第6話 事案6960-襲名 後編

瑠莉奈の囁きから数秒後。


すっかり瑠莉奈のペースに呑まれかけていた俺だが、ふと、玄関から見えるリビングに目をやる。


すると俺の網膜には扉の付近で突然気を失ったかのように、血を流しながら折り重なって倒れている両親の姿が映った。


「なあ、瑠莉奈。契約の前に聞いておきたい事があるんだけど」


「どうしたの?兄さん」


「父ちゃんと母ちゃんが血塗れで倒れているのは……お前の仕業か?」


「そうだけど……?どうかしたの?」


これまたあっさりと自白した瑠莉奈。


リビングの奥がどうなっているかは見えないが、少なくとも血みどろの両親が横たわっている辺り、面積にして3~5平方メートル程度の床は一面が赤く染まる程には出血している。


「何でこんなことを?」


「だって、私が死んでから兄さんは……父さんと母さんに愛玩動物みたいな扱いを受けてきたでしょ?生活には困らなかったけど、自由は奪われた」


「……うーん?」


「私、知ってるんだよ。自分では気付いてなかったみたいだけど、兄さんは自分が思ってるよりも心を蝕まれてるって。私が生きてた頃と違って、今の兄さんはどこか冷めてるもん」


「あー。それはそうかも」


それは齢を重ねて成長したからだとは思うけれども。


「だから、死なない程度にシメておきました。……もしかしたら死んでるかもしれませんけど」


「よしケンカだ」


「うわっ!?」


俺は背後から囁き続ける瑠莉奈の抱擁もとい拘束を抜け出し、思い切り身体を捻らせて振り払った。


「……勘違いしてもらっちゃあ困るな。確かにお前が死んでから、俺は他の家と比べて自由が無い生活を送らされていたとは思うよ。面倒くさい親だと思う事はあったけど、それでもただの一度も暴力は振るわれなかったし、飯だってしっかり食わせてくれてた」


「で、でも、ずっと見てたんだよ!?悪魔になってからも、兄さんのことが心配で……ずっと見てたのに!私は勘違いなんかしてない!ねえ、兄さん。正直になってよ。いくら兄さんが両親あいつらに恩を感じていたとしても、でも、だからといって兄さんの自由が奪われていい理由にはならないよ!」


瑠莉奈は床に腰を落としたまま、俺の腰にしがみつくようにして訴えかける。


俺はその手をとって瑠莉奈を立たせ、改めて言い返した。


「ずっと見てんなよ!ストーカーか!……つーか、俺が自由を奪われていたことに恨みを持っていたとしても、それはお前が父ちゃんと母ちゃんを瀕死にまで追い込んで良い理由にはならねーよ」


仮に俺がそこまで両親を恨んでいたとしても、その時は俺が直接手を下すなり訴えるなりすれば良い訳で。


どうしてこうなった。

瑠莉奈は悪魔になって大きな力と妙な魔術を覚えた分、心の方は少なからず狂気を孕んでしまったのだろうか。


「でも、両親あいつらは兄さんの大切な一年を奪ったんだよ!?そんなの……!」


「『でも』、『でも』って……。俺自身が大した問題だと思ってないんだし、どの道、もう俺がこの家に戻ってくることは無い。父ちゃんと母ちゃんにも、俺のことは忘れてもらう。だから……もう、いいんだ」


「そんなのって……。はぁ。兄さんってば甘いんだから」


瑠莉奈は俺から二、三歩身を引き、溜息を吐きながら全身にオーラを纏って再び浮遊し始める。


「甘くはねーよ。今日からは名実共に他人で、『元家族』でさえない関係になるんだからな。今更垂れる恨み言も無いってだけだっつーの」


「ふーん……。ねえ、兄さんはこれから、どうするつもりなんですかー?……って、どうするもこうするも、魔術に関わって生きていくんだろうなーとは思うけど」


「そんな感じだろうな。……具体的には、まだ魔術師になるってことしか決まってないんだけど」


「……そうだよね。へぇ~、兄さんが魔術師かぁ」


瑠莉奈は倒れている両親と山村に治癒系の魔術らしきものを使い、応急処置を済ませる。


そして、再び俺の全身を舐るように眺め始めた。


「ジロジロ見るな」


「だってぇ……久しぶりに会えて嬉しいんだもん。しかも魔術師になってるし、左目は強そうな義眼になってるし、背も少し伸びてるし顔つきも……」


「まあ変わったよな、色々と」


俺は倒れていた両親をそれぞれのベッドへ運びながら、辺りを異常なまでのスピードで俊敏にうろつく瑠莉奈をなだめる。


「ねえねえ兄さん。やっぱり、私を従者にするつもりは無い?」


「マジで言ってたんだ」


確かに、せっかく再会した妹(しかも変な魔術を使う)を、この家に地縛霊のようなかたちで放っておくというのもはばかられるが。


「だって魔術師の人って、私達みたいな怪異とか怪物みたいなのを倒す以外に、場合によっては捕まえるのも仕事なんでしょ?」


「そうだけどさあ」


「じゃあ契約して、使い魔の私が『ご主人様』である兄さんに逆らえないようにしちゃえば……ホラ、『魔術師に捕まります』よ!私!」


「『ホラ!』じゃねーよ!」


悪知恵がよくもまあ働くものだ。


……いや、言う通りだけど。

それはそうだけど。

それでいいのか、悪魔。


「あの有名なソロモン王でも大悪魔をたくさん使役したくらいだし!現代のいち魔術師が悪魔を使役するのも、別に不思議なことじゃないと思いますっ!……多分」


「ええ……?契約しちゃうか、コレ……」


口車に巧く乗せられている気がするが、相手は瑠莉奈だ。

そこは信頼することにしよう。


俺は瑠莉奈が差し出した手を取り、契約の意思を示す。


「じゃあ……主従契約、しちゃいますよ?代償として……兄さんは死後、己の魂に関する全権限を私に委ねることになっちゃうけど」


それを今更言うか。

覚悟はしていたけれども。


「ああ、お前になら、安心して魂を売れるよ」


「ヨシ、契約成立!では私の名において、兄さんの死後と引き換えに、私の加護と主人の権限を授けます!力を送り込むよ、兄さん!」


「さあ来い、瑠莉奈!」


瑠莉奈は立ったままである俺の胸部に腕を入れて心臓を握り、そこに爪を食い込ませて謎のエネルギーを送り込む。


心臓を突かれている感触はあるものの、不思議と痛くない。

やはり悪魔は、特殊な人体の触り方を知っているのだろうか。


そういえば謎のエネルギーって何だ……?

……多分、おそらくは魔力やら霊力やら、そういったものだろうが……。


まあいいや。

今更どうなっても知ったことか。


数分が経過して、謎のエネルギーは血管を介して全身へ広がっていく。


「【魂の楔】で私と兄さんの魂魄を繋いだら、【拒まれる痛み】で痛みを消して、あとは【魔力壁】で止血、それであれとこれとそれと……」


「大丈夫か、コレ……?」


やがて瑠莉奈は俺の胸から手を引き抜き、魔術で千切れた血管と神経を強引に繋げる魔力製のチューブを生成した後に、胴体の痛覚を含む感覚を全て麻痺させた。


そして、抉った肉を塞ぐように魔力の壁を生成して、簡易的な俺の手術を終えた瑠莉奈。


「はぁ、はぁ……終わりです……!おつかれさま、兄さん」


「この短時間にえげつない数の魔術をかけられたような……」


「大丈夫!……大丈夫です!」


瑠莉奈は右手の親指だけを伸ばして「グッ」と差し出す。


「何がだよ!まだ何も言ってねーぞ」


一体何が大丈夫なのだろうか。

薬の飲みすぎは良くないものだが、魔術のかけすぎも良くないのではないのか。


「兄さん、気にしてるんでしょ?副作用とか副作用とか副作用とか」


「確かに副作用は気になるけどさあ」


悪魔に魂を売った身で気にする事でも無いとは思っているが、まだ生きている以上はどうしても気になってしまうものなのだ。


「でも、『魂の楔』以外は特に強くも何ともない魔術を応用しただけだから……あんまり代償とか副作用とか、そういうのは無いと思う!悪魔になって少しだけ魔術に詳しくなった私が、自信を持って言い切っちゃいます」


「ポン」と胸を叩く自信満々な瑠莉奈。


……少し頼りないように見えるが、あれだけ自由に魔術を使いこなしていたのだ。

それに、たった一人の妹のことだ。

ここは信頼するとしよう。


「そうか。なら良かった。もうよく分からないけど良かったことにする。……じゃあこれから、また改めてよろしく。瑠莉奈」


契約をした時とは逆で、今は俺の方が先に手を伸ばしている。


「……うん。よろしく、兄さん」


そして瑠莉奈はその手をとり、従者としてのしきたりなのか、軽く口づけをした。


少し前の夢の国系ファンタジー作品に登場するお姫様とか女王様とか……そういうのに仕える騎士か何かにでもなった気分だ。


しかし、相手が美人とはいえ実の妹だからだろう。

実の兄妹という関係がそこにあるだけで、何故こんなにも「コレジャナイ感」を抱けてしまうのだろうか。


「……じゃあ、とりあえず俺は山村さんを連れて近くの駐車場に戻るから……瑠莉奈も適当について来てくれ」


そして、当然ながらその口づけを若干気まずく感じてしまった俺は、運転手に作戦の失敗と瑠莉奈の件について報告をするため、意識を失った山村の身体を背負って駐車場へと向かう。


しかし、そんな俺とは裏腹に、何やら瑠莉奈はウキウキしながら俺の前に回り込む。


「了解、兄さん……じゃなくて、『ご、主、人、さ、ま』っ!」


そして、あろうことか典型的なメイドを彷彿とさせる口調で「ご主人様」と、一言。


「何だろう、ちょっとキツい」


俺、困惑。


まさか、1年前まで同じ家で過ごしていた妹に「ご主人様」なんて言われる日が来るとは思わなんだ。


違和感の塊、どころの騒ぎでは無い。


本当に、本当に見た目も性格も頭もいい子なんです。


俺がお兄ちゃんなのがいけないんです。


「兄さん……頑張ってかわい子ぶった妹にそういうこと言うのは良くないと思います」


「いやいやいやいや実の兄に『ご主人様』はちょっとキツいだろ」


「ちぇっ。可愛い妹に動揺した兄さんが見れると思ったのに」


口をすぼめて、わざとらしく怒っていることをアピールする瑠莉奈。


……生前よりもウザ……構ってちゃんになっているのも、悪魔になったからだろうか。


俺は再び異常なスピードで辺りを飛び回る瑠莉奈をなだめ、そんな瑠莉奈とすっかり寝息をたてて眠っている山村を車両の後部座席に乗せる。


そして、助手席に乗り込んで運転手に作戦失敗の旨を伝え、瑠莉奈のことは「保護した悪魔」という扱いで学院へ「移送する」こととなった。


2週間後。


瑠莉奈は蘆屋の判断で俺の部屋に軟禁されることとなり、日本魔術学院による正式な使い魔としての承認を待つこととなった。


そんな中、俺は怪我が治りきった山村と共に自宅へと向かい、両親の記憶に対する対処を済ませた。


そして、意識を失った両親と今度こそ本当に戻ってこないであろう我が家に向けて「今までありがとう」と一言、挨拶を済ませて再び車へと乗り込み、学院へと戻る。


「今更だが、良かったのか」


「ええ、俺が決めた事ですから。……それに、また瑠莉奈と会えたのも何かの縁だと思いますし」


「……そうか」


帰り道、山村はそれだけ言って再びスマホに目を向けた。


あの家に未練が無いと言えば嘘になる。


しかし俺は魔術師となり、瑠莉奈を(実質的な主従関係は無いが)使い魔として従えたのだ。


俺もそろそろ、一般人ではなく魔術師としての自覚を持たなければ。


……さて。

ここで、何故、今回の事案につけられた名前が「襲名」なのかを明かすとしよう。


原因はただ一つ。

その日の夜に俺が自室へと戻った際、やけに騒がしい瑠莉奈の口から開口一番に飛び出た言葉の羅列であった。


「おかえり兄さーん!!実は今日、正式に学院から有名な大悪魔の四代目として後を継ぐことになったんだー!私の『バラル』が強いから、学院に特別な悪魔として認められたんだってー!勿論、連れ歩きもオーケーだよ、兄さん!ねえねぇ、名前聞きたい?聞きたいよね!なんと!ズバリ!『アガレス』でーす!いえーいっ!」


アガレスといえば、ソロモンが使役した2柱目の大悪魔である。


そんな悪魔の三代目が、何故瑠莉奈に後を託したのか。


……と、気になっていたが、どうやらそういう事では無いらしい。


これは後で蘆屋から聞いた話だが、どうやら魔術学院から「特別な能力を持ち、かつ力に秀でた悪魔」として認められた場合、ソロモンに使役されていたとされる悪魔の名を「称号」や「二つ名」のように与えられるそうなのだ。


そして、瑠莉奈はその四代目(先代は祓われてしまったらしい)。


言語を認識できなくなる「バラル」が、長らく空席だった「言語に関する能力」を持つ大悪魔として認められる要因となったそうな。


そうとは知らず「『四代目悪魔アガレス』加茂 瑠莉奈」ではなく、「加茂 瑠莉奈」から「アガレス」へ名を変えたのだと勘違いした俺がつけた事案名がコレであったのだ。


名を継いでいる以上、「襲名」という表現も間違いではないのだろう。


しかし、「そう」だと初めから気付いていれば、この事案名は「ポッと出悪魔の成り上がり」やら「四代目悪魔アガレス」になっていた筈だったのだ。


そして、この件に関する書類一式は今後、世界の終わりまで俺の勘違いを証明するものとなってしまいましたとさ。


めでたくないめでたくない。


~事案6960-襲名 以上~

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