第20話 薔薇の館 後編

薔薇の枝は次々と巨大な杭のように伸びて、僕の身体を貫こうとする。


「せいっ、ほっ、やっ」


これは、マスター亡き後に僕が敷地の外を歩いても絶命しないように課した試練なのかもしれない。


外の世界は、テレビでしか見た事が無いけど……もしかしたら、こういう怪物もわんさかいるのかも。


……もしそうなら、この状況も理解できる。


「わっ」


次々に襲い掛かってくる枝を仏像で弾きながら室内へ逃げ込み、扉や窓を閉め切る。


僕を攻撃する術が無いと枝は窓へ突き刺さり、薄いガラスの破片は窓際の四方八方へと飛び散った。


「これ……どうしよ」


あの枝を何とかできそうな武器を探し、室内を駆け回る。


枝が差し込んできた渡り廊下を通って倉庫から枝切りバサミを持ち出し、


「んしょ……えいっ」


手当たり次第に窓を突き破ってきた枝を切り落としてみた。


当然ながら、その枝は再生すること無く折れたままになっている。


「……これなら」


槍のように飛んでくる枝をギリギリまで引きつけて避け、枝切りバサミで切る。


これを繰り返せば、いずれ枝の数が限界を迎えるはず。


僕はあえて室外に出て、全方位から向かってくる数十本の枝を全力ジャンプからのきりもみ回転で回避。


ずっと部屋に引き籠ってたのに、身体能力が無駄に高かったのはラッキーだったかもしれない。


空中で枝切りバサミを構え、降下と同時に枝を切り始める。

そして着地した瞬間さらに襲ってくる枝を避けながら、枝切りバサミを振り回して当たった枝から切り落としていく。


太い枝が落ちた衝撃で、渇いた土が散乱した。


「キリが無い……」


次から次へと飛んでくる枝を回避し、切り落としてはまた逃げる。


もう数十本の枝を切り落としているはずなのに、一向に勢いは衰えない。


それに、向かってくる枝の本数に対して切断のペースも追いついていない。


このままでは、いずれ押し負けるような気がする。


「やっぱり間に合わない」


迫り来る枝を仏像と枝切りバサミで弾きながら、再び室内へと戻った。


マスターに入ってはいけないと言われていた仕事部屋。


ここには、例の動く人形が何体も置いてあったはず。

上手く使えば、囮にはなるかもしれない。


それに、マスターはもうこの世にいない。


この薔薇は、マスターが大事に育てていたもの。


マスターに背くのは嫌だけど……これも試練かもしれない。


僕は持っていた枝切りバサミで扉を思い切り殴りつけて破壊し、強引に仕事部屋へと侵入する。


「はぁ、はぁ……ふぅ」


僕はこの日、人生で初めて息切れというものを経験した。


しかし、マスターが言ってた程キツくはない。

数秒で呼吸は元に戻る。


僕は再び全力で走り始め、仕事部屋に眠っていた3体のマネキンと数十体の縫い包みに次々と手を触れた。


「マスターから教わった、不思議な魔法……これで僕はマスターの試練を乗り越える」


マスターからほんの少しだけ教わった、人形の操り方を思い出す。


人形へ手を伸ばし、自分がそれを一般的な操り人形を紐で操る時と同じ要領で扱うような感覚を想像する。


その時。


薔薇の勢いはさらに増しているのか、数本の枝は部屋の壁を貫通し、その内一本が僕の右肩を貫いた。


「くはッ……」


一瞬だけ、息が詰まる。


しかし確かに肩を貫かれているのに、不思議と少し深い切り傷程度の痛みしか感じない。


「やるしか……無い」


右肩を貫かれたくらいじゃ痛くなくても、全身を貫かれたら、いくら身体能力が高い僕でも普通に死ぬ。

死なない方が、逆におかしい。


「マスターの魔法よ、僕に力を貸して。生無き器よ、魂無き形よ、僕を守って。動いて、マスター……じゃなくて、僕の『カイライ』。……【ポルターガイスト】!」


再び、指先に力を込める。


目の前にあるいくつもの縫い包みとマネキンを指先で操るように、マリオネットをイメ―ジして……。


目を閉じると、糸が見える。

自分の指先が薄っすらと見えて、そこから数十本の糸が繋がっている。


しかし、ゆっくりと指を動かしてみても、何一つ人形達は動かない。

……もしかすると、動かし方が違うのかもしれない。


次に目を開き、人形達が僕の思い通りに動く様を想像する。

すると目の前に置いてある椅子に座らされていたマネキン、その指先が「カク、カク」と動き始め、徐々に他のマネキンや人形達も動き始めた。


中には浮遊している縫いぐるみもいる。


紐も繋がっていないのに、どうして僕の思い通りに動いているのかは分からない。


指先の動きが固くなる。

何十本、何百本の糸が絡みついて締め付けてくるような、そんな感覚。


もしかしてマスターは、いつもこんなに難しいことを……?


「おねがい、動いて……」


しかし人形達は、いつまで経っても指先が震えているだけで、それ以上には動かない。


今の僕に、3体のマネキンに加えて数十体の縫い包みを動かすのは無理なのかも?

でも動かす人形を選ぶ方法を、マスターから教えてもらった事はない。


「……そうだ」


僕は3体のマネキンだけを部屋から運び出し、もう一回「【ポルターガイスト】」とだけ言って、指先から伸びる糸をイメージする。


仕事部屋にはたくさんの縫い包みがあったから、未熟な僕は視界に入ったその縫い包み達も動かしてしまった。


こうしてマネキンしか視界に収まらないようにしておけば……僕はきっと、マネキンしか操れないはず。


数秒が経過。

するとマネキン達はすぐに起き上がって、僕の思い通り、まるで人間のように動き出した。


「「「……マスター、ゴ命令ヲ」」」


マネキン達は、ぼやけたような低い声で言う。


「しゃ、しゃべった」


「「「ワタシ達ハ、『マスター』ノ『ゴ命令』ニ沿ッテ行動シマス」」」


突然喋り出したマネキンに驚く僕。


すると、そのマネキンは丁寧に自分が喋る理由を説明してくれた。


「……ん」


「「「サァ、マスター。ゴ命令ヲ」」」


そう言って、マネキン達は僕の前に跪いた。


この状況で、僕が出す命令は一つ。


「……僕を、手伝って」


「「「イエス、マスター」」」


僕の精神が、マネキン達にも干渉するような感覚を受ける。

「ただの不思議な力で動くロボット」のマネキン達に、僕の心が定着するような、そんな具合。


動かしたいマネキンを思い浮かべて目線をそこに移すだけで、あっという間に指定したマネキンが走っていってくれる。


「これなら……!」


僕は屋外に出て、家を取り囲むように設置されている植え込みへ接近する。

真っ先に向かったのは、門のすぐ右側。


門になっている部分だけは物理的に薔薇が植えられないからか、少しだけ伸びている枝の数が少ない。


飛んでくる枝をマネキンの正拳突きでタイミングよく弾き、植え込みの中へ枝切りバサミを突っ込んで、薔薇の太い幹、その一本を根本から切る。


すると、その幹から伸びていた十数本の枝が地面へ落下し、僕を貫くために急成長した反動なのか、瞬く間に干からびて塵と化した。


僕は次々に幹を切り、一本一本、根元から薔薇を枯らしていく。


いつもなら、美しい花が落ちて干からびていく様を見たら切ないと感じるのかもしれないけど……今こうして薔薇が直接襲ってきている状況では、むしろ気味が良いくらい。


「全部……枯らす」


幹と枝を切断しながら、枝に貫かれて穴だらけになったキッチンの壁を蹴り倒し、食塩が入った紙袋を食糧庫から引っ張り出す。


今、外は雨が降っている。

庭を眺めている時、確かに僕は「ザー」という雨の音を聴いていた。


……なのに、さっき枝が落ちた瞬間に土が散ったのは何でなんだろう?

僕が敷地の外に出ようとした時から雨が降っているんだから、土は湿っている……なんなら、ビチャビチャになっててもいいのに。


そして、植え込みは土の表面から大体20センチくらい高くなっている。

そんな植え込みから、枝が落ちた程度で濡れた土が外に飛び散る訳が無い。


じゃあ、何で雨で濡れている筈の土が一瞬で渇き切っていたんだろう?

……そこで考えられる理由は一つ。


薔薇が、とんでもないスピードで水分とか栄養とか……そういうものを、土から吸収しているとしか考えられない。


そして、そんな薔薇が植わっている土に塩を撒き散らせば、今育っている部分以上には復活できない筈。


僕は枝を切り、塩を少しずつ植え込みに撒き散らしていく。


マスターが大切に育てていた薔薇だけど……どんなに愛するものでも、それが化け物になったら、その瞬間に情は捨てなきゃいけない。

マスターが前に一度観せてくれてたゾンビ映画で、そういうセリフがあったような気がする。


気が付けば残り十数本。

植え込みに植わっていた薔薇も、かなり片付いてきた。


しかし、邪魔な薔薇が消えて植え込みのスペースにゆとりができたせいか、今残っている薔薇は益々勢いを増していた。


マネキン達の身体もとうとう貫かれてしまう程の力で向かってくる枝。

三体とも、手足や胴体などのどこかしらが欠けた状態になってしまっている。


でも、諦めたら殺されるのは変わらない。

引き下がってはいられないんだ。


僕は、マスターから教えてもらった二つ目の魔法を唱え始める。

これは今操っている傀儡に、自分が持っている魔法の力……後に魔力だと判明するそれを全て注ぎ、魔法的なオーバードーズを引き起こして爆発させるというものらしい。

……そうだって、マスターが言ってた。


でも、これを使ったら当然ながら爆発させた傀儡は粉々に砕け散り、使い物にはならなくなる。


タイミングとか力の注ぎ方を間違えたら……その時は、残った幹から伸びた十数本の枝が迷わずこちらへ向かってきて、一瞬のうちに僕を串刺しにするだろう。


それでも、このままマネキンを囮にしながらチマチマと枝を切り落とす作業を続けて、全ての枝を切り落とす前にマネキンが破壊されるよりはマシだ。


「『カイライ』よ。今こそ僕のために……死んで。……【マリオネット・オーバードーズ】」


「「「……イエス、マスター」」」


僕の指先から、残っていた不思議な力が一気にマネキン達に送られる。

身体中の力が抜けていき、突然の眩暈が僕を襲った。


……後から聞いた話だけど、慣れない人が自分の内に蓄積できる最大魔力量の半分以上にあたる魔力を一度に消費すると、眩暈とか睡眠障害とかになる危険があるんだって。


「大気中に舞っている霊力を体内で魔力とか呪力とかに変換しながら魔法を使う」……みたいなことができる人は、また勝手が違うみたいだけど。

何も考えないで強い魔術を使えばいいって訳じゃないってことは、この時に学んだ。


マネキン達は捨て身で、それぞれ残った薔薇の幹や枝にしがみつく。


そして、一、ニ、三を数えた直後。


マネキンから放たれる眩い光に、僕が目をつむる。


直後に耳をつんざくのは、「ドゴォォォォォォン!!」という、テレビ番組でしか聞いたことがないような轟音。


軍事訓練を観に行った時に聞いた砲弾の音にそっくりだった。


あれは確か……。

いや、いいや。

あんまり詳しく覚えてないし。


「ん……煙い……ゲホッゲホッ」


……目を開けると、そこに薔薇の姿は無い。


それどころか、植え込みごと吹っ飛んでいる。


「えと、終わった、のかな」


僕は粉々になったマネキンの破片を拾いながら、同じく粉々に砕け散った植え込みの破片を踏み潰す。


「……外、行こうかな」


仕事場から一つだけ、ドレスを着た少女を模した縫い包みを持ち出す。


そして轟音を気にしてか、家から飛び出してきた野次馬やじうまをよそに、門から堂々と足を踏み出す。


すると、案の定声をかけられた。


「……アンタ。少しいいかい?」


しかし、それはただの野次馬では無く。


「だれ」


「アタシは『真田』ってんだ。アンタが危険な魔術師じゃないか、確かめに来たのさ」


秘匿存在に存じるものに絡む問題を察して駆けつけてきた、ローブに身を包んでいるいかにもな恰好をした魔術師。

僕と同じくらい長身の女性。


「……いきなり言われても分かんない。悪い魔術師って何?」


「こんな反応をするってことは、悪い魔術師じゃないのかな?……って、アンタ!右肩!怪我してるじゃないかい!大丈夫なのかい!?」


今になって気付いたんだ……この怪我。

傷口が血塗れだから、結構目立ってたと思うんだけど。


「ん。大丈夫。多分」


「大丈夫なわけあるかい!ホラ、いいから来な!そんくらいの怪我、アタシの同僚に任せりゃ一瞬さ」


「ホントに大丈夫……」


「大丈夫でも、アンタが何者なのかを調べなきゃいけないからね。結局、アンタには来てもらう事になるよ」


「……そ。じゃ、連れてって」


この、ちょっとポンコツで強引で……でも、ちょっと優しい魔術師こそが、後に担任の魔術教授となる真田先生だった。


~上映終了~


縫い包みの目から放たれていた光が消え、霊音の記憶から変換した映像の上映が終わる。


それと同時に、霊音は再び瑠莉奈のベッドに腰掛けた。


「……これが、僕の過去。それと、真田先生との出会いの話。僕が真田先生に馴れ馴れしいのは……ちょっと前から友達だったから。……それと、真田先生が僕の『竜爪』を避けられないのも知ってた」


俺と瑠莉奈は、霊音と真田のエピソードに驚き、思っていたよりもずっと映像に見入ってしまっていたようだ。


「「はぁー……」」


思わず、大きな溜め息をついてしまう。


「えっと、退屈だった……かな」


少し申し訳なさそうに、そそくさと縫い包みを抱きしめて瑠莉奈のベッドから立ち上がろうとする霊音。


「ううん!すっごい面白かった!」


しかし、瑠莉奈がその前に霊音を抱きしめて再びベッドに引き戻す。


死にかけた霊音のエピソードに対して真っ先に出てくる映像を観た結果が、「ううんすっごい面白かった!」というのは……何か違うような気がする。

いや……まあ、いいんだけど。

何つーか……どうにも腑に落ちないんだよなぁ。


俺は胸に秘めた少しの違和感を頭の隅に放り込み、しばらくベッドに寝転んでいた。


そして数十分後。

部屋から出ていく霊音を見送って、すぐさま俺の横に寝転んで腕と脚を絡ませてくる瑠莉奈。


「二人っきりだね……」


「いつもの事だろ」


「もー。釣れないなー」


拗ねたふりをする瑠莉奈をよそに、俺は立ち上がって部屋を出ようとする。


「……スマン、瑠莉奈。ちょっと、散歩してくるわ」


「私も行こうかー?」


「いや、一人で行くよ。……たまには、一人の時間も必要なんだ」


「ふーん。まあ、いいけどね。その間に兄さんのベッドがどうなっても知らないから」


「やめろお前何をする気だ」 


「秘密」


「……今日は許す」


「珍しいじゃん」


「俺にも色々あるってこと」


「わかった。行ってらっしゃい、兄さん」


瑠莉奈の静止を振り切って、一人で中庭へと出歩く俺。


「どうしたもんかな……」


霊音の記憶を観た、瑠莉奈の反応。


それに感じた、人間らしからぬもの。

単純に瑠莉奈がサイコパスの類であるということが精神の成長によって露呈しただけであるという可能性もあるが……。


目の前で笑う瑠莉奈が、いつか本当に「悪魔アガレス」になってしまう。

俺は妹の笑顔を見て、あろうことか不安になってしまったのだ。

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