1/8 歌詞について
現代の曲は自分にとって歌いにくいものになってしまった。
この文は僕の年齢を鑑みると間違っているが。18歳なので逆に自分はその歌いにくいものしか聞いていない。自分のパーソナルスペース以外では。
その一つが歌詞だ。失われた33年とも言われる終わりを知らない不景気は、途中に実感なきイザナギ超えを挟んでも、全く持って常に抑圧、停滞感を私達の世代に与え続けてきた。気付こうとしなければ気付きやしないことだが、親は当時海外旅行をたくさんしてた、とか、リストラという恐怖の言葉を暗黙の了解にしている。消費増税などどうでもいい。それよりも、やれ過疎化、やれ高齢化、やれ受験戦争、やれ勝ち組負け犬、やれ年金問題、やれ国債やれ自然破壊。こういう借金を学校でひたすら習わされる。しかしそれを口に出して議論しようとするこどもたちはいないでただ心の負債となる、そして手がつけられないで次世代にそれを悪化させて継承させる罪悪感。
たぶんこの考えはゆとり? もしくはゆとり以降は共通して考える話題であろう。そしてゆとり以前、つまり親世代は全くその話題を私達に振ろうとするだろうか? むしろそうではなく、フェアトレード以前の安い食品を買うことばかり見ている、そしてそんな余計な話題を考慮する余裕はないし、自分は考慮させるために立ち向かう勇気もない。そして、そういう流れで食肉偽造事件が起こる。国産肉を買おうとする態度は、安全性よりむしろ安定した味にあるだろう。特にアメリカ産は不味いという知識があるだけでは?
これだけでも十分語れるが、ゆとり以降の世代はオーガニック食品に強い購買意欲を持ち、環境保護活動に熱心なアメリカのZ世代のように進化するポテンシャルをもっているが、それとは逆に日本人の場合は行動意欲に欠け、負の意識に苛まれることもあるだろう。
それの発散が流行歌に影響していると考えられる。
例えばアベック(カップルの響きが嫌い)の心中をテーマにしたYOASOBIの『夜に駆ける』。これは当世代、(自分も含まれるが)の多くが自覚してるかはよく分からないが、強い社会不安の表出に他ならない。軽い語り口とノリのいいリズムから出る内容とは思えないと考えてしまうのは自死に対する意識の違いだろう。自分もその軽い意識には同情できるし、まあ若さの暴走というのはずっと前からあるが。例えばXのhideの後追いや、大阪大附属池田小事件、また、秋葉原。秋葉原まで行くと共感できないが、池田ならまだ同感できる人はいるのでは? また、口が軽い奴ではあるが、二人ほどそういう意思を聞いた事がある。一人はLINEのプロフィール、もう一人は恋人に振られたこと、後者はかなり軽いであろうが。
『夜に駆ける』は別に歌詞が嫌いな訳じゃないが(いや、「君」は嫌いだな)リズム感が今の時代のテンプレで好きじゃない。
あとは『うっせえわ』。これは一つの社会問題の表出でもあると前回も述べた。それの源泉は、何でもいいがYouTubeでの匿名実況や、ボカロにあるだろうというのを添えておく。これは中々大きい。テレビに顔を出してピコピコハンマーでもなんでもそれで人を叩くといったものに対する反抗が表れた形になる。他者への力の行使よりも、自慢、自虐。ここのカクヨム様自体もそのようなもので、現に自分はここで空疎な自慢をしている。自分自身に関して言えば半分半分だろうが、自分は他者へこうしてマウントをとれるという点と、自分は他者へとこういうサービスを提供できるという点がここでの投稿にはある。自分としては、この動きは全体的に前者よりもむしろ後者の方が大きいだろうと考える。どちらにせよピコピコハンマーを振り上げる者への反逆、として。
しかし、自分はそれでも社会問題に強い不満を持って発散の場に困っているというより、公な調査活動(ネットニュース見て、たまに政府広報を見ようといきがるだけだが)しているという達成感でその社会問題への不満を解消して、自分の世界の中ではそれから離れていたいと思う身である。
やはりこれも性癖で、自分の近くにいる歌手よりも自分を魅入らせてくれる遠くの人がいい、とも解釈できる。
この辺が、ギャルゲー、アイドルへの強い嫌悪になっている。気取れば、自然主義ではなく、余裕派。
「ちっちゃな頃から優等生」(まあ偏差値だけだろうが)ではあるが、それだからといって直接的に「あなたが思うより健康」だとは言い放つほど自分は心に抑圧を感じてはいない。たしかに僕を不健全だと思う人間は相当いるだろうが、そこは諦める。
『サイレントマジョリティー』もあるな。『不協和音』もある。これも、元民主党の枝野幸男氏が好きだと言っていたが、政治まで昇華させればそれはいいが、やはり余裕に欠く。「僕は嫌」になったときはそれは呑むか、逃げるかの二択を背負う。これはまあ行動力、本心から離れた態度にもなりうるが、それは仕方がないことになる。
では、逆に自分が好きな歌詞と言えば……。はっきり言えば、オブラートに包みつつ、かつ琴線に触れるという、パラドックスめいたものになる。
たとえば『駅』。竹内まりやも中森明菜も聞いている。
ーありふれた夜がやってくるー
あの辺の言い回しは泣ける。別に離れ離れなんて直接に言わなくても伝わる。一周回った言い回しになるが、物語の終わり、そして戻る現世。二重の意味が無意識に伝わる。18になったので、いつか行こうかしらという本物の大人の町に吉原というものが東京にあるそうだが、そこには振り向き柳というのがあるそうだ。
一夜の夢の後で、その夢を思い返しつつ町を立ち去る間際にちらりと後ろを向くときにある一本の柳のことだ。そのような哀愁を古ぼけた駅舎が担っている姿となる。これでいい。
あと、ユーミン(松任谷由実)の『届かないセレナーデ』もいい。
ーまたとないまたいつか あるなら教えて
崩れそうな抜け殻でも 歩いてゆけるから
きっとー
自分にはこれで十分励ましになる。意味が分からないから逆にいい。あと、この曲は、いい意味かどうかは述べないがあまり暗すぎない。暗いというより深い。こぎれいというよりも、ゆっくりとした歩調。あんまり急ぎ過ぎない。しっかりと気持ちを止めてくる。歌詞の意味は分からないが、雰囲気は伝わるし、伴奏が楽器ごとにそれぞれかっこいいソロパートがある。そんなところだ。
とまあ、(内容は)軽く自分の歌詞の好みについて書きました。思い返せば結構内容薄いです。もちろん、もっと沢山好きな歌詞はありますが、自分は歌詞の濃さよりも音楽性で選ぶタイプなので、あまり述べません。ただ、嫌いな歌詞は山ほどあります。女性が「君」を二人称で使う時点であんまりです。「彼」か「あなた」ですね。男は別に何でもいいです。女性が男に扮しても、それがギャルゲー、アイドルじゃなければ。(好きな曲に古内東子の『逢いたいから』があったので例外を設けた形です)
ユーミンって車の中にコトに及んでる曲があるらしいですが、別に自分は気づかなければどうでもいいです。直接的な描写がなければ。
歌詞が浅いぶんには、言ってて恥ずかしくなるようなものでなければ、まあ岡本真夜の曲は結構好きな曲があるので微妙ではありますが、構いません。
あたらしい曲でも、別に二人の世界での小さなお話で、自然主義的な表現がなければ、歌詞で嫌いにならない曲はあります。好きな曲を上げれば、
当のado氏の『ギラギラ』
ヨルシカ氏の『昼鳶』
yama氏の『まっしろ』
『昼鳶』はまた例外に属して来そうですがそんなところです。
ではでは。これをオマケに替えて。
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