魔王と姉。その五

 力を示す者には責任がある。私も弟も、その言葉の意味を痛いほど理解してきた。

 弟は歴史的偉業を成せるだけの才能を持ち合わせ、そして確かに成した。

 牙獣族の領主を決める為に必要とされた戦い。それぞれの野心を打ち砕き合う闘争において、最小限の被害で牙獣族皆の意思を統一することができた。

 弟は英雄として、私も弟を鍛え上げた勇士として、皆が褒め称える。だけどそれは私達の心を削る賛美だった。


『凄いぞ!ロミラーヤ、ガウルグラート、お前達は私の誇りだ!』


 父は立派な戦士だった。『八牙』に届くほどではなかったが、私や弟に牙獣族として立派な教えを与えてくれた。母も厳しくも優しく、私達を隔たりなく正しく愛してくれていた。

 傍目から見れば、非の打ち所のない素晴らしい家族だったのだろう。私もそのことを否定するつもりはない。

 だけど、私と弟は才能があり過ぎた。共に固有名を持つ特異性を極め、慢心することもなく堅実に、そうあるべきだと父から学んだ教えを忠実に守り続けた。


『――ああ、許してくれ。こんな無能な私を。お前達と共に歩く資格を持てなかった私を……』


 その結果、父は自らを呪って死んだ。弟がより確実に功績を残せるように、捨て駒のような役目を選び、無謀な行為の代償を払ったのだ。

 母もまた父の死を嘆く以上に、私達への罪悪感に蝕まれ、病によって父の後を追ってしまった。


『ごめんなさい。私もあの人も、貴方達の支えになりきれずに……ごめんなさい』


 どんなに否定しても、あの二人には私達という存在が大きくなり過ぎていたのだ。

 立派な父に自らを無能だと蔑ませ、そんな父を愛していた母に父のことで詫びをいれさせてしまった。

 私は出生率の低い牙獣族の女だから、戦場にこそ出ることは叶わなかったけれど、影で弟を支え続けながら、排除すべき敵をこの爪で切り裂いてきた。

 弟も父のような無理をする者が一人でも減るようにと、誰よりも多くの戦場を駆け、誰よりも前で戦い続けた。

 でも私達が最善を尽くせば尽くすほど、皆が私達に夢や希望を抱き、『あの姉弟がいるのだから、我々は喜んで死ねる』と、自らの価値を見失ってしまった。


『敵も味方も、最も多く死なせてしまったのだな。吾輩は……』


 両親の墓を前に、弟は静かに嘆いていた。誰よりも両親を尊敬し、愛していた弟にとってはどのような称賛も虚しいものだったのだろう。

 それでも弟は前を向いて進んでいた。自らのせいで失った命を嘆くよりも、自らが守った命を誇ろうとし、領主として、次の魔王を目指す者として、立派に耐え忍んでいた。

 それがどうだ。誇り高き獣だった弟は今では目の前にいる男の犬のようではないか。

 皆に誇られ領主として認められていた弟が、不信を抱かれ始めている。私が叱咤し、蹴り飛ばさなければ、皆を黙らせることができないでいる。

 異物、カークァスは私達の道に現れた膿でしかないのだ。私はそれを取り除かなくてはならない。


「……奥義ですって?今までに見せた以上の妙技を見せてくださるのかしら?」


 私とてカークァスの実力を認めていないわけではない。叔父上との戦いを見て、そして直接数合打ち合ったことで、その強さを肌で感じている。

 牙獣族の誰よりも、この男の技は秀でている。ただの手合わせならば、この男から一本を取れる者はいないだろう。

 カークァスは下手をすれば私達よりも若いかもしれない、漂う魔力からはそんな若々しい活力がにじみ出ている。それだけの若さでありながら、どの老兵よりも練度を感じさせる技の数々。どれほどの鍛錬を積み上げてきたのか、推し量ることすらできない。

 それでも彼から感じ取れる魔力は微力。そう、カークァスには魔族としての才能がない。どれほど技が優れていても、その肉体の才能は並以下でしかない。私や弟に与えられた天賦の才を相手にするには、あまりにも不相応。


「『技とは自然と生み出されるもの。だが奥義とは望み生み出すもの』。俺に物事を教えてくれた師の言葉でな。その程度の違いでしかないが、それだけの違いがある。なに、退屈はさせんさ」


 体を紫電化させ、攻撃の軌跡を構築する。相手はしっかりと地に足を付けており、私の突進を受けて立とうとしている。

 私の雷撃を前に愚策としか言えない行為。でも何か対策があるのは確かと考えて良い。

 例えばあのマント、穴こそ空いたけれど盾にすることで私の雷撃を大幅に軽減することに成功している。負傷の様子からしても後数度は私の雷撃に耐えられる可能性がある。

 それにあの構え、僅かに引いた左腕に意識が向いてしまう。叔父上に放った掌底、いや黒剣の時に見せた斬撃にも匹敵する一撃を放ってきたとしても不思議ではない。

 私の雷撃を防ぎ反撃を叩き込むのか、私の雷撃よりも疾く一撃を穿つつもりなのか……どちらにせよ対応してみせる。

 正面ギリギリまでは真っ直ぐに、そして相手の右側に周り込むように動き、攻撃を行う。そのルートならば、あの左腕から放たれる攻撃が届くまでの間に離脱用の構築を即座に発動させることができる。


「……ならば見せてもらいますわ!」


 奔る。自らの直感を信じ、紫電となりてその体を叩きつけに行く。次に視界に映るのは、攻撃後の光景。

 腕に感触はない。首を狙った爪の突きは僅かな上体の傾きだけで回避されていた。でも驚くことではない。相手は私の攻撃の起こりを読み、回避行動を行えていた。最小限の回避だけならばできて当然と考えていい。


「それでもっ!」


 腕の魔力を炸裂させる。紫電化している私の魔力は乱雑に放つだけでも雷撃魔法と同等以上の威力がある。肉弾戦の感覚で避けられるようなものではない。

 カークァスの頭部に雷撃が落ちる。普通ならばここで意識は飛ぶが、相手は私の攻撃を読んで回避を行っていた。ならばこの追撃は想定内。


「……っ!」


 やはり耐えた。頭部への魔力強化を厚くし、雷撃の衝撃から意識を守っている。これでカークァスの準備は整ったことになる。

 私の攻撃は終わり、至近距離で硬直した状態。その左腕を叩き込む絶好の機会……だけど私はカークァスの右側に回り込んでいる。左腕を放つ為には上体を捻るなどあと一動作必要となる。その一瞬があれば、私は離脱でき――


「んあっ!?」


 ぐわり、と腹部を掴まれた感触。前に出していた右腕で私のお腹を掴んだ!?いやいや、そんなことができるわけがない。私は日頃からちゃんと食生活も鍛錬もやっているから、そんなぐわりって掴めるようなお腹の肉なんてないわよっ!?

 状況を把握するため、視線を自分の腹部へと向ける。カークァスの右手は私の腹部へとあてがわれているが、別に掴まれているわけではない。でもこの感触は確かにお腹をがっしりと掴まれている。違う、これは右手で私のお腹を掴んでいるんじゃない。右手の魔力で、私の魔力を掴んでいる!?


「――奥義、『魄剥ぎ』」


 カークァスは左腕を叩きつけるのではなく、私に触れたままの右腕をそのまま私から引き剥がすかのように上体を捻る。


「っ!?」


 突如私の特異性が強制的に解除された。特異性だけじゃない、自然と全身に施していた魔力強化までもが完全に失われている!?

 視界に映る情報の中に、異様なものが見える。私から離れたカークァスの右腕、そこには紫電状態となっている私の魔力が、私の体の形のまま引き剥がされていた。

 叔父上との戦いの中、カークァスは相手の魔力に掴まるようにして攻撃を回避してみせた。それも異常な妙技だけど、これはその次元じゃない。掴み、そのまま相手の魔力を丸ごと体内から引き剥がすなんて、そんなデタラメな技、どんな考えで思いつくのよ!?

 私の魔力が行き場を失い、崩れていくように霧散していく。そしてカークァスの視線が私へと向き直る。


「そら、ただの追撃だ。そのまま受ければ無事では済まんぞ」


 カークァスの左腕が動く。ただの魔力強化を施した掌底が私を狙っている。常時強固な魔力強化を施した肉体でさえ、相手の体内を破壊する攻撃だ。完全な無防備状態で受ければ取り返しのつかない怪我を負うことになるだろう。

 全身の魔力を失っている今、とっさの回避行動では避けきれない。急いで魔力を練り直し、魔力強化を全身に……ダメッ!こんな馬鹿正直に魔力を練りだせば、コアの位置が簡単に特定され――


「そこか」


 魔力強化はまだ間に合わない。体は回避行動をとっているけど、掌底を躱せるような俊敏さは戻っていない。

 軌道は私のコアへと正確に修正され、完璧な形で掌底が放たれ――


「……っ」


 掌底は止まっていた。いや、止められていた。背後から抱きしめるように差し込まれた弟の、ガウルグラートの分厚い両手が、カークァスの掌底を阻んでいたのだ。


「それがお前の特異性か、ガウルグラート」


 弟、ガウルグラート=リカルトロープの特異性、『佇み、奏でる鋼鉄の銀狼』。

 私を庇うため、最速で動けるように特異性を発動していたのだろう。その特異性を発動している時の弟の体は、その体毛の一本に至るまで強固な鋼と成る。

 弟の僅かな動きに、鋼鉄の毛が軽く擦れ合い、心地よく優しい音が奏でられる。その音に小さく微笑みながら、カークァスは左腕を下ろした。放った掌底が鋼鉄の塊に阻まれた際に切れたのだろう。掌からは静かに血が流れていた。


「――水を差すような真似、お許しください。カークァス様ならば、寸止めしてくださるという確信はありましたが、体が先に動いてしまいました。その傷の咎、如何様な処罰でもお受け致します」

「許す。美しき銀の毛並みを見れたのだ。代償としては安いものだ」

「……寛大な心、感謝致します」


 ガウルグラートは静かに特異性を解除し、数歩下がる。カークァスは左手を数度握り直し、私の方へと視線を向けた。


「さて、どうするロミラーヤ。そろそろ全身の魔力もある程度戻っただろう。特異性も再使用できるはずだ。怪我も殆どないのだから、再開することはできるぞ?」

「それは……いえ、弟に割り込ませてしまった以上、私の負けですわ」


 全体の魔力を数割ほど失ってはいるけど、戦うことはできる。だけどあの一撃に、ガウルグラートが割り込んだことに、『助かった』と思ってしまった。私は敗北を受け入れてしまったのだ。


「いや、ガウルグラートは背景みたいなものだからな。気にしなくていいぞ」

「背景っ!?カ、カークァス様、姉者はもう敗北を認めたのですから……」

「心配するな、寸止めはしてやる。さぁ、ロミラーヤ!お前の気力が尽きるまで戦おう!」

「えぇー……」


 こ、この人、ひょっとしなくてもただ戦い足りないだけですわね?頭に電撃を受けてもこんなに清々しい、いえ、むしろより元気になっていません!?


「その、もう皆負けを認めていてですね……」

「いいや、まだだ。お前達の獣の本能はまだ戦いを求めているはずだ。さあ、なんなら複数人まとめてでも良いぞ!誰かあるか!」


 当然ながら名乗り出るものはいない。私の特異性が敗れた以上、彼を倒す手段を思いつけるような者はいないだろう。

 他の『八牙』をちらりと見たけど、全員静かに首を横に振っていた。


「カークァス様……」

「と、とにかく!貴方の実力は確かに見させていただきましたわ!皆、十分に納得したと思われますわ!」

「……終わりなのか?」

「はい、終わりですわ」

「……このあと暗殺狙ってくれてたりとかは?」

「ないですわよ!?」


 いえ、なかったわけではないのですが……返り討ちに遭う未来しか思い浮かびませんし……。そもそも暗殺狙ってくれてたりってなんなのですの……。


「ならガウルグラート、お前と――」

「全力で降参させて頂きます」

「何故だ!?」

「領主なので」


 がっくりと肩を落とすカークァス。今ならガウルグラートの気持ちもそれなりに分かる。こんな底なしの戦闘狂の心を満たすために戦うなんて、皆の未来を背負う領主のすべき行いではないわね……。

 ただ実力は本物でも、この人が魔王となるのは快諾しかねる。牙獣族の未来を託すにはあまりにも物騒――


「ロミラーヤ」

「ヒュッ!?な、何でしょうか?」

「良き強さだった。単純な強さだけではなく、その才と向き合い続けた心の強さを俺は評価する」

「――っ」

「持ち得る者としての孤独の中、託された想いとその者達の価値を守りたいという密かな熱意、確かに伝わったぞ」


 ああ、これなのね。この人はただ戦いを求めているわけじゃない。相手の強さだけではなく、その生き方をも戦いを通して見ている。

 私達がどんな想いで向き合っていたのかを、ちゃんと理解して、その上で真っ直ぐに受け止めてくれていたのだ。


「ありがとう……ございます」


 弟が、ガウルグラートが懐くはずだ。周囲に期待され続け、応え続け、背負い続けてきた孤独を、いとも簡単に共感し、かつて両親に求めていた、負の感情を含まない純粋な称賛を送ってくれるような相手なのだから。


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