恥拙

陽野月美

恥拙

 もし、私が弱音や泣き言を申し上げましたら、それは全て嘘だとお考えください。どんな不安も、悲しみも、苦しみも、全て自力で解決できることでしかないのです。全ては私の捉え方、考え方次第なのです。そもそも、私はなんの努力もしておりません。無理を重ねたわけでもないのです。しかも、寝て起きれば、ケロリと忘れてピンピンしているのです。自分にとって唯一の救世主は、他でもない自分自身なのですから。自身の苦しみは自身で取り除くことができるのです。

 負の感情は伝染致します。いえ、最早感染と言ってしまっても、差し支えないでしょう。ただただ、それが恥ずかしくって、申し訳なくてならないのです。例え手を差し伸べていただけたとしても、私はその手を取ることができないのです。有り難さよりも、罪悪の心が勝ってしまうのです。自力で解決できるのに、わざわざそのまま放っておいて、泣き言を言って。そんな恥を、私は晒したくなんてないのです。

 助けて欲しい、と言えば、きっと周りの方々は手を差し伸べてくれますでしょう。皆様お優しく、良い心を持った方々です。その心に漬け込むような気がして、私は申し訳なくてならないのです。もし、本当に私が自力ではどうしようもないのなら、助けを求めても罪悪感などないでしょう。私が苦しいのは、自力で解決できるのにも関わらず、それをせず助けを求めてしまうからなのです。弱音を、泣き言を、口にしてしまうからなのです。そんなものを口にして、不安や、悲しみを、人様にまで植え付けてしまうのですから、本当に情けない限りでございます。

 しかし、ふと、思うのです。助けて欲しいと言えばきっと周りの方々は手を差し伸べてくれる、なんて、ただの幻想に過ぎないのではないかと。きっと私は、面倒なやつです。だから、皆様は無視をなさるのではないか、と、思ってしまうのです。

 これは、当たり前のことなのでしょうか。面倒事には関わらない、人として当然の摂理であると思います。ですから、私のような面倒なやつに、救いの手を差し伸べるなどするはずがない。そういうものなのではないかと、本気で考えるのです。そもそも、私のような浅ましい者の不安如き、果たして本当に感染するのでしょうか。知るかそんなもん、という一言で片付けられてしまうような、愚かな嘆きでございますから。むしろ、何も感じず、無視していただいた方が心地が良いのです。

 ここまで考えた所で、ふと、また別の考えが心をよぎりました。そもそも、こんな風に考えること自体、周りの皆様に対して、とても失礼なのではないか。こんな期待を持つこと自体、無礼なことなのではないか。そのような思いが、その鎌首をもたげて参ったのです。これではまるで、いえ、明らかに、私は周りの方々を信じていないではありませんか。ああ、私はどこまで愚かで浅ましいのでしょう。人を信じず、その優しささえ疑ってしまうような私が、情けなくてなりません。私の、最も大きな罪悪はこれなのです。まともに、人を信ずることができないのです。臆病に侵され、人との触れ合いを拒んでしまっているのです。そのような輩が、どうして助けなど、求められるのでしょうか。そう、求めるべきではないのです。人を信じられないような、臆病で無礼な私は、誰にも助けを求めてはいけないのです。

 ではなぜ、こうしてあなたには話せているのでしょう。なぜ、あなたには助けを求めてしまっているのでしょう。私は、知っているのです。あなたなら、私を助けないと。これを聞いても、快も不快もなく、ただ受け流すのみであると。

 先程の無礼を反省し、周りの皆様を信じることにしたとして、私がこの胸の内を明けたら一体どうなるのでしょう。きっと、手を差し伸べてくださいます。ああ、なんと私は愚かなのでしょう。例え信じようとも、罪悪の念は消えやしないのです。差し出されたその手を、取ることができないのです。なぜなら私は、その手を取らずとも―元を正せば、そもそも弱音を吐かずとも―自力で解決できるのです。それができるのにも関わらず、一時の苦しみに押し負け、浅ましくも人様に縋るなど、あってはなりません。さらにきっと、私の不安の病が、伝染してしまうことでしょう。うじうじと、私が何もしないばかりに、優しい皆様にまで不安を与えてしまうのです。恩を仇で返すとは、まさにこの事でございましょう。そのような真似は、申し訳なくできません。

 そこへ行くと、あなたはどうでしょう。きっとあなたには、この不安の病は伝染らない。世に蔓延る不安の病にすら、あなたは感染しないのです。あなたは、私にまるで関心がない。私がどうなろうと知ったことではない。当たり前のことでしょう、しかしあなたは、私を否定はしないのです。私の気持ちを、肯定も、否定もしないのです。そればかりか、あなたは、私に手を差し伸べるような事もしないでしょう。自力でどうにかなるなら、そうしなさい、と言ってくれるでしょう。それが、何よりも有難いのです。何よりも心強いのです。あなたは、私の毒を吐くような独白を、気にも止めず、受け流してくださるのです。何も感じず、なんの感想も持たず、ただ聞き流してくださるのです。

 このような言い方をすれば、まるであなたの事を、悪く言っているように聞こえるかもしれません。しかし、むしろ逆なのです。無関心で有りながら、あなたは私を、邪険には致しません。うん、うん、と話を聞いてくださるのです。しかし、その根底では私に対してまるで興味や関心がない。だからこそ、あなたに救われるのです。

 あなたは、決して私を愛さない。その安心感が、私に力をくださるのです。あなたにあるのは慈愛の心であって、決して愛ではないのです。ましてや恋でもありません。そんなあなたに、私は惚れているのかもしれません。しかしあなたは、これを知った所でどうとも思わないでしょう。私に惚れ返すような真似も、決してしないと分かります。

 私には、満たして欲しい自己愛など、ありはしないのです。愛して欲しいなんて、これっぽちも思ってはいないのです。ですから、周りの皆様の愛が申し訳なくてならなくなってしまうのです。恩義より、罪悪の心が活発になってしまうのです。そんな私に、程よく接してくださるのが、あなたなのです。あなたは、決して私を愛さない。ですからこうして、安心して胸の内を打ち明けることができるのです。

 身勝手であることは、重々承知しております。そしてあなたは、そんな身勝手にすらなんの関心もないと言うことも。私は、この世でただ一人、あなただけを信じているのです。私に信じられてからって、どうということもありません。しかし、あなたには言っておきたいのです。すぐに忘れていただいて構いません。いえ、こう申し上げることすらおこがましい。忘れる忘れないは、受け取り手の自由なのですから。そしてあなたは、その自由を遺憾無く発揮してくださいます。私は、自分を救える唯一の救世主は、他でもない自分自身であると、言いました。しかしどうでしょう、私にとってみれば、あなたもまた、救世主なのです。そんな柄でもない、と、

あなたはおっしゃるでしょう。だからこそ、あなたは救世主なのです。

 最後になりましたが、的外れな感謝と、永遠の信頼を、あなたにお送りさせていただきまして、この話は終いになります。

 また、機会があればお会い致しましょう。

 さようなら。

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