事案2ν-バルバトス

「事案2ν-バルバトス」に関する情報は最高機密であり、「源流」及び「奔流」として扱われる魔術師以外は閲覧できないよう、対象者以外の文字及び情報に対する認知・認識能力を一時的に歪め、内容の理解を不能とする魔術が施されています。


また、閲覧しようとした人物の情報は本書の「目」に記録され、閲覧者が持つ本書関連の記憶は自動的に削除される場合があります。


資格「源流」は各国魔術学院内最高権力者とそれに等しい存在の証であり、「奔流」は外部の権威及び権力者に対し、データを閲覧する際にのみ「一時的に」与えられる資格です。


貴方が該当の人物ではない場合、速やかに本書を閉じて下さい。


錯乱魔術【シバの鍵】、発動。


本事案は数ある「事案-2」の一つであり、このような記述は1柱目の悪魔ではありませんアモンの影響を避ける為にされているものです。


バルバトスはソロモン72柱の8柱目に該当する悪魔であり、堕天使の一体としても数えられます。


容姿は狩人を彷彿とさせるマントとハットが特徴的ですが、その顔を目撃した存在は一人も確認されていません。


バルバトスは、現時点で4体の「王」と行動を共にしていると考えられます。


彼らの素性については一切が不明であり、それらの世代交代や能力の継承が行われているか否かも不明です。


魔術学院は彼らの動向に対して、未だ予断を許さない状況を強いられていますが、その情報を知る事が許されているのは貴方のような限られた術者のみであるため、閲覧者の資格を持つ者には、バルバトスへの警戒を怠らないことが常に望まれます。


また万が一、「バルバトス」の名を持つ悪魔や、それと契約した人間の存在が確認された場合、それらは速やかに「源流」へと報告されるべきです。


本事案は、魔術師バルデルと魔術師ライドの死因を、「過度な魔術の探求による狂死」を表向きの理由とすることで、隠蔽に成功しています。


以下は、バルバトスと最接近したであろう魔術師バルデル及びその関係者、及び「妖精の筆」による手記です。


~最重要事件記録2ν-魔術師バルデルの手記~


日時不明、某教会にて。


私は戦慄した。


眼前で首を射抜かれた同志たる魔術師ライドが、顔に一切の歪みを出さずに息を引き取ったのだ。


脊髄と神経を一撃で貫かれたのだろう。


喉仏の少し下あたりに、風穴が空いている。


矢で射られでもしたのだろうか。


しかし、射手の姿はどこにも見当たらない。


声も出ないような驚きと恐れが全身を伝った。


……自らこんな事を言うのはどうかと思うが、私達は決して弱い魔術師では無かったのだ。


私は「拒む意思」、即ち否定の感情から生み出される魔術である「拒む力」を5年前に見出した最初の魔術師であり、ライドは初めて杖ではなく指輪を触媒として用いた魔術師であった。


しかし、その片割れが今、目の前で一瞬にして命を狩り取られたのだ。


「なッ……!ライド!ライド!起きろライド!!……クソッ!」


倒れる相棒の側へ駆け寄り、私はポケットに入れていた魔法薬を取り出してライドの全身に撒き散らす。


しかし、それは既に失われた命を呼び戻すような秘薬ではない。


口と首から血を大量に流しながら倒れているライドが蘇ることは無く、私は薬が入っていた小瓶を割り、ライドが右手の人差し指に嵌めていた指輪を持って教会を後にする。


しかし、次の矢は容赦なく私の首元を狙って飛来した。


「【拒む力】ッ!」


周囲の空気を「拒む」ことで、飛来する矢を空気ごと弾く。


「拒む力」。

私が発見し、そして最も得意とする魔術だ。


しかし、周囲……距離にして半径10メートル程度の距離にある物しか弾き飛ばすことしかできないのが難点である。


事前に射手の存在に気付いていれば、もっと魔力を出し惜しみせずに魔術を惜しまず使っていれば。


もっと研究し、ここを訪れる前に「拒む力」を強化しておけば。


私の胸中は、一瞬にして後悔と喪失感に蝕まれる。


「どこだ!姿を現せ、卑怯者ッ!」


私は杖を構え、周囲を警戒しながら物陰へと移動する。


矢が飛んで来たのは南からだ。


ならば今は、南側の壁を背にして立ち回るのが無難だろう。


壁は日干し煉瓦なのか、耐久性には少し不安があるが……弓矢程度で打ち破ることは出来ない筈だ。


とりあえずは周囲を警戒しつつ、この状況を報告しなければ。


……という訳で、私はこうして手記を残しているわけだ。


何の脈略も無く文字が途切れたら……そういう事だと思って欲しい。


ここからは、「妖精の筆」に任せよう。


それにしても、悪趣味なものだな。


「妖精の筆」は、使用者が口に出した言葉や読み取った思考を文字に起こすという、とても便利な魔道具だが……それには、微量だが10歳前後の子供から抽出された脳髄液が使われるのだ。


尤も、口にした言葉のみならず思考をも文字として書き起こす魔道具など、そういった人間由来の物を使わずにどう作れば良いのかと、そう問われればそれまでだが……。


これを開発した魔術師は相当に頭がイカれていたか、或いは「魔術師」という職業に徹していたかのどちらかだろう。

少なくとも、まともでなかったのは確かだ。


……って、こんな思考まで文字に起こされているのか。


変な事を思い浮かべないようにしなければ。


……そんな事を思っている内に、いつの間にか飛来する矢の音は聞こえなくなった。


しかし、私の感が告げている。


危機は去っていないと。


ライドが倒れた直後に感じた、あの名状し難い感覚。


適切な形容詞が思いつかない。


そして、そんな「ただならぬ何か」の気配を近くに感じるのだ。


「【拒む鎧】」


私は杖から魔力を放出し、「拒む力」を全身に纏って鎧を形成する。


これは「魔力の鎧」という、魔力そのものを纏わせて鎧を形成する魔術を参考に、「拒む力」に変換された魔力を纏うことができるように改良したものである。


……これを事前に使っておけば、ライドは死なずに済んだかもしれない……とは思うが、効果の割に消費リソース量が合わないのだ。


確かに、「関節部もカバーできる鉄製の鎧を着る」に等しい防御力を得る、万能に近い、かつ強力な魔術ではあるのだが……いかんせん、消費される魔力量が多すぎるのだ。


そんな術をむやみやたらに使う訳にもいかず、敵性対象と見えた際に使おうと思っていたのだが……まさか、こちらの片割れが敵の姿を確認する前にやられるとは思わなんだ。


しかし、今やリソースを気にしている場合ではない。


魔術師はいつ死んでもおかしくない職業であることを自覚しつつも、ライドの犠牲にはかなり精神を抉られたし、その影響で三日は寝込むと思うが……あの時に狙われなかった方の生き残りとしても、形見を(半ば強引に)預かった友人としても、何とかこの場は生き延びなければ。


そのためには、出し惜しみなどしている場合では無いのだ。


すぐに終わらせる。


私はあえて物陰から飛び出して左腕に杖を構えつつ、あえて開けた場所へと移動した。


敵がどこから矢を射っているのかが分からない以上、こちらから反撃することはできない。


ならば、あえて矢を射らせて、敵がどこに陣取っているのかを矢の軌道から特定する他無いだろう。


「さあ来い、名も知らぬ射手よ!」


私は呪文の詠唱を始め、杖の先端から青白い光を放つ魔力の球体を乱射する。


「【撒き散らす魔弾】。……どうした、射手よ。友を殺された怒れる私の本気に恐れをなしたか?」


さあ、敵はどう出る?


魔弾は広範囲に拡散させているため、敵が透明化やら認識を妨害する魔術などで射程距離内に隠れているのであれば、魔弾を避ける際に間違いなく、足音が聞こえたり踏まれた物が動いたりする筈だ。


そして魔弾が届かない範囲になら、きっと敵はこちらに矢を撃ってくる。


逆に、弾幕の射程範囲外……具体的には半径約20メートル圏外にいる状態にもかかわらず、矢を撃たずにただ待っているとしたら……それは敵の戦い方が下手なのだろう。

その場合は、私が敵の戦力を過大評価していたという点で読み違えたことになる。


しかし、相手は弓の名手。


この状況で、攻撃を仕掛けてこない筈が無い。


「ウグッ」


ほうら、こんな風に左腕を射られて杖を落とし……。


あれ?


「な……?」


何が起こった?


矢が撃たれたということは、少なくとも敵は私の射程範囲外から攻撃してきているということになるのだろうが……。


左腕を貫かれたのは一瞬の出来事だった上に、飛んできた筈の矢が見当たらないのだ。


ライドが首元を貫かれた時も、そうだった。


「まさか」


飛来している矢には、実体など無いのではないだろうか。


魔力、或いは呪力や妖力、マナといったもので生成された矢のようなものが飛んできているのならば、有り得ない話ではない。


……しかし、そんな長射程をカバーできる上に人体を簡単に貫通する程に威力も高い術など、聞いたことが無い。


相手の術者は何者だ?


間違いなく私よりは格上の手練れであろうが……。


少なくとも人間ではなさそうだ。


正直なところ、魔術のみならず呪術・妖術・神の加護なども含む人間の術は分野を問わず発展途上であるというのが私の見解である。


故に、人間がこれ程までに高度な術を使えるようになるのは、どれだけ早くても50年は先であろうと考えているのだ。


そして逆に考えれば、今の術者界隈は私が想定している「ある程度発展した」状態からみて、50年以上は遅れているということになる。


流石に50年以上も先のレベルにある魔術を使う敵を相手に、私一人で対処できる自信は無い。


かと言って、いつどこから矢が飛んでくるか分からないような場所にいつまでも留まり続けるわけにもいかない。


殺すのは何かの間違いが無ければ無理だ。

生かして捕らえるのはもっと無理だ。


ならば、私にできる事は一つ。


「逃げるしかないッ!【拒む足】!」


敗走など、これ程無い屈辱だが……無理なものは無理だと、生きてこその探求者だと自分に言い聞かせ、両足に「拒む力」を流し込んで「私が地面とみなした場所に足を着く」ことを拒むことにより、高速移動を試みる。


こんな土壇場で偶然思いついた運用方法を試すなど、いつもの私なら絶対にしないのだが……もう一か八か賭けるしか無かったのだ。


右足を前へ、すると弾かれるように右足が浮き上がった。


角度を調整して、左足を地に。


地面を拒んだ左足は、若干前に傾いている状態で地を蹴るように弾かれ、私の身体を前方に飛ばす。


これなら逃げられる!


東から、僅かに輝く光の点を目視。


今、私から見て東。

そしてこれから北東になる場所から、敵は撃ってきている。


暗くて影しか見えないが、ハットを被っているように見える。


そして、突然の強風でマントのようなものがなびいた。


矢が放たれる。


しかし、私の身体はどこも貫かれていない。


逃げられる、逃げられるぞ!


「【???】」


あとは行きの時に使った転移陣さえ踏


~最重要事件記録2ν-魔術師バルデルの手記 以上~


後に5名の工作員が向かい、二人の遺体を回収したところ、それらの体内には小さな穴が空いていたことから、彼らは魔力矢による攻撃を受けた可能性が極めて高いと考えられます。


バルデルとライドが魔術師であるにもかかわらず教会を訪れた理由は不明です。


少なくとも、イングランド魔術学院が指令を出していないことは確かです。


以降も悪魔バルバトスは、術師非術師を問わず、人間に従うことなく徘徊を続けているとされています。


秘匿存在「バルバトス」の撃破或いは保護は、一刻も早く行われるべきです。


本項目は執筆日時不明、執筆者不明です。


~以上~

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