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 吟遊詩人をフィルが追う。広場から裏路地に入り、詩人をかねで釣ろうとした男から姿をくらまし、市場に続く大通に詩人は出た。


 しばらく道なりに進んでいたが、市場の手前で路地に入り、そこにあった安宿に入っていく。安宿と言っても一階はどうやらパブだ。続いてフィルも入っていった。


 パブは盛況で、この街の住人と見える男たち、あるいは旅人、そしてそれら男を相手の商売女でごった返している。入ってすぐには天井があるが、すぐに吹き抜けになっていて、四、五人座れるテーブルが二十といったところか。奥はカウンターで、バーテンが立っているのが見える。ほかには給仕係もいないようだからバーテンが店主かもしれない。


 店の片側にある階段を上ると、店をぐるりと見渡すように廊下が続いている。そこにドアがいくつか並んでいるのが客室だろう。店に入ってすぐの天井の上も客室だ。詩人が二階の部屋の一つに入っていくのが見えた。


(早い話が連れ込み宿)

 そう思いながら、酒の匂いや様々な料理の匂い、化粧の匂いを掻き分けて、フィルは奥のカウンターに向かった。


「いらっしゃい」

バーテンがフィルに声を掛ける。


「随分と流行はやっているみたいだね。こんな時間に盛況だ」

「おかげさまでね」


「ここは宿じゃなかったのかい? そう思って入って来たんだが」

「宿だよ、食事も提供できるよう一階はパブにしたんだ」


「なるほどね。今夜、空部屋はあるかい?」


 すると初めてバーテンがフィルをじっくりと見た。嫌な目だ、とフィルは思う。あのシチュー屋の女将おかみと同じ目だ。


「お客さん、商売はなんだい?」

思った通りだ、と内心フィルが警戒する。


「旅をしながら日銭ひぜに稼ぎさ。この街にも何日かいようと思っているんだけど、いい働き口を知らないかい?」


「ふぅん……」

「あぁ、まだ手持ちはあるから宿代の心配はいらないよ。なんだったら、何日か、前金で払おうか?」


「何日居る気かは知らないが、居る間の部屋は確保しておくよ。だが、宿を出るとき毎回、清算してもらおうかな。それと、あんたには働き口など必要ないだろ」

フィルから目を離してバーテンが言う。


「帰って来なけりゃ街を出たと思う。あと、うちで騒ぎを起こすな、これは守れ」

見抜かれた、とフィルは思ったが黙っていた。


「騒ぎなんか起こすかよ。悪いが親爺おやじさんの宿に俺の客はいなさそうだ」

それにはバーテンも少し笑った。


 腹は減っていないのか、とバーテンが訊く。トマトのパスタができると言うので、それを頼むとバーテンは思いのほかおしゃべりで、街の事を訊かれもしないのにいろいろ教えてくれる。


 フィルの商売に気が付いていても、こんな宿ではそれをとやかく言いはしない。どうせ客は似たようなやからばかりだ。


 パスタがそろそろ出てくるかと言うころ、フィルの読み通り、荷物を降ろし、部屋着に替えた詩人が降りてきた。おあつらえ向きにカウンターに座ると

「シャンパーニュ」

と言った。バーテンが返事もせずにグラスに入った酒を詩人の前に置く。


「チーズでも出しますか?」

バーテンの態度はフィルに対するものと随分違う。かなり硬い。詩人は黙ってうなずいている。


「食事はトマトのパスタでいいですかね?」

やはり詩人は黙って頷く。


「ふぅん、詩人さん、商売以外で声を他人に聞かせるのは勿体もったいないか」

 フィルが詩人を皮肉った。バーテンの顔がサッと青ざめる。詩人はフィルをチラリと見たが、すかさずバーテンがチーズの皿を出し、そちらに視線を移した。


「騒ぎを起こすな、って言っただろうが」

バーテンが小声でフィルに苦情を言う。


「いやさ、なんか親爺さんが気の毒で。つい言っちまった」

「あの男、この街に来て今日で六日だが、誰が話しかけても、うんともすんとも言わない。もう慣れたよ」


「そう言いながら、快く思ってなさそうだ」

バーテンがハハハと笑う。


 パスタはフィルから少し遅れて詩人にも出されたが、フィルが半分も食べ切らないうちに幾らかのかねをカウンターに置いて詩人が席を立った。そして階段を上っていく。部屋に戻るのだろう。


 カウンターに置かれた金を拾うとバーテンは舌打ちし、詩人が使っていた食器を片付ける。


「どうかしたかい?」

「あの男、何を出しても一口しか食べない」


「そりゃあ、随分少食だねぇ」

とフィルがお道化どけて言う。


 それにバーテンは笑ったが

「酒だけ飲んで、金を置いて部屋に戻る。金を払えばいいだろうとでも言われているようで気に入らねえ。出したモンに対して、いつも多すぎるがくだ」


「馬鹿にされてるように感じるようなぁ」

「そうなんだよ、なんだかほどこされてるようで。これで料理を平らげているってなりゃあ別かもしれないがな」


 広場で男が踏みつけた金を見て『どれほどの汗』と詩人が言った時、投げ銭をした人が苦労して稼いだ、とフィルは受け止めていたが、違ったかな、と思い直す。『自分』が苦労したと詩人は言いたかったのだろうか?


「知り合いには見えないが、どうしてあの男が詩人と知っているんだ?」

 バーテンがフィルに問う。


「泉水のある広場で歌っていたのを見たのさ」

「あぁ、いつも夕刻、あそこで商売しているらしいな。二日目には評判が立って、三日目には貴族様の中にすら庶民に化けてまで、お忍びで来るのが出たって噂だ」


「見るからに貴族、って男が詩人を金で買おうとしていたよ」

「あぁ、そりゃあ、オリレーズ様だ」


「オリレーズ?」

「国王の妹姫の旦那だよ。あのかた、昔はあんなじゃなかったのにな」

「変わってしまったんだ?」


「うん、昔から生真面目きまじめで、それで前国王が目を掛けて姫様とめあわせたんだが。それが近ごろじゃ、金に糸目をつけず、いろんなものを買い漁るようになった。全部、妻の姫君のためらしいが、姫の歓心を買って、その後ろにいる国王へのまいないにしようとしているらしい」


「だったら姫じゃなく、国王に贈ればいいのでは?」

「馬鹿だねぇ、国王に直接贈ったら、賄賂わいろだろ。姫なら自分の妻だ、賄賂にならない。そして国王は末の妹姫を子どものころから猫可愛がりだ」


「へぇ、そんなもんなんだねぇ。それより、そろそろ部屋で休もうかな。いくらだい?」

と、フィルが銭入れを取り出す。ありふれて古ぼけた銭入れだ。


「ここでの払いは、十ダムで。部屋は、百、百五十、と二種類あるけどどうする?」


「そうだなぁ……」

フィルが階段を見る。

「さっきの詩人の隣、空いているか?」


「……何を企んでる?」

フィルがバーテンを見てニヤリと笑う。

「なにも。さっきの約束は守るよ」


 バーテンは暫くフィルを睨み付けていたが、やがて鍵を一つ、フィルの前に置く。

「百ダムの部屋だ。七号室。絶対騒ぎを起こすなよ ―― あれはただの詩人じゃない。近寄らない方がいい」


勿論だとも。フィルはバーテンに微笑んで、鍵を手にした。

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