第36話 絶望

「……な……」


 思いも声も何もかもを掻き消すような黒炎。音はそこに集約され、一切の隙も可能性も無いと思わされる程の爆音。その残酷な映像を俺はただ眺めることしかできなかった。


 ──しかし。


「……何、もう終わったみたいな顔してるのよ」


 俺を庇ったはずの、灰霧竜フォッグドラゴンの攻撃を全身に受けたはずの彼女は、なぜか俺を見下ろしていた。


「な、なんで」


「私を誰だと思ってるのよ。三層のボス相手にやられるような女じゃないから」


 ペレッタは何事もなかったように微笑を浮かべ、放心している俺に手を差し伸べる。


「……ほんとに……?」


「見ればわかるでしょ。さあ座ってないで立って」


 頭の整理が追いつかないまま彼女の手を掴み立ち上がる。


(何がどうなってる? 本当に何ともなかったのか?)


 見る限り彼女に大きな外傷はない。ペレッタが強すぎるのか、相手がそこまで強くはないのか。未だに違和感が拭えずこうして普通に会話していることに現実味がない。

 しかしもう一つ別の違和感があった。灰霧竜の炎ブレス──普通なら当たっていてもおかしくない距離にいた俺はその影響を特に受けることはなかった。熱を感じることも肌が痛むこともどこか怪我をすることもなく──。

 でも、それよりも。


「無事で……よかった」


 俺の声は今、目の前の彼女が受け取っていて、届いた先で笑みを零し反応してくれる。その事実が、今にも壊れそうだった心の傷を一つ一つ修復してくれる。


「──ペレッタ!」


 敵の動きは依然として固いものだった。あんな攻撃をした後もこちらを観察することも無く空を見上げるように動作をしない。

 その様子を見てか、フィンとシュナは俺たちの所まで駆けつけてくる。


「大丈夫なのか!?」


「ええ」


「良かった。……でも、なんで……なんでお前、こいつのこと庇うような真似を」


 フィンは俺に対して冷淡な態度のままでいる。言っていることもさっきまで共闘していた仲間とは思えないようなもので。


「なんでって……仲間だからよ。あんたこそなんで刀也にそんなこと──」


「こいつはさっき俺のことを見捨てようとしてたんだぞッ!」


「見捨てようとなんか!」


 フィンの言葉に即座に反応する。見捨てる理由なんてどこにもあるわけが無いのだから。彼の言葉と表情に嘘は一つもなく、冗談で人を笑わせるフィンとは思えないくらいに憎悪や悲嘆などが入り交じっているようだった。


「お前わざと魔法使わないようとしてたんだろ? 自分の身を守るためだけに魔力を温存して」


「そんなこと……」


「図星か。いいよな力持ってるやつは。ちやほやされて持て囃されて、俺たちみたいな初心者をこき使ってよ。終いには危なそうになったら自分の身だけ守る。はっ、お前最初から俺たちを仲間なんて──」


「──黙れ」


 その言葉を発したのは俺ではなく彼女だった。

 声色は、俺を裏切ったと知ったあの時よりも遥かに冷たくて容赦がない。


「目障りよ。邪魔で仕方ない。早く消えてくれる?」


「……ペレッタ……?」


「トウヤとシュナ、あんたたちもよ。全員、私以外誰も灰霧竜に傷一つつけられてないじゃない。味方に攻撃を当てないようにしたり守ったり庇ったり、でも助けても何にも役に立たないなんて。おまけに仲間割れしてどれだけ足を引っ張れば気が済むんだか。そんなのいるだけ無駄」


「なんでそんな言い方ッ!!」


 シュナもまた小動物のような姿はどこにもなくペレッタを睨みつけた。

 暖かかった場所が、消えることは無いと思っていた絆が綻びを見せる。


(どこから、どこからこうなったんだ)


 知っている。全ては予定通りに、俺の魔法が使えていればこんなことにはならなかった。関係を維持させるには余裕が、安心が、力がなくてはいけない。それら全てを失えば、待つのはただ崩壊のみ。


 だが彼女のそれは、はったりだった。


「だから逃げなさい」


「……は……? 逃げる……?」


「……それで、誰か強い冒険者を連れてきてほしい。私一人じゃちょっと面倒くさくてね。でもあんたたちじゃ力にならないの。……だから、いいかしら」


 ペレッタの額から一筋の汗が零れ落ちる。声には覇気がなく、消え入るようにか細い声音でお願いをする。自信満々な姿はそこにはない。先程の攻撃を受けて察したのだろう。


 ──自分たちではどうしようもない。


 もう覚悟するしかないのだと、彼女はそう言っているのだ。

 激しい感情が表に出てこようとするのを唇を噛んで必死に堰き止める。時間の余裕はない。何かを選択する時間はもはや自分たちには残っていないのだ。


(受け入れろこの状況を。この中で一番強いペレッタの言うことを聞けば間違いない。もうそうすることでしか)


 生きられないんだから。


「…………わかった」


「──逃げられるかよッ!! お前一人で勝てる保証なんてどこにもないだろ!」


 フィンは応じる様子はなく、ありのままをぶちまける。


「そういえば言ってなかったわね。私はハクア王国の騎士ペレッタ・アシュワガルデよ」


「何言ってんだこんな時に、そんな冗談……」


「冗談じゃない」


「私はとある敵を倒すためにこの街へやって来て、偽りの自分を演じてきたの。その相手を見つけて接近して油断した直後に首を跳ねるために。黙ってて悪かったわね。でも、だからこそ──こんなところで負けるはずがない」


 俺に言ったことと同じことを皆に話すペレッタ。今話したところで何が変わるわけもないのに、彼女は嬉しそうに話した。俺たちを安心させるために見せている節もあるだろうが、その表情に穢れはなかった。

 今この瞬間、ペレッタ・アシュワガルデは本当に騎士であるように見えた。


「……逃げられっか」


「は? あんた話聞いてたの?」


「ハクア王国だとか騎士だとか知らねえよ。仲間……なんだから。ペレッタ……そしてトウヤ、お前も!」


 身体や唇が震えていながらもフィンはいつものフィンであろうと振る舞う。


「トウヤ、さっきは悪かったよ。俺死ぬかもと思ったらさ、なんかもう何もかもが怖くて八つ当たりしちまって……。だから頼む! 灰霧竜を倒してくれ。お前が普通にしてくれれば誰かを呼ぶこともペレッタがこうして無茶する必要もないんだ。わかるだろ?」


「でも俺は……」


「今の刀也は魔法が使えないの。だから早く──」


「魔法が使えないって、そんなのあるわけないだろ。ごめんな。今まで変に期待したりとか馬鹿な事したせいで嫌われてるのかもしんないけど、でも一度でいいからさ、頼む……!」


 本心を隠そうともせずただ真っ直ぐに俺の力をフィンは求めた。この男はそれだけ俺を信用し、俺の力で灰霧竜を倒せるのだと信じ切っている。


(どうしてそこまで……)


『お前ら昼間レヴと戦ってた奴らだよな?』


 ふと三人と初めて出会った時のことを思い出す。

 俺たちが出会ったのはAランク冒険者レヴとの戦いで──。


(そうだ。まだ、できることがある)


「わかった」


「……は。魔法、使えないんでしょ? 今の刀也じゃアイツに太刀打ちできないことくらいわかるじゃない……? だから早く逃げ──」


「大丈夫だから」


「トウヤくん……?」


 二人が心配するのは当然だ。倉道刀也という男は魔法という大敵に抗う術を持っていないのだから。

 もっと早く気付いておくべきことだった。圧倒的な存在に慄き、魔法が使えなくなった絶望感に、仲間を失いそうになった悲しみを前に冷静さを失っていた。

 圧倒的な存在──それは違う。

 もっと凄いやつを俺は知っている。殺されかけたことだってある。自分の可能性に打ちのめされて絶望したこともこれが初めてじゃない。


 灰霧竜はレヴほどではない。


「——愚かなる魂に罪を与え真なる怒りは黒き業火を宿す」


 己自身の生命力を魔力と交換し、真なる魂の炎となって現れる。


「滅せよ——」


 誰もが使えて、誰もが使わない最恐の禁忌魔法。


地獄炎魂カタストロフ・フレア





 は?





「愚かなる魂に罪を与え真なる怒りは黒き業火を宿す!滅せよ地獄炎魂カタストロフ・フレア!」


「…………」


「地獄炎魂! 地獄炎魂ッ!!」


「…………」


 何回、何十回唱えても、それは決して表に現れることはなかった。


「……どうして……? 俺に……生命力がない、とでも……?」


 足の力が抜け、膝をつく。

 レヴとの戦闘で使った禁忌魔法──間違いなく自身の生命力が使われた感覚はあった。なのにどうして使えなくなったのか。突然強敵が現れ、突然魔法が使えなくなって、絶対に使えるはずの魔法でさえも、何も……。


 何だよ。


 俺は、この世界に嫌われているんじゃないか──?



「ペレッタちゃん!?」


 そして、最悪の事態が起きる。


「……ペレッタ……?」


 彼女はその場で倒れ、口から際限なく血を流す。見れば腕や顔に黒い痣のようなものが出来ていた。


「……だから……はやく逃げてって言ったのに……」


「まさかさっきの攻撃が……?」


 ペレッタは意志で立ち上がろうとするも、すぐにまた力を失い地面に倒れ伏す。

 灰霧竜の攻撃は確実に彼女に影響を及ぼしていた。そしてそれを感じ取ってペレッタは俺たちを逃がそうとしていたのだ。


「今からでも遅くない。もう私は無理だからあんたたちだけでも逃げて」


「何……だよ……無理って……」


 軽く流された発言に言葉を失う。同時に『無理』という言葉が反芻し、嫌な想像が頭を埋め尽くしていく。


「おい! なんで魔法使わねえんだよッ!! お前のせいでこうなってんだろ? そんなに俺たちのことどうでもいいっていうのか!? あぁ!? あんだけ命張って頑張ろうとしてるペレッタを無視してまでそんなに自分のことが大事なのかよ!」


 俺の胸ぐらを掴み激昂するフィン。頭の中を走り回る気持ち悪い虫、自分勝手な仲間の言動、己の不甲斐なさ、ありとあらゆる物が混ざり合い、一つの感情へと昇華する。


「ふっっざけんなッ!!!」


「何……?」


「俺だって助けられたら助けてるに決まってるだろ!? お前も何も出来やしない癖にっ! 文句言ってる暇があるなら何かしろよ馬鹿じゃねえのかッ! 今どういう状況かわかって…………っ。……もう、おかしいんだよ。急に何も出来なくなって……。俺だって、俺だってもうわけわかんねえんだよッッ!!」


「ッ! やっぱりお前は俺たちのことなんて何とも──」


「二人ともッ!? 喧嘩なんてしてる場合……じゃ……」


 仲裁しようとしたシュナは俺たちから視線を逸らすと、なぜか言葉を続けることをやめた。


「……シュナ……?」


 その変わりようを知っている。ついさっき見たものと同じだから。

 見上げるとそこには灰霧竜の足があった。



 今度こそ、もう終わり──。



 現実はそう予想通りにはならない。



「…………え…………」


 俺を殺すはずの足が急停止する。

 そして考える間もないほどすぐ、耳の中を突き破るような衝撃音がした。


「……フィン……くん……?」


 俺を残したまま、フィンは吹き飛ばされ岩壁にぶち当たっていた。崩れていく壁に巻き起こる土煙。霧と煙でもはや何も確認することはできない。


「……な……ん…………で」


 間違いなく俺もああなっていたはずなのに……。

 どうして──。


(なんで、こいつは俺を殺そうとしなかった?)


「何、これ」


 気付けば隣で一点を見つめたままのシュナが立っていた。


「……シュナ……?」


「え……うそ。フィンくんは……? ペレッタ……ちゃん? なんで何も喋らないの? ペレッタちゃん? え……?」


 状況をまるで飲み込めていないように話す。それも仕方の無いことだろう。

 残酷な現実を受け入れてしまえば正常ではいられなくなる。


「シュナ……」


「トウヤ……くん……? なんで無事なの……?」


「え」


 光を失った瞳で俺をじっと見るシュナ。状況を理解するために聞いている、そうわかっているのに、心を見透かされ罪を突き付けられているようだ。


「さっきあいつにやられたんじゃ……え、どうして……」


「……俺も……わからない……」


「わからない……なに……わからないわからないわからない……! こわいこわいこわい! トウヤくん! こわいたすけてどうしよう! いやいやいやいや! みんないなくなる!? 私も死ぬのッ!? いや……いや……いやいやぁあああアッ!」


「シュナッ!!」


 発狂して卒倒する彼女を抱き抱えた。


「君だけでも……最期まで…………っ」


 開いた瞳をそっと閉じさせる。

 言葉を続けることができなかった。今の俺はたった一人の命も、心さえも守る力がない。

 誰も救うことはかなわない。失い、潰され、壊されていく。

 立っている気力さえなく、考える事すら放棄してその場に座り込む。

 何にも焦点を合わさずにいると徐々に暗闇が領域を支配していく。


 強引に焦点が合わせられた。

 人に全く興味を見せずにいた灰霧竜はじっと俺の動向を窺っている。


「……なんで……いや。もう……終わ……………………は?」


 終わりをただ待つのみ。

 そのはずが、巨龍は大きな足音を立てて奥へ奥へと遠ざかっていく。


「なんで……逃げて……」


 小さな呼び掛けが届くわけもなく、その姿はすぐに白い霧へと変貌し俺の前から姿を消した。


「くそ……くそ、くそくそクソ糞クソッッ!! 逃げるなら最初から逃げろぉおおオオオ!!!」


 その叫びをきっかけに意識が段々と薄れていく。

 憎しみを込めるように、自らを忌むように。

 大切なものを壊されても、それでも生きろというのか。


「なんで……俺だけ……なんだよ……死なせて……ぐれよっ……」


 やはり俺はこの世界から嫌われている。

 深い霧に包まれ、やがて俺は意識を失った。

 

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