第29話 二つの世界


「……刀也……」


 二人きりになった俺たちは無言を貫いていた。

 このまま沈黙が続き、取り返しのつかない雰囲気になるのだろうかと不安げに思っていると、ペレッタは口を開いた。


 見れば、目尻が下がっておりほんのちょっと頬もほんのりと赤くなっているような……。

 いつもと様子が違うのは明白だった。


「……刀也……は、さ」


 目が合えばすぐに逸らして、横を向いては恥ずかしがった顔をしながらも口元を緩ませている。

「これがペレッタなのか?」と言わんばかりにクールさの欠片もなく、可憐な乙女と形容しても何ら不思議はない。


 しかしそんな彼女が今何を思い、そして何を口にしようとしているのか……。

 事の発端は俺の「『二人で』ずっと一緒にいよう」(向こうの勘違い)発言だ。


 ──もし本当にそう受けとっているのだとしたら?


 白瀬さんという彼女を持ちながら、離れ離れになればすぐ他の女性に手を出す男……。


 普通に有り得るよな。


「…………」


 非常にまずいですね。


 でもそれなら何故ペレッタは俺を否定せず乙女のような顔をしている?


 ……。


 ま、まさか……。


「私のこと……」


 嫌な想像が脳を埋め尽くしていく。

 彼女のこれからの発言次第では今後の未来が大きく左右されてしまう。

 本当にこのまま待っていてもいいのだろうか。

 失って、失ってようやく手に入れた仲間、恋人、居場所。

 それをこんなところで……失っていいはずがない。

 バッドエンドを止められるのは、今この瞬間だけだ!


「どう──」


「ごめん」


「え?」


「さっき言ったことは違うんだ。ほんとうはこれからも『仲間として』よろしくって意味で言ったつもりだったんだけど、ちょっと違った言い方で言ってしまって、それでペレッタを勘違いさせちゃったのかなって……本当ごめん」


 全て本当の事だ。間違ったことは言っていない、と思う。


 でも、なんとなく突き放してしまったような気がして彼女の顔に目を向けることができない。


「……そ、そうよね! 刀也がそんなこと言うわけないわよね! こっちこそごめんねっ。なんか勘違いしちゃって」


 ペレッタは普段の調子を取り戻したように声のトーンを変えてそう言った。

 これでいつもの日常に戻れる、いつもの平和な仲間としての──。


「……そうだよね。私の、ただの勘違いで……」


 一瞬、クールとはまた違う顔を覗かせた。人を寄せ付けないような、でも、寂しそうな瞳で。


 これがいつもの日常──いや違うだろ。


「ちょっと暑いから、外の空気浴びてくるね」


 タオルで顔を拭きながら、まるで隠すように、逃げるように彼女は席を立つ。

 違う。こんな顔をしてほしくて言ったんじゃない。


「待って」


 俺はいまにもテーブルから離れそうな右手を取った。


「……ごめん……待てない」


 しかしその手はすぐ取り払われて彼女は早足で外へ向かおうとする。


 何が今後の未来を左右する、だ。

 理由はどうあれ、あんなに可愛くて素敵な顔を奪ったのは俺のせいだ。

 未来が変わるというのなら間違いなく今だろうが。


「ごめんッ!!」


 喫茶店という場所ではとても出してはいけないほどの声量で彼女を呼び止めた。


「……さっきのも俺が言いたかったことじゃなくて! 仲間としてもそうだけど、『二人として』も仲良くしたいっていうのもほんとで……。でも俺には白瀬さんがいるからそういうんじゃないけど、でも! 今日いっぱいペレッタのいい所とか……か、可愛いところとか見られてすっごい色々楽しくて……さ。だから、これからも『二人として』! 仲良くしてほしい……です」


 全部。

 全部思いのまま、内に秘めた方がいいことまで吐き出してしまった気がする。

 また勘違いされるかもしれない。

 でも傷つけたまま放っておくわけにはいかなかった。

 もうペレッタは俺にとって『大切な人』なのだから。


「……バカじゃないの」


 返事はいつものようで。


「……え?」


「そんなの──もっと勘違いされちゃうよ?」


 照れて笑ったようなペレッタの顔は、写真に納めたくなるほど綺麗だった。



 ***



 やりづらい。


「あーあ。誰かさんのせいでほんとに暑くなっちゃったかも」


 ペレッタは白いブラウスの胸元をつまみ指でパタパタさせている。

 俺の本心をぶちまけた結果、ペレッタはこの場から離れることもなく、変に頬を染めることも冷たい顔を見せることもなくなっていた……のだが。


 またしても此処へ来た時のような小悪魔っぽさが出てきているような気がしてならない。


「私はね、刀也のことも皆も大事。それに、結紀もすごく可愛いし大切に思ってるの。だから二人には幸せになってほしい」


「……そっか。じゃあなんで──」


「なんでって。何か、引っかかるとこでもあるのかしら?」


 わざとらしく目を細め、口元をにやりと歪ませた。

 こちらを試しているのか、遊んでいるのか、それともさっきのペレッタの乙女らしさが俺の妄想に過ぎなかっただけなのか。

 兎にも角にも、言い出せるようなことではまずない。


「いやそれは……」


「秘密」


「え」


 ペレッタは人差し指を立てて片目でウインクした。

 唐突なアイドルっぽい仕草はどこで覚えてきたのだろうか。普通に胸がキュンとしてしまった。

 それはさておき言っていることがよくわからない。

 一つだけはっきりしていることは、今の彼女がスッキリした顔をしていることだけ。


 ただこのままでは俺の方が気になって夜も眠れなくなる。


「とりあえずこの話は終わりね」


「ちょ──」


 しかし俺を気に留める様子もなくまるで暖かいお茶を飲むかの如く彼女はグラスの水を口にした。

 まるでこれまでの話をするなと言っているようだ。


「実はね、本当は用事がなかったわけじゃないの」


 いつものようなクールな装いに戻りそう話す。

 彼女の秘密が何なのかは気になるが、また無言になったり変な空気になるよりは真面目な話の方がマシか。


「もし刀也が良いなら……刀也のさ、過去を話してほしいなって」


「俺の過去?」


「うん。さっき言ってたでしょ? 『自分は異世界から来た勇者』だって」


 完全に頭になかった。

 そうだった。俺はペレッタに何者か聞かれ、自分の素性を全部ぶちまけたのだ。

 今の関係なら俺が勇者だと言っても変な目で俺を見ることはないだろうが、やはり違う世界から来たと言われれば気にはなるだろう。


「無理だったら全然いいの。ほら、話してた時も凄く辛そうで、だから力になれることがあるなら私も、と思って。でも嫌なことは思い出したくないだろうし……って私から話振ったくせに、よくないよねこういうの……」


 ペレッタは俺の力になりたいと思いつつ、心を傷つけたくないという二つの思いの狭間で悩まされている。

 過去のこと、辛いことはだいたい白瀬さんが受け止めてくれた。

 彼女がいなければ今の俺は壊れていてもおかしくはない。

 理解者は常に一人で、たぶんこの先もずっと。


「確かに辛かったし今でも思い出す時はあるよ。けどそれより皆や白瀬さんと色々なこと話す方が楽しくてさ。正直全然今は辛くないことの方が多いんだ」


 白瀬さんがきっかけでまるで生まれ変わったように人生を送れている。

 ペレッタに裏切られたと思った時は過去の記憶がフラッシュバックして爆発してしまったが、たぶんこれからは楽しい経験が上書きしてくれる、そんな気がする。


「そ、そっか。そうよね。ごめん変なこと言っちゃって……。それに、私に話さなくても結紀が──」


「だから話すよ。ペレッタはもう……大切な人だから。だから……もっと仲良くなるためにも知っておいてほしい」


「……う、うん……ありがとぅ……」


 互いに恥じらいながらも、俺は今までの自分のことを話した。

 此処に来る前の世界のこと、どんな性格でどんな学校生活を送っていたのか。

 ペレッタからしたら何もかもが新鮮なようで、ちょっとした日常でも雑学でも目を大きくさせて聞いてくれた。

 そして此処にきてからの話も。

 だいたいが酷い話で、「聞いてもつまらないよ」と言ってもペレッタは真剣に受け止めてくれて。

 怒ったり、一緒になって悲しんだり、たまに笑ってくれたり。

 中でも俺と白瀬さんの話をした時は、ボロボロ泣いてくれていた。そんな感動映画のような物語ではないと思うけど、でもそんな姿を見ていると胸に込み上げるものがあった。


「……まあこんな感じ……」


「……刀也、横に座って」


 話を終えると、ペレッタは隣の椅子をとんとんと叩いた。


「え?」


「いいから」


「はぁ……」


 何の検討もつかないまま隣の椅子に腰かけようとした。

 その瞬間、俺の身体は何かに引っ張られて、右に倒れた。


「あっぶ!」


 床に落ちたかと思ったが、間一髪痛みもなく何かが衝撃を吸収してくれていた。


「なに、ばぶー?」


「いや言ってないわ」


 ペレッタのボケに即座にツッコミを入れる。

 それもそうだろう。

 こんなにも近くで言われたら反応も……………え。


「ペ、ペレッタ、何を……」


「んー? わからない?」


 ペレッタは真上から俺を見下ろしている。

 そして俺の頭は彼女の……太……脚の上にあった。

 つまりこれは──。


「──膝枕」


 不敵な笑みを浮かべながら彼女は言う。

 その言葉を聞いた途端、胸の鼓動が早まるのを感じた。

 この反応は偶然でも何でもない。ペレッタ自身がこの状況を生み出したのだから。


「なんでこんな……」


「今だけ……特別だよ」


 俺から顔を背け、右耳に小声で囁きかけてくる。

 胸は熱いのに背中が突然冷えたような感覚に陥る。

 どうしてこんなことを……いくら仲が良くなりたいとはいえ流石に度を越している気がする。


「ペレッタ、変な冗談はやめろって……こんなの、駄目だ」


「──私がしたいの。だから……お願い」


 しかし、再び囁かれた声は、照れた様子も冗談めいた聞こえ方もしなかった。

 優しく包み込んでくれるように落ち着いた声色で、耳から離れこちらと向き合った顔は慈愛に満ちたように邪気のないものだった。



「刀也、がんばったね」


 俺はそのまま抵抗することなく身を委ねる。抵抗しようとしてもこの温かさにはきっと打ち勝てない。


「がんばった。えらいえらい」


 彼女の指は、髪に、頭にそっと触れて、撫でていく。

 掌の柔らかさと温もり、エメラルドグリーンのように透き通る美しい緑の瞳、隙しかないほどに綻んだ表情。

 こんなにも彼女を間近にじっくりと見ることはなかった。

 何の準備も心持ちもしていなかったせいで、感情のコントロールがうまくいかない。

 だが、不思議と緊張感は感じていない。


「よしよし」


 屋敷で孤立した俺を慰めた時のあの子のように。

 何について言われているのか、何を慰められているのかぜんぜんわからない。

 だからもう頭を撫でないでほしい。

 そんな見たことのないような優しい顔で見ないでくれ。

 お前は俺の母親でもなんでもないだろ、なんでこんな。お前のキャラでもないだろ。


「フィンもシュナもね、あなたがパーティーに来てくれてすごく嬉しがってたよ」


「…………」


「結紀も可愛くて強くて、刀也のことを一番思ってくれてるもんね。今は離れてるけど、きっとあなたのことずっと心配してくれてる」


「……うん」


「私も、いる」


 ペレッタは左手で伸ばしていた俺の手を取った。

 照れて頬を染めてもなお繋がりを求めるように。

 俺が離れようと力を抜いても強く力を込めてくる。


 なんでこんなことをしてくるんだよ。

 嫌だ、やめろ、マジで。

 格好悪い、恥ずかしい、気持ち悪い、場違いだ。

 あいつらのようにそう思ってくれ。拒絶してくれ。

 周りが普通で俺はそんなふうな瞳で見られるようなやつじゃない、思いあがりたくもない。

 お前にはもっと素敵なやつがいるし、俺はそんな周りのモブ程度で十分だ。それだけでも俺レベルならお釣りがくるくらいに十分すぎる。


 だから、やめてくれ。


「だから、大丈夫」


 そう言うと、ペレッタは額を俺の額にそっと当てた。


 もう内側に……入って、くるな……って。

 こんなのは、俺じゃ……。


 ──ずっと欲しかったんだよね。


「君にはもう私たちがいるんだよ──倉道刀也くん」



 その瞬間、優しくて温かいさらさらな涙が流れていった。

 小刻みに身体が揺れている。きっと額越しに伝わってしまっているだろう。

 言葉にはできても心ではどうしても疑ってしまう。何十年の記憶はそう簡単に消えはしないから。

 自分だけでよくて、自分のことをよく知る白瀬さんだけでよかった。それだけで幸せだったのに。


 ……くそ。

 もう格好悪く生きられなくなっちゃったじゃん。


 まだ向こう側に手を伸ばしてもいいんだよね。


「ありがとう、ペレッタ」



 ***



 そうして俺たちは逃げるように店を後にした。

 何故なら、またしても最悪なタイミングで店主に見られてしまったからだ。

 というかあんなことを喫茶店でするとか、異世界はともかく元の世界じゃ許されないだろうな……なぜか此処の店主は嬉しそうにしていたけど。


 さっきのことを思い出しても特に恥ずかしい気はしなかった。

 思いのままに泣いてしまったからなのか、白瀬さんとのこともあってもう慣れてしまったのか、はたまた恥ずかしい思いをしすぎたせいか。

 でも、身体は嘘のように軽くなっていた。


「そういえば、刀也たちって異世界から呼び出されてきたのよね?」


「ん? まあそうだけど」


「刀也は追放されたけど、でもそれって真堂くんって人に勝手にされたことなんでしょ? 結紀も独断で付いてきて」


「うん。それが何か──」


「どうして追ってこないのかしら?」


「……たしかに」


 どうして今まで気付かなかったのだろう。

 俺に関しては屋敷ではほぼ追放扱いされていたとはいえ、白瀬さんを見過ごすことはないはず。転移者の中でも圧倒的な実力を誇っていたからだ。

 クロノさんは再三、「外は危険だから力をつけましょう」的なことを言っていたし嘘をついているようにも見えなかった。

 しかし外は確かに危ないところはあるだろうが普通の冒険者以外の人たちだって暮らしている。

 それをダウル公爵やクロノさんが知らないことは恐らくない。

 だとしたら何故?


「まあ、見つからないだけっていうのもあるわね。何にしても二人は私が守るから」


「……ありがとう」


 追ってくる可能性は十分に考えられるが別に敵というわけじゃない。

 だが、警戒するに越したことはない。

 絶対に、白瀬さんと離れたくないから。


「それに、そいつらに言ってやりたいこともあるし」


 ペレッタはこちらを振り返ったかと思えば俺の腕を取った。


「刀也にはもうこんなに素敵な仲間がいるんだからー! って」


 遠くの森に向けるように大きな声で叫ぶ。

 森に屋敷があるというのは言ってなかったと思うけど、これも信頼の証だったりするのだろうか。


「それもいいな」


 三人が俺に仲間ができたことや魔法が使えていることを見たらどう思うだろう。

 不思議と興味がわかなかった。


 たぶん、もう夢中になれる所を見つけたから。


「刀也くん学校遅刻しちゃうよ~」


「いや、何言ってんだ……っていうかその呼び方はやめろ」


「ふふっ」

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