第26話 地上組『獣の魂』1-2
基本は濃いめの茶色い毛。腹のあたりは白がある。見知った中型犬よりは大きく、顔つきが犬とは違う。此方を見て目を丸くするその姿は、狼のイメージを強くするためにと目にした様々な狼達より、どこか間抜けに見えた。
ぐるるるる、という恐ろしい唸りが近くから響いて、慌てたように獣の隣に映る和樹が鏡の中のそれの背を撫でる。そうすると、自身の背中に優しい手を感じた。
「落ち着け?また暴走したら困る」
「お、おう……」
響はなんとか返事をする。そうして和樹を見ようとすれば己の仕草に連動して鏡の中の生き物も動くので、現実を見るしかない。柵で囲われた広い運動場内。不自然に置かれた、どこにあったのかとても気になる大きな姿見。手を伸ばして見る。持ち上がる前脚、肉球がそこに触れる感覚は人間の手で感じるものとは少し違った。
「写真や映像の記録が残るどの狼とも一致しません。やはり、1900年代には絶滅したとされるニホンオオカミなのでしょうか?」
「変化する動物に国縛りなどあるかの前に、絶滅種がありだとなるとはな」
「絶滅種となれば、やはり夢は恐竜ですね」
雀さんにより進化が確認されているスキル『獣の魂』シリーズ。恐竜がありならば、そこから最短でドラゴンの夢が叶うかもしれない。蛇や蜥蜴ならばと、進化の発見後に話題になったことを思い出す。
「響さん?その……」
思わず俯けば、背後から美里の心配そうな声がする。完全なる獣となって理性が飛んでいた間、あまりのことに「ひーくん」と呼び替えていたと謝ってくれた。姿が変わり、理性もない獣に対してだ。真面目に呼びかけるのも馬鹿らしかろう。呼び方にこだわりはないし、彼女の親しい家族への呼び方の規則性そのままなので、今後の付き合いも考えればそうして身近に思ってくれれば喜ばしい。
けれど、今はそんなことではなくて……
「っ……が……った……」
「「「え?」」」
聞き返された声に、目を開けて目の前の鏡に向けてがおうと吠えかかる。その迫力は中々のもので。
「そもそも!!狼と聞いて、イヌ科の時点で嫌だったんだ!!そのくせ、期待したより小さいとかふざけんな!!やり直しを要請する!!ダンジョンめっ!許さんぞ!!せめてネコ科であればイエネコであろうと文句はなかった!!!」
「お、落ち着け響!」
「……響くんって、猫派なの?」
「違う!犬も猫も好きだ!だが!しかし!自分が変身して戦うなら絶対猫!!なぜならば、ネコ科には古来より知られ許された猫パンチという名の立派な攻撃手段があるからだ!!よく考えたら噛みつき一択なんてとんでもねぇ!完全になってみたらわかる!攻撃手段牙!のみ!!前脚起用に動かせねぇ!!!」
主張するために前脚をやたらと動かして見せる。可動域が狭くて、横から殴るのは完全に無理な作りだった。ガウガウどころではない、自分では止められない興奮に心の奥で「あ、やばい?」と思った瞬間、吠えるために開いた口に何かが突っ込まれた。じゅわりと口の中に広がる……
「ふぁぐ!!(肉っ!!)」
肉汁の旨味に驚く。なんだこの肉はとはぐはぐと噛もうとするが難しい。
「響、基本丸呑みだぞ」
「……(まじで?)」
「昨日も凄い勢いで吸い込まれてたよ」
「だから冷まして小さく切ってたのよねぇ……それで時間がかかるから、焼いてる肉に飛びかかろうとして止めるのが大変だったわ」
驚愕の知らせに思わずごきゅんと肉を呑む。ステーキ肉はかなり簡単に胃袋におさまった。美里の手にはお皿があって、そこには確かに細長く切られた肉。もう一個いるかとトングがかしゃかしゃされるのにお座りして口を開ければ心得たとまたひとつ口の中に幸せがやってくる。
「まだ飢えを感じていますか?」
「……いえ。お腹空いた感じはないですね。まだ食べれる……けどなんだろうな。エネルギーは足りてて……けどまだ食べられる。……ああ、もっと食べれば長いこと食べなくても大丈夫かもしれない?」
「『食い溜め』などの貯蓄系のスキルですかね。『獣の魂』シリーズは動物の特性に応じたスキルが複合されるという話ですから」
詳しくはわからないが、雀さんも元々雀が持っているだろう動物的な危機察知能力などをスキルの形で保有しているらしい。元が人間な分感じられない感覚をスキルで補う。例えば、雀さんも自力で飛行が可能だが、意識して『スキル』を使えば本来雀には不可能な長時間のホバリングなどが可能となったとか。
「犬もそうですが、食べられる時に食べられるだけ食べるのが本能のようですね」
「一度、限界まで食べて、その後何日耐えられるか確認した方がいいでしょう」
「うわぁ……」
サバイバルの経験は、ある。この時代の配達員の最上級の資格というのは伊達ではないのだ。緊急時のための絶食に近い状態での訓練。今は若いからいいが、後何年からすれば資格の継続のためにまた受ける必要がある。……しかし、まだ後何年も先の予定だった。そして、時代が進めばその資格自体廃止もあり得るからしなくてもいいかもしれないとも考えていたのだが……
「どの程度で暴走するのかなど、しっかり確認する必要があります。……生存には有利なスキルですから」
「はい。理解はしてます」
必要だとしてもげんなりとはする。差し出される肉をもうひとつ呑む。なんの肉だろうか?とてもうまい。
「けどまずは……この姿と人の姿、自由に変化できるようになるのが先ですよね」
「戻れないか?」
「どうやって戻ればいいのか全くわからん」
きりりと言ってみれば呆れられた。情けない気持ちになれば、自然と喉からきゅーんと鳴るのでそれがまた響を情けない気持ちにさせた。
「雀さんがダンジョンから戻られたら話を聞けるといいですね……あとは、なった時の感覚頼りですか」
「「「…………」」」
昨日のことは暴走する少し前までは覚えている。朝は慣れない尻尾の悲劇ではじまり、朝食はみんなと同じものを一食。それから、庭で美里のスキル取得を兼ねたBBQをしてもらった。それから健康チェックを特別棟に詰めることになった医師から受けて、運動場へ。体を動かしながら、変化するために狼について学んだりしていた。そして、昼前のことだ。ひとつのダンジョンが、サバイバル民の全滅で通常に戻ったという速報音。その時感じた焦燥感を思い出してふるりと背筋が震えた。
「……いっちゃんかと思って焦ったよね」
わかるとみんなに頷かれる。すぐに地元ではないと否定されたから安心したが、それではもう遅かった。
「緊急事態でも暴走しないようにって、難しそうだよなぁ……」
またあの訃報を含めた速報音が耳に入れば、どうしたって最悪の想像をしてしまうだろう。そうして動揺しても暴走しないように頑張らなければならない。
「暴走の方はエネルギーが足りていれば大丈夫だと思いますが、びっくりして変化してしまうのは抑えたいですね。雀さんも、まだ油断しているとなってしまうそうですが」
「道端で突然狼になるのはちょっとな」
どうしたものかとゆったりと歩く。歩いて、回って、跳んでみる。意外と、体を動かすことについてはスムーズにできていた。
「次にスムーズになれるとも限りませんし、思いっきり体を動かしてみましょうか」
その中で不意に戻れたならば、最初はそれでよし。理性もあるので、それぞれ解散して個別指導に戻ろうと声がかけられて頷く。とりあえず、己の相手はボールを手に持った自衛隊員のようだった。
響は投げられた球体に釣られて、全速力で駆け出した。
「……完全に犬なんだが?」
「理性……あるのかしらね?」
「相手の自衛隊員さんたちがいい笑顔……楽しそうだね。うん」
箱庭と天秤 @spinae
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。箱庭と天秤の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます