5

 ノックしてみたがいらえがない。まだ寝るには早い時間だ。


「詩人さん、ちょっと一緒に呑もうよ。シャンパーニュを持ってきた」

フィルが部屋の中に話しかける。やはり反応がない。


「おい、勝手に入るぞ」

どうせかないだろうが、とフィルがドアノブに手を掛けると、予想に反して開いてしまった。

「ありゃ……」


 部屋の中では詩人が竪琴をみがいているところだった。


「鍵くらいしておかないと物騒だぞ」

と言うフィルに

「壊れている。お陰でおまえは入ることができた。良かったな」

と詩人が事も無げに言う。


「いや、さ。勝手に入って済まない。少し話がしたくて……ほら、一人旅で、たまに人恋しくなるんだ」

チラリと詩人がフィルを見る。


「嘘をくのも商売の内か。だが、その商売で夕刻には助けられた。礼を言っておこう」

「夕刻?」


「あの貴族の巾着を切って、わたしが逃げる時間を作ってくれた。その栗色の髪、身のこなし、間違いない」

クッとフィルの口元が締まる。コイツ、やっぱりただの詩人じゃない……


「何を言っているんだか判らないが、とりあえず飲もうよ。さっき飲んでいた酒だ、嫌いじゃないだろう?」

 空いていた椅子に勝手に座り、フィルがテーブルにグラスを二つ置く。


「ほんと、ボロ宿だなぁ。この椅子、ガタガタしてらぁ」

そう言いながらグラスに酒を注ぐ。薄い琥珀色の液体から細かな泡が立ち、芳香が部屋に広がる。


「俺はフィリア、みんなフィルって呼ぶ。あんたは?」

まぁ、飲みなよ、とフィルが詩人に酒を勧める。詩人はチラリとフィルを見たが、フィルが自分のグラスを傾けているのを確認してから自分のグラスを取った。


「わたしはアートロス、西へと向かい旅をする者」

「へえ、西に何かあるのかい?」


「人を探している。追っている」

「えっとアートッスさんだっけ?」


「アートロス」

「アート……それじゃ、アースでいいか?」


「勝手にしろ。どうせ嫌だと言ってもそう呼ばれそうだ」

「いやなら考えるよ」

フィルがむくれると、クスリとアースが笑った。


「別に嫌ではない。好きに呼んで構わない」


 へぇ、笑うんだ、とフィルは少しばかり驚いた。アースからは生気を感じないと言うか、感情というものが似合わないような気がしていた。


「それで? おまえの旅の目的は?」

 アースから質問されるのもフィルを驚かせた。こちらに関心を持つはずもない、とフィルは思っていた。


「生まれた街から逃げてきたのさ。チョイとばかりくじってね。で、いられなくなって街を出て、それからはずっと旅の空さ。当てなんかあるもんか」


すると、アースがフィルをじっくりと見詰め、それから目を離し、

「そうは見えないが?」

と言う。

「へぇ、詩人さん、見ただけでわかるんだ?」


 フィルにすれば馬鹿にされた気分だった。さっき会ったばかりの男に見透かされたようなことを言われた。


「それじゃ、俺の旅の目的、言い当てて貰おうか?」

そう言ってフィルがニヤリと笑う。どうせ当てられっこない。


 再びアースがフィルをチラリと見て言った。


「生まれた街……国から逃げてきたのは本当のこと。そして追手が掛かっている。だがそれは、おまえが盗賊だからではない。今のところ、足が着くようなヘマをおまえはしたことがない」


 がたりと大きな音を立て、フィルが座っていた椅子が倒れる。フィルがいきなり立ち上がったのだ。ガタついていた足が衝撃でとうとう取れた。


「ダガーから手を離せ。わたしはおまえの追手ではない」

アースがフィルを見もせず静かに言う。


「それにおまえがダガーをわたしに投げる前に、わたしはおまえの腕を切り落とせる。首でもいいぞ?」


しばらくフィルはアースをにらみ付けていたが力を抜いて、ダガーを握りしめていた手をふところから出した。もちろんダガーは懐にある。


「俺の腕だか首だかを切り落とすというが、どうやって?」

「こうやって」


言い終わる前に、フィルの首すれすれに切っ先を向け、アースは剣を構えている。しかも椅子に腰かけたままだ。どこから出した? それすらフィルには判らなかった。


「わかった、わかった。判ったから剣を降ろしてくれ」

ふっと笑ってアースが剣をさやに納め、そして一振りする。


「……どこに?」

一振りする間に剣は消えていた。


 それに答えず、アースは再び竪琴を手にし、サックに収める。そして

「まぁ、おまえに危害を加える気はないから安心していい」

と言う。そうは言われても、どこで虎の尾を踏むか判らない。


 おっかなびっくりフィルがアースに問う。

「ねぇ、アース、いつまでこの街にいる予定だい?」


「用が済むまでだ」

「どんな用事?」


「それは竪琴に聞いてみないと判らない」

「その竪琴、喋るんだ?」


「喋る竪琴など聞いた事がない」

とアースが鼻で笑う。


「お、俺だって!」


 でも、剣を消したヤツが持っている竪琴なら、ひょっとして、と思った。そう言いたかったがフィルは黙っていた。言えばさらに馬鹿にされそうだ。


「フィル」

「は、はい?」


「そろそろ寝ようと思う。出て行ってくれないかな?」

「それはいいけど、ドアのカギ、壊れてるんだよね、直さなくちゃ」


「ドアのところにベッドを運んで塞ぐからいい。内開きだから、それで開けられないだろう」


「運ぶの、手伝おうか?」

それにはアースが笑顔を見せた。


「いや、わたし一人で充分」

「そうか、それじゃあ、オヤスミ」


 ボロ宿のベッドなんか軽いものだろうが、何しろ床も傷んでいる。たぶん滑らない。どうするつもりなんだろうと思いながら、フィルがドアを開け、一歩踏み出した時だった。


「そういえば……」

とアースが言う。


「金持ちから金を盗み、貧しい者にほどこしをする盗賊がいると噂で聞いた。知っているか?」

と、フィルに顔を向けて訊いてくる。


「さあね」

フィルはアースから顔を背け、

「そんな話は聞かないな」

とドアを閉めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る