第10話 三嶋美里
いつか必ず、ダンジョンに呑まれる日は来る。
たった3人になった家族に、新しく仲間入りした義姉を加えて、歳の離れた姉は冷静にそう告げた。
漸くかつてのような潤沢な外交が復活し始めたという、豊かになるばかりの世界に、3年前、突如としてダンジョンが現れた。
復刻されたのだというゲームや、図書館で読んだ小説や漫画のようなおかしな空間とおかしな生き物……魔物。
五十年より前の時代を知る人達ほど騒ついた。祖父母はもういないからよくわからなかったが、ゲームにネットの民だったという人ほど大騒ぎかつ、五十年を乗り越えたからこそ慎重でいて大胆だった。
お陰で日本はなかなかに安定しているのだそうだ。
「おかえり、和樹!美里ちゃんもいらっしゃい。ダンジョンは?二人とも、体調は…」
「むきゅっ」
「ただいま。俺も美里も全く問題なかった」
美里は実家のあった山から降りて、さらに街まで国の車に乗せてもらって戻ってきた。大学までは戻らず、一晩を過ごすことにした兄の自宅マンション……帰って即座に視界と呼吸を潰された。
「そう。私は、大きめのを見学に行って、ちょっと気持ち悪かったから……でも、そっか……二人が耐性あるなら、和泉も大丈夫よね」
「ぷはぁっ!」
犯人は兄嫁、三嶋彰子。出会い頭に此方を抱きしめた顔色の悪い彼女は、元々は姉と同い年で小学校入学同期。卒業は兄と同期の才媛だ。とても可愛がってくれるいい義姉だが、可愛いものが好きで、一人っ子。姉妹が欲しかった上に、赤ちゃんの頃に抱っこしてお世話もしたこともあるという美里は会う度に猫可愛がりされていた。
「ずっと見てたのか」
「通知凄かったから、それ確認しつつ横目に」
家の中に入れば、リビングにある大画面にはダンジョン関係の情報が点滅していた。反転中のダンジョン速報……最新にして圧巻の999階層には1/1の表示があった。他の段に下向きの矢印マークが点滅するのが生々しい。
「誰が死んだか、わかりやすいのはまだマシなのかな」
「……どうだろうな」
すっぱりとわかればすぐ楽になれる。生きているかもしれない、死んだかもしれない。そんな気持ちで待ち続ける日々とただ一人落ちた人を想うのと。
「まあ、あいつが『天秤』である以上は大丈夫だと思うしかないな。それより、今後のことだ。三嶋家は家長不在状態になったわけだからな」
「あ、私も通知が多くて切ったまま」
リビングに腰を落ち着けつつ、荷物に触れる。兄はその間にサッと目を通して、資料も揃っているとそう言った。
「流石に多いな。お前も早めに確認な」
「冒険者の?」
「攻略者志望だから色々ある。特にお前は、屠殺必須外れてるからな」
「……あ゛」
三嶋美里19歳大学生。過酷な50年の間に必須科目の一つとなった屠殺の実習を免除されし世代。必須でないなら回避したし、その他狩猟系も勿論とっていない。少し前ならありえない、魚さえ〆たことのない若者であった。
「ふふふ……時代を感じるわ……」
「そういえば、聞いたことなかったな?」
「……一回目はダメだった。二回目は、和泉と合わせて……支えがないと無理。あの日の和泉の頼り甲斐ときたら、和泉が男なら惚れてたわ」
「複雑な気持ちだが、わかる……あれは受ける側に心強いのがいるかどうかで決まるからな。……俺の時は養鶏してる家の女の子だったな。家でもうやってきたって言いながら、それでも少し泣きそうで」
遠い目で過去に飛ぶ2人に美里は頬を引き攣らせる。その課題は、決して強制はされない。あくまで自主的に行われるその時間、誰一人として踏み出せずに終わる試験もザラだという。この類の話の重苦しさは凄まじい。どちらも、落第して魚のものや、生命に関わる別科目で回避もしていないのだから凄いと美里は思う。
「かーくん……?そういえば、狩猟もとってたよね?あれも勿論」
「……一桁じゃあんま覚えてないか。近辺の狩猟資格保持者が祖父ちゃんだけになったから、誰かやるしかなくて俺と父さんで行ったんだよ。和泉は無理だし、お前には勿論させられなかったし、どうしても無理なら母さんが行くって言ってたけど、世代的に俺が行った方がよかった。今の状況考えればほんと、俺がとってよかった」
家族のために頑張った兄の言葉に美里は涙目になる。しかし、それが目の前に迫っている。魔物には誰しも生理的嫌悪感があるらしく、他の生物より楽とは聞くが戦いである。魔物とて断末魔を上げる。生きている。
「わかってたけど、いざ目の前になると…そっか!冒険者資格には色々必須…!えいやっ……ひやぁぁぁ!?」
タブレットを開いて生体認証でロックを解除した美里は、そこに来ていた冒険者云々の国からのお知らせの中身に悲鳴を上げた。資格受験に足りていない単位のお知らせである。必須でありながら取得していないものは真っ赤であった。真面目にコツコツやる優等生美里にとって、見たことがないくらいの赤。
「うそぉ……え?いつまで?」
「1ヶ月後にはスキル取得。単位取得する場所と日取りちゃんと確認しろよ。支援範囲外のは個人で取らないとだめだから、赤いからすぐわかるだろ」
「日程……1ヶ月後に合宿開始、初日ついてすぐ取得。あ、相手が……狐!?」
「予防接種じゃないからな」
予防接種はすぐに簡単に受けられるように、虫系の魔物や、必須科目で経験のある鶏などが相手になっている。ある程度選べるようになっているが、ダンジョンの場所と湧く魔物はそれぞれだ。
「ここら辺はダンジョンがただでさえ少ない。近くても車で一時間近いからな。基本は鶏か鼠か蛇だ。あとさらに遠くて兎。兎は捕獲に手がかかるな」
「狐は襲ってくるから、それを迎えて捕獲してもらってとどめを刺す形だって」
狐さんとしょんぼりとしつつ、現実と向き合う。まずは単位である。1ヶ月後に絶対ではないが、3ヶ月後には必須単位を揃えなければスムーズな免許取得ができない。
「かーくんはないの?」
「支援で済む」
「……つらい」
座学の方は一応殆どとれている。しかし、実技である。一括で受けたい科目を送ればすぐに返答があるのだが、期限を1ヶ月と設定すると絶望する日程だった。とりあえず、大学の普通講義は受けられない。
「そういえば、赤木くんチーム入りって連絡は見たけど……結構優しいし、和泉とは仲良いし……大丈夫?即事務連絡とかしても問題ない?少し待つ?」
「あー……凹んではいた。合流前に冒険者申請一人でしてたし、多分大丈夫だろ。それこそ、連絡しとくか」
姉に何かあった時の緊急連絡として元々交換していたらしい連絡先にメールが送られる。すると、5分とせずに返信があった。
「問題なさそうだ。家族の了解も取れたって。お……あいつも特に個人で取る必要はないらしい」
「ぐあぁぁぁ!!7年8年の差がヤバい!!大学の勉強あるし…!」
「飛ぶか時間かけるかは自由だ」
「飛ぶほど頭良くないんだよ!そもそも私、外仕事しながらの勉強経験ないし!!バイトでもしとけば……いやでも、学生楽しめってお小遣い多めでもらってたし!不自由なかったから甘えてた!」
話にだけ聞く、生きるだけ、食べるだけで精一杯。食事が全て配給制で、人手も足りず子どももできる仕事をやった時代。それが終わってから物心ついたのが美里の世代だった。
「私、家で勉強して洗濯して、外では年少のお世話と野菜の仕分けとかしたわ」
「俺たちだってまだ恵まれた世代だろう?特異点とか現れて……その第三席が妹で同い年。体質の制御がうまくいくまではドタバタしたけど」
「あの頃は話題沸騰だったね。時の人というか、能力的にも割と本気で土地神様みたいな扱いだったから勇気いるというか」
まあ、いつの時代だってあの頃はとなる。過ぎたことだからだ。懐かしいと言いながら指を動かして確認を続ける。
「和泉がいなくなって、いつかと覚悟はしてても市や県……どころか国は大変だな。財源の一つが無くなったに等しい。代わりの管理者なんて立てられない唯一無二の能力者」
「そうだね。諸々生きてるけど……できれば、和樹たちには安定して活動してもらいたいわ」
きらりと目を輝かせた義姉に美里は驚く。それに、彰子はふっと笑ってみせた。
「美里ちゃん達の活動の、財源……諸々の事務仕事についてはまかせなさい?これでも敏腕秘書なのよ」
「サポートしてくれるって話、思ったよりがっちり?」
「がっちりよ」
基本的に身内の活動である。和泉の残した資金はあるが、それに頼り切るわけにはいかない。現在進行形でわりとがんがん経済を回しているシステムに手をつける勇気はこういう時の権利を渡されている和樹にはなかった。
「基本使うのは俺の貯金と、常日頃俺たちに積み立てられてた保険金。国から支払われる各種金。まあ、当面全く問題ない」
「……保険金……」
「家自体に父さんや祖父ちゃんらが遺してくれたものも丸々ある。で、和泉のやつ。正直積立すぎだ。そして、各種株式とかがおかしい。不労所得でリッチな奴め」
「でも、得るだけ放出しないとだめな体質だから……」
お金の話はパスしようと美里は決めた。兄と義姉がやってくれるならぽいである。
「……うん。こんな感じで行こうと思う」
「……思った以上に足りてないな」
びっくりした様子で言った後、兄の頷きを持って申請を出す。それから、大学の勉強についてだとか、美里は色々と兄と話し合い、反転したままのダンジョンを確認しながら未来への準備を進めた。
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