだよ。お前が出来てないんだ。だから指摘されるのさ。出来てたら指摘なんてされないんだから」

 ……。

「お前が11年、ん? 12年か。……やってこなかったツケがここに来て出てきただけじゃないのさ。身から出た錆だよ」

 ……指摘というか、

「ん?」

 ……先生が、というか……。

「先生って?」

 ……うちの学校では、年に一度特別講師教室って言って……実際活躍されてるプロの魔法使いが先生として一週間クラスを見てくれる、というのがあるのですが……。

「ああ。それかい。私もマリア先生から毎年誘われてるけど無視してるんだ」

 ……ミランダ様だったら良かったのに。

「お前、学校でここにいること言ってるのかい?」

 言ってないですけど……ミランダ様が来てたら、あたし、初対面のふりしてちゃんと真面目に授業受けれてました。

「誰が来てるんだい?」

 ……。

「ルーチェ、私は別に横から小言を挟むような真似はしないよ。ただね、プロの魔法使いが目の前に居て、どうしてその技術を盗もうという野心をお前は持たないんだい? マリア先生の計らいなら、結構な大物が来ているんだろう?」

 ……。

「良いところも、悪いところも、一つでもいいから盗み出して自分のものにしてやるって、なぜ思えないんだい? 学べる先生が多くいるのは本当に素晴らしく恵まれている環境なんだよ。そんな環境を捨てて、お前は学校を休もうとしている。だからお前はいつまで経っても今のレベルから上に上がれないんじゃないのかい」

 ……。

「で、どうするんだい? 私は別にいいんだよ。家事をする手間が減るからお前が居てくれた方が大いに助かるし」

 ……例えばですけど、……ミランダ様がお金を払って受けた一週間の講習にジュリアさんが先生で現れたら、通いますか?

「通うね」

 ……。

「ジュリアの講習ならあいつの魔法が見られるタイミングがあるわけだ。あの情報オタクの魔法なら、様々な情報の中で作られた、私には作り出せない魔法を見ることが出来るだろう。それを見て学べるなんてまたとない機会だ。……性格はどうあれ、通うだろうね。お金を払ってでも。それで私の魔法がより良くなるのだから」

 ……。

「自分のためになるにはどうするのがいいのか考えてごらん。嫌なら休めば良い。魔法使いになりたくなくなったのであれば、ここを出て就職すれば良い。お前は障害者だからと言ってるけどね、今の時代、障害者にも道は沢山あるよ」

 ……。

「で? 食事が終わったら、風呂に入って……どうするんだい? またあのなんとかの悪役令嬢だかって小説でも書くために引き籠もるのかい? それとも絵でも描いてホームページに載せるのかい? もしくは、またセーレムの動画の投稿でもするのかい?」

 ……明日も早いので、……課題やってから……寝ます。

「ん? 明日は休むんだろう?」

 ……行きます……。

「そんな情けない顔するんじゃないよ。嫌なら休めばいいだろう?」

 ……行きますもん……。

「はあ。……久しぶりにお前に課題でも与えようかね」


 あたしは顔を上げた。ミランダ様と目が合う。


「盗んでおいで」


 あたしは唇をぎゅっと噛む。


「一つで良い。なにか、盗んで、私に見せな」


 ミランダ様がにやりとした。


「私の弟子であれば、私が嫉妬してしまうようなものを持っておいで。ルーチェ。期待して待ってるよ」

(……盗むって……)


 あいつから学ぶものなんて、何もない。胸にくる感情は――疎ましさだけ。


(顔も見たくないのに……)


 でもミランダ様から課題をいただいた。


(……ミランダ様が、同情でもあたしに期待してくれるというのであれば……)


「最善は尽くします」

「よろしい」


 ミランダ様がちらっとキッチンを横目で見た。


「ルーチェ、冷凍庫にお前の好きなシュークリームのアイスが入ってるよ」

「……えっ」

「弟子が好きだと言ったら、依頼人から頂いた。ありがたくお食べ」

「……ありがとうございます……」


 ミランダ様は相変わらず涼しい表情のまま頷き、紅茶を飲む。


「……ミランダ様」


 ミランダ様の瞳があたしを見た。


「盗んできます」


 一つ、なんでも良い。小さなものでもいい。何か、武器になるものがあの女にはあるはずだから。


「頑張ります」


 ミランダ様はこくりと頷き、紅茶を飲み干した。廊下ではボールに喘ぐセーレムの楽しそうな声が響いていた。

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