事案3419-ベルゼブブの神秘 前編

~最重要事件記録3419-妖精の筆による記録~


1893年某日、ウェストミンスター寺院。


ロンドンの西側に存在するこの街は、特に英国独自の宗派である英国ペトラ教会の関係が深い場所の一つでもある。


宗教学者であった妙齢の女性「マリナ=ベリル=ネア」は、虚空学派の哲学者「フェイル=ディ=アーレ」、魔術師「マーキエルダ」と共に、謎の心霊現象への対処にあたっていた。


若くしてロンドン大学の教授となったマリナ。


今日は闇夜にも似た漆黒のコートに身を包み、スカートではなくズボンを履いている。


実地調査に赴く際は、この服装が一番なのだと言う。


彼女はかつて学徒であった頃に被っていたロンドン大学の学徒帽を身につける。


これは、貧しい家庭ながらも大学にて学を修めた彼女の誇りであった。


本来は女性が被ることは珍しかった……どころか殆ど無かった学徒帽なのだが、彼女はそれでも、当時は女性が学を修めることがおこがましいと言われていた時代に抗った証拠を、一つでも多く身に着けていたかったのだろう。

故に彼女は本腰を入れて物事に取り組む時、必ず学徒帽を被るのだ。


現に彼女がもつ学者としての実力は優秀であり、それは性別や生まれで穢せる程度のものではなく、はたまた当時としては珍しい「実力主義」の考え方が例外的に採用される程にまでなっていた。


誰にでも学びの門は開かれていたが、やはり当時は凝り固まった考えが侵食していたものだ。


形式上はなんら違和感の無いことだが、やはり時代を考えれば、きっと彼女は尊ばれるべき探求者だったのだろう。


ある日、彼女は一人の教え子から興味深い情報を得る。


なんでも、ウェストミンスター寺院には隠し部屋が存在するのだとか。

そして、妙ちくりんな仕掛けによって開かれた隠し部屋の先には、世にも奇妙な神秘が眠るのだとか。


所詮は学生の噂、特に気にする必要も無いとは思っていたマリナであったが、やはりそこは探求者。神秘というワードが釣り針のように胸に引っ掛かって取れない日々が続いた。


それから一週間後。


同大学の哲学教授にして幼馴染であるフェイルと、同じく幼馴染の魔術師であるマーキエルダに思い切って噂のことを話してみたところ、二人も興味を示したため、今日に至るという訳である。


「マリナ。その噂についてだが……本当に現場はここなのか?」


フェイルは、マリナが握りしめているメモを除き見て言う。


「うん。ウェストミンスター寺院、間違いなくここだよ。教会の底には神秘があるって、学生達の中でそこそこ噂になってるんだって」


ネアは適当に聞き回った情報をメモしておいた小さな紙をコートの内ポケットに納める。


「本当かにゃ~?んん~……。でも、確かにウチも胸騒ぎがするにゃぁ~」


典型的な探求者の会話をよそに、マーキエルダは腰に下げていた鉤爪のような武器、違う形で形容するならばメリケンサックのようになっているそのグリップを握る。


グリップは木製であり、杖としての役目も果たせる鉤爪。

正しく、性根から戦闘スタイルまで自由なマーキエルダのためにあるような武器である。


「ちょっと、マーキィ?早いよ?」


「そ、そう?ふぁぁ、ふにゃぁ……」


「マーキィ」と呼ばれたマーキエルダは、魔術の探求に耽るあまり若干の狂気に蝕まれていた。


教会へ入る前から、張り切って武器を構えている。


……流石にそれでは一般人に警戒されてしまうため、一旦武器を納めるようにマーキエルダをなだめるマリナ。


かと思えば、普段は冷静な筈のフェイルもフェイルで腰に下げていた拳銃に手をかけようとしていた。


「フェイル君?」


「いや……神秘が迫っていると思ったら、少し張り切ってしまった」


「……もう」


マリナは教会内部へ、二人よりも少し早く足を踏み入れる。


そこにはいつもと同じように、多くの人が訪れていた。


観光、祈り、集会、その他様々な目的を持った人々。


神の存在が当たり前だった頃とは違い、今やウェストミンスター寺院も、ペトラ教会の祭壇である以上に、一種の集会所として機能している。


そんな人々から隠れるように壁際を伝って歩き、宗教学者の権限で裏へと通してもらうマリナ一行。


三人とも武器を持っていることに驚かれたが、無理もない。

教会の下には、謂わば魔物が潜んでいるかもしれないのだから。


ここまで露骨に学者が武装するのも珍しい。


しかし、魔術師であるマーキエルダの影響で裏の事情にも若干通じているマリナとフェイルは、魔術や神の加護を使えないからこそ、怪異と対する可能性がある際の調査には、必ず怪異や霊に効果がある特殊な武器を持ち歩くことにしていたのだ。


「こちらです、マリナ教授」


マリナ達を裏へ案内した司祭は、ポケットから取り出した鍵を使って、木製の扉を開ける。


長らく使われていなかったのだろうか、そこは隠された地下道へ通じる道らしいが、扉はいたく軋んでいた。


「こんなところに道が……」


マリナ、フェイル、マーキエルダの順で地下道へ足を踏み入れる。


この先に、神秘へと繋がる仕掛けがあるのだろうか。


マリナ一行はカンテラで周囲を照らしながら、隠し道を通って先へと進む。


一切の舗装が為されていない道の天井は低く、壁面は明らかに彫られたままであろう岩肌が剥き出しになっていた。


「ウェストミンスターの地下にこんなところがあったなんてにゃぁ」


マーキエルダは落ちていた石を拾い、魔力を流し込む。


すると、その石は微弱だが青い光を発した。


「マーキィ?どうしたんだ、その光は。魔術か?」


「にゃ~んか、落ちてた石に魔力流し込んだらこうにゃった。ウチも詳しいことは知らにゃい」


相変わらず、勝手気ままな行動を続けるマーキエルダ。


しかし、そのおかげで判ったこともある。


魔力を流し込んだことにより発光した石。

その光は弱く、ヒカリゴケのそれと大差ない。


そして魔力を流しこむことをやめた瞬間、石は光を失う。

どうやら照明として使うには、常に魔力を流し込んでおかなければならないようだ。


マリナは研究室から持ってきた武器である「ファルシオン」と呼ばれる片刃の剣を取り出し、側面で軽く壁を叩く。


このファルシオンは刃に隕鉄(隕石の欠片)を使用しているため、刃そのものが天然の霊力を帯びているのだ。


有り体に言えば【霊纏エンチャント】というものだろうか。

隕石そのものに微量ながら無尽蔵に霊力を発して纏わせる特性があるのか、それとも隕石が所持者から霊力を勝手に奪って勝手に纏っているのかは分からないが、常にソレがされていることとなる。


故にだろうか、ファルシオンが当たった箇所の壁は一瞬だけ光を発した。


数十分後。


縦にも横にも狭い道をゆっくりと歩き、隠し道の先へ進む。


しかし、何の脈略も無くいきなりその終わりは訪れる。


「いでゃっ!?」


マーキエルダは、行き止まりの壁になっている地点に勢いよく衝突。


壁を蹴って飛び回っていた所為か、ただでさえ暗い洞窟で前をよく見ていなかったのだろう。


「……行き止まり?」


「いってててて……ここまで引っ張っておいて行き止まりかにゃ~?」


「だとしたら、何のための隠し道だったんだろう……?」


出入口が一つしか無いのであれば、隠し道としての存在意義は何とも疑わしいところである。


噂の神秘も無し、そこにあったのは隠し道ではなく洞穴。


何とも、学生間でのつまらない噂の果てにあるものに合うものだろう。


「ただの行き止まりな訳が無いだろう。きっと仕掛けがある筈だ」


しかしフェイルは、安易に諦めかけて入口へ戻ろうとしていたマリナとマーキエルダの服を掴み、引き留める。


「おやおや?フェイルくーん。今日はやけに積極的だねぇ」


「……揶揄からかうな。凝り固まった考えに固執し、探求という名の信条的自慰に浸る学者ばかりが入り浸る退屈な学院とは違って、久しぶりに新たな神秘に見える機会を前に、気分が高まっているだけだ」


「ふぅ~ん」


「……相も変わらず聞き分けの無い奴め」


「コラッ、イチャつくにゃ。二人とも昔っからそんな感じで、よくいつまでも『友達』やってるにゃぁ……」


今や31歳を迎えた三人だが、彼らは幼い頃よりの付き合いだ。

そして、彼らの関係性はその頃から概ね変わっていない。


……マーキエルダがそう思うのも無理はないだろう。


「でも、フェイル君。こんな狭い洞窟に仕掛けなんてあるの?」


ここは洞穴。


ゴツゴツした岩肌と僅かに水が滴り落ちているだけの、ただの洞穴なのだ。


「『ジェヴォーダンの獣』、という事件は知っているか?」


「知ってるにゃ。昔、フランスで狼みたいな化け物がめちゃめちゃ人を殺した事件でしょ。イングランド魔術学院ウチでも、事案として取り扱われたからにゃ。結局、魔術師の力を使っても解決はしにゃかったけど」


「大正解だ。……アレの正体が何であったかは未だ不明だが、私は少なくとも、アレを『タダの狼と人間達が繰り広げた集団ヒステリー』だと思っている」


「ふにゃ~ん」


「へー。その心は?」


「……人間だれしも、『主観』からは逃れられないということだ。最悪の場合、全人類が世界を闊歩している『人間』の姿を見間違えている可能性だってあるだろう。……神の存在は、今や当たり前ではない。かの『フリードリヒ=ニーチェ』が『神は死んだ』と言ったように、『客観』という概念もまた、もはや死につつある。少なくとも『ジェヴォーダンの獣』に関連するものとして記録されている物事には、それこそマーキエルダのような魔術師が扱う事案でもない限りはあり得ない事象や矛盾が、『一貫性を持たない』形で散見されているのだ」


フェイルは「コツ、コツ」と革靴の音を立て、辺りを歩き回る。


「えーっと……どういうこと?」


「こういう事だ。……ハァッ!」


そして一箇所だけ盛り上がった壁に手をかざし、直後、その壁に向けて全力の正拳突きを繰り出した。


普通であれば、拳が硬い壁に弾かれて終わりだろう。


だがどうだろうか。


フェイルの拳が当たった箇所から壁は徐々に消え去っていき、その先にはレンガで舗装された道と、風化した木の扉が現れた。


「わぁ、何これ!何が起こったの!?」


「これは魔術の壁……かにゃあ?フェイルちん、その道は素人にゃのに……幻術系のトラップにウチよりも早く気付くにゃんて……やるにゃ」


「フン。あくまでも主観を……見えている世界を信じていないというだけだ。もしお前達の存在が俺の主観によって歪められたもので、実は化け物だった……なんてことがあったとしても、今更俺は驚かないさ」


「毎度のことながら脳ミソのネジが吹っ飛んでるにゃ」


哲学者として真面目なのか愚直なのか、フェイルの現実に対する尽きぬ懐疑を、魔術師たるマーキエルダは事案に対する向き合い方としても尊重していた。


「何はともあれ、新しい道は開けた!行こっ!フェイル、マーキィ!」


「やれやれ。気が早いのも相変わらずだな」


「ふにゃ、でも、なんていうか……マリナちんらしいにゃ」


飛び跳ねながら、扉の前で手を振るマリナ。


フェイルとマーキエルダは、ゆっくりとその後に続いた。


噂が本当であれば、扉の先にある何処かには神秘が潜む。


「すぅ」


深呼吸。


そして、マリナは一気にドアノブへ手をかけた。

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