第7話 悪魔の性
某日、日本魔術学院大書庫にて。
俺と瑠莉奈は書庫へと足を運び、蘆屋に読んでおくよう言われていた「ソロモン72柱の悪魔について」という魔導書を探すことにした。
ソロモン72柱に相当する悪魔は、強力故に精神が歪んでしまっているためか、扱いが難しいのだという。
現に瑠莉奈も温和だった生前とは変わって、良く言えばダイナミックになり、悪く言えばまともな人間のそれでは無くなっている。
山村と両親がその被害者だろう。
そんな強力な悪魔と化してしまった瑠莉奈の力を制御し、暴走を防ぐために、「悪魔アガレス」の扱いを学んでおかなければならないのだそうだ。
本人の同伴が許されているのは、過去のアガレスを反面教師とせよということなのだろうか。
手綱の扱い方を馬に教える意味が、それくらいしか思い浮かばない。
「あっ、兄さん。アレじゃない?」
瑠莉奈が指差した先の本棚には、表紙に「ソロモン72柱の悪魔について」と書かれている魔導書が立てかけてあった。
俺はその魔導書を手に取り、近くにあった椅子に座って読むことにした。
……右側から本を覗き込む瑠莉奈との距離がやけに近い気がするが、気にしないでおこう。
「『事案666-ソロモンの悪魔』に関する情報は、『柱の主人』とされる魔術師以外は閲覧できないよう、対象者以外の文字及び情報に対する認識を一時的に歪め、本文書の内容を認識不可能にする魔術が施されています。
『柱の主人』は、ソロモン72柱の悪魔及びその名を魔術学院により与えられた悪魔を1体或いは1柱以上従えている者に与えられます。
貴方は、ソロモン72柱の名を持つ悪魔を1体或いは1柱以上従えていますか?
該当の魔術師のみが、以降のページを閲覧することを許されます。」
「何か物騒なことが書いてあるんだけど……」
何だろう、「認識を歪める」とは。
この魔導書には、瑠莉奈が俺にかけてきた魔術のようなものを「該当以外の人物」にも自動的にかける……みたいな機能があるのだろうか。
「でも兄さん。私が『アガレス』なんだから、その物騒な魔術の効果は受けないんじゃない?」
「そりゃあそうなんだけどさぁ……」
うーん、やはり瑠莉奈は生前よりも良い意味でも悪い意味でも堂々としているような気がする。
俺が魔術的なギミックに対して耐性がある、ということなのかもしれないが。
そうだったらいいのにな。
さて、恐る恐るページの橋をつまむ俺だったが、
「えいっ」
瑠莉奈はその手を掴み、勢いよくページをめくった。
「おいおいお前何やってくれてん」
少しは躊躇して欲しいものだ。
お前も認識を歪める魔術の使い手だろうに。
それがいかに危険なのかを誰よりも知っている筈なのに、これである。
そして瑠莉奈によってめくられたページには、見開きで
「錯乱魔術、【シバの鍵】が発動しました。」
と書かれていた。
「わー!何か凄そうな魔術!私も覚えられるかなぁ?覚えられますよね!」
「冷静が過ぎない?」
よく分からない変な魔術が発動したというのに、自分の専門分野に近いからと、呑気に分析を始めようとしている悪魔がここに一柱……いや、一人。
とはいえ、今のところ何か認識が変わったようには感じない。
これは俺がソロモン72柱の名前を受け継いだ悪魔の主人であると認められている証なのだろうか。
イマイチ実感というものが無かったが、少しそれが湧いてきたかもしれない。
……とりあえず、発動した魔術の実害が無い以上は、先に書かれていることを読んでいくしかない。
俺は、再び慎重に次のページをめくる。
「以降の文字を認識できているということは、貴方がソロモン72柱の名を持つ悪魔を従える魔術師であるということを意味します。
この魔導書はソロモン72柱の悪魔と、それらに纏わる魔術について解説するものです。
ソロモン72柱の悪魔、その入門書として扱うことが推奨されています。
貴方に従えている悪魔の文字を指で辿ると、説明文を閲覧できます。」
「……だって!ほら、ここ、4ページ目!『2柱目』のところに『アガレス』って書いてあるところ、見て!」
瑠莉奈が指差したところには、金色に輝く文字で「アガレス」と書かれている。
逆に、アガレス以外の名前が光っていないということは……アガレス以外の悪魔についての情報は閲覧できないのだろうか。
「テンション高いなー。……とりあえず……読んでみるかぁ」
俺が「アガレス」の文字を右手の人差し指でなぞると、ページが一気にペラペラと音を立ててめくれていき、悪魔アガレスについての情報が記されたページが開かれた。
その間、河童戦で役立った自慢の動体視力と集中力を活かし、何とかページがめくれていくページに書かれている筈の説明文(1柱目の悪魔、アモン)に目を通しておこうと思ったが……どうやら、そこは魔術による工作がされているようだ。
何について書いてあるのか、全く理解できない。
「あっ、兄さん。もしかして……他の悪魔さんのページ読もうとした?兄さんもワルだねぇ~!うへへへへへ」
「そのゴブリンみたいな笑いをやめろ」
「いひひひ、いひ」
本当に悪魔みたいになってしまった。
あの「ザ・可憐」みたいだった瑠莉奈が。
精神が歪みかねない程の力をもつ悪魔になったとはいえ、しばらく会わないうちにこんなにも人は変わるのだろうか。
或いは……生前の大人しかった瑠莉奈は良い子ぶっていた故にそう見えていただけで、本当の瑠莉奈は今みたいな小悪魔だったりするのだろうか?
瑠莉奈に関しては、まだ謎が多い。
それでも、今の瑠莉奈がどんな悪魔なのかを少しでも知っておくために、俺は手引書に目をやり、文字を読み始めた。
~悪魔アガレスについて~
「悪魔アガレス」は、ソロモン72柱の悪魔、その2柱目の名です。土に関する魔術や言語に関する魔術に秀でた悪魔が、名乗ることを許されます。初代アガレスは、西暦90年頃に、聖女「サライ」によって祓われたとされています。
初代アガレスは、「人間が一人でも『言語』であると認めたものを瞬時に習得する魔術」と「地殻を僅かに操る魔術」を得意とし、それらの魔術は「アガレス」以外は誰一人として再現が不可能な魔術となっています。
かつて3代目アガレスの主人であった人間は、魔術師でも何でもない少女だったといいます。
その少女はアガレスを「いろんな言葉を教えてくれる優しいお爺ちゃん」と思っていたようですが、アガレスが少女に教えていた言葉は全て洒落にならない中傷の類でした。
その後、少女は観光客に目をつけられて嬲り殺しにされてしまったそうです。
挨拶にと教えられた言葉が、彼らにとっては差別的な意味だったそうな。
悪魔アガレスの名を継ぐ者は、精神にそういった一面を持っている可能性があります。
尚、「アガレス」という名との関連性は確かではありません。
どうか、この論が飛躍しすぎであることを祈ります。
~追記~
……人間に言語を教えることと猥談を好む老人のような姿であったため、成熟した主人からは、男女問わず決まって「エロジジイ」と呼ばれていたそうです。
アガレスの名を持つ者は、少なからずそのような傾向にある可能性があります。
前述の通り、それがアガレスの名と関連しているかは不明ですが、自身の貞操と語彙の管理には十分気を付けて下さい。
本項目は西暦1948年に、魔術師「エレナ=ディクソン」が執筆しました。
~以上~
入門書というだけあって、特に重要な情報を書き記しただけの短い説明になっているらしい。
アガレスに関する説明は以上であった。
それに、執筆者の個人的な意見……というか、感想も含まれていたような。
俺が赤い河童の事案報告書について書いた時もだったが、魔術の分野というか業界というか……そういう類では学術的な文章であるにも関わらず、エッセイのような感情込みの文章が許されているのは何故だ?
科学ではない故に、感情も込みで情報になり得るという事なのだろうか。
「オーケー、何となく理解した」
「どう?私、けっこう強いんですよっ」
得意げに胸を張る瑠莉奈を横目に、俺は魔導書を棚に戻し、大書庫の出口へと向かう。
「……ああ。何となくだけど、強いのは分かった。……あと、お前が生前と性格が少し変わった理由らしきものも」
「どういうことですかそれ」
背後を浮遊していた瑠莉奈が、急に距離を詰めて真左についてきた。
「いや、なんだ。アガレスって名前の割にはマシな方なんだなと思っただけ」
瑠莉奈が少し不機嫌になったかのように見えた俺は、「決して悪い意味で言っているんじゃあないんだ」と、「今の瑠莉奈」よりも「初代アガレス」に論点を置いて話を進める。
「書いてあったんですね。……初代さんの話」
「ま、そういうことだ」
「気の毒、ですよね。私が言うのもなんですけど」
瑠莉奈は突然の死が訪れた自身に少女を重ねたのか、少し俯いてしまった。
「そうだな。そういう性格とか性根とかは悪魔だから仕方ないのかもしれないけどな」
「思っていたよりも『アガレス』の名前に色々と重みがありすぎて……最近、重圧を感じつつある瑠莉奈ちゃんなのです」
「そっか。……でも俺はお前が割とお前のままで良かったと思ってるよ。生きていた頃と変わったところも少しはあるけど、今のお前が『アガレス』じゃなくて『瑠莉奈』で良かった」
俺は、俯きながら引きつった笑みを作っていた瑠莉奈の頭に右手の平を置き、そのまま撫でた。
「えへへ……。ま、まあ?私は紛うこと無き瑠莉奈ちゃんですし?本当の私はアガレスとかいう悪魔じゃなくて、兄さんの妹ですし?どうします?もうちょっと加護あげちゃいます?」
「チョロすぎる」
「むっ、そのセリフは悪魔アガレスの沽券に関わっちゃいますねぇ。また言葉奪っちゃおうかな?」
「やめてくれ。シャレにならない」
「冗談ですよ。でも、ありがとう。私のことを人間として扱ってくれる人なんて、もう兄さんしかいないから……こうして、兄さんと昔みたいに『人間同士の会話』ができること……すごく嬉しいんだ」
「それを言うなら、俺も嬉しいよ。死んだ妹と、こうしてまた話せるようになったんだからな」
もう一度、瑠莉奈の頭を撫でる。
ここに今、瑠莉奈は確かに存在しているのだ。
少し前までは当然だと思っていたものが、失われた時間を味わって、気付いたこと。
いつの世も、大切なものは失ってからもっと大切になる、という人の性は変わらないようで。
だからこそ、この手をもう瑠莉奈から放したくないと思ってしまうのは異常なのだろうか。
「……兄さん、魔術師になってくれてありがとう。もしも兄さんが初めて会ったっていう赤い河童と遭遇していなかったら、私みたいな存在との繋がりが生まれることは無かった。もしも兄さんが赤い河童に殺されて、そのまま悪魔にも何にもなれなかったら、私と兄さんの運命が交わることは無かった。……だから、うまく言えないけど……ありがとう」
それ程までに、瑠莉奈には相当に寂しい思いをさせてしまっていたのだろう。
「感謝される事じゃあないし、俺の左目も義眼になっちまったけど……確かに運命は感じるかも。これも縁ってやつか」
俺は右手で瑠莉奈の左手を握る。
「そうかも。そうだったらいいな。……ねえ、兄さん。今日は一緒の布団で寝ませんか?」
普段、瑠莉奈はいつも俺と同じ部屋で寝ているものの、勿論ベッドは別だ。
しかし今日くらいは幼少期のように、二人で身を寄せ合って寝るのもありかもしれない。
年頃の男女とはいえ、そこは兄妹。
さすがに誰も咎めないだろう。
「……それもそうだな。久々に、一緒に寝ようか」
その後、俺は夕食と入浴を済ませてから、再び瑠莉奈が一人で待つ自室へと戻る。
「おかえり、兄さん。ベッド温めといたよ」
「豊臣秀吉かな」
先に布団を温めていた瑠莉奈が手招きをしている。
瑠莉奈の姿はいつもの黒いドレスのような装いではなく、ガーゼパジャマのようになっていた。
……そういえば、瑠莉奈って服……着てるのか?
少なくとも布を纏っているわけではないこと、それだけは確かだ。
服を着ているかのようなデザインの模様の身体をもつ悪魔なのか、魔力で鎧もといドレスを作っているのか。
「さ、入って入って」
ベッドを片手で「ポンポン」と叩く瑠莉奈。
しかし、俺はあえてベッドから距離をとる。
「そういえば瑠莉奈……そのパジャマみたいなやつ、服?」
「ううん。魔力の塊ですよ。悪魔は半分お化けみたいなものだから服着れないし」
やっぱりか。
そんなことだろうとは思ったが。
相手が妹とはいえ、相手が全裸でないことを確認せずには一緒に寝ることを許せない俺がいた。
しかし魔力の塊とはいえ、何かを着ているのならば問題あるまい。
俺はベッドに潜り込み、瑠莉奈と肩を寄せ合って眠りにつく。
成長してからは、ただでさえこうして同じ寝具の上で眠ることも無かったが、たまには心から信頼できる相手と同じ布団に身を包むというのも悪くないものだ。
そして夜はゆっくりと、穏やかに過ぎていった。
……誰かさんの奇行を除けば、の話だが。
翌朝。
「ふぁぁ。おはよ……う?」
「……すう、すう」
瑠莉奈よりも一足先に目覚めた俺は、寝息をたてて熟睡している瑠莉奈の方へと向き直る。
どうやら、悪魔でも睡眠は必要らしい。
人は、寝ている間に記憶の整理を行うという。
そして、それは悪魔も変わらないのだろうか。
……ここまでは良いのだ。
ただ、悪魔が寝ているだけなのだから。
しかし問題なのは、その瑠莉奈の顔が、
俺のうなじにピッタリと張り付いていたことであった。
……いやいやいやいや。
何がどうしてこうなった?
でも、何故よりによってうなじなのだろうか。
匂いとか……そういう?
「ええ……?」
「ふわ~ぁ。おはよう兄さん……がぶ」
「うん?」
そして、寝ぼけた瑠莉奈にうなじを甘噛みされる。
「あれ?何で兄さんの首なんか噛んでるんだろ」
「勝手に噛んでおいて『兄さんの首なんか』とは何だ」
これで瑠莉奈の歯が鋭かったら危なかった。
本当に首を喰い千切られたかもしれない。
瑠莉奈の歯が牙になっていなくて本当に良かったと思う。
ヨダレを垂らしながらモゾモゾと芋虫のように動く瑠莉奈を尻目に俺はベッドから抜け出し、うなじをタオルで拭いて魔術師の正装とされるローブに着替え、樫の杖を手に取った。
もうすぐ、俺も編入性として一年生のクラスに加わることになるのだ。
そろそろこの服装にも慣れなければ。
「え、どこ行くの、兄さん?」
「もうすぐ俺もクラスに編入するし……このいかにも魔術師みたいな服でその辺歩き回ってみたくてな」
「私もついていくよ!ちょっと待ってて」
全身を魔力で生成した繭のようなもので覆い、瞬く間に着替えを済ませる瑠莉奈。
「……変なところで便利だな、悪魔って」
「私の特技だからねっ!本当は防御に使うバリアなんだけど……これを展開しながら私を超えるスピードで早着替えする悪魔は見た事ないくらい、私はこの魔術をマスターしています」
前言撤回。
瑠莉奈の特技が便利なだけかもしれない。
俺は鏡の前でローブを着た自身の姿を凝視した。
心なしか、ローブを着ているだけでも強くなったような気がする。
魔法使いモノの作品で「大して強くも賢くもないのに見た目にばかり拘る魔術師が一定数いる」というような描写を見た事があるが、その気持ちを分からないでもないと思ってしまうくらいにはカッコいい。
……俺に似合っているかはともかく。
そんなローブに身を包んだまま部屋のドアを開け、廊下へ出た。
もう見慣れた寮の廊下だが、こうして魔術師らしい服装をしてみると、改めていかにもなデザインなのだと思い知らされる。
それっぽい装いになってみると、やはり自覚というものは自然と湧いて出てくるものなのだろう。
「形から入る」という言葉があるが、確かに見た目は大切なかも知れない。
俺は得意満面の表情で大きく一歩を踏み出し、瑠莉奈が後を追従するように浮遊する。
これから、きっと俺は赤い河童の比ではないような怪異や異常な何かと関わっていくことになるだろう。
それでも瑠莉奈と一緒なら、何とかやっていけそうな気がする。
アガレスとしての瑠莉奈が強すぎるというのもあるが、妹としての瑠莉奈とであれば、ただの「コンビ」では越えられないようなチームワークの壁も越えることができるのではないかと思えてしまうのだ。
駆け出し魔術師の兄と、悪魔アガレスの名を継ぐ妹。
兄妹としてあまりにも異質だが、それでも、俺は瑠莉奈を使い魔もとい相棒にして良かったと思う。
「行こうか、瑠莉奈」
「うん、兄さん!」
俺はさらに足を進め、廊下からエントランスへと向かう。
しかし、ローブの裾が長いことをすっかり忘れていた。
「アバー!!?」
廊下とエントランスの間には、廊下からエントランスに降りるようになる30センチメートル強の段差がある。
無様というか見事というか、俺はド派手に顔面から地面に着くように転んでしまった。
「ぶは」
吹き出す瑠莉奈。
……本当に、近くに誰もいなくて良かった。
俺が魔術師になった経緯が少し特殊であったためか、住まわされている寮が違う故に……同学年、同クラスになる予定の魔術師達と顔合わせをしていなかったことも、「情けない姿を知り合いに見られる」というリスク回避の点では功を奏したのだろう。
俺は何事も無かったかのように立ち上がり、そのままエントランスを抜けて寮内を歩き回ることにした。
しかし、
「……何か言いたげだけど、どうした」
背後で笑いを堪え続ける瑠莉奈の姿だけが、どうしようもなく気になった。
「ぎゃはははははは!!ヒーヒー、きひひひひ、ゲホッ、ゲホ!だははははははははは」
その晩は、数分周期で少女の笑い声が俺の部屋に響き渡ったそうな。
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