魔王と姉。その三
特異性を使用すれば勝てる。我輩とてそのことが脳裏に過ぎらなかったわけではない。千切られた足の腱の痛みに耐え、その力を開放しようとカークァス様を睨んだ時、あの御方の目の奥にある感情に触れてしまったのだ。
『どうした歴戦の英雄!四肢の故障は初めてではないのだろう!?』
アレは揶揄などではなかった。カークァス様はあの僅かな攻防の間に、吾輩を知り尽くしていたのだ。
あの御方の目に込められていたのは、英雄に対する尊敬の念、吾輩が四肢の故障程度で屈しないという確信と期待。
そこに格下を嘲るような意思は僅かにも存在していなかった。慢心も油断もない。途方もなく昂ぶっている好奇心だけが注がれている。あの御方は本気で吾輩の戦いをその目で見たかっただけなのだ。
自らの命と立場を賭していながら、相手のことしか見ていない。吾輩以上に、吾輩の奮闘を望んでいる。
それを悟った時、吾輩はカークァス様に対する勝機を見失った。どこまで本気を出そうとも、荒れ狂う獣に堕ちようとも、そこには愉快げに吾輩と相対するあの御方の姿しか想像できなかったのだ。
「――おいたわしや、叔父上」
もはや叔父上は本来の力の半分も出せていない。今立っているのは、自らが立ち続けることで、続く者達に意味のある情報を残せるからと、その震える体に言い聞かせているだけに過ぎない。
だがその奮闘にもう価値はない。カークァス様の放つ斬撃の精度は上がらず、新たな動きも技もない。
戦士達が敬愛する叔父上が、死なないように気を使われながら、ただただ斬り殺され続ける光景、これはもう戦いではない。童が玩具で遊んでいるようなものだ。
姉者は言った。ここにいる全員で戦っているのだと。その言葉は正しい。だがそれは姉者達だけに言えた言葉ではないのだ。
カークァス様もまた、全員を同時に相手にしておられるのだ。あの御方の刃は我々の心に確かに届いている。叔父上が斬り殺されるのと同じ数だけ、刻まれているのだ。
それを誰よりも理解しているのは、隣で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている姉者だろう。
「ふむ……ロミラーヤ!」
「ヒュッ!?」
突然カークァス様が声を張り上げ、姉者の名を呼んだ。それだけの行為ではあるのだが、姉者の反応はまるで奇襲を受けた新兵のようだ。まあ、このタイミングで吾輩の名前を呼ばれたら、吾輩もビビったと思う。
「姉者、呼ばれておるぞ」
「わ、わかっているわよっ!……何でしょうか?」
「戦闘を中断して申し訳ないが、一つ確認を忘れていた。勝敗についてはどちらかが敗北を認めるか、戦闘続行が不可能だと明確に判断できる場合で構わないな?」
ここでカークァス様に慈悲の心があるのであれば、もう少し達成の容易な勝利条件を提示したのであろうが……完全にこちら側にとって有利な条件を出してきたものだ。
「え、ええ。叔父上にはまだ戦う意思が見られます。ですので勝負はまだついておりませんわ」
「そうか。では戦闘の流れで観客席に移動しても、すぐに戻れば敗北ということはないな?」
「それはその通りですが……っ!?」
カークァス様は観客席へと飛び込むと戦士の一人の前へと立ちふさがった。既に叔父上との戦いを長々と見させられていた戦士は、カークァス様に気圧されながらも武器である槍を構える。
「何の真似かっ……!」
「いやなに、少々飽きたのでな。あ、いや、失礼。この言い方では侮辱に聞こえるな。単純に俺がこの剣を振るうのに飽きたという話だ。なのでその槍、少し借りるぞ」
「なっ」
流れるような動作で、カークァス様は戦士から槍を奪った。警戒し、強く握りしめていたはずの槍は、まるで捧げられたかのようにカークァス様の手へと渡る。空手になった戦士は唖然とした顔で元の場所へ戻るカークァス様を見ていた。
「手入れの行き届きもそうだが、そもそもの槍の質が良いな。力強く鍛えられた、良い槍だ」
カークァス様は手にした槍の感触を確かめるように、振り回してみせる。その動きはまるで熟練の槍使いが、長年使いこなした武器のように扱っている。
「な……」
「馳走であることには違いないが、やはり同じ味のまま延々と咀嚼していてはな。調味料を使った味変というヤツだ」
再び戦闘を開始するカークァス様。自身よりも一回りも二回りも大きい牙獣族が扱う槍を、自らの手足のように振るう。
外から見ていてもその行為には戸惑うのだ。目の前で相対している叔父上の動揺はそれ以上だろう。数合も打ち合わない内に、その槍の刃先が叔父上の胸を貫いた。
カークァス様は躊躇なく槍を引き抜き、傷口から噴き出す出血を観察する。
「ゴッ、ハッ!」
「剣に比べれば切り口が荒い分、再生には多少の時間が掛かるな。だが切断した箇所を支える必要がないのは悪くない」
既に叔父上の特異性は完全に看破された。あの御方は別の武器で貫いた感触から反応まで、その全てを吟味しておられる。本当、何にでも好奇心を向ける御方よ……。いやはや、恐ろしい。
「――ッ!ガウルグラートォッ!」
「――コヒュッ!?」
突然名前を呼ばれたことで肺の奥の空気が飛び出した。息を吐きおえた直後で変な音が出ただけで済んだが、もしも肺に空気が十分に残っていたら、悲鳴の一つも上げていたかもしれない。
「――な、なんでしょうか?」
「いやなに、冷静に考えるといきなり他人の武器を奪うのは良くないことだと思ってな」
「えぇー……まあ、それはその通りなのですが」
「なので一通りの武器を用意して、そのへんに並べておいてもらえるか?」
てっきり吾輩の心の内を読まれ、怒声を出されたのかと……怖かった。
現状、姉者はカークァス様の敵として立ち回っているのだから、雑用を任せられるのは吾輩だけだ。当然の人選と言えば当然なのだが……。
「……用意させましょう。ガウルグラート、貴方はそこで見ていなさい」
「――承知した。カークァス様、それでよろしいか?」
「構わん。現状と立場上、頼める相手がお前しかいなかったのでな」
お前しかいなかった。前後の部分を省き、その言葉に少しばかり感動を覚えつつも静かに姉者に任せる旨の頷きを見せる。
姉者からすれば吾輩がカークァス様の雑用を喜んで行う姿を皆に見せたくないのだろう。だがその手配と同時に、戦士達の表情がより一層曇っていくのが分かる。
当然だ。今まで戦士達は全神経を集中させ、カークァス様の剣技を見極めようと必死だった。次に繋がるからこそ、『八牙』である叔父上が一方的に斬られ続けることにも平静を保つことができていた。
だがカークァス様が気分で武器を変えれば、それまでの行いの大半が無駄となる。基礎的な体捌き、反応速度などの情報に変化はなくとも、武器が異なれば技の質は大きく変化する。
現在覚え、対応することができるようになった技が、はたして自分の手番の時に放たれるのか。そんな疑念が混ざっているのがよく分かる。
戦いではなく、並べられていく武器の数へと視線が泳ぐ者も少なくない。カークァス様がこの武器の内、何本まで習熟しているのか、意識せずにはいられないのだろう。最も――
「おお!色とりどりだな!全部使っても構わんのだろう?この鎖で繋がれた棍は初めて扱うな!」
そういって手にした三節棍を達人のように扱い始めたカークァス様を見て、絶望の色は濃くなるばかりだ。
薄々感じてはいたが、カークァス様は剣術を得意としているわけではない。ただ純粋に武そのものに秀でているのだ。
鍛練の程度もそうだろうが、恐らくは吾輩が想像するよりも遥かに多くの戦いを目の当たりにしてきたのだろう。それも様々な武器、流派、異なる猛者達の本気の戦いをだ。
だからこそ初めて触れる武器であっても、その能力を容易く見極められる。その武器の作られた意味を、製作者と同等の域まで理解することができているのだ。
そして、どこまでも続けられる……同胞達がそう思っていた戦いは終わりを迎えようとしていた。
新たに手にした戦棍によって砕かれた頭部、その傷を再生したばかりの叔父上の動きが止まっている。その目にはもう闘志は残っていない。それを察してか、カークァス様も静かに武器を下ろした。
「――気力が尽きたか」
「……そこまで見透かしていたか。いかにも、ワシの特異性の発動の維持には体力、または気力を使う。発動中に即死させられるか、その発動そのものを無力化されぬ限り、永久に戦えると思っておったが……よもや気力が先に尽きるとはな……」
「死に体のフリをしつつ、反撃の気を狙う執念は悪くなかったぞ」
「よく言うわ、一縷の望みすら与えんかったくせに」
少しだけ驚いた。既に叔父上は自らの命を消耗品として、仲間のために斬られ続けることを選んだのとばかり思っていたのだが、最後の瞬間までカークァス様の隙を伺っていたようだ。
だがそうだったな。叔父上はそういう御方だった。カークァス様に飲まれてしまったとばかり思っていたが、牙獣族としての意地は通しておられたか。
「さて、お前個人の十全は出し切ったか?そうでなければ十全に納得しないのだろう?」
「……おうとも。ワシについては十全に納得いったわ。ワシの完敗よ」
「そうか。手合わせ感謝する」
カークァス様がそう言うと、叔父上は少しだけ口を歪ませ、静かに崩れ落ちた。特異性を発動できなくなるまで気力を振り絞ったのだ。意識を保っているだけでもやっとだったのだろう。
「叔父上……良き最期でした」
「いや、殺してやるなよ。さっさと運び出してやれ、ガウルグラート」
「はっ!?」
あまりにも良い倒れっぷりに、つい殉職したものと錯覚してしまったが、確かに叔父上にはまだ息があった。姉者が周囲の者に指示を出し、叔父上は運び出されていった。
およそ一時間、叔父上はかなりの奮闘をした。本来の牙獣族の戦士の活動可能時間と比べれば、短い時間ではあるが……今の死闘を短いと感じたものは一人としていないだろう。
「まず一人……心配せずとも良い。俺はお前達全員が納得するまで付き合おう。さぁ、次は誰だ!誰がその獣の本能を猛らせ、俺に至福のひと時を与えてくれる!?」
カークァス様からは疲労の気配はまだ感じられない。並べられた武器も二割も消費されていないのだ。二人目の挑戦者もまた、叔父上と同じ結果を辿ることになるのは想像に容易い。
本来ならば若い戦士達が猛りながら中央へと飛び出しているだろう。熟練の戦士もその奥に宿した本能を滾らせ、その研ぎ澄まされた牙を向けようとしただろう。
だが名乗りを上げようとしている者は見えない。牙獣族から魔王を輩出する悲願を達成するためならば、彼等は命を賭して戦える。姉者がその名を呼べば、黙々と前に出てくれるのだろう。
だが、その結果カークァス様に完膚なきまでに敗北を認めさせられてしまうことになるのだ。
一族の為に戦えば、その戦う理由を失ってしまう。その避けられない事実を前に、名乗りを上げることができないでいるのだ。
「良いでしょう。私が相手になります」
そうなれば、残るは一族の意思の中心たる者が前に出る他にない。カークァス様を排除しようと目論む者達の中心……姉者、ロミラーヤ=リカルトロープが。
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