第30話 間中かざりの独白

 今日の夜はいつもよりも穏やかだった。

 動物たちの鳴き声も一定のリズムを刻んでいる。風も今の春のような気候には気持ちよく肌に馴染む。

 あとは夜桜でも眺められたら中々良いロケーションになるのだけど、見えてくるものは一面の深い木々のみ。


「まあ綺麗すぎても、困りものね」


 私は屋敷の外にある三段の小さな階段に腰掛けて冷たい空気に触れていた。

 隣には紫檀色の円形のソーサーと白いマグカップが置かれていて、熱めに注がれた中身は外の冷気に触れてもまだ湯気を立てている。

 見れば、ソーサーの中央には丁度カップが収まるほどの穴が作られていて、腕が当たったとしても倒れることはないという親切設計だ。


「もう……お世話が過ぎるんですよ」


 何もお願いをしていないのに、ここに仕えているメイドはよくしてくれる。

 私たちのお目付け役とはいっても時間外労働だ。

 それでも彼女──クロノ・コーレットは何の見返りも求めずに与え続ける。


 私はそれに手を伸ばし、ゆっくりと口に入れた。


「……美味しい」


 中身はホットココアの味だった。

 小さい頃によく口にした──懐かしい味。

 それもただ美味しいだけではなく、私好みの甘さをしていた。


 恐らく私がコーヒーや紅茶を飲んでいる時に様子を伺っていたのだろう。

 でなければこの甘さでは出せない。

 元の世界で私の良しとするものは周囲にとっては違っていたのだから。


 本当に、どこに熱意を込めているのやら。

 それでも私の退屈を凌ぐにはちょうど良かった。


「いつまでここにいるんでしょうね」


 私は、ここに何をしに来たのだろう。

 何がしたいわけでもなくずっとこの場所で過ごして。

 まるで檻に閉じ込められた……姫。


「ふっ。姫とか馬鹿みたい……」


 姫だとしたらどれほど生きやすかっただろうか。


 私はしたいことが何もない。

 屋敷でのんびり暮らすことも、自己研鑽することも、公爵様や国の為に動き、名声や富を受け取ることも、何も。


 だからといって心に問題を抱えているというわけではなく、求められればその通りに行動するだろう。

 それは何も今に始まったことではないのだけど。


 この世界へ来た時は少し心が弾んでいたように思う。

 今までは周りが理想とする自分を演じていた。

 でももうそうする必要もなくなったのだ。

 ここは未知の世界。何をするにしても自由で誰からの支配も受けることはない。

 この場所であれば、恐らく興味を抱くものだって少しはある。

 ある程度決まりきったところと違って。


 しかし、現実は所詮現実だった。


 元の世界でも退屈ながらひとつの楽しみがあった。

 それは彼──高橋朱雨たかはししゅうと関わること。

 彼との共通点は高校一年生で席が隣である、ただそれだけだった。

 見た目も良く人付き合いにも慣れていそうで、性格も悪くは見えない。


 私の苦手なタイプだ。

 彼は賢い人間だろうから、良い顔を演じ当たり障りなく接して嫌な部分を出そうとしない。

 まるで誰かを見ているみたいに。


 けれど彼はそれらを生かそうとはしなかった。

 一歩引いた目で距離を置き、周囲にもそれが伝わるほど溶け込もうとせずにいた。


 それに気付いたときからだろうか。彼と喋るようになったのは。

 普段は私も彼も落ち着いた少人数の友人と関わっていたけど、彼と話す時だけは自分を良く見せようとは思わなかった。


 そんな目立とうとしない彼だが、サッカー部には所属していた。

 あまり聞こうとはしなかったが中学ではそれなりの選手だったようで、クラスでのいざこざがきっかけで今後のサッカープレイヤーとしての高橋朱雨を失ったというような話を聞いた。

 それでも彼は今も常にもがいている。

 何がそうさせるのかはわからない。けれど一つだけ成し遂げたいことがあると楽しそうに笑っていたのを今でもよく覚えている。


 だからこそ、私は倉道刀也を許さなかった。

 転移して間もなく浮き足立っていたこともあり、彼のしたことを聞くと柄にもなく感情をぶつけた。

 後悔はしていない。

 彼──倉道刀也が認めたということは、高橋さんが手に入れられるはずのものを、笑顔を彼自身が壊したということだから。

 何よりも、犯した罪に溺れ、何も演じることのない人間に私は嫌気がさした。


 これはどういう因果だろうか。

 あの様子だと、既に、いやずっと彼の先には火が灯っていない。

 そんな人間を私が裁けとでもいうのか。そこに何の意味がある。

 私が求めていた興味は一瞬にして黒く塗り潰された。


 しかし、彼は受け入れ前に進もうと言うのだ。

 恐らくそのきっかけになったのは白瀬結紀さん。

 見た目もよく誰からも好かれそうな人がどうしてそんなに介入する。

 ただの優しさからのものではないように見えた。それに、倉道刀也自身も本音で話しているような気がした。


 見ていたくないけれど、もしまた誰かを傷つけようとしたら完全に見限る。

 その心持ちでいた。


 彼は応えることはなかった。

 昨日あれだけのことを言ったのにもかかわらず、何がしたかったのだろう。

 魔法をまともに使おうとせずに周囲の期待をことごとく裏切って。

 少しでも彼の言葉に耳を傾けていた私を呪いたい。本当にそう思った。


 そして事が起こる。

 彼は同じ転移者の真堂によってこの屋敷から追い出されてしまったのだ。

 真堂誠──最初から着飾ったような言葉と態度で良い印象を持ってはいなかったがまさかそこまでする人間とは思っていなかった。


「彼は皆と自分の為に屋敷から出ていくと言っていた。自分はそれを止めようとしたけど聞かなくて……」


 その発言が嘘だということに時間はかからなかった。

 この屋敷付近では不審者の侵入を防ぐため、常に魔道具による映像記録がなされているのだいう。

 それでも「追放された方がいいと思っていたのは同じだろう」などと同情を誘おうとしていたけれど、人を危険に追いやる理由にはなっていない。

 そんな振る舞いにはいつもの彼らしさが感じられなかったが少し共感できるところはあった。

 なぜなら共に出ていったのが白瀬結紀さんだったから。


 わざわざ自分まで危険な所に行く必要がどこにあるというの?

 彼のどこにそんな魅力があるというんだろうか。

 その疑問はさらに深まっていった。


「倉道さまは、間中さまが思っているような人じゃないと思いますよ」


 昨日のお昼にコーヒーを注いでくれた時のクロノさんの言葉。

 いつも仕事の顔を見せている彼女だが、その時だけは何も着飾ってはいないように無邪気な笑顔を見せた。


「ほんとうに……わからないことばかりですね」


 何故倉道刀也に付いていける、何故出会って間もない人を思ってそんな顔ができる。

 どうして高橋さんは失ってもまだ戦おうとする。

 どうして私は誰でもない、彼自身のことが気になってしまう。


 どこかで思い違いをしていたのだろうか。

 彼は何一つ悪いことはしていなくて、事故を起こした加害者に見えてしまうのも、魔法が使えなかったのも全部運命なのだとしたら。


 倉道さんは私よりももっともっと──。


「……ちょっと飲みすぎましたかね」


 私は手に持っていたカップをソーサーの穴に置いた。


 彼が罪を認めていたのは事実。離れてしまった以上もうわかることはないのかもしれない。

 彼だけでなく白瀬さんも外界にいるため助けに行くものかと思っていたが、ダウル公爵はこちらに任せてほしいという一点張りだった。

 クロノさんからも位置はわかるので心配はしなくていいと。

 それはきっと倉道さんのためでもあるのだろう。

 私たちが助けても白瀬さんは連れて帰れたとして彼自身は私たちに裏切られたと思っていてもおかしくない。そして彼女も抵抗せず見過ごしたりはしないだろう。

 国からの要望で転移者が呼び出されていることもあって、万が一何かあれば大きな信用を落とすことにも繋がるかもしれない。

 当然他に引っかかる点はあるけれど、普段と変わらないメイドの様子を見ていれば何か策でもあるのだろう。


 全てを鵜呑みにしているわけではない。

 でも、来たばかりの私たち勇者にできることなんて結局は限られている。


 みんなどこまでいっても他人より自分なのだ。それは、私自身も。


「そろそろ戻りましょうか」


 立ち上がると、穏やかに感じていた風は冷気に変わったように肌をさす。

 今の自分は、あの頃の自分とよく似ている。

 何も期待などしていないし、これが私の運命なのだから。


 でも。


 もし彼と再び交えることになれば、どんなふうに未来は紡がれていくのだろう。


 メイドの日替わりドリンク。

 そしてその空想だけが、今の私──間中かざりができる唯一の退屈しのぎだった。

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