あかまるチケット

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

あかまるチケット

 おじさんが死んだ。


 棺に入った顔を見て「生きてるみたいだな」と思った。今にも元気に動き出しそう……という意味ではない。もともと物静かで感情をあまり表に出さない人だったから、生きていても死んでいても見た目に変わりないのだ。


 享年55歳。


 と言っても、これもそんな気がしない。年齢不詳の見てくれ。顎にはいつも無精髭を生やしていたが、たまに剃ると高校生にも見えた。ファッションに興味がなく、年相応の格好をしなかったせいもあるだろう。浮いた話も聞いたことがなく、生涯独身だった。


「お前、子供の頃はよく兄貴に遊んでもらったもんなぁ」


 通夜の席で握り寿司を片手に父が言った。


「遊ぶって、いつも映画観てただけだよ」


 そう、私とおじさんの思い出はどれも映画とワンセットだった。


 私が初めて映画館を訪れたのは今から二十年前、五歳の時。あの頃、共働きの父母がなかなか休みを合わせられず、どこへも行けず家で退屈していた私を、不意にやってきたおじさんが「行くか」と連れ出した。


 電車に揺られて隣町の映画館へ。ロビーに入ると甘いキャラメルポップコーンの匂いがした。おじさんに手を引かれて劇場に入ると、自分の背丈の何倍もある巨大な銀幕に圧倒された。家のテレビとは全然違う。初めての映画は毎週楽しみに見ていた女の子向けアニメの劇場版。大好きなキャラクターが視界いっぱいに活躍し、まるでその世界に入ったような没入感を覚えた。


「そうそう、映画な。いつの間にか映画行くなら兄貴と〜って決まりになってたよな」


 父はそう言うが、いつの間にかではない。私がおじさんを選んだのだ。映画館が気に入った私は、そのあと両親におねだりして何度か連れて行ってもらったことがある。けれど子供向けの映画は大人には退屈だったのだろう。上映中ふと隣の父母を見ると、時計を気にしていたり、時には居眠りをしていることもあった。楽しんでいるのは自分だけなのだという落胆と罪悪感で、観終わった後に楽しく映画の話をする気にはなれなかった。


 一方、おじさんはどんな映画でも真剣に見ていた。子供向けアニメだろうが退屈な駄作だろうがお構いなしだ。子供ながらに「この人は映画ならなんでもいいのだろうか」と不思議に思った。とはいえ、少なくとも私が「あそこが面白かった!」と興奮して騒ぎ立てても、フムフムと聞いてくれるだけ両親よりは話し甲斐があった。おじさん自身は映画の感想を口にすることはほとんど無かったが、満足した時は少し口角を上げて無精髭をさするのですぐにわかった。


 週末、特に予定が無い時はなぜか決まっておじさんが映画に誘いに来た。今思えば、事前に父母に予定の無い日を確認済みだったのだろう。両親にとっても、たまに家でゆっくり休みたい時に子守をしてくれるのだからありがたかったのかもしれない。


 観る映画は私がリクエストすることもあったが、そんなに多くの作品を知っているわけではなかったので、大抵はおじさん任せだった。知らないアニメ、ちょっと怖い怪獣や妖怪の出てくる特撮、ハッピーエンドが約束された派手なアクション映画。子供にとって少しだけ刺激的な世界を選んでくれていたように思う。おじさんはいつも観に行く数日前から劇場ど真ん中の座席を予約してくれていて、なんだか自分たちだけの特等席のような気がして嬉しかったのを覚えている。


 私がおじさんの誘いを初めて断ったのは中一の夏だった。なんとなく家族と出かけるのが恥ずかしくなる、思春期と反抗期の入口。おじさんが選んだ映画がちょっと子供っぽかったのも悪かった。断ったあとでやっぱり後ろめたい気持ちになって、その日は無理やり友達を誘って遊びに出かけた。


 それから誘われる回数が減った。「友人との付き合いが優先だろう」「一緒に出かけるのが恥ずかしくなったのかもしれない」「映画以外のことに興味が出てきたのかな」……きっと色んなことを考えさせてしまったに違いない。ただ、その年頃の私にはおじさんの心の中を想像することはできなかった。それに実際、友人と遊ぶことが何より楽しい時期だったし、自然におじさんとは疎遠になっていった。


「ちょっといいか」


 父に呼ばれて、ふたりだけで隣の和室に移動した。


「なに?」


 座って尋ねると、父は少し声のトーンを落とした。


「あのな。兄貴の遺産相続先、お前になってるんだ」


「えっ……なんで?」


「兄貴がそう決めてたんだ。まあ、俺が相続したっていずれはお前に行くんだから、二回税金とられるよりはそっちのがいいだろ。俺も賛成だよ」


 寝耳に水だ。考えたこともなかった。


「そういうわけだから、出棺が終わったらその足で兄貴のマンションまで行って、ザッと部屋の様子見てきてくれないか」


「おじさんち、ここから近いんだっけ?」


「ああ。荷物の整理に来る前に下見くらいはしといた方がいい」


※ ※ ※


 おじさんの家は葬儀場の隣駅が最寄りだった。駅前には映画館を併設したショッピングモールがあり、徒歩で映画を観に行けるからという理由でここを選んだらしい。


 マンションの3階、最奥の部屋。子供の頃に何度か遊びに来たことがある。預かった鍵で扉を開けると懐かしい匂いがした。靴箱の上に昔と同じ芳香剤が置かれていた。居間とキッチン、奥に寝室。家具の配置も記憶のままだ。テーブルにはテレビのリモコンが置かれ、キッチンの隅にはビニール紐でくくられた新聞の束があった。生活の余韻。今にも奥の襖が開いて、おじさんが寝ぼけまなこで「よう」と現れそうな気がした。


「荷物の整理って言われても……」


 一人暮らしとはいえ物は多い。胸ポケットからメモ帳を取り出し、赤のボールペンで荷物の種類を書き込んでいく。壁沿いだけでも洋服ダンス、本棚、そして……映画のDVD。天井まで届く棚にぎっしり詰まっている。


「……わ、懐かしい」


 棚の端っこに子供のころ連れて行ってもらった映画を見つけた。どうやら、几帳面に年代順に並べてあるようだ。


「これも観に行ったな〜。あっ、これはこの家で観たやつ!」


 片付けようとした物に目を奪われるのは掃除中にはよくあること。特に故人の思い出を呼び起こす物ならなおさらだ。


「…………ん?」


 手に取ったDVDから何かが剥がれ落ちた。小さな付箋。拾い上げると、手書きで「八歳から」と記されていた。他のDVDをいくつか棚から取り出してみると、そのすべてに同じような付箋が付けられていた。それぞれに様々な年齢が書かれている。どうやら、おじさんの判断で作品にレイティングをしているのだと分かった。誰のために? 答えは一つしかない。


「………………自分勝手だ」


 自分が映画を好きだからって、私を道連れにして。私にだって趣味を選ぶ権利くらいあった。なのに、おじさんのせいで映画を好きになってしまった。あんな映画やこんな映画に出会ってしまった。それがどれだけ今の私の細胞ひとつひとつに染み付いているのかわかってるの? おまけにその責任もとらずに死んじゃって。本当に勝手すぎる。


 …………でも、少しだけわかる。


 おじさんは映画を好きな気持ちを誰かと共有したかったんだよね。私もお父さんたちと映画の話をしたくてたまらなかったから。


「……13歳」


 私がおじさんと映画を観なくなった歳の付箋。14歳、15歳、16歳……。棚のDVDはその先にもずっと続いていた。そうやっておじさんが敷いたレールを私は途中で下りた。別にそのレールに従う義務なんて最初から無い。それに、もし映画を見続けていたとしても人それぞれ好みは異なるのだから、きっとどこかで道を違えていたのだろうと思う。


「……でも、私は道を歩くこと自体をやめたんだ」


 あのまま歩き続けていたら、一体どんな映画に出会えていたのだろう。もしかするとこの十年以上の間に、私の心にピタリと収まる映画がいくつも生まれているのではないだろうか。


「ここにそれがあるのかも……」


 棚の中にはまだ見ぬ「私のための映画」がずらりと並んでいた。そうか。おじさんが本当に相続したかったのはこれなんだ。


「……また付き合わせるつもりなんだね」


 苦笑する。


「でも、今日のところは後片付けの下見が先だからね」


 これらをどうするべきかはまた今度考えよう。なにしろ荷物はタンスや棚だけじゃないんだから。次は窓際のデスクに取り掛かる。


「ん……?」


 デスクの中央に四角いキャンディケースが置かれていた。そんな目立つ場所に不自然だ。持ち上げてみるとキャンディの転がる音がしなかった。それに軽い。蓋を開けてみると束になったチケットの半券が入っていた。何百枚……いや、もしかしたら千枚以上あるかもしれない。それはおじさんが長年かけて歩いてきた映画の道そのものだった。


「これは……なんだろ?」


 チケットの隅に黒のボールペンで記号が書いてあるのに気が付いた。○、△、☓の三種類。おそらく、おじさん自身の作品への評価なのだろう。その感想を口にしなかったのは、私が映画を観て感じた気持ちを尊重してくれたからかもしれない。


「これ……私と行った映画のチケットだ」


 その半券には赤いペンで○が書かれていた。他のチケットも確認する。これも、あれも、それも。私と一緒に観た映画は、内容に関わらずすべてに赤丸がついていた。


「おじさん、私のこと好きすぎでしょ」


 思わず吹き出してしまった。……そうなんだ。それなら、もうちょっとくらい付き合ってあげればよかったかな。そんな後悔をするのは決まって手遅れになってからだ。


「……あれ?」


 ふと、チケットの山の中に○△☓のどの記号も書かれていないものを見つけた。


「っ!」


 私はそれを掴んで、慌てておじさんの家を飛び出した。


※ ※ ※


「はあ……はあっ……!」


 喪服のまま走る私を道行く人々が振り返る。でも今はそんなこと気にしていられない。全力疾走なんて何年ぶりだろう。駅前の映画館にたどり着いた時にはすっかり息も絶え絶えだった。くしゃくしゃになったチケットで上映三分前の劇場に入ると、私を含めて客はたったの五人しかいなかった。息を整えておじさんが確保していた「特等席」に座ると、すぐに照明が落ちた。


 始まったのは名前も知らない映画だった。


※ ※ ※


 場内が再び明るくなると、私以外のお客さんはもう誰もいなかった。まあ、しかたがない。それくらいしょうもない映画だったんだから。


「………………ふふっ」


 おじさんがこんな映画を観ようとしていたこと。この駄作のために喪服のまま必死に走ってきたこと。ガラガラの場内で一人だけはりきって特等席に座っていること。いろんなことが合わさって、なんだか笑いがこみ上げてきてしまった。こんな映画鑑賞は初めてだ。おかげでまた一つ、おじさんと映画の思い出が増えてしまった。


「……ま、それはそれとしてこの映画は☓だよ」


 呟いて、私はチケットに赤丸をつけた。


-おしまい-

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