でも今日は良い人に会えてばっかりです
そう願い、イストファは短剣を握ったままギュッと目を閉じて。
しかし無情にも短剣の感触はイストファの手の中から掻き消える。
「くそっ……!」
やっぱりモンスターの持っている武器は手に入らないのだ。
それを実感したイストファはガクリと膝をついて。
「……え?」
しかし、そこに落ちていたキラリと輝くものを目にする。
それは、一本の短剣。先程までイストファが握っていたものとも、ゴブリンに斬られたものとも違う。
シンプルなデザインのその短剣を、イストファはゆっくりと拾い上げる。
「これって……短剣? それも、新品の……?」
材質はよく分からないが、たぶん鉄だろうか。
柄には青い宝石が嵌っていて、ちょっと高そうだ。
それに何よりもキラキラ輝く新品の短剣は、前に持っていたものよりも何だか素晴らしく見えた。
しかし、そんなものがこんな場所に落ちている理由が分からない。
さっきまで、こんなものは此処に無かったはずだ。
なら、何故。
「神様が……僕にくれた、とか?」
冗談交じりにそんな事を呟きながら、イストファは短剣をしっかりと握り立ち上がる。
先程投げてしまった短剣も回収しようと見回すが、何処にも見えない。
遠くにいってしまって見えなくなってしまったのだろうか?
落ちた短剣の近くに行けば見えるのかもしれないが、あまり期待は出来ない。
「……フリートさんに謝らなきゃな」
大切に使えば長くもつと言われた短剣を、まさか初日で壊した上に投げて無くしたとは彼も思ってはいないだろう。
怒られるくらいで済めばいいな……と少し憂鬱な気分になりながらもしかし、イストファは手の中の短剣をチラリと見つめニヤニヤとしてしまう。
新品の、ちょっと高そうな短剣。何故こんなものが手に入ったのかは分からない。
けれど……想像することは出来る。
ひょっとすると、魔石をとらずに放置すると……魔石ではないものが現れるのではないだろうか?
次に現れたゴブリンを倒した時に放置してみれば分かりそうだが、それで予想が外れて何も残らなかったら、その分が丸損になってしまう。
今日の内に確実に稼がなければならないイストファとしては、そのリスクは少しばかり許容し難い。
「……となると、まずは稼いで宿を確保してから試す、か……情報を買うか……だよな」
たぶん冒険者ギルドであればその情報が売っている。
というよりも、売っていない方が考えられない。その値段を聞いてからどうするか考えても遅くはないだろう。
「よし、まずは魔石を集めて稼ごう!」
そう決めると、イストファは歩き出す。
新しい短剣がある。ただそれだけの事実でイストファの心はウキウキとして。
それでも投げた短剣の事を諦めきれずに投げた方向へと歩いてみる。
すると其処には……先のスッパリ切れた短剣を眺めている、1人の男の姿があった。
それが先程投げた自分の短剣だと気付くと、イストファは男に声をかける。
「あ、あのー……」
「ん?」
イストファの声に振り返った男は、革鎧を身に着け長剣を腰に差した小綺麗な格好だった。
髭もしっかりと剃り温和そうな顔をした男は、イストファと短剣を見比べると笑顔を浮かべる。
「ああ、ひょっとして。これ、君のかい?」
「え、あ、はい。さっき投げて……その、ひょっとして何か……」
「ハハ、その返しは上手くないなあ。僕が何かあったぞ、って言ったら君、どうするつもりだったんだい?」
「うっ」
確かに。迷惑料に金を払えと言われても、今のイストファはゴブリンの魔石を2つと、短剣しか持っていない。
この短剣を寄越せと言われても困るし、魔石を寄越せと言われても困る。
「気を付けなよ。ダンジョンは良い奴ばかりとは限らない」
「え……」
「此処、モンスターが突然現れたように見えるだろ? 僕も突然此処に現れたように見えたんじゃないかな?」
手の中で短剣をクルクル回して遊んでいる男に、イストファは頷く。
「は、はい。見える、て事はやっぱりそうじゃないんですよね?」
「勿論さ。僕はさっきから此処にいるし、モンスターも突然現れたわけじゃない」
「それって、その……一定以上遠くに居ると見えなくなる、で合ってますか?」
「うん、合ってるよ。ちなみにこの辺りの情報はギルドで2万イエンで買える『ダンジョン1階の基礎情報』に含まれるものだ」
「うぐ、高い……」
「ハハ、その分1回買えば一生使える知識だ。先輩へのコネのない新人にとっては貴重なものさ」
それはつまり、先輩冒険者へのコネがあれば買わずとも教えて貰えるという意味なのだろうが……イストファには望むべくもない。
「だから、一見のどかな草原に見えるこの1階だけど……実は物凄く危険なんだ。『目隠しの草原』なんて名前がついてるくらいだからね」
「目隠しの草原?」
「ああ。実に分かりやすいだろ?」
確かに分かりやすい。こんなに広々と視界の開けた草原であると思えるのに、その実目隠しされたように「先」が分からない。
目隠しの草原というのは、実に考えられた名前だとイストファは思った。
「ところで、なんだけどさ」
「あ、はい」
「俺も教えてほしいんだけど、君のその短剣……」
「これ、は……ゴブリンを倒したら突然出てきたんです。ひょっとして、何か凄いものなんですか?」
イストファがそう聞くと、男は苦笑するように「うーん」と唸る。
「そこそこ、かな? ゴブリンスカウトを倒すと、たまに手に入るやつだね」
「そこそこ、ですか」
「ああ。そうだな……店で買えば3万イエンってとこかな?」
「えっ」
凄まじい大金に思えて、イストファは自分の手の中の短剣を凝視してしまう。
この1本で3万イエン。1万イエン金貨で数えれば3枚の価値があるのだ。
「ま、大切にしなよ」
「はい、えっと……ありがとうございます!」
「いいんだよ。それと、コレも返すよ。君のなんだろ?」
そう言うと、男は手に持っていた短剣の持ち手の方をイストファに向ける。
「ありがとうございます。武器屋で今日買ったばっかりで……流石に無くしましたとは言い辛くて」
「ふふ、気を付けなよ。さっきも言ったけど、いい奴ばっかりじゃないんだ」
「ええ。でも今日は良い人に会えてばっかりです」
「そりゃよかった」
イストファが男から短剣を受け取ろうとした、その瞬間。チクリとした感覚と共に身体に強烈な痺れが奔る。
「……えっ」
それが男が隠し持っていた針による痛みだということに気付いた時には、イストファはその場に膝をついていた。
「じゃあ、まあ。俺が最初に会った『悪い人』ってことになるかな」
「な、なに、を……」
「単なる痺れ薬さ。ま、即効性で強烈。場合によっちゃ後遺症が残る程度のかるぅいヤツだけどな」
温和な表情のまま、男は哂う。
「さっきも言ったけど、此処は目隠しの草原。何処かで何かをやってても、近くに居ない奴には見えもしないんだ。それがつまりどういうことかってえと……」
言いながら、男はイストファの手から短剣を取り上げる。
「油断してゴブリンに殺され食われた哀れな奴を演出しても、誰も気付きゃあしねえってことなんだなあ。何しろ転がってる人間の死体はゴブリン共の良い餌だからな」
「う、あ……た、すけ……たすけっ!」
「ハハハ、無駄無駄! 声だって遠くにゃ響かねえんだよ! いやあ、残酷だよなあ! 新人は此処で稼ぐっきゃねえのに、此処は『ちょっと運に恵まれた雑魚』から奪うにゃ最適の環境ときてる!」
ひとしきり笑うと、男はイストファから奪った短剣をジロジロと眺めまわす。
「魔力の鉄短剣か。魔法の武器としちゃ外れの部類だが……需要がないわけじゃない」
「それ、は僕の……」
「おう、もう俺のだけどな。心配すんな、何処かの新人魔法士が上手く使ってくれるさ」
そう言ってもう短剣を地面に放ると、男は腰の剣を引き抜く。
「そんじゃまあ、サクッと死んでもらおうかな? なあに、慣れたもんだ。すぐに死ねるさ」
「い、やだ……」
なんとか身体を動かそうとするが、イストファの身体はもうほとんど動かない。
僅かに動く指先で身体全体を引っ張ろうとしても、草を引っ張り地面を掻くだけだ。
死にたくない。こんなところで、死にたくない。
こんな死に方は嫌だ。誰か、誰か。
ボロボロと溢れる涙を見て、男は嘲笑する。
「ハハハ、泣くなよガキ! ちょっと心が痛んじゃうだろ!?」
「う、ぐ……いや、だ……!」
「可哀想になぁ。こんなとこで死んでゴブリンの餌だ。同情するぜえ?」
言いながら、男は剣を振り上げて。その腕が、剣ごと地面に落ちた。
「……へ?」
「そうね、同情するわ。こんなとこで死んでゴブリンの餌だもの。可哀想にねぇ?」
男の背後から現れたのは、短剣を手にした1人のライトエルフの女……ステラであった。
「何処にでも馬鹿はいるものよね。1階の情報聞いて、そういうのが出るんじゃないかなーって思ってたのよ」
言いながら、ステラは男を無視してイストファの前に立つ。
「平気? 怪我はしてなさそうね?」
「あ、う……」
「痺れ薬かあ。こんな子供に使うかあ、普通?」
「え。お、お前! 俺の腕!」
「うっさいわね。ちょっとあっちで待ってなさい」
「げぶっ!?」
ステラが振り返り男の顔面を殴ると、男は吹き飛びイストファの視界から消える。
「ついでにこれもぽーいっと」
そんなコミカルな言い方でステラは落ちていた男の腕も放り、イストファへと笑顔で振り返る。
「ちょっと待っててね。片づけしてくるから」
まるで食事の後の食器を片付けると言ったかのような気軽さでステラもイストファの視界から消え……やがて、何事も無かったかのように戻ってくるとイストファの眼前に膝をつく。
「んー……このくらいなら魔法でどうにかなるかしらね?」
言いながら、ステラはイストファの額に触れる。
「キュアパラライズ」
イストファの額に触れる手から柔らかな緑色の光が溢れ、イストファは自分の中から痺れが消えていく事を明確に感じ取る。
それはステラの触れる額から身体全体へと広がっていくようで、やがて完全に痺れが消えた時、ステラはイストファの額から手を離し優しく笑いかける。
「これで大丈夫のはずだけど……どう?」
「あ……」
ありがとうございます、と。そう言おうとして。
しかし、イストファの口からはその言葉が出てこなかった。
助かったんだ、と。その安堵が嗚咽となって、「ありがとうございます」のたった一言を邪魔していたのだ。
そんなイストファを見て……ステラは、イストファをそっと抱き寄せポンポン、と背中を叩く。
「もう大丈夫。何も怖くないわ」
「う、ひぐ……あ、あびがとうございまず……」
「もー、律儀ね! うんうん、いいのよ。大事な事だわ!」
泣いた。イストファはステラの胸に抱かれて、泣いた。
やがて涙が止まると、死にたくなるほど恥ずかしくて。
クスクスと笑うステラに手を引かれ、腰の鞘には取り戻した短剣を納めて。
そうやって、ダンジョンの外へと出るのだった。
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