3
懐かしき面影は ミルトスの花の如し
慕わしきその声に カナリヤの歌も
ああ かの人は
ただ 切なさは募り 心を揺らすだけ
詩人の弾き語りで立ち止まる者が出始める。琴の音は優しく、歌声は暖かい。その音色に
最初のうちは周囲と同じくフィルも詩人に見惚れていたが、気が付くと目の前に人垣ができている。中には金持ちと
我が思い 届けておくれ かの人に
宵闇に空で
星 二つ 同じものだと
人垣は順次入れ替わり、居残り組は前面に押しやられる。居残り組には金持ちが多い。貧乏人は幾ら興味があっても、そうはのんびり詩人を眺めている暇はない。少しの間、歌声を聞き、詩人を眺めて満足するしかない。
前列のほうにいる男にフィルは目を付けていた。広場に来た時から見ていたが、供に連れていたメイドらしき女を後ろに残し、自分だけ詩人の歌声を楽しんでいる。残されたメイドはまだ若い。持たされた荷物の重みを痩せた体で
(狙うなら、詩人が商売をやめた時だ)
詩人が今日の商売を畳めば、皆一斉に動き出す。その混乱に乗じて、男の
と、
「
後方から、怒鳴り声がする。見るからに貴族、こんな庶民が集まる場所に、およそ似つかわしくない。
男の怒鳴り声で、詩人が奏でる音色も止まる。どうやら興ざめした様子で、詩人は竪琴を仕舞い始めた。
「待て、待て!」
男が前列にどうにか辿り着いたころには、人垣も崩れていた。そのお陰で詩人が思っていたよりも早く、怒鳴り声の主は詩人の近くに着いたようだ。
「詩人、おまえに用があってきているのだ。私の顔を見て逃げることもなかろう」
男が詩人に話しかけるが、詩人は一瞥しただけで帰り支度を進めている。その目が男の足元をチラリと見、チッと舌打ちする。
「わたしはおまえの足元に用がある。そこを
男を見もせずに詩人が言う。
男は自分の足元を眺め、そこに幾ばくかの小銭が散らばっているのを見る。詩人に向けられた投げ銭だ。
「詩人よ、こんな小銭を拾うつもりか。我が申し出に従えば、この何百倍、何千倍も手にすることができるものを」
それを詩人が鼻で笑う。
「それが? おまえの
言われた男は
「俺が悪かった、おまえの言う通りだ」
男の口調から、威張り腐った匂いが消えた。
「だから、頼む。一度でいい。我が館に
男が己の
そのころには再びローブの暗青色の面を
「待て、詩人!」
立ち去ろうとする詩人に男が走り寄る。そこに、栗色の髪の若い男がぶつかった。
「危ないな、人の前を横切るな!」
「お……すまん」
と言いつつ男が詩人を見る。すると詩人は振り返り男を見ていた。
「気持ちを変えてくれたか?」
すがるように男が言うと、詩人が男に少し哀れんだ目を向ける。
「今の男、
「え?」
慌てて男が
すると詩人も立ち去って、そこには人混みがあるだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます