第10話 君がいれば、何もいらない

 鳥や狼、梟のような声に木々のざわめき。

 この世界でもそれらは共通し日々の終わりを告げている。

 あまり景観は良くなかった。周りが森で覆われているからだ。

 冷たい風が肌を突き刺す。

 気づけば、辺りはすっかり暗くなっていた。


「……寒いな」


 半袖のシャツにイージーパンツではさすがに肌寒かった。

 でも今はこの冷たさを欲している。

 ダウル公爵に追放宣言を受けてすぐ後の記憶があまりなかった。

 部屋に引きこもりベッドに潜り込んだが当然寝られず。

 その後クロノさんから食事を受け取ったが彼女と何を話したのか。

 何も手につかず手元にあった本をパラパラとめくっていたのは覚えていた。

 何を読んだのか、何を食べたのか、話したのか。

 気づいたときには眠りから覚めていた。

 不思議と頭も体もすっきりしていたが部屋にいてはいけないと思い外に出た。


「どうしてこうなったんだろうな……」


 彼らを認めさせるつもりだった。

 しかし結果は最悪だ。

 ゲームなら一番選びたくないバッドエンドルート。

 転移者だけでなくこの世界の親にあたるような存在すら敵に回したのだ。

 公爵は二度はないと言ってくれているがあの感じではもう回復の兆しはないだろう。

 ただそんなことよりも。

 クロノさんにあんな顔をさせたくなかった。

 誰かに向けたものでなくともあの時の俺は殺意が溢れていたのだろう。

 俺よりも倉道刀也を信じていた彼女がそう思ったんだ。

 俺は自分のことをずっと不運な人間だと思っていた。

 でも違うのかもしれない。

 周りの方が正しくて俺がズレている。

 俺は自分が思っている以上に悪い人間なのかもしれない。



 ***



「遅かったね」


「な……」


 部屋に戻ると白瀬さんがベッドに腰掛けていた。

 お風呂上がりなのか髪は少し濡れていていつもより緩い服装をしている。


「……どうしたの?」


「寂しいかなと思って」


 もう一通りのことは聞いている、そんな雰囲気だ。

 彼女は俺が本当に辛い時にいつも優しい。


「……まあね」


 彼女の隣で同じように腰掛けた。


「隠さないんだ」


「白瀬さんにはどうせばれる」


「ふふ。私そんなにすごくないよ」


「……俺の事聞いたんだ」


「うん」


 肯定も否定もせずにただ頷いている。

 いつだって俺の味方をしてくれる。

 でも今回ばかりは違う。


「魔法を見せるつもりが公爵に攻撃したんだ。馬鹿だよなほんとに」


「何か理由があったんだよね」


 当然のように俺を持ち上げてくれる。

 それは、本当の優しさなのだろうか。


「……理由があれば攻撃していいって?」


「――それは」


「白瀬さん。今回ばかりは無理だ。どんなに優しくてもどんなに素晴らしい実績があっても、罪を犯しちゃならない」


 どんなに仲が良くてもどんなに大好きでも、取り返しのつかないことをしてしまったら糾弾されるべきなんだ。


「罪って」


「そうだよ。俺はやってはいけない事をした。優しくしてくれている人に。住む場所とか食事とか生活を支えてもらってる親のような人に攻撃したんだ。……嫌われて裁かれて当然だ」


「でも――」


「なんで俺のことをそんなに庇うの」


 俺はその答えを知っている。

 ただその理由だけで無視をしてはいけないことだってある。


「庇うとかじゃ」


「俺は……悪い人間なんだよ」


「……」


 ふと火属性魔法を使った時のことを思い出した。

 誰であろうとも言われたくなかった。

 俺がつまらない奴だと、彼女に思わせたくなかった言葉。


「白瀬さんは優しすぎる。もっと……付き合う相手を考えた方がいい。じゃないと自分まで不幸――」


 パチン、という音とともに頬がじんわりと痛み始める――はずだった。

 それはあまりにも優しく直前で止められた。


「自分のこと傷つけないでって……言ったじゃん」


 彼女は怒っているように泣いていた。


「なんでそこまで」


「刀也くんが好きだから。……信じてよ」


「……」


「理由もなく人を傷つけちゃいけない。そんなことはわかってる。でもそんなことを平気でする人じゃないのも分かってるんだよ」


 そう、だった。

 彼女は俺の弱いところもダメな所も知っているのだ。

 俺が悪くても彼女は肯定し続けてくれる、と言った。

 それは俺が自分自身のことを責め過ぎるから。


「でも確かに私も少し君を分かってあげられてなかったのは反省。ダメだぞって言ってほしかったんだよね」


 何でも白瀬さんは分かってくれている。


「――こら。人を傷つけちゃダメだぞ。自分のこともねっ」


 俺の額に軽くでこぴんをして、にっとした口をする。

 あの時あんなに誓ったはずなのに。

 反省することと自分を傷つけることは違う。

 俺がしようとしていたのは自傷行為だ。

 悪いことはした。反省もするべきだろう。

 でも、俺の心を守り優しくできるのは俺しかいないんだ。

 本当の意味で白瀬さんのことも、自分自身のことですら俺は信頼していなかった。


「ごめん。白瀬さん本当に……ごめん」


「私も……大事な時にそばにいてあげられなくて……ごめんね」


 ベッドの上にある俺の手に彼女の手が触れる。


「……君の隣にいたくてずっと頑張ってたんだ」


 それに応える形で優しく彼女の手を握る。


「うん」


「でも全然うまくいかなくてさ。皆から呆れられて、公爵からも、クロノさんからも、そして白瀬さんからも見捨てられたらどうしようって……。悩めば悩むほど辛くなっていって。そしたらもうどうでもよくなっちゃってさ」


 不思議と手を握っていると素直な思いを言葉にできた。


「最後には君さえいればそれでいいって……君を守れるくらい強くなるには誰かを殺すくらいじゃないとダメなんだとか思ってしまって……。ほんと何やってんだろうな」


 全部俺の心の声、何より白瀬さんに聞いてほしかった。

 今後彼女を守るには力が必要だ。

 ただそれが人を傷つける魔法である必要はどこにもない。


「そっか」


「力もなければこの先の未来さえ絶望的。このままひっそりと生きるか、屋敷に引きこもって周りに迷惑かけながら生きるしかなさそうだよ」


 取りかえしのつかないことをしてしまったのは事実で覆すこともできない。

 現状は最底辺。

 この先の未来をなるべく考えたくはなかった。


「私がそばにいる」


「だから……俺には隣に立てない――」


「じゃあ隣に立たせてあげるね」


 そう言って彼女は立ち上がり、ベッドに腰かける俺の膝の上にまたがった。


「えっ、……ちょっ……」


 状況が全く読み込めない。

 どうしてこんな密着しているのか。

 白瀬さんはただ俺の瞳をじっと見つめている。

 小刻みに揺れているのが俺の身体か白瀬さんのかはわからない。

 そっと両肩に彼女の手が置かれた。

 少し震えている。

 それでも構わず、だんだんと距離が縮まっていく二つの身体。

 ―—待ってくれ。

 これじゃあまるで――。


「……し、白瀬さ――」


 白瀬さんの唇と俺の唇が重なった。

 経験したことのない柔らかな感触。

 少し温かくて湿っている。

 鼻先も交わり互いに押し当てられる。

 時が止まったようだった。

 同じ状態のまま数秒。

 一瞬にして訪れるはずの終わりはまだやってこない。


 ――白瀬さんといまキスをしている。

 そのことにようやく気づくと心臓が早鐘を打ち始めた。

 急激に酸素を求め鼻で息を吸う。

 呼吸するたび白瀬さんの匂いが俺の中へ入ってくる。

 その変化からか触れ合っていた唇がそっと離れた。


「……ずっと……こうしたかった」


 白瀬さんは俺の手を取り、涙で潤った目ではにかんだ。

 まだ今の状況が信じられない。

 ただ目の前の女の子はどうしようもなく可愛かった。


「……もっと触れ合いたい」


 そう言って白瀬さんは羽織っていたカーディガンを脱いだ。

 白のキャミソールに黒のショートパンツ。

 色白い綺麗な肌が一気に露出する。

 思わず身体が熱くなるのを感じる。

 女の子らしい格好だが今はかなり刺激が強い。


「いい……?」


 その身体に触れ合えば間違いなく元には戻れない。

 でも断る理由がなかった。

 俺は無言で頷いた。

 再び俺と白瀬さんは唇を重ねた。

 俺の肩をつかんでいた手はまだ少し震えている。

 まだ受け入れられていないと思っているのだろうか。

 彼女の背中に手を回しゆっくりとこちらに引き寄せた。


「刀也、くん……」


 背中は熱を帯びていてしっとりと汗をかいているようだった。

 白瀬さんの柔らかな感触を体の前面に感じる。

 呼応するように俺の肩を掴んでいた手に力が入る。


「……んっ……」


 その直後、白瀬さんの舌が俺の口の中へ入ってきた。

 だが恥じらいなのかゆっくりと元々あった場所に戻ろうとする。

 俺はそれを受け入れるように優しく触れた。

 それに反応して、彼女からも同じように触れてくる。


「……ん、……とうや……くん」


「っ。……いらせさん……」


 白瀬さんをもっと感じたい。

 さらに強く抱き寄せた。

 彼女も合わせるように俺の首の後ろと背中に手を回す。

 熱くて柔らかい身体が密着する。

 興奮しているせいか唾液が口内に溢れはじめてくる。

 俺は強引に彼女の口内へ舌を入れた。

 熱く湿っていて未知な空間。

 もっと――覚えさせたい。


「ぁっ…………すき……」


 それから何度もキスをした。


「……受け入れてくれて……嬉しい……」


 互いに息が切れるほど求め合った。


「俺も……ずっと、白瀬さんとこうしたいと思ってた」


「名前で……呼んで」


「……ゆ、結紀……」


 もう一度唇を重ねる。

 昔を思い出して気が変わらないか心配だった。

 でも杞憂だった。

 大事な名前を呼ばれて嬉しがる彼女は堪らなく愛おしい。


「……刀也くん」


 白瀬結紀さんがいる。


「――このまま最後まで、しよっか」


 それだけで他に何もいらない。

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