第3話 事案6959-赤い河童 後編

……何が起こった?


石は河童に当たっていない。


地面に落ちたような音は聞こえなかった。


そして、代わりに俺の太腿を貫通する何かが飛んできた。


人体を内側から破壊する妖術か何かを使われたのかもしれないが、それなら今頃、俺の右脚は内側から千切れているだろうし、腿の風穴もこの程度では済まないだろう。


だとすると、やはり河童が何かを飛ばしてきたと考えるのが妥当だ。


じゃあ何が飛んできたんだ?


アイツは俺に何を飛ばしてきた?


石は砕ける、肉は貫通する。


そして河童は銃も吹き矢も持っていない。


「……マジで何を飛ばしてきたんだか」


俺は右膝を突き、左足で地面を蹴って吹き飛ぶような具合で、付近にあった大岩の裏に隠れる。


あの破壊力からして、大岩がいつまで耐えられるかは分からないが……しばらくは何とかなるはずだ。


いや、何とかなってくれなければ困る。


「おぎぇぁ、ああ、ケケケケケ、ケェァァァァァァ」


さらに「何か」が3つ飛んでくる音が聞こえた。


「バヒュッ」というか、「ビヒュッ」というか。

鋭くて柔らかい何かが飛んでくるような、そんな音。


そして数秒後。

岩は壊れこそしなかったが、「バキン」と、岩のどこかが砕けるような音がした。


どの程度壊れたのかは不明ではあるものの、やはりいつまでも岩陰に隠れ続けることはできないらしい。


さらに1発、その次は再び3発。


岩からは次第に「バキバキ」という音が鳴り始め、宵闇の中ではよく見えないが、手の甲に塵が付着していることから、「何か」が当たったところは塵と化すまで粉々に砕かれているのだと分かる。


かなりの威力はあるだろうと見越していたが、まさか石だけではなく岩までも塵と化してしまうとは。


しかし自然のもので、この辺りにあって……使い方次第では肉はおろか岩をも粉砕できるもの……。


「……水か?」


そうだ、水だ。


高圧の水はダイヤモンドをも切断するという。


特に武器も何も見当たらないところを考えると、恐らくは川の水を何かしらの手段で撃ってきているとしか考えられない。


そうでもなければ、ファンタジーやメルヘンでしか見ないような気弾やら魔力弾の類であろう。


岩陰から覗いてみると、河童は川にうつ伏せの状態で顔だけをこちらに向けて、右手の人差し指で狙いを定めている。


そして河童が指先から飛ばしたであろう「何か」が俺の頬を掠めた。


「ケケケァ、おぎゃあああ」


再び河童の方を覗くと、やはり河童は人差し指を水に付けた「後に」こちらを指差していた。


やはり「何か」の正体は水で確定だろう。


そしてまた3発、俺の方へと弾丸のような水が飛んできた。


1、2発目は何とか耐えたが、3発目で遂に大岩は崩壊。

俺はその3発目が岩を貫通してくることを警戒し、念のため辺りの砂利を舞い上がらせた。


その手は、吹きつける風のように軽かった。砂利とはいえ、石の粒は直径3センチメートル程度。


これなら3発目が大岩を破壊したうえで貫通してきても、一瞬ではあるが、砂利が防壁代わりになってくれるはずだ。


「ひええ」


「ケケケケケケ、おぎゃあ、ええ、ぇぇぇ」


思わず、情けない声が出てしまう。

しかし砂利が功を奏したのか、それとも大岩が耐えてくれたのか、3発目の水は俺に当たらず、何かに防がれたようだった。


とはいえ、頼れる防壁だった大岩は無くなってしまった。


状況は一向に好転していない。


むしろ左腕と右脚が使い物にならなくなり、当てにできる遮蔽物は無くなってしまった。


「チッ……調子に乗って蹴り飛ばさなきゃよかった」


川の深さは40センチメートルにも満たない。

小さな河童でも寝転がることが容易である程度の浅さである。


そんなところに河童を蹴り飛ばし、さらにそこで河童を跪かせた数分前の俺を強く恨みたい。


さすがに指先から水を撃ってくることは想定外だったが、水と河童を接触させたらロクな目に遭わないだろうという想定はできなかったものか。


……いや、できないな。

無理だ。

下手を踏めばダーウィン賞受賞モノの死に方をしてしまいそうな状況で冷静な判断ができる程、俺の肝は据わっていない。


過去の俺を恨むのはここまでにして、今は目の前の河童をどうするか、とにかく策を練らなければ。


次の水が飛んでくるまで、あと10秒も無いだろう。


さて、どうする?


狙いの精度はあまり高くないようだが、あと一発でも当たったら、流石に身体へのダメージが度を越えて動けなくなりそうだ。


しかし、避けるにはあまりにも弾速が速すぎる。


では撃たれる前に妨害するか、俺以外の標的を撃たざるを得ない状況にしてしまえば良いではないか。


……とはいえ、まだ右脚が使えた時のように石を投げることはできない。

左脚を軸足にして右手で石を投げるにしても、この痛みでは満足に投げることは不可能に近いだろう。


今の俺では、砂利を舞い上がらせるのが関の山だ。


痛みに代えてでも死にたく無いというような旨のことを、つい数分前までは思っていたような気もするが、痛いものは痛いのだ。

そう何度も無理はできない。


無理をしなければ死ぬということは身をもって分かりきっていることなのだが、その身体がこれ以上の無理をさせてくれない程に、俺は今でも無理をしているということなのだろう。


状況は好転しているどころか、絶望的だ。


発射まであと5秒くらいだろうか。

河童はまた右手の人差し指を水に付け、そして離した。


あと4秒。

俺は砂利を手に握り、右手を振りかぶる。

左腕と右脚は気が狂う程に痛み、全身にもあまり力が入らないが、とりあえず今は出来る限りの対策をしなければ。


3秒。

河童はこちらに指を向け、人差し指の先端に水を集めている。

水による光沢がより一層のものとなり、集まった水はやがて文字通りの水泡となって、河童の指先へと集まり始める。


2秒。

河童の水泡は次第に大きくなり、そして指先へと集まった水は指先へと圧縮されていく。


あと1秒。

圧縮された水はさらに指先に乗る程度まで縮められ、水は人差し指の爪と指の隙間へと入り込む。

俺は砂利を上空へとばら撒き、まだ動く左脚で思い切り地面を蹴り、身体を右へと乗り出すようにして飛び込むように回避の態勢に入る。


0。


「コェァーーーーッ!」


金切り声とも唸り声ともつかぬ声と同時に、河童の右手、その人差し指から勢いよく発射された……はず。

……弾速が速すぎるが故に、俺のようなごく一般的な人間では、河童の指先から圧縮された水の塊が消えたことでしか攻撃を認識することはできないのだ。


「パシュ、パシュンッ!」という音からして、発射された水の数は2発。


そして、その2発は今の身体に河童の水は命中していない。


「ふぅ……外したのか……?外したってことでいいんだよな?」


とりあえず、窮地は脱したか。

ここからは、よろめきながらでも少しずつ河童へと近づいて行って、次弾装填(飛ばされるものが弾丸では無いという点を気にしてはならない)までの間に、河童にトドメを刺せば良い。


ここで最後の無理をすれば、俺は晴れてこの河童を倒し、少なくとも尻から魂を抜かれて死ぬ心配をしなくて良くなるのだ。


と思ったのも束の間。


「ケケッ」


「ぐえっ!!?」


背後から高校生が投げる硬式野球ボール程度の速度で、直径3センチメートル程度の小石が俺の背後へ襲いかかり、俺の頭蓋骨にヒビを入れた。


間違いない。

撃ち抜かれる以前の初撃でやられた左腕は怪しいが、これは間違いなくヒビが入っている。


……何で?


えっ、何がどうして?

何が起こった?


あの河童は水こそ撃ったが、石は撃つどころか投げてすらいない。


……じゃあ、この石はどこから来たんだ?


背後というと、今の俺から見て……ついさっきまで隠れていた場所辺りだろう。


あの水が撃たれた前後で、宙に浮いている石なんてあったか?


……あったな。

あった。

俺が投げた砂利だ。


あの砂利は一粒一粒が大きめの石くらいには大きい。

確かに、勢い次第では頭蓋骨にヒビを入れるどころか、割ることだって可能だろう。


でも、どうやって砂利を俺の方へ向かわせた?


俺が砂利を撒き散らした場所から今立っている場所の距離は、大体5メートルくらいある。


時間差を考えても、そもそもの距離に着目しても、5~6秒前に撒いた砂利が俺の頭上に時速80~90キロメートルのスピードで落ちてくることなどあり得ない。


ならば、何が原因だ?

今度こそ超能力か何かを使ったのか?


分からない。


左腕と右脚に加えて頭まで痛み始めたが、とりあえず河童の側へ向かって、速やかにトドメを刺さなければ。


モタモタしていては、次の水が飛んできてしまう。


一歩、また一歩と、倒れている河童の近くへと迫る。


河童は、近付く俺に対して狙いを定め、次の水を撃たんとしている。


あと5秒程度だろうか。


河童との距離はあと10メートル弱。

今の俺にとって、10メートル移動することは元気な時に100メートルを全力疾走するよりも遥かに辛い。


辛いというより、「無理」という表現の方が適切だろうか。

身体も動かなければ、痛みも治まるどころか無理をしているせいで悪化している。


無理をするにはまだ早い。

ここでしくじったら、今度こそ本当に殺されてしまう。


もう一度、チャンスを待とう。

もっと近づいてから、確実に殺す。


俺は砂利を再び右手に握り、河童の指から水が放たれるであろうタイミングを見計らって撒き散らす。


そして、河童の指から1発の水が放たれる。


目が慣れてきたのか、この一発だけは水の動きがハッキリと、そしてゆっくりと見えた。


「キェアアアアアアアア!!」


河童の右手、その人差し指。


指先から放たれる水は、今までと同じように真っ直ぐ、俺の右肩を狙って飛んできた。


しかしその水は俺が事前に撒いた砂利、その滞空している一つに命中し、そこで水は防がれる。


「これで本当に窮地は脱した」、俺は思った。

それは束の間どころか、一瞬にも満たない程に短い時間だったが。


「なァンだってェェェェェェェェェ!!?」


水に砕かれた砂利石の一つが弾け飛び、俺の左目に突き刺さる。


咄嗟に左手で石を何とか摘出し、視界の左半分が消え去ることを確認する間もなく、俺はその左手で瞼を抑えながら、右目に直径10センチメートル程度の石を持ち、河童の側へと駆け寄った。


「うけけけけけけけけけけけけけけけ、いひ、いひひ、うひぇあ、いひぇ」


河童は作画崩壊かと言わしめんとするかのように口角を上げ、こちらにトドメを刺してやらんとばかりに、次の水を指先へ集め始める。


全身の力が抜ける。

無理をしようとしても、脚が勝手に崩れ落ちていく。


ヤバい。

ヒジョーにヤバい。


やはり次弾の発射なんて待たずに、さっきの一発が撃たれるよりも前に無理をしてでも走ってトドメを刺しておくべきだった。


思えば、俺はここに来ようと思った時から「余計な事」しかしていなかったような気がする。


ここに来て、河童と戦うきっかけを作ってしまったのは俺だし、河童を水辺に蹴り飛ばしたのも俺だ。


砂利を撒き散らして河童に弾丸を提供したのも俺。


……あれ、こんな追い詰められた風な……というか実際に追い詰められている訳だが、そんな状況になってるのって……半分くらいは俺のせいだったりする?


マズい。


河童との距離はあと5メートル程度。

あと5秒で次の水が飛んでくる。


さすがに次弾は待っていられない。

距離が近すぎるし、また砂利を撒き散らしたところで、河童は砕いた石の欠片をこちらに飛ばす方法を既に覚えてしまっている筈だ。


どうする!?

どうしようか!?


隠れるものも無ければ、咄嗟の回避が通用するような弾速でも無い。


困った。


どうにもならない。


よし。

よし分かった。


困った時に、一つだけ残された良い方法がある。


「うおおおおおおおお!!!」


俺は風穴があいている右脚に力を入れ、噴き出す血にも目を向けず、河童の皿だけを見て走り出す。


困った時の最低にして最強の手段。


それは。


「おぎぇああ、いぎぇええええ!?」


「ゴリ押しじゃオラァァァァァァァァァァァァ!!!」


俺は河童の上に馬乗りになり、尖った石を河童の皿に振り下ろして、ヌメヌメとした頭蓋を削り取るように肉を抉る。


困った時はゴリ押し。

死にゲーで培った、人生の教訓だ。


「いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」


河童は白目を剥き、顔中の穴という穴から血を噴き出す。 


妖怪に血とか肉とかあるのかという点にツッコむ間もなく、俺は石を脳天から喉まで貫通させる。


河童の右手が、こちらを向く。


顔面は深く抉った筈だ。


マジにどうなってんだ、河童の生命力ってのは。


「うおおおおおおお!!いい加減くたばれッ!!」


「ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」


しかし俺の猛攻にも構わず、河童は2発放った水で、右肩と胸を貫いた。


「ぅ……ぁ」


今度こそ、本当にダメだ。


人は死の間際、時間がひどくゆっくり流れているように感じるという。

漫画で得た知識だが、今、俺は実際にそれを味わっている。


死の間際故に、今ならとんでもないデータ量の思考が可能なのではないだろうか、数世代前のスーパーコンピューターならビックリなレベルの思考ができてしまうのではないだろうかと、そのことに気付く。


どうせ瀕死、或いは死の数秒前なのだ。

出来る限りの対抗策を。

本当に最後、もとい最期の足掻きをしようじゃあないか。


今、俺は河童の顔面を右手の石で抉りとっているところだ。

そして顔面を殆ど失った河童は、それでも水を撃ってきた。


いつまでコイツが生きているのか分からないが、もうじきコイツは死ぬはずだ。

死んでくれなければ困る。


だが、俺もすぐ死にそうなのだ。


ならば、せめてこの河童と刺し違えてやろう。

この河童より先に死ぬなど御免だ。


どうせ死ぬなら完膚なきまでに叩き潰して、コイツの死を確認してから、ゆっくり死んでやるとも。


さて、どうしようか。


この態勢のままでいれば、俺が死にかけて力が抜けたとしても、そのまま俺の体重と今までの勢いだけで河童の胸辺りまでは抉れるだろう。


もうじき、脊髄にまで石が食い込む筈。


とはいえ、それだけでは不安だ。


河童の急所が脳やら心臓やら脊髄やらとは限らないのだから。


念の為だ。

最後の最後に追い打ちを食らわせて、確実な死を提供してやろうじゃあないか。


俺は、河童の脊髄を抉り切った右腕の石を背後に下ろし、河童の腰にそれを突き刺した。


河童が好物にするという尻子玉、丁度それがある位置である。


実際には人体に尻子玉は存在せず、故に尻から魂を吸い取るという言い伝えが広まり始めたようだが、もし尻子玉に相当するものが河童に在るのなら、河童が人間にもそれがあるのだろうと考えて人間の尻を狙うという習性を持つのも当然だろう。


ならば、河童の尻子玉を突き刺したらどうなるのだろうか?


人間の急所と河童の急所が違うなら、人間に存在しない河童の尻子玉が急所かもしれない。


人間の急所が脳とか心臓とか脊髄だったとして、もし河童の弱点が尻子玉だったとしたら、そんなところを尖った石で突き刺したら、その無駄に粘り強い命はどうなってしまうのだろうか?


「ぎぃぃぃぃゃぁぁぁぁ」


「ウォォォォォォォラァァァァァァァァァッッッッッッッ!!!」


石は河童の腰、その肉を抉り、骨盤を抉り、内臓を抉る。


そして「パンッ!」と、何かが弾けるような音が聞こえた。


「ぎいぃぃぃぃぃぃぃぃぇゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


河童の身体は今日一番の金切り声に合わせて全身から血を噴き出し、砂利の上に打ち上げられた。


「勝ったッ………………」


俺の身体からも一気に力が抜け、今までとは比べ物にならない程の脱力感に襲われた。


いい人生だった……とは言えないが、これで少なくとも俺の死因は「川で河童に尻から魂を抜かれて死亡」ではなく、「死闘の末に勝利を収めるも、力尽きて死亡」になる。


これでやっと気持ちよく眠れる。


未成年だから勝利の美酒は飲めないが、ここで目を瞑れることの何と気持ち良い事か。


みるみる意識が遠のき、次に目を開く時にはあの世か、或いはどこかの異世界か……。


ここで、俺の記憶は一旦途切れる。


~事案6959-赤い河童 以上~


そして、目が覚めたのは何故か数時間後のことであった。

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