6.

「ノノちゃんが最初にメールくれたのっていつだっけ。 」

「一年は経ってないと思いますけど。あの、ユキヤさんがラジオで学生の頃の思い出話してた時です。」

「覚えてないなぁ。」

「大学の時無視されたって話してた回、覚えてないですか。」

「その話どっかのタイミングでしたのは覚えてるんだけど。 」


いつ頃かはちょっと、と幸也は肩を竦めた。話したことを覚えているなら、とノノがじっと彼の目を見る。


「その時に、いじめられた側のほうが『いじめ』って判定しやすいし、忘れにくいって言ってたの、覚えてらっしゃいますか?」

「ああ、言ったかも。」


ノノが、目線を落として微笑んだ。酷く自嘲的なものだった。


「正直、もう時効かなって思ってる部分もあったんです。」

「えーっと、それはカッキーの話?」

「そうです。」


ノノとカッキーは同じ高校に通っている、と聞いていた。そして今は至って普通に彼女とよく話すと。


「さっきカッキーと話してるの見たけど、普通に話してたね。驚いた。」

「そう、なんです。仲良しなくらいで。」

「ああ、だからなおさら時効だと思ったのか。」


納得して呟けば、彼女が縮こまるように身を固めた。


「あ、ごめん責めてるみたいな言い方。」

「いえ。ほんとのことです。そう思っちゃったんです。でも、ユキヤさんの話を聞いて、このままじゃダメだと思って、それに、それに!」


ノノがグラスを持つ手に力を込めた。力んで手が白むのが見える。


「ゆっくりでいいよ。」


ノノが小さく頷いた。しばしの間の後、小さな声で告白が続く。


「あの、結局、今の今まで貴方に言えなかったんですけど……私、今もなんです。今もいじめっ子なんです。」


一瞬言葉の意味が理解出来なくて、幸也は動きを止めた。


「え……カッキーを?」


ノノが首を横に振る。のろのろと顔を上げて、怯えの滲んだ目で幸也を見た。


「ユキヤさんの話の途中ですけど、話しても、いいですか。」

「うん。俺の話もまだこっから長いし。ちょっとずつ、肩の荷下ろしてったほうがお互い楽だと思う。」


幸也は半ば癖のように微笑んだ。話を聞くことに慣れている職業柄、反射みたいなものだ。こういう時、自分の「癖」がどこまでで、どこからが「本心」なのかが分からなくなる。


彼女の話を聞いてあげたいと思うのは、間違いなく「本心」のはずだ。はずだ、なんて自信のなさが、良くないところなのだろうけど。


「中二の頃に始まったいじめは、カッキーが休むようになって、クラスも変わってしまって、なかったことみたいになりました。」


彼女の手の中でカランと音を立てたカフェモカは、一度混ざった生クリームが泡立って分離して嫌な色をしていた。ぐるりと色が混ざる。悪戯にストローを動かしながら、彼女はじっと混ざっていくカフェモカを眺めた。


「ユミチは引っ越す都合で地方の高校にいって、私とミクは地元の高校に進んだんですけど。」


半ば独り言だ。だから幸也も、相槌も打たずに黙ってソファに身を預けた。


「カッキーとマサトも、その高校だったんですよね。」


一度声が途切れる。さっき聞いた名前だな、と思いながら口を開く。確か、確認した最初のメールにも名前は出ていた。


「マサト君って高校上がってから一緒にいる子だったよね?写真なかったからよく分からないけど。」

「はい。あ、ユキヤさん私のTwitter分かりますよね?話に出てくる『男の子』は概ね彼です。」

「なるほどね。中学からの知り合いだったの?」

「はい。学校は違ったんですけど、塾が同じで。中三の夏休みに知り合ったんです。 」


話が核心から逸れれば、会話らしい弾みが出た。それも一瞬のことで、すぐに少女の目線は過去に飛ぶ。


「ミクは違うクラスでしたが、私とマサトは同じクラスで……カッキーも、同じクラスでした。彼女が自分と同じ高校に来ること自体知らなかった。私、彼女の進学先なんて気にしたことなかったんですよ。不登校になった後の彼女の事を考えたことがなかった。酷い話でしょ?」


幸也は否定も肯定もせず、黙って先を待つ。


「あの日、登校初日、名簿で自分の名前だけ確認して教室に向かったらカッキーとマサトが二人で話してたんです。」


二人とも好きなゲームが同じだったみたいで意気投合してたんですよ、と彼女が自棄になったように笑った。


「ねぇユキヤさん、私がカッキーと仲良くするマサトをみてどうと思ったと思います?」


目が合う。怒気を孕んだそれに、少し怯んだ。すぐにその怒りの矛先が自分にないことを理解して、幸也は眉を上げる。


「真っ先にね、私。面倒なことになったなって……これはとりあえず謝っておかないと後々面倒かなって思ったんですよ。」


***


教室に入った途端、まずマサトがこちらを振り返りました。彼は私が同じクラスなことを分かっていて、待っていてくれていたみたいで。すぐに話しかけてきました。


「あ、野々宮!遅いぞ!」

「神宮寺、同じクラスだったんだ。」

「名簿見なかったのか?」

「自分の名前だけ確認した。知り合いは絶対いるし。」

「お前の中学の奴も、ほとんど全員この高校?」

「うん、進学校行った子とかもいるけど。私のとこと、神宮寺のとこと、あと西中の人だよね。」

「そーだな。中学の友達紹介してくれよ。」


彼と話している時、私全く彼のすぐ前にカッキーが座ってることに気がついてなかったんです。笑っちゃいますよね。


「いいよ、お昼一緒に食べる?」

「おう、あ!柿澤、お前って西中?それとも野々宮と同じ?知り合い?」


柿澤、って呼ばれた名前にビックリして、そこでようやくマサトの話し相手の顔を見ました。絶望感が襲いましたよ。当時は保身のことしか、考えてませんでしたから。……いえ、今も、そうかな。


「あ、カッキー……」

「ノノ、久しぶり。」

「久し、ぶり。えーっと、そう、同じ学校だよ。」


あまりにも普通に微笑まれて、混乱しました。とりあえずマサトの質問に答えれば、彼女は酷く明るい声で言葉を続けました。


「でもあんまり喋んなかったよね。中二しか同じクラスじゃなかったし。というか私三年の時不登校だし。」

「そうなのか?」


その不登校の原因が私ですよ?いつ何を言われるかと思うと早くこの場から離れたくて堪らなかった。


「神宮寺とカッキーは知り合いだったの?」

「いや、さっき朝俺らしかいなかったから話してただけで初対面だぞ。」

「そっか。」


教室の入り口から声がして、マサトは同じ中学の子達に呼ばれて離席しました。カッキーと二人で残されて、とにかく、何か言わなきゃって。


「カッキー、あの、ごめんね。」

「……何が?」

「中二の時。」


カッキーはしばらく私の顔をじっと見て、それから一個聞いていい?って随分と落ち着いた声で言いました。さっき話してた時は、やっぱり無理して明るい声を出してたんだって思ったのを覚えてます。


「ノノはさ、私の事無視したでしょ。」

「うん。」

「それだけだったでしょ。」


彼女の言葉は多分、ユミチとミクと比較して出てきた言葉だったんです。二人はもっと直接的な……なんて、言えばいいんですかね。無視からエスカレートして、ノートを破ったりとか足をひっかけたりとか、そういう直接的な行為をしていたので。私は、それに手を貸すこともしなかったけど、それを止めもしなかった。私は「それだけ」、とは思えません。同じことだって分かってます。


ただ、二人と比較したら「それだけ」、だったんでしょうね。


「無視したのも、止めてくれなかったのも、私、なんか怒らせた?」

「……あのね、教科書。」

「教科書?」

「うん、教科書。返して、くれなかったでしょ。」

「そのことは、もう怒ってない?」


ここでね、怒ってるって、なんであんなことしたのって、言えば良かったんですよ。でも、波風、立てたくなくて。


「私の方が酷かったから、もう怒ってない。」


って。思ってもないこと言って。そしたらカッキーがほっとした顔なんかしちゃって、じゃあいいよ、なんて答えて、おしまい。


***


「仲直り、って言っていいんですかね、これ。」


テーブルを睨みながらそう言って、ノノは背もたれに寄りかかった。幸也がそうだなぁと腕を組む。


「ノノちゃんにしてみれば、何にも解決してないよね。カッキーの行動の真意については、一切教えてもらえてないもの。」

「そう、なんですよ。だから、私、いまいち反省しきれないんです。あんなに酷いことする必要はなかったけど、そもそも悪かったのは彼女なんですから。」

「気持ちは分からなくもないね。」


制裁だ、と。これは正義だと、どこかで。先にやったのはお前じゃないかと、どこかで。悪いのは誰、非があるのは誰。自分じゃない、自分じゃないと。


「そういう意味でも、私はまだいじめっ子なんです。」


反省してないので、とノノが眉を下げた。思うところがあって幸也は苦笑する。


自らの心の内まで制裁対象にしては、もたないとも思う。でも、反省出来ない自分を糾弾したい気持ちの方が余程強い。何故こんなにも無情なのか、と思い通りにならない感情に反吐が出る感覚。


身に、覚えがあった。


「それに去年は……酷かった、本当に。」

「去年ってことは高校二年生の時かな。」

「そうです。一年は普通に、ホント笑えるくらい普通に過ぎました。問題はクラス替えで私とカッキー、マサトがまた同じになって、その上ミクも同じクラスになってから。」


幸也は少し首を傾げた。クラスが一緒になって事態が悪化することは分かるが、一年の頃だって同じ学校にミクが居たというのに何も起きなかったのか。


「一年のころ、ミクとは話さなかったの?」

「全く。クラスの階が分かれてたし、体育や数学のクラスも被りませんでした。わざわざ連絡を取ることもなかったし。」

「そんなもんか。」

「そんなもんでしたよ。」


もう高校の記憶は遠い。ただ、確かに相当仲が良くない限りクラスが離れればそれまでだったような気もした。


話の流れから予想を立てて、幸也は独り言のようにボソリと呟く。


「それでミクとカッキーの再会は、君の時ほど上手く行かなかったってわけか。」


ノノは頷いて、吐き捨てるように言った。


「むしろ、最悪。」


***


クラス替えする時って、始業式の前に中庭でクラス表みたいなの貰うんですよ。それで自分が何組で、クラスメイトが誰って確認するわけです。見た瞬間終わったと思いました。でもまぁ、私とカッキーがなぁなぁになったなら、もしかしたら、と期待する気持ちもありましたけどね。


「ノノー!同じクラスだね!」


中庭でミクに元気よく話しかけられて、とりあえず彼女と話しながら教室に向かいました。お互い虫のいい話ではありますね、去年なんて一言も話さなかったのに。ミクは仲の良い子と離れてしまったみたいだったので、私がちょうど良かったんでしょう。


「よーノノ、また同じだったな。」

「おはよ。」

「ノノの友達?何中?」


教室に着いた時にはまだカッキーはいなかったんですけど。ミクがマサトに話しかけているうちに、カッキーが入ってきたんです。


「お、カッキーおはよ。なぁ、同中ってことはカッキーとも知り合いじゃねぇの?」


ミクは振り返ってカッキーを見るなり……笑ったんです。本当に、なんていうか、普通に。あれ、ちょっと怖かったですよ。なんだろう、上手く言葉に、出来ないんですけど。


「あ、カッキー久しぶり!」

「……久しぶり。」


そのままマサトの方を向いて、彼女はこう言葉を続けました。


「ノノとカッキーと、あと今は引っ越しちゃった子がいてね。四人班だったんだよ。」

「仲良かったってわけか。」

「うん。」


仲が良かったのなんて、ほんの数ヶ月の話。なのに、さも当然みたいに彼女はそう言ったんです。


「仲、良かった?本気で言ってるの?」


そして、カッキーはクラス中に聞こえるくらいの声で叫びました。


「もしかして、忘れたとでもいうつもり⁉」


固まったミクに詰め寄って、彼女はなおも叫びました。クラス中が、こっちを見ていた。


「何でそんなにヘラヘラしてんの。」

「あ、ごめ……まだ、気にしてた?」

「気にしていたも何も無いよ!」

「どうしたんだよ!」


マサトが慌ててカッキーをミクから引き離しました。……私はその間、ただ馬鹿みたいに突っ立っていました。ミクは注目を浴びていることに気がついて、何か言おうとして、結局教室を飛び出しました。


「なぁ、どうしたってんだ?」

「不登校だったって、言ったでしょ。」

「ああ。」

「中二の時、何人かにいじめられたの。さっきの子、そのうちの一人。」


マサトが息を飲んで、固まりました。クラスには、「カッキーをいじめていた時の傍観者」だっていました。なのに、あちこちで、ミクを悪者に仕立てる声がざわざわと広がっていく。訳が分からない。腹が立ちました、自分にも、周りにも、ミクにも、それにカッキーにも!


「もう随分前の話だし。立ち直りも……早い方だったし。もう彼女のことは怖くはないけど、でもどうでもいいことみたいに言われたのが、嫌で。ノノは謝ってくれたのに。」

「え?」


マサトがこちらを振り返りました。私は……私は、どんな言い方が一番嫌われないかって必死に考えながら、白状したんです。


「私と、さっきの子と、引っ越した子。班が同じって言ったでしょ。その班の中でカッキーをいじめてた。私もいじめてたよ。」

「ノノは見てただけだよ。それに、ちゃんと謝ってくれた。あんな風な言い方してない。」


マサトは私とカッキーを見比べて、一言、まるで主人公みたいに、自信を持って答えたんです。


「じゃあ、分からせてやろう。どうでもいいことじゃなかった、って。」


忘れたいことばっかり覚えてます。マサトは律儀に、何されたかって確認するものですから、見たことある光景が繰り返されるわけですよ。忘れられるはずがないですよね。


手始めに机に落書き。そのうちにノートや教科書を破ったり、ロッカーの物を捨てたり。


クラスの誰も、止めなかった。見て見ぬふり、どころか露骨に周りから笑い声が聞こえることもありましたよ。誰もミクに話しかけないし。みんな、知ってるんですよ。ミクがいじめられている訳を。だから、止めない。


直接手を出すのは二人だけでしたけど、私も含めて全員共犯者でしょうね。同じですよ、カッキーの時と。


私ですか?一番近くで、へらへら笑ってました。酷いこと言って、実際に何かすることは避けて。


やり過ぎなのは分かってたんです。だから、手は出したくなかった。止めるほど度胸はありませんでした。ただ、へらへら見てただけ。誰も見てない時でも、散らばったノートを拾ってあげることすら、しなかった。


……ユキヤさんは、出来ますか?次は自分かもしれないのに。


***


ノノはそこで一度言葉を止めた。幸也はかける言葉を探そうとして、どの言葉も上滑りするような気がして、結局残ったコーヒーを呷った。氷はもうなかった。ほとんど水のような味がした。


「どうにかしなきゃって気持ちと、私が悪いわけじゃないって気持ちと、ごちゃごちゃと悩んでました。」


混ぜるのを忘れられたカフェモカがまた分離していた。彼女はグラスを一度大きく回して、残っていたそれを飲み干す。


「ユキヤさんがラジオ始めたの、去年の夏でしょう。そんな毎日の中で、貴方達のラジオを聞いていました。……メール、送ろうと思ったのは、貴方が『心当たりがあるなら今からでも謝るべき』、と、仰っていたからです。」


ノノの言葉に、幸也は少し眉を上げた。覚えが、あった。


――いやマジでこんなにリプライ来ると思わなかったんだよね。

――ありがたいありがたい。

――ミーコ、次のくじ引いてよ。

――え、私さっき引いたぞ。

――箱そっちにあるんだもん。

――面倒くさがりが過ぎる……えっとな、学生の頃の一番の思い出。

――学生って大学生だっけ。

――あぁ、中高は生徒なんだっけ?

――小学校は児童?

――だっけ?

――ともあれ大学の思い出だわ。

――サチ、なんかあります?

――あれは楽しかった、文化祭!踊ったやつ。

――あー!楽しかったねアレ。

――てかね、良い思い出探すの難しいのよ、悪い思い出の主張が激しいから。

――え?大学そんなやばいことあったっけ?

――いや俺無視されてたターンあるから。

――マジ?え、いつ?

――お前とは普通に話してたから気づかなかったんじゃないかな。それにそこまで表立ってなかったし。

――一番陰湿じゃねーか。

――そうだよ、みんなほんとにね、一見大したことじゃなくてもやられた方は引きずるからね!

――経験者は語る。

――結局いじめられた側のほうがいじめ判定広いから。

――あ、それはよく言うよね。いじめられたと思ったらそれはもういじめ、って。

――だからホント気がついてない可能性とかあるよ。でもこっちは忘れないからな!

――ちょっとでも心当たりがあるなら確認した方がいいよね。

――ほんとに。過去に心当たりがあるなら、今からでも謝ったほうがいい。

――お前はその時の奴らに今ならでも謝られたほうが楽?

――楽になると思うよ。俺は今でも謝ってほしいって思う。

――私は大丈夫だった?なんかやった?

――いや平気、むしろ普通にしてくれて助かってた。


「そんな話、したね。」


綺麗事だ。人によっては、顔も見たくないかもしれない。それでも、幸也にとっては紛れもない本心。


許せるか許せないか、と言うよりは、覚えていると、今ならしないと、そう言ってほしいと思って。自分がもう、謝るべき相手の連絡先すら知らないことも、手伝って。謝ることが出来るなら、謝ってほしいと、どちらの立場からも強く思ったのだ。


「それでカッキーに謝る方法を相談してくれたわけだ。なし崩しに和解した子に改めて謝りたい、って。」


幸也の言葉にノノが頷く。幸也はしばし頬杖をついて少女を眺めた。


「でも、さ。やっぱりちょっと分かんないな。なんで会ったこともないのに、俺にメールを?」

「相談するならリアルの知り合いよりも、ネットの知り合いのほうが気楽なんじゃないかとは、ずっと思ってたんです。でも、どう切り出すか、とか考えたら難しくて。それでラジオを聞いて、きっかけになるんじゃないかって。」


ノノは言葉を切って、幸也の顔を見た。少し申し訳なさそうに、笑う。


「ユキヤさんとは以前から交流があったし、年上なのも分かっていましたから。」

「ああ、やり取りは何回もあったもんね。」

「はい。……ラジオ、第一回からずっと聞いてたんですよ。」

「そう?なんか恥ずかしいね、ちょっと。」


肩を竦めれば、ノノが小さく声を上げて笑った。


「ずっと、クラスの雰囲気はそういう感じだったのかな。」

「実をいうと、夏休み明けにはカッキーの時のようにミクがいなくなると期待していました。だから、それまで何とかやり過ごそうって。でも、夏休みが明けてもミクは学校に来ました。」

「それじゃあ、俺にメールくれた時も?」

「はい、いじめは続いていました。」


幸也はしばらく彼女の言葉を反芻して、ゆっくりと口を開いた。


「どうしてその時の相談じゃなくて、中学の話を?」

「今自分がいじめに関わっているとは言えなかったんだと思います。自分でもよく分からないけど、なんか……後ろめたかった、のかな。それに、中学のことが何とかなったら、全部なんとかなるような気がしていました。」


全部そのせいだと、思っているので。そう言って、ノノは視線を落とす。


「メールの返事してくれたのに、お返ししなくてすみません。」

「いいや、むしろ、なんつーか……あんまし役に立たなかったよね。馬鹿正直に俺にはなんも出来ないって言っちゃったし。いや、実際なんも出来ないって思ったんだけど。」


幸也は、ノノの気持ちをまず肯定した。憎い相手、当時手が出たのも分かる。今、相手が気にしていないようだと波風立てたくない気持ちも分かる、と。だから幸也はただ、謝れるなら謝った方がいいことは確かだが、それは君の問題だと返した。


それから、次いじめがあれば、二度と関わらないようにしろと。周りに立つな、手を貸さなくとも、少しでも嘲笑した時点で同罪だ。ギャラリーがいるだけで、いじめは過激化するのだからと。


同調圧力で正当化された正義こそ、厄介だから。だから、逃げろと。助ける勇気がなければ、逃げろと。


「詳しく聞くって言ってくれて嬉しかったです。先生に相談出来ない気持ちも分かるって、私が臆病なわけじゃないんだってホッとしましたし。それに、関わるなって言ってくれたでしょう。」


あの時は、今正にいじめが起きているなんて幸也は知らなかった。でも、「次いじめがあれば、」という幸也の言葉は、ノノにとっては仮定ではなく現在進行形の問題であった。


「メールを受け取ってから、もう受験が始まるからって理由をつけてミクの悪口を言っている時やいじめている時には二人に関わらないようにしました。そうやって、私はいじめから離れられました。クラスのみんなも、やっぱり忙しくなって、徐々にいじめも下火になりました。そのうち、何もなくなった……ただ、誰もミクと話さなかった。」


逃げたとしても、逃れられない罪はある。無視は典型的なものだろう。次は自分かもしれないと思えば、「話しかける」というアクションは難しい。


関わらない、が凶器になることがある。目を合わせただけで、不意と逸らされる、その感覚が。


「ミクはミクで、ほとんど他のクラスで過ごしていました。」

「彼女、誰にも相談はしなかったんだね。」

「みたいです。」


そっか、と呟いて幸也は目線を落とした。


「いや、メールは返ってこなかったけどさ、普通にリプとかで話してたでしょ。何か答えづらいこと言ったのかと思ってひやひやしてたんだ。多少は役に立ったなら、良かったんだけど。」


話して楽になるなら、もう少し詳しく聞きます。そう書き添えたメールに、返信はなかった。


「返事、返せなかったんです。あの、返事を考えているうちに……」


しばらく彼女は、言葉を探して目を泳がせた。


「結構話したし、休憩しようか。」


そう助け舟を出せば、彼女はおずおずと頷いた。


「お昼にしよっか、もう一時だし。ノノちゃん時間平気?」

「今日は勉強しないって決めて昨日頑張ったので。一日暇です。」

「良かった。」


何食べる?と尋ねながら腰を浮かせた幸也に、ノノが慌てて首を振った。


「今度は私が出します。」

「いやいや、お昼のほうが普通に高いでしょ。」


学生は奢られときなさいと笑えば、少女はしばしムッと眉を寄せる。と、妥協点を見出したのか表情を和らげた。


「伝票お渡ししますから、せめて注文してここに持ってくるまでやらせて下さい。さっき持ってきてくれたんですし。」


束の間、お互いの目線で無言の攻防が起こる。結局幸也が折れて、サンドイッチとホットコーヒーの一番大きいの、と呟いた。

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