第3話 サイカイ

 高橋くんの事件は本人の不注意による転落ということになった。

 本人も転落する直前のことをあまり覚えていないという点、転落の瞬間を見た者はいない点から担任は無理に騒ぎ立てたくないと言っていた。

 幸いなことに命に別状はなかったが、衝撃による複雑骨折で大きな手術をしたと聞いた。

 数ヶ月の入院生活は間違いないのだと。

 取り返しがつかないことをしてしまった。

 そう気づくのにあまり時間はかからなかった。


「お前――よくも平気で学校来られたな! この犯罪者が!」


 翌日教室へ着くとそこは地獄だった。

 学校側は事件を問題が無いようにまとめたが、俺から見えるリアルはそうではない。

 こちらに暴言を吐くクラスメイトを止めに入る者もいたが、彼らは自分たちが新たなターゲットになることを恐れていただけだった。

 俺は堪らなくなって逃げるように教室を出た。

 扉を開くと、目の前に井上さんがいた。


「……ほんとにごめん」


「ううん、大丈夫だよ」


 井上さんはいつも優しい。


「ほんとに――」


「嘘つかなくても大丈夫だから」


 ……え?


「全部私のせいだよね。私が倉道くんのこと振ったから、一人だった倉道くんを助けてあげなかったから、だから」


「違う! 全部俺が」


「ひどいよ。こんな事するなんて」


「違うんだ。俺じゃない―—」


「言い訳なんか聞きたくないッ!」


「……」


「さようなら」


 いつも優しい井上さんはそこにはいなかった。

 昨日見えかけていた光が、一瞬にして絶望に染まる。

 もはや何をしようがどう足掻こうがこの現実は揺るがないものだ。

 その日から学校へ行くのをやめた。

 出席日数は足りていたので卒業することはできた。

 何もかもを遠ざけたい思いで、卒業と同時に遠方の祖父母の家へ住むことにした。


「――そして今の高校に来たんだ」


「そっか」


 白瀬さんは肯定も否定もなくただ俺の話に頷いてくれていた。


「倉道くん、目瞑って」


「え……何で」


「なんでも! 私がいいって言うまでつむってて」


「う、うん。わかった」


 ―—何だ?

 女子から目を瞑ってと言われるとアニメや漫画の見過ぎで変な事を想像してしまう。

 でもこれは現実でしかもさっきの話の後だ。

 何を……。

 ポンっと頭の上に何かが触れた。

 まるで大事なものを取り扱うように軽く、優しく包み込むように。

 少ししてからゆっくりと上下に振れて、ボサボサの髪の毛はそれを受け入れたように動く。


「な、なんで」


「よしよし」


「なっ」


「がんばったね。……刀也くん」


「え⁉」


 あまりの驚きの連続で声が上ずってしまった。


「ふふっ」


「……名前」


「名前の方がいいかなって、親交の意も込めて」


「親交って」


 白瀬さんと親しくした覚えはない。

 親しくしたいと思ってはいるが、そこまでの仲ではなかったはず。


「そう。こんなこと誰にもはしないよ?」


「でも……」


「私に辛い過去を話してくれたから。それって私のこと少しは信頼してくれてるってことだよ」


「……」


 信頼は少しあったかもしれない。

 だけどこの話をして拒絶されても覚悟の上だった。


「こんな重い話でごめん。でも聞いてくれただけで少し楽になったよ」


「それはよかった。またいつでも―—」


「でももう大丈夫」


「え?」


 そうして俺は頭の上で優しく撫でられていた手をそっと離し、目を開けた。


「もう心配してくれなくていい。悪いのは俺だから」


「そんなことないよ」


「あるよ。俺があの時軽はずみに告白していなければ。あの時変なプライドで井上さんを傷つけていなければ。あの時謝罪の場所を階段近くにしなければ。あの時……いや、最初から皆と仲良くしていれば―—こんなことにはならなかった」


「……」


「いや違うか、最初から何もかも違ってたんだろうな。リアルに向いてる人間とそうじゃない人間はいて―—。向いてないくせに無駄に見栄張って。今でも、あんな事件を起こしたあともまだ未来があるなんてどうして思えたんだろ。ははっ。逃げた所でいつまでも俺が最低のままなのは変わらない―—」


「――やめて」


 白瀬さんは遮るようにして鋭い声を発した。


「傷つけるのはやめてよ」


「傷つけてなんか」


「傷ついてるんだよ。気づいてないだけで心も」


「は。心なんてそんなの。なんで白瀬さんにわか―—」


「私が!! 痛いの。心がぎゅうってなって苦しくって―—辛いから、やめて……」


 白瀬さんは本当に涙をこらえたように辛そうな顔をしていた。


「……」


 ―—どうして。

 どうして彼女が俺にそこまで思う。

 俺は見た目もよくなければ交友関係だって皆無、親だって別に金持ちではない。

 俺によくしてくれる道理がないはずだ。

 彼女がいくら優しくともここまで思ってくれるとは思えない。


「私も同じだったの」


「え?」


「小さい頃、刀也くんと同じでずっと孤独だった」


 ―—同じ?

 俺と白瀬さんが同じ?

 意味が分からない。

 なんで俺のことをわかってるみたいに―—。

 別に慰めてもらいたい為に話したわけではない。


「白瀬さんごめん。優しくしてくれるのはすごいありがたいし話も聞いてもらって正直嬉しかった。でも俺のことをよく知らないでわかったふうに話すのは申し訳ないけどやめて―—」


「知ってるから」


「高校で初めて知り合ってほぼ喋ったことがない俺の何を知ってるって言うんだよ……!」


「私を孤独から救ってくれたのは―—倉道刀也くんだよ」


「……え?」


「やっぱり気づいてなかったんだね。 小学生の頃にすぐ引っ越しちゃったから」


 ―—俺が白瀬さんを救った……?


「ユウキっていえばわかるかな。六年一組でよく一緒に教室で遊んでたよね」


 ユウキ……。

 記憶は曖昧だが確かにユウキという子と遊んだ記憶がある。

 そもそも人と遊ぶことなんて人生で数回しかなかったのだ。

 当然珍しい出来事は覚えている。

 でも―—。


「ユウキ……ユウキって……男の」


「女だよ!」


「え⁉ ユウキって女だったのか⁉」


 あまりに衝撃が大きくて大声を上げてしまった。


「むう……。確かにそんな気はしてたけどほんとに男だと思ってたのか〜」


 あまりに失礼すぎる勘違いだった、が確認すべきことが多すぎる。


「ご、ごめん……。でもあの時ずっとボクって言ってたし、それに苗字も」


「その時はボクって感じだったから?」


 本人すら男っぽいと思ってたんかい。


「苗字はコロコロ変わるんだよね。親がすぐ離婚するから。でも気にしないで! お母さんとはずっと仲良しだから」


「そ、そっか」


 あまり突っ込んでも良くない気がしたのでそのまま流すことにした。


「久しぶりだね。刀也くんっ」


「う、うん……」


 何だこれ。

 急展開過ぎるだろ。謎に緊張してきた。


「あの時みたいに名前で呼んでくれてもいいんだよ?」


「いや、それは……白瀬さんはもう白瀬さんだから」


「もう! 別人じゃないんだけど」


「わかってるけど……」


 やりづらすぎる。

 でも当時よりなんだかグイグイ来る性格になっているような。

 あの時はもっと静かな感じで……。


「でもあの時からだいぶ変わった、ような」


「うん。私も色々頑張ったんだ」


 白瀬さんは優しく微笑み、当時の事を語り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る