第37話 アンチ・ビースト その9

アモンが変身した衝撃で辺りのガラスというガラスはすっかり割られ、サン・クロワ大聖堂はすっかり溶岩と一体化している。


さらに大悪魔の現界を皮肉るように、オルレアンの空は雲一つない青空であった。


「出てくるのはいかにも魔王っぽいのに、雨雲どころか雲一つ無い青空なんだけど……」


「……バエルは『豊穣の神』じゃ。自然魔術師も、ラッパを吹いて災いを呼ぶ天使も、自然そのものさえも、『バエル』の力には逆らえない。……わらわとしたことが、ここまでの力を奪われるとはな……」


「アモンってそういう力あったっけ?」


「……いや、これはおそらくじゃが、そもそもあやつが持っていた超能力のようなものじゃろうな。アガレスの『バラル』も、アレは元から使えたものなのじゃろ?」


「じゃあ、アモンでバエルなアイツは何者なんだ……?なあ、ベル。アイツは……何なんだよ……アモンは第7柱で第1柱で、元第1柱だったベルの『バエル』としての座を奪ったのもアモンで……」


「あーもう!口を開けば『アモン』、『バエル』!やかましいわい!少しは落ち着け!戦闘中じゃぞ!」


ベルから右の頬を平手打ちを食らう。


危ないところだった、軽くパニック状態になってしまっていた。


落ち着け、落ち着くんだ。


……秘匿されているが故に限られた悪魔の主人にしか明かされていないという本の中にあった、ざっくりとしたアモンの説明。


つまりはただ「炎の扱いがトップクラスに上手くて筋力もあって狼にもなれる」だけの悪魔なのだ。


確かに破壊力はもの凄いのだろうが、瑠莉奈の「バラル」のように特別な魔術を使える……といったようなことは一切書かれていない。


と言うのも、例えば瑠莉奈が「アガレス」の名を受けることが出来たのは「バラル」という特別な魔術を使えたからだからが、アモンはソロモン72柱の中ではその辺りの条件が割と緩めらしいのだ。


……では、アモンは何をどうやってベルに付随していた「バエル」という概念を奪ったのか。


ベルが言うには、それは瑠莉奈でいう「バラル」のように、アモンの元になった存在が使えた魔術なのではないだろうか、ということだ。


「……遅くないか?」


「油断は禁物ですよ、兄さん……!」


「あやつはどこから襲ってくるかわからな……」


ベルが杖を構え直そうと、一度左手に持ち替えた瞬間。


「油断しちゃダメなのは君もだよ、『元』バエルちゃん」


「がふぅ!?」


一瞬にして現れた拳が、ベルの腹部を抉り取るように沈み込む。


「……ベ、ル?」


「ぅあ、があ、ごあぁっ」


大量に吐血し、そのままベルは石畳に倒れ込んだ。


「【ビームソード】!」


「【散る岩】!!」


俺と瑠莉奈は、いきなり至近距離へ詰めてきたアモンへ集中攻撃。


マズい。

かなりマズい。


何より、一瞬でこの距離まで近寄られてしまったことがマズい。


仮にも魔王であったベルが一撃で沈められてしまう程の火力、それが一桁メートル圏内にまで近付いているのだ。


「【亀甲盾きこうじゅん】」


しかし、瑠莉奈が飛ばした岩も俺のビームソードも、あっさりとアモンが生成した甲羅のような盾に防がれてしまった。


「やあああっ!」


瑠莉奈は右手に岩をボクシンググローブの要領で纏わせ、アモンへ接近。


それと同時に、アモンは何か妙な光を発している右腕を構え始めた。


「待て、瑠莉奈!コイツ何かする気だ!一回引っ込め!」


「え!?う、うん!?」


俺はアモンを挟んで対面上にいる瑠莉奈に向けて手の平を伸ばし、「ストップ」の合図を送る。


ジェット噴射が如く浮遊しながら突っ込んできていた瑠莉奈は急旋回、再び距離をとった。


「あーあ、いいとこだったのに……。目ざといね、君」


やはり何かやろうとしていたようだ。


「そんなことだろうと思ったよ、お前、やっぱ瑠莉奈に何かする気だっただろ?見え見えだアホが」


「バレちゃ仕方ないね。気付いてると思うから言っちゃうけど、そこで転がってるベルちゃんと同じことをしようかと思ってさ」


狼と蠅が見事なまでに混ざり切らないキメラのような醜い姿、そのまた醜いヨダレまみれの口でペチャクチャと喋るアモン。


そんな魔物の手がベルだけでは飽き足らず、瑠莉奈の存在まで奪おうとしていたと思うと……何だか腹が立ってきた。


「何かさ、アモン。敵と普通に話すのには違和感があるんだけどさ、一つだけ聞いてもらっていいか?」


「いいよ、冥土の土産ってやつで聞いてあげる」


「お前はバカだなあ」


「……それだけ?」


「うん、それだけ」


「……まさかッ!?」


振り返るアモン。


そこには、「浮遊する岩」を大量に用意している瑠莉奈の姿があった。


「ちゃんと避けてね、兄さん!【拒む力】!」


そして、瑠莉奈は大量につぶてを飛ばして俺ごと巻き込む勢いで弾幕を張る。


「【徹甲ホウセンカ】ッッッ!!」


それに合わせて、アモンはベルよりも強力な「徹甲ホウセンカ」で種を飛ばしてつぶてを相殺させた。


とは言え、俺の狙いは瑠莉奈のつぶてを当てることでは無い。


「……詰めが甘いな、アモンさんよ」


「なっ!?」


「【ビームソード】」


俺は杖から魔力で生成したビーム刃を発生させ、背後を向けたアモンへ迫る。


「うおおおおおおおおッ!!?【猛虎の爪】ッッッ!」


不意打ちは失敗。


アモンは徹甲ホウセンカで瑠莉奈の岩を防ぎつつ、俺のビームソードも魔力で生成した爪で弾かれてしまう。


「あっ、思ったより硬い」


「兄さん、逃げて!兄さんどころか、私でも正面からじゃ勝てな……」


「ちょっと黙っててくれないかなあ!」


「ぐ、あ……」


俺が慌ててビームソードを引っ込めた瞬間、アモンの「包囲藻」が伸び、瑠莉奈の首を一瞬で締める。


そして、そのまま両腕にも蔓が絡まって十字架のように空中へ吊るされていた。


「瑠莉奈ッ!!!」


「すごい……すごいよ、この力……!!あの悪魔アガレスが一瞬で落ちた……!あとは最後のこの魔術師を倒して、あの力だけのバカが持ってる『アガレス』の概念を奪えば……僕は……!ハハハハ、ハ……」


「ン?」


「大体、勿体なかったのさ!ベルちゃんは『バエル』の概念が無くても十分強かった。相手が僕じゃあなければ、きっと普通に活躍できてたんだろうねぇ。それに比べて、あっちのアガレスは……。僕の嫁にも迎える気にならないなぁ。一回くらい死んだ方が、悪魔としての生き方も分かるってものなんじゃないかな」


「……チッ」


何の妄想をしているのか、その場で俺を丸っきり無視して高笑いをするアモン。


そんなアモンを睨みながら、冷静に状況を分析する。


瑠莉奈は首を絞められはしたが、一瞬である上、変な方向に曲がっているとか向きがおかしいだとか、そういうことは無かったため死んでいるとは考えにくい。


流石にあの蔓でも脊髄やら神経やらを一瞬で潰すことは出来ないだろう。


というか、そもそも瑠莉奈を殺してしまっては「アガレス」の概念を奪えないということになる。

死んでいないというのはほぼ確かだ。


しかし、すっかり瑠莉奈は目を閉じて気を失っている。


つまり、ここにきてアモンはノリにノっている上に、戦力は俺だけということだ。


俺達以外に魔術師どころか人間……というか、人格をもつ存在の気配が無い。

当然ながら連盟員の助けも無いだろう。


俺は今、実質的に詰んでしまったのである。


しかし今、俺の思考の殆どを占めるものは、自らが追い詰められているということではない。


「さ、次は君だよ。君さえ倒してしまえば、後は……ベルちゃんと新人のアガレスにトドメを刺して、まだギリギリ生きてたら力を奪ってから殺して……僕はもっと『上』に行く」


「いや、無理だね」


「……何だって?」


「……お前はさっき、聞き捨てならないセリフを吐いてしまった」


「あれ、なんかまずい事言っちゃったかな?」


「ああ、思い出せないくらい無意識に言ったんだろうな、いいよ。ただ、俺は全身の骨と肉を剥がされて神経だけになったとしても、お前を絞め殺すくらいには殺意が湧き上がってきた。お前は俺の地雷を確実に踏んだと、そう言っておく」


俺の地雷。

……というか、大抵の人間はそうであろう。


家族を馬鹿にされること。


身内を愚弄されるというのは、よっぽどの事が無い限り良い気分はしないどころか、沸々と胸の内に何かを湧き上がらせるというものだ。


そして今、この悪魔はそれを綺麗なまでにやってのけた。


沸点が低い……と言われれば、そこまでの話だ。


しかし、コイツは一度死んだ経験のある妹に向かって、「もういっぺん死んでみたらどうたらこうたら」などとぬかしやがったのだ。


怒りは軽々と沸点を越えていくというか、沸点が下がる……なんてことがあっても仕方がないというものだろう。


俺はアモンをもう一度睨みつけ直し、杖を構える。


多分、俺はコイツには勝てない。


よしんば勝てたとしても、ただで帰ることはできないだろう。


しかし、俺の思考に「逃げる」という選択肢だけは無かった。

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