第25話 地上組『獣の魂』

響き渡る唸り声。一時より落ち着いたとはいえ、変わらぬ威嚇と警戒の体勢に、少し離れた位置で地面に座り込んだ和樹はお手上げのため息を吐いた。


「暴走したら餌に齧り付くんじゃないのか」


ただの犬ではないと一目でわかる風格。小型と言われようとも、和樹が見たことのある中型犬と比べても大きい。剥き出される牙と鋭くて頑固な眼差しに胡坐をかいた膝に頬杖をついて何度目かのため息。その目の前には幾つかの火を通した肉があるのだが、まるで反応しない。


「(俺たちに襲いかからないだけいいんたろうけど)」


大騒ぎだった小一時間前の状況を思い返す。怪我人が出ずに済んでよかった。隔離という対処をしてくれて本当に良かったと和樹は心底思う事故だった。




自衛隊の基地内。最も金と労力を使う、現在最高の冒険者育成プログラム。スキルを取得した初日が終わり二日目。早朝に寝ぼけた響が暗がりで蠢く自分の尻尾を思わず全力で掴んでしまうという悲劇で始まった二日目は順調に進んでいたはずだった。


ダンジョンに関する、とある速報音が鳴り響くまでは。


「!!……反転がっ」


室内で座学の個人授業を受けていた和樹は慌ててポケットから己の携帯を取り出す。ダンジョンに関するお知らせには特別な音が各種設定されている。ダンジョン発生に関する警報に、まだ沿岸部くらいでしか使われたことのない氾濫などにおける地上での魔物の襲撃警報……そして、避難を呼びかけたりするのではない、今鳴り響く物悲しい鐘の音。


「妹さんのところなら、携帯端末だけでは済みません。出動の指示も飛びます」


人を飲み込んだダンジョンは反転する。飲み込んだ人間が生還するか、全滅するまで。その反転が終わると浅い層から侵入できるようになる。かつては普通の速報として出ていたが、他国で長く反転していたダンジョンが、解けた瞬間氾濫したという情報が幾つか入り特別な音を割り当てられることとなった。


「っ!……はい。相変わらずです。……全滅したのは……岩手?」


70(0/68)と全て赤くなってしまった数字が悲しい。丁度70層あるダンジョンはとある工場を飲み込んだ。それからもう1年以上だ。よく生き残っていたと言えるだろう。


「東北か……『勇者』みたいな奇跡は、続きませんね」

「そうですね。…大所帯で、心を壊さず生還するのは奇跡でした」


その奇跡は速報で伝えられた。そして、たった半月後には東北のほぼ全戦力でそのダンジョンを潰してさらに話題となった。999なんて馬鹿げた大きさのダンジョンが発生する前にあった、ダンジョンに関する一番大きくめでたい知らせだった。どうかそれに続いてという願いは届かず、この訃報。残された家族や友人はどんな……


「柵閉めろ!!絶対に開けるな!!!」

「棟内、敷地内完全封鎖!!非戦闘員の避難急げ!!」

「食糧用意!!隔離棟から逃すな!」


と、心を寄せていれば、外の運動場から響いた大声。和樹は咄嗟に立ち上がり、教官は即座にそちらの窓に寄る。それに続く前に、獰猛な唸り声が続いて響き渡った。それにまずいと駆け出そうとする前に、緊急を感じさせる音があちこちのスピーカーから流れ出す。

即座に基地全体のすべての出入り口が封鎖。その上でスキルの能力で壁越えての脱走などに備えて人員が敷地内外へ展開されていく。


「大袈裟にも思えますが、訓練にもなりますので」


そう言われつつ、廊下を駆ける。途中で合流した戦闘可能な隊員に守られて運動場に向かえば、そこは一頭の猛獣を相手にした戦場に変わっていた。




警報に驚いて、そして、怖かったのだろう。そばにいた隊員から和樹と同じように施設から鳴らないので大丈夫だと伝えられて、ほっとした顔をしたという。けれど、その時にはもう遅かったのか、獣化が進んでさらに混乱してしまった。


「お?……ああ。準備できたか。……唸るな唸るな。美里しか近づいてこないから」


物思いに耽っていれば、少し落ち着いていた威嚇の唸りがまた上がるのに振り向く。柵に囲われた運動場の中へと素早く入ってくる箱を抱えた妹。


「お待たせ。響さん、否、最早ひーくん!頼むから私が料理するで許してね?肉の調達からやるのは厳しいからね?」

「そうだな……朝の焼肉も美里がやったし、それだけで餌付けになればいいけど」


どうにも頑固に肉を食べない。嫌だという生肉を出すのは本当に最終手段になる。差し出す人間を変えてもだめなら、調理者を変えるしかない。対策班はてんてこ舞いだった。


「ご両親は駆けつけようと思うと時間かかるし、一緒にやっていく以上はね、私達でなんとかすべきだからね」


襲われないだけ大丈夫なはずだ。そもそも、威嚇と牽制程度で人を傷つけようという様子はないのだが。美里は少し距離をとった場所に箱を置き、さらに肩にかけていた鞄から徐にバーベキューのためのセットを取り出す。朝にも響のためだけに活躍した用具一式の使い方は和樹もよくわかって手を差し出す。


「手伝うが……タライ?」

「一番小さい真新しいの。大型犬用の水皿なんて用意がなかった。ステンレスのボールとかだと不安定だろうしで、苦肉の策?」


直径が大きい分、距離をとりつつ差し出せるのもいいだろう。そう言いながら地面に置いたそれに美里が手を掲げる。あっという間にタライいっぱいに綺麗な水が現れた。


「もう『生活魔法』は使い熟せてるな」

「楽ができるってわかったらとことん楽したいもの。で、まずは試し。ほらひーくん。ダンジョンコッコのお肉、焼いたのは私だぞー」


取り出した木製のプレートの上に乗った鶏肉。それに鼻が少し動く。水も肉も魅力的に見えるらしい。だが、食いつかない。だめかと和樹が素早く炭などのセッティングを終えた手元に目をやる。無駄か、と。そうすると、笑顔のままの美里がさらに何かを取り出した。


「味付けなしだと嫌かなぁ?ひとつだけ、いっちゃんが好きな鶏肉の酒蒸し作ってみたんだよ」

「は?」


和泉の好きな酒蒸し?なぜ?と眉を寄せた和樹は、ほんの少し揺れたものをとらえて慌てて平静を装う。しゃがんだ妹から感じる何かに、考えながら口を開いた。


「あ、ああ、鶏肉といえばだよな。ちゃんと和泉好みの柔らかいのができたか?」

「母さん直伝の技よ。酒蒸し、ひーくんは好きかなぁ?」


ふりふりふりふり

犬のように激しくはない。だが、確かに振っているし、耳も反応している。兄と妹の笑みが深くなった。


「うふふふふ……美味しい?」

「見ればわかるだろう。つか、丸呑むぞ」

「……鶏とか、骨付きはやめよう。ドロップしたままの、誰も手をつけてないやつ詰めてきたから……」


そう言って立ち上がった美里が、素早く魔法で着火する。さらに食材用の魔法の箱から肉塊を取り出す。そもそも、丸焼きなどは効率が悪いので後回しの予定だった。そう言いながら肉のブロックから薄いラップのようなものを剥がす。すぐに消えてしまうそれを気にせず、スライスして網へ。実に豪快なステーキだった。


最初に嬉しそうに酒蒸しを平らげ、皿をガタガタ言わせながら汁も一滴残さず舐め取った狼。一度食べ物を口にした肉食獣は、そこからはもう止まらなかった。もうひとつの焼いた鶏肉を丸ごと、もも肉など骨までいこうとするのを止めようとして失敗した和樹は簡単に噛み砕かれる骨に慄いた。だが、焼かれている肉に飛びつこうとした瞬間には体を張って止めていた。肉食獣が怖いとかの前に知り合いが、妹の同級生で友人が大火傷の危機である。


「待って!焼けたけど!まだ熱いから!」

「さらに細く切るわ。次焼いて」

「『反転』で少し軽くできるけど、リードかなんかないのか?捕まえるというか抱きつくなんだが……!!!」


他は近づけなかった代わりに、手が足りないと見て呼ばれた彰子が皿に乗せられたステーキ肉を細く切っていく。二本足で立ち上がるとかなり大きな獣がガブガブと口を動かすと鋭い牙がかなり恐ろしい。


「ステーキは飲み物ね」

「噛んでる間に冷やすなんて芸当は考えもしないだろうな」


切っているからまだいいが、皿の上に盛られた一枚分がペロンとほぼ一口で消える。咀嚼する様子は全くない。


「……あれ。冷却とかって『生活魔法』にあったりしない?冷え過ぎず、少し冷ます……お?どう?」


不意に最低限焼き上がった肉を一枚トングで持ち上げた美里が呟く。そうして無言でそれを見つめた後、彰子が差し出す皿に置いた。それに、彰子が息を呑んで指を伸ばす。


「……表面は完全に冷めてるわ。中は……中も。ちょっと冷まし過ぎかな」

「固い?じゃあもうちょっとふわっと」


数枚でコツを掴めば、そこからは冷めるのを待つ時間は短縮された。ノンストップでただひたすらに焼いた肉が狼の腹に吸い込まれていく。


「……まだ食べるのか?肉のドロップは1つ1キロブロックが基本でそれが何個出てきたと……」

「これから焼くので7個目だね。後あるのは骨付きなんだけどどうしよう?」



不安を口にしながら、結局響は10kg近い肉を平らげた。そして、ようやく満足したらしい獣は周囲の言葉を聞かずに地面に寝そべり眠りについた。


「さて……やっと落ち着いたわけですが」


狼が寝た後も絶えない肉が焼ける音。バーベキューコンロを前に折りたたみ椅子に腰掛けた三人は、それぞれの手に飲み物を持って一息。気付けばもうおやつの時間が近くなっていた。


「なんで酒蒸し?」

「あれは、好物だと釣りやすいかと思ってご両親に聞いてみたの。そうしたら、三嶋家の酒蒸しでって」


赤木家は人数が多いので、基本的に大量に作れる簡単な料理が多いらしい。肉を食べるとなれば焼肉、炒め物、煮込みくらいだそうだ。


「お昼ご飯で一緒に食べたんじゃないかな」

「そうか」


お陰で簡単に食いついてもらえたのだから、これはまあいいだろうと和樹は姿勢を正した。


「この後は?」

「もう決まってるわ。響くんを刺激したくないから、基本的にここで野外での訓練を申し訳程度に行いながら様子を見ます。自衛隊の皆さんは柵の外待機。そして、今夜二人は試験を前倒しにします」

「試験?」

「ここでテント泊よ。響くんは免除の科目だからちょうどいいでしょう?」


二人でテントを立ててただ一晩寝るだけだ。サバイバル系の基礎研修になる。自分たちで設営して、寝て、翌朝片付けられればそれでよし。その言葉に和樹と美里は頷いて、すぐにテントの設営に移るのだった。

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箱庭と天秤 @spinae

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