第6話 赤木響

ほんの5分。

もうほんの少しゆっくりしていれば。

5分前に、その異変が起きてくれていれば。


「……叔母さん?うん、俺は大丈夫。……けどさ、俺、退職します」


首に下げていた装置を半ばヤケ気味に引き抜いて、職場に退職を希望した。殆ど親族経営の職場、電話に出た父の弟の奥さんは言葉を失っていた。帰ったら説明するけれど、先に両親にも言っておいてくれと伝えた。


きっと、これこそが、赤木響が待っていた変化だったから。



この世に産まれて26年。まだまだ災害が続いていた時代に響は産まれた。

実家は災厄の五十年から地元の物流を担った家で裕福な方。学校では極平凡な成績を重ねて、高校卒業資格を取った後は、その年に何十年ぶりかに復活した学校生活を体験しようと街に出た。講義を直接受け、寮で生活する、ほぼ学業のみに専念する4年間。かつては当たり前だったキャンパスライフとやらを味わった。


街に出たら帰りたくなくなるのではと家族には危惧された。けれど、日々豊かになる生活を実感しながらも、大きな街に特別な魅力は感じなかった。だからすぐに地元に戻り、家業を手伝うことにした。


特に山も落ちもなく安定した日々は、幸せというやつなのだと思う。


「はー……春だな」


新緑と花の色が美しい山の中。

同じ田舎住まいとはいえ、学校や商店などが集まる地区の中心地に住んでいた響とはレベルが違うド辺境。しかし、長閑。穏やかで静かでいいところだといつも思う。

不安になる程奥まで車を進めれば拓けた景色。遠目に見えるのは3軒の家。見た目からして年代の差がある、その一番新しい家の側へと車をつけた。


「お?あ、和泉!」


玄関に回れば、外に人影。春らしい装いの女は、外に置かれたリクライニングチェアに座って目を閉じていた。呼べばゆっくりと目を開けるこの家……というか、ここら一帯の主人はぼーっとした様子で響を見る。


「……こんにちは。もう昼なんだね」

「ちわ。眠い?」

「日差しが良い感じだからね」


日向ぼっこもできて、動けないと申告されもしない。今日は元気な日だと思えば自然と口角が上がった。


「今回の差し入れは高級なパンです。ふわっふわのやつとか」

 

和泉とは同い年。入学から高校卒業認定の時期までが同じ年だった同期である。

災厄の五十年の中、教育方法は大きく変わった。日本全体で教育内容が統一され、初等教育から高等教育まで全て試験を受けて単位を取る形になり、校舎へは最低でも実技と試験を受けるためだけに足を運べばよくなった。

学習ペースが同じだと自然と実技や試験等がかぶることが多いため、自然と親しくなる。結果として入学と卒業認定が同じで仲が良いと同級生と呼ぶのだ。特に和泉とは高校まで完全同級、現在の仕事の繋がりもあって地元女子で一番仲がいい相手だと響は勝手に思っていた。


「いつもありがとうね」

「これが仕事だからな。役得もあるし。荷運びは体力勝負とはいえ、高級取りで満足だ。また給料上がるらしいし。……送料下げられたの一瞬だったな」


週に一度の来訪は時間と彼女の体調が許す限り一緒に食べるのがここ数年のお約束だ。よく食べる響の昼代が奢られているので、気軽に出かけられない和泉の気分転換だとしても貰いすぎなくらいだった。

和泉のすぐ近くにある机に昼ご飯の紙袋を置いて椅子を引き寄せる。そうしていつも通り話し始めるのだが、今回まず話すのは値上がりだった。

原料・燃料が限られるために、自動車は贅沢どころか個人保有はまずない。そのためそれを利用するサービスは金がかかる。それを戸惑うことなく使う彼女はうちの従業員みんなが認める大得意だ。なるべく手厚く対応したいというのが総意なのだが。


「荷によっては人でも馬でも牛でも使ってなるべく安く抑えるつもりだけどって親父が」

「お金については気にしなくて良いよ。燃料の節約とかそっちを重視したら良い。何かあったらすぐ連絡して。どのみち釣り合いは取れるから」

「仰せのままにー」


我が家のお得意どころか、地域としても大事な管理者。彼女は思案するように目を伏せた。


「燃料は下がったままだし、危険手当て?」

「俺らは全くだけどな。海岸沿いの遭遇率は上がってるって。九州じゃ半島から飛んでくるのが幾らか出たらしい。あと、ダンジョン品の流通も多くなってきて……そうだ。ほれ、ついに首輪がついた」


数日前から首から下げるようになった機械を上着の内側から引っ張り出して見せてやる。そうすればその目が丸くなった。


「それが噂の緊急通報システム……引き抜くだけ?」

「そ。位置情報発信と山奥でも少なくとも1分は報告ができるようにできてるらしい」


響が遭遇するのは相変わらずの猪などの野生動物ばかりだ。今のところ一番怖かったのは先日実家近くに出た雀蜂だろう。魔物にはまだ一度も出会ったことがない。


「そっか……ん、美味しい。具材も季節感がいいね。アスパラ柔らかい」

「だろ。全部良さげでさ、かなり迷った。菜の花とかもいいぞ」


春だなと笑って、少食な和泉が色々と楽しめるように分け合う。食べて話して、途中とてとてと横切った老猫にも持参していたおやつをわけてやり……食後は仕事だ。


車から荷を下ろし、向かうのは大量の物資が納められた倉庫。ここが避難・疎開先として指定された山だからこその巨大な倉庫だ。一番奥にあたるここにはいつも作り立てほやほやが運び込まれ、訓練で一部を消費、また期限の中程で人の多い地域へと輸送されていくようにされていた。中をあらためてチェックしながら荷物を運び往復すること3回。春の大規模訓練前だから、響が運ぶ荷はあまり多くなくすぐに終わった。


「個人分は?」

「幾つか使ったよ」


じいちゃん曰くの置き薬の仕事も熟す配達業者だ。和泉個人が使う生鮮食品やら服やらも今回は細々と多め。薬の確認をして、非常食の減りの少なさに本当に調子がいいのだとほっとする。


「あ、そういや、予防接種きた?俺んとこはまだだけど」

「そっか……まだか。そろそろ職域で来るはずだって話して何ヶ月経ったか」

「どうしたって海岸沿い優先だからな」


なによりここ近辺にはダンジョンがない。一番近くまでは車で軽く一時間走る必要があるし、それで辿り着いても規模が小さい。しかも一般の予防接種に使えるような魔物となるとさらに限られる。そう簡単には順番が回ってこない。


「とはいえ、今年中だろ。俺もお前も」


予防接種は必要性で分けてからの抽選方式家族単位だ。職域の響と、家族に若くて働き盛りの健康体の兄と大学生の妹を持つ“特異点”であれば優先順位は高い筈だった。


「そうだね、リスクは相当高い筈だから」


自分から志願して突撃した方がいいのか悩むくらいだと言うのに、親族が行った仕事を思い出す。


「――この間、最後の引っ越しやったってな……元々過疎になってたけど、山の上はもう和泉一人か」

「うん。三年かかったけど、何か起きる前に終わってよかった」


本気で安心した様子に悲しくなる。1人で何かあったら、和泉の体ではとてつもなく大変になる。それでもと自分の周囲から人を逃したのだ。


「大丈夫。美里は大学終わったら戻る気だし、和樹たちも現場での仕事が終わったら、せめて麓には戻ってくる予定だからね。管理は慎重にやるし……大変ではあるけど、予防接種が終わったら、得たスキルに合わせて育成計画立てるよ。生き残れるようにね」

「その時は俺も手伝ってやるよ。俺も、スキルは伸ばすし」

「というか、冒険者に少し憧れてる?」


ほんの少しの笑みを含んだ問いかけに少し驚く。


「う……んー……?まあ……?でも、特にこれといった志があるわけじゃないしな」


今の時代、ダンジョンを目指す人の理由は様々だ。どんな理由であれ、毎日のように増えるそれに対抗する人材が不足している今、人手が集まるだけ喜ぶべきだ。

だが、必要に駆られてや、正義感、憎悪、一攫千金……様々な理由が溢れる中で、なんとなくはじめることだけは、響としては納得できなかった。

命を賭ける職業だ。

家族もいるのに軽はずみな行動はするべきではない。それに何より、1人では無防。


「友人とかに誘われたりしなかった?」

「誘われたのは誘われたけど、命預けて預けられる相手だからな」


それこそ、同じ目標や目的を持っているべきだろう。自衛隊に入隊して正規で目指す程ではない。若者が軽い気持ちで挑んで死亡する事故など枚挙に遑がない。自分が生きるために共に潜った仲間を見捨て、あまつさえ囮として蹴落としたなどという話も。

その報いは大事件となって日本を騒然とさせたが、ああいうのを見ると、慎重になるべきと心から思う。


「まあ、大仰な話でもなくて……ただ単に、俺の中で切っ掛けがないだけだな」

「そっか。予防接種って切っ掛けはすぐに来るし……人生って何があるか分からないから」


家族や大切な人がダンジョンに呑まれる日が、或いは自身が呑まれる日が来るかもしれない。奇跡的にまだ無事な日本だが、氾濫の危険はいつだってある。


「ま、戦えないやつとかだったらどうにもならないしな……手伝うにしても考えねぇと。なんなら家族総出というか選りすぐって手伝うからさ」

「ありがたいね。なら、私も、ダンジョン外でスキル取得と成長に効果ありそうって聞くダンジョン産食材を金とコネの力で揃えてみよう」

「ははは!日本の裏のドンが言うとアレだな!!」

「引きこもってはいるけど裏じゃないね。表でのんびりやらせてもらってる」


どんなスキルを手に入れるのか。やっぱり夢のあるスキルがいいと笑い合って、端末を差し出す。和泉の細い手がかざされれば、すぐに仕事は終わった。また来週と手を上げて玄関を離れる。


「……お。ヤギトリオ。食ってるなぁ」


病弱というか、ハンデ持ちで特殊な女性が暮らす田舎の家。老猫が縁側で日向ぼっこに興じ、外に設けられた簡易柵の中には、春になりすくすくと育つ雑草に突撃する山羊がメェベェと鳴いている。

理想の老後のような暮らしぶりに笑って5分。今まで体験した中でも最大規模の地震と、背後から聞こえた凄まじい音に、響は青ざめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る