第2話 事案6959-赤い河童 中編
血のような赤い体色をもつ、遠野の河童。
それが、目の前で俺を睨んでいる。
つい数分前までは妖怪など存在しないと思い込んでいた俺が、今や眼前の赤い河童を相手に、命懸けのケンカをしているのだ。
これ程までに高揚感を覚えたのは何年ぶりだろうか。
幼い頃、夜中にたまたま起きてトイレへ向かった際にサンタクロースの正体を偶然にも目撃してから、夢の無い人生を歩んできたが......まさか、本物の妖怪と相見える事になろうとは。
とはいえ、「ワクワクする」だけで済まされる状況ではないのも事実。
精神が参ってしまって幻が見えているだとか、目の前にいるのが奇人変人の類とかではない限り、俺の魂と尻は本当に危険な状況に置かれているのだ。
夜が明けたら、小川に尻丸出しで死んでいる若者の死体があった……なんてことになってしまっては、一生どころか死んでも笑いものである。
そんなことがあってたまるか。
俺は絶対に生き延びて、これからは非科学的存在やら現象やらそういうの信じるマンとして生きていくんだ。
「よっしゃ、かかってこいやぁぁぁ!」
深夜であるにもかかわらず、付近が木に囲まれていることをいいことに、そこそこ大きめな声量(手抜き気味な応援団員くらい)で河童を威嚇した。
「おぎゃあ、おぎゃあ、えぐ、えぐ、おぎゃああ」
すると河童は俺の戦意に気づいたのか、赤子の鳴き声に似た声を発しながら、命乞いでもするかのように首を垂れながら近づいてくる。
不意打ちが失敗したから、降参しようとでも思っているのか。
一度は背後から魂を抜き取ろうとした相手でも、謝れば許されるとでも思っているのだろうか。
許すかどうか、その答えは勿論否だ。
キンニクモリモリマッチョマンの変態なら「OK!」とか抜かしていたのだろうが、残念ながら俺は筋骨隆々でもなければ変態でもない。
そんな俺が、ヨロヨロと近づいてくる妖怪に対してとる行動は一つ。
「フンッ!」
「グェッ」
大きく踏み込み、右腕からの正拳突き。
これに限る。
特に避けることもせずガードをすることもなく、そのまま右頬に拳を受けた河童は、そのまま地面に倒れこんだ。
「ええー?」
……全力で殴っておいてなんだが、拍子抜けしてしまった。
頬を押さえながらうずくまる河童を見下ろすと、なんだか罪悪感を憶えてしまう。
何はともあれ、これでコイツも少しは反省しただろう。
「オ、オァ、おぎゃあ」
河童はまだ頬の痛みが治らないのか、はたまた命乞いをしていようが構わず自分に正拳突きをクリーンヒットさせてきた俺を恐れてか、一向にその顔をこちらに見せず、うずくまりっぱなしであった。
「……殴ったことはお互い様。俺もお前に殺されかけた。でも、お前みたいなのに出逢えたってことは感謝しとく」
俺は余っていたキュウリを河童の側に置き、その場を立ち去ろうと川から出て砂利道へと足を進める。
「ピチャ、ピチャ」
おかしい。
川から十数歩程度、距離も大体十数メートルといったところだろうか。
「ピチャ、ピタ、ピチ」
小川の音は木々の擦れる音にかき消され、もはや聞こえない。
そのはずなのに。
何 で 水 音 が 聞 こ え る ?
俺は再び気づかないふりをしながら、川から一歩、また一歩と前へ進む。
水音も徐々に近づいてくる。
音との距離は約3メートル程度。
……これはデジャヴか何かだろうか。
俺はさらに川から離れて、河童が得意とする水が無い砂利道、その先にある寺の敷地へと足を踏み入れた。
河童との距離は約2メートル。
河童が水場よりも動きづらいであろう石畳の上であれば、こちらから仕掛けても問題ないだろうと思った、その時だった。
「おんぎぃやぁぁぁぁぁぁぁあああ」
背後から赤みを帯びた影が、油が切れた扉を開く音のような唸り声をあげながら俺の背後へと飛びかかる。
「嘘だろオイオイオイ!?」
つい数分前まで弱々しく命乞いをしていたとは思えない程に速く重い拳が、振り返った俺の胸部を砕かんと降りかかってきた。
「あうぅ、うぅ」
「うおおおおおおおっ!?」
間一髪、左腕を盾にしたおかげで肋骨は無事だったが、その左腕は激痛に襲われることとなってしまった。
骨にヒビが入ったか、それが杞憂だとしても打撲は確実だろう。
「おぎゃ、お、おうう、ううぎぇゃぁぁ」
「何泣いてんだ!ふざけんなよマジで!」
泣きたいのは俺の方である。
左腕に力が入らず、このままでは痛みでロクに走ることもままならない。
ということはつまり、こんな状況であるにも関わらず、俺は逃げず河童を殺すなり撃退するなりしなければならないということだ。
「うう、うええ」
「俺の腕ボロボロにしといてよく泣くなぁ」
「おぎゃあ、ええ、うええ」
河童は一度項垂れ、その直後に右足を踏み込んで一瞬で目の前へと迫ってくる。
つい先程まで弱々しく命乞いをしていた河童とは別モノのように、飛び回るハエのようなスピードと鬼の如き力で、一般男子高校生である俺を追い詰める。
デコピンで吹き飛んでしまうのではないかと思えてしまう程に弱そうにしていたのは、恐らく俺の油断を誘うためだったのだろう。
一度は見逃してやろうと思ったら、何の躊躇いもなく二度目の尻子玉引っこ抜きチャレンジ始めたし。
ここがナメクジの星だったら間違いなく「バカヤローーーー!!!!」案件である。
……そんなことが出来れば、俺は今頃片腕が使い物になっていなくても、この河童をねじ伏せることができていたのだろうが。
そもそも、左腕が使い物にならなくなることも無かっただろうに。
さて、どうしたものか。
このままではいずれ全身の骨を折られ、動けなくなったところで尻子玉を引っこ抜かれて終わりだろう。
何か対策を考えなければ。
とはいっても、どうするんだコレ……。
逃げるには拳を受けた分の痛みが響きすぎるし、応戦するには力量差も離れすぎている。
「とりあえず、何か利用できるものを……」
「うう、おぎゃああ、うええゃぁぁぁぁ」
「悩んでる間でも容赦無いなー!」
そして対策を考えようにも、その隙を与えてくれない。
RPGでパーティーメンバーのレベルをろくに上げないまま、アイテムもほとんど持たずにボスとの戦いが始まってしまった時のような絶望感である。
俺は河童の拳を間一髪で避け、何とか右足で河童の後頭部を狙って飛び蹴りを入れた。
「ギャッ」
俺の身を削りに削った捨て身の飛び蹴りは頭部にこそ届かなかったが、河童の腰に意図せずクリーンヒットし、その衝撃で河童の身体は茂みへと吹き飛ぶ。
着地の衝撃で左腕に激痛が走るが、尻から魂を抜かれて死ぬことと天秤にかければ大したものではない。
それに河童が本気を出しても出していなくとも、貧弱な守りの方は大して変わらないということが分かった。
それだけでも、この激痛に耐える価値はあっただろう。
「とはいえ……やっぱりどうすりゃいいんだ……?」
しかし、今はたまたまパンチを避けてキックで反撃できたが、これからも河童が隙だらけであってくれる保証は無い。
戦っている相手に安定して隙ができるなど、ゲームの世界でもなければ有り得ないのだ。
でも、隙はどうやって作れば……?
「んぎゃあ、おぎゃあああああ」
俺が左腕を抑えて休んでいる間に、倒れていた河童が起き上がってしまった。
油断も隙も無い奴め。まだ20秒も経っていないぞ。
流石にこの痛みを抱えたまま、もう一度飛び蹴りを食らわせることができるとは思えない。
精神的には問題無いが、身体の方が思うように動かないのだ。
俺は仕方なく、側に落ちていた野球ボールくらいに小さい石を拾い、右手にそれを握る。
「おらっ!」
そしてその石を、河童の頭部めがけて投げつけた。
あまり大きな動きはできないためスピードは出ないが、せいぜい牽制くらいにはなるだろう。
「アッ!!」
ピッチャーの経験が役に立ったのか、石は想定よりも遥かに速く飛び、河童の頭頂に命中。
ヒビ割れた皿からは勢いよく血が噴き出し、くしゃくしゃになるまで顔をしかめて悶えている。
どうやら、俺は思いがけないタイミングで弱点を看破してしまったらしい。
あの皿はかなり硬そうだったが、それは裏を返せば、皿より硬いものが当たったら簡単に砕けてしまうということだ。
そして、あの皿は恐らくだが石よりも硬くない。
……牽制のつもりだったが、まさかここまで効いてしまうとは。
下手に殴ったり蹴ったりするよりも、こちらの方が河童には効くのかもしれない。
「食らえッ!!」
俺は続けて、側に落ちていた石を河童の皿へ投げつける。
「あああああんんんんんにぇぁぁぁぁぁぁ」
再び、投げた石は河童の皿に命中。
コレならいけるぞ。
どうやら、河童の皿は人間の頭頂部も比べて遥かに弱いらしい。
「どうした!さっきみたいには向かってこないのか!オラ!!」
俺は、更に周囲に落ちていた石をいくつも拾い、次から次へと投擲する。
「きぇぁぁぁぁぁぁ!!」
河童は金切り声にも似た叫び声をあげながら、皿を押さえるようにして痛みに耐え続けている。
しかし俺は構わず次の石を投げた。
慈悲なら一度かけた、故に品切れである。
「くたばれッ!!」
そして、俺は最後の一発となるであろう石を全力で投げた。
左腕は極力動かさないようにしつつ、しかし右腕は出来る限り振りかぶって、右手から握っていた石を放す。
その石は空を切り、真っ直ぐに河童の皿へと飛んでいく。
「えうー、えぁ、ぎぇぁ、ぁぁぁぁ!!」
しかし、その石が河童に命中することは無かった。
「……え?」
視界が川に倒れる河童から、自然に自身の右脚へと移る。
暗くてよく見えないが、触ってみると湿っていた。
目を凝らして、右脚を見つめる。
俺は目を疑った。
「ケケッ、ケ、ケケケケケ」
しかし嗤う河童の声が、それを事実であると認識させる。
河童が笑いながら指を差す先、俺の右腿には、確かに直径1センチメートルにも満たない程度ではあるが、ぽっかりと風穴が空いていた。
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