奇師奇喪-クシクモ

最上 虎々

プロローグ 遠野にて 

第1話 事案6959-赤い河童 前編

2017年8月某日。


俺は机に突っ伏し、つい数時間前の状況を思い出す。


現在時刻は午前2時。

丁度、丑三つ時である。


昨日までの俺は命知らずだった。


幼い頃から高校一年生の夏休みに至る昨日まで、神や悪魔はおろか、超常現象やUMAも存在しないと決めつけ、心霊系の番組や動画が目に入る度に「どうせヤラセだろう」と、チャンネルを切り替えたり他の動画を観たりしていた。


浮世では心霊系動画クリエイターとやらが少しずつ注目を浴び始めているようであり、俺が通う高校でも、それに関する話を小耳に挟む程度には活躍しているようだが……俺にとっては、死んでも関係の無い話だと思っていた。


しかし、ふとした瞬間。

本当に何の前触れも無く。


「神様だとかオバケだとか、そんなものは本当に存在しない」ということを、証明してみたくなってしまったのだ。


後から考えてみれば、この時点でおかしな話だった。


何かが「いる」ことを証明しようとする試みは日々、様々な研究者やマニアによって続けられているが、著名な研究者やら特定の界隈においてカリスマ的な地位にあるマニアが、特定のものは「いない」ということを完全に証明しようとしている、そんな話は聞いたことがない。


絶滅した魚が見つかった、といった話だって無くはない。


……俺の気紛れな性格を、これ程までに恨んだことは後にも先にも無いだろう。


そして、「命知らず」というのは少々誤りであったかもしれない。

正しくは「鈍感」だったであろうか。


「はぁ」


小さく溜息を吐き、俺は渡されたルーズリーフに今日の出来事を書き記す。


偉そうな魔法使いは、「できるだけリアルに、日記みたいになってもいいから、とにかくリアリティ重視で書いてね」と言っていた。


これを元に事案の報告書を作成し、秘匿存在への対策を練るそうだ。


日記を元に妖怪への対策を考えるなんて、普通では有り得ない話だが……そもそも相手が相手であるだけに、なりふり構ってはいられないのだろう。


どうやら、俺は運悪く知ってはいけないことを知ってしまったらしい。


では、書き記すとしようか。


昨日の夜、俺の身に降りかかった災いを。


〜事案6959-赤い河童〜


岩手県遠野市、某所。


俺が住む宮城から県を超えて向かったこの地には、妖怪にまつわる伝説が数多く存在している。


その中でも特に有名なもの、「河童」。


川に引きずり込んだ者の尻から魂を抜き取り、それを喰らう怪物だ。


そんな河童だが、遠野に現れると言われている河童は世間一般で知られているものとは少し特徴が異なる。


一般的な河童というと全身緑色、或いは青に近い色で描かれるだろう。


だが、遠野の河童は赤いらしいのだ。


「確か民話では……」


俺は持ってきた資料が挟み込まれている白いプラスチックのファイルを開き、目を通す。


資料には「この地では飢餓に苦しんでいた時代、口減らしのため赤子を水に沈めて殺していたという伝承がある」と書かれていた。


そして、赤子は全力で泣くと顔が真っ赤になる。

これは常識の範疇だろう。


「水に沈められ、死に瀕した赤子が泣かないはずも無く。真っ赤な顔で泣いたまま苦しんで命を失った赤子は、赤い顔の河童になった……ねぇ」


俺はファイルをリュックサックに収納し、しばらく歩いていった先に小川を見つけた。

水の中へと足を踏み入れる。


「カッパぶち」と呼ばれる小川、ここは有名な観光スポットであり、竿の先端にキュウリを吊るして河童を釣る体験ができる場所だ。


……という触れ込みだが、当然ながら河童はおろか魚さえも釣れるはずは無く。

ここを訪れる大半の観光客は、雰囲気を楽しむ為に訪れているのだろう。


俺は数歩前へと足を進め、道中で買ってきたキュウリを遠方に投げる。


中学時代、野球好き友人に勧められるがまま入部し、渋々ながらも三年生の夏まで所属していた野球部。


雀の涙、或いは鼻クソ程度に才能はあったらしく、三年ではエースピッチャーとして部を地区大会優勝へ導く貢献をしていた……と、退部の際に監督は言ってくれたが、実際のところ社交辞令のようなものなのかどうかは今でもわからない。


(県大会に進出した途端、ボロクソにやられて即敗退したのは別の話である。)


しかし、こういった過去の経験は意外なところで役立つものだ。


キュウリは数十メートル先へと飛んでいき、だが木の幹にぶつかって上流の当たりで水中へと落ちた。

ボールとは形も重さも違うのに、よく飛んだものである。


「まぁ、キュウリを投げたから何だって話だけどな。はぁ……。何やってんだ、俺」


深夜に小川でキュウリを投げるなり独り言を呟き始める男子高校生など、もうその絵面自体が奇妙以外の何物でもないが、俺はキュウリを手に持ちながら上流へと進んでいった。


数分後。


もう少しで、投げたキュウリが落ちた辺りだろう。


しかし浅い川であるにもかかわらず、先を見渡せどキュウリらしき物は沈んでいない。


流れてくる途中で、枝にでも引っ掛かったのだろうか。


俺はキュウリを探しながらも上流へと進んでいく。


すると、


「パキッ!ガサッ」と、頭上で明らかに細くはない枝が折れるような音がした。


「うん?」


俺が真上を向いた瞬間、パラパラと落ちてくる木屑が視界を塞ぐ。


何とか木屑が目に入る前に手で目を隠した俺は数秒後、木屑が降ってこなくなると、改めて頭上を確認した。


やはり、半径10センチメートル前後の枝が何本も折られている。


折れている枝の断面から、特に腐っていたり虫に食われていたりといった様子は見られない。


折れ方からしても、やはりこの枝は折られたものなのだろう。


それも、つい十数秒前に。


この時点で俺は覚悟を決めていた。


俺は都市伝説やら心霊動画やらにこそ興味は無いが、そういった類が題材の一部となっている漫画なら何作品か集めている。


こういった場面で「ハハハそんな化け物なんているわけが」みたいなセリフを吐くキャラは、十中八九殺されると相場で決まっているのだ。


俺の気紛れな性格を、これ程までに有難がったことは後にも先にも無いだろう。


生まれてこの方、幽霊やら妖怪やら、そんなものは存在しないと思っていたが……俺は今までの考え方を秒で捨て、背後に迫る気配に気づいていないフリをしながら、拳を軽く握る。


今日の俺は白のTシャツに黒のスラックスという軽装備なのだ。


そして相手が人間ならまだしも、今背後から俺の魂を抜き取らんとしている存在は恐らく、力自慢で有名な妖怪、「河童」だ。


普通に考えて、そんな装備で大丈夫な筈がない。


力量が違いすぎる相手との長期戦はジリ貧を招く。


やるなら、短期決戦だ。


殺す必要はない。


河童を撃退するか、俺が上手いこと町の中へ逃げることができれば、それでいいのだ。


「スゥー……」


俺は深く息を吸う。


河童が小川に入ったのだろう。


「チョロチョロ」という水が流れる音とは別に、「バチャ、バチャ」と、何者かが浅い水中に足をつける音が2回耳に入ると、その音は止まった。


明らかに、それは背後2メートル弱の距離まで近づいてきている。


今にも俺の魂を抜き取ろうと準備をしているのか、やけに動きが小さい。


チラッと目を向けると、右腕を引き、身も僅かに引いている赤くて小さな身体が見えた。


数秒後。


後ろで構えられていた血紅色の右腕が、勢いよく俺の臀部へ伸びる。


その瞬間。


「ハァッ!」


俺は勢いよく振り返り、身体を旋回させながら裏拳を振るった。


狙いなど定めない。


定めなくても、ただ腕を振るうだけで当たるくらいには至近距離まで迫っていたのだ。


「ギエッ」


ただ勢いに任せて振った拳は、見事に河童の右頬を殴打する。


拳が触れた時、何かを砕くような感触があった。


下顎あたりの骨を粉砕したのだろうか。


拳の先に目を向けると、全身が血のように赤い、人の形をした何かが頬を抑えながら倒れていた。


頭部には硬質化した皮膚とも大きな皿ともつかぬ部位があり、全身は湿っている。


「マジに出やがったな……河童!」


今、俺が対峙しているもの。


これから、命がけで戦う相手。


恨めしそうにこちらを凝視するその姿は、まさしく遠野に伝わる伝説の妖怪。


それは紛うことなき「赤い河童」であった。

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