魔王と姉。その一

 こちらの仕事を手伝うにしても、まずはこの街での生活基盤を整えてもらわねばならない。などと現実的な話をしながらマリュアを落ち着かせ、宿へと帰らせた。


「これで人間界側での人員も一人確保できましたね」

「そうだな。ただ次同じ真似をしたら、流石に怒るからな?」


 決定打が俺の言葉なのは自覚しているが、だいたいはこの女神が悪い。マリュアはこの女神に嵌められたといっても過言ではないのだ。

 ケッコナウの旦那が師匠との連絡を取る人員としてマリュアを選んだ理由も、彼女と話していて十分に理解できた。

 彼女は事なかれ主義であり、物事に私情を挟むことが余計なトラブルを生むことを知っている。それでいて、物事の大きさを正しく測ることができる人材だ。


「勝手に私達の問題がどれほどの規模なのかを察し、キャパオーバーになっただけじゃないですか」

「俺の発言を誘導したくせに」


 常人よりも物事の危険性を正しく理解できるといえば良いのか。そんなマリュアにウイラスは、人間界の危機的状況やそれに対して俺のやっている仕事のヤバさを、必要以上に正しく認識させてしまったわけだ。

 ただの一冒険者に、世界の命運を託すような真似だ。俺が選ばれた理由に何かしらの要因があるとしても、その全貌なんてろくなもんじゃないだろう。こんなものは適当な気持ちで挑むのが正解だというのに。


「それはそれでどうかと思いますよ」

「やるべきことが分かっていれば、それだけで十分なんだよ。人は物事を知れば知るほど、色々と背負い出すからな。あの歳で世界規模の問題を背負わされるとか、可哀想にも程度があるだろ」

「貴方も近い歳で背負っているのですがね」

「俺はウイラスの思惑通り、最低賃金分だけしか背負ってないさ」


 最低賃金分の働きで足を引っ張れという話だが、逆を言えば最低賃金分の責任だけ背負えと解釈することもできる。

 俺が重圧に押しつぶされないように、ウイラスなりに考えた結果での最低賃金雇用なのかもしれないが、どうせ『はい、よく分かりましたね』とドヤ顔されるだけなのでこの話はここまでだ。


「どやぁ」

「うわ、うっざ」

「女神相手に真顔で罵倒は止めてもらえますか」


 そもそも俺の心もこうして読めているし、なんなら頭の中に直接話しかけることもできる。それなのにわざわざマリュアに聞こえるように処遇を聞く時点で、良からぬ含みしかないのである。


「俺にも人並み……かはさておき、いきなり女に泣かれたりしたら申し訳なさを感じる良心はあるんだからな」

「自覚している良心の小ささを絶妙に誤魔化しましたね」


 人並みにあるかと問われれば、多分ない。この状況でもマリュアが協力者になってくれたことに、正直儲けものと思っているところもあるくらいだ。

 そもそもあの師匠と一緒にいて、良心なんて持っていてもロクなことにはならないのである。


「まぁ、魔界でも人間界でも色々と準備することはあるからな。人手が多いことにこしたことはない」

「そこなのですが、本当に考えているのですか?貴方の心を読んでも、明確な計画が浮かび上がっていないように感じるのですが」

「そりゃ綿密な計画なんて立ててないからな」

「えぇー」

「計画なんてものは、目的とそれを取り巻く要素を正しく把握していれば、手段や方法は勝手に最適解を選べるもんだ。師匠の受け売りだけどな」

「それって要するに行きあたりばったりということでは」

「そうとも言う」


 問題に直面した時、直感的に最適解の対応を思いつくことがある。だがこれは単純に問題の本質を瞬時に理解し、その解決策が過去に培った経験の中に存在しているからに過ぎない。

 もちろん完全に初の試みを行う場合もあるが、それは応用が利くようになっているというだけで、根幹的には積み上げてきたものの成果であることには違いない。

 今俺が魔王として何をすべきなのか、その本質についてはもう掴んでいる。後は過去の経験やらが上手いことお膳立てをしてくれるので、それを円満に運ぶ努力をすれば良いのだ。


「それで上手くいくのはよほどの天才なのですがね」

「天才の弟子だからな。最高の結果とまではいかなくても、見れる形にはできるだろうよ」


 問題解決能力における才能について、俺は師匠という規格外を知っている。俺はあの人が悩んだり、考え事をしたりしている姿を見たことがない。

 万事において即断即決。その上で自らにできる最適解、さらには想像以上の結果を収められる。そんな天才と一緒にいれば、多少なりとも要領が良くなるというもの。

 もっとも、あんな天才みたいに綺麗に物事を収められる気がしないので、ちょっとくらい雑な結果になってもいいやという投げやり癖もついているのだが、むしろその方が俺の能力的には噛み合っているので問題はない。


「……そうですね。貴方には完璧を求めているわけではないので、そのくらいでも良いのかもしれません」

「まずは牙獣族の領地の視察だな。良い修行場があるといいなー」

「遠足気分ですね。ガウルグラートの影響力次第では一波乱もありそうだというのに」

「それはそれで楽しみだろ」

「……分かってはいるのですね」


 そりゃー一回の手合わせで負けたくらいで、牙獣族の命運を全て俺に委ねるような判断をしたんだ。牙獣族の中でガウルグラートに不満を持っている輩は少なくないだろうよ。

 それでもガウルグラートは領主の座を奪われていないし、表立った騒動にも発展していない。ガウルグラートを支える基盤がそれなりにしっかりとしているのだろう。

 今回の査察は、ガウルグラートのやり方に不満のある者達にとっては好機だ。何かしらのアクションを起こしてくることも十分に考えられる。

 だが好機であるのはこちらも同じ。領主だけではなく、領民からも支持を得られれば魔王としての影響力もようやく出てくるというもの。現段階じゃ領主達の力を借りているに過ぎないしね。


 ◇


 いよいよカークァス様による我が領土の視察日。本来ならば盛大にもてなしたいところではあったが、カークァス様から『来ることは伝えておいてもらうが、見たいのは日常だ。余計な催し物は不要だぞ』と釘を刺されてしまっている。

 そうなると案内をする姉者の手腕に全てを任せる形となるのだが……初陣でもここまで緊張したことはなかったな。


「どうした、ガウルグラート。体調でも優れないのか?」

「――いえ。吾輩の手配に本当に不備はなかったのかと、記憶を辿りながら再確認しておりました」

「君ならいざ知らず、君が手配した部下の仕事だろう?なら君の想定よりも上の仕事はしているさ」

「……なぜここにいるヨドイン」


 今日魔王城にいるのはカークァス様と吾輩だけの予定だったはず。何を当たり前のように隣にいるのだろうかこの黒呪族は。


「なぜって、カークァスさんに用事があるからに決まっているだろう?次に会えるのは定期報告の時でまだ先なんだし」


 人間界で活動しておられるカークァス様に対し、我々から直接連絡する術はない。そういう意味ではヨドインがカークァス様に謁見できるのは前もって決まっていた今日くらいのものだ。だがそのことを聞きたいわけではないのだがな。


「いっそ玉座の間に書き置き用の掲示板でも設置するか」

「それは景観的にどうなのでしょうか」

「せめて玉座の間の外にですね。お望みでしたら明日にでも設置しておきますよ」

「当面はそれで良いか。今後は魔界での活動も行う予定だからな。最長でも週に一度は確認できるだろう」


 その提案は正直とてもありがたい。情報には鮮度があり、少しでも早く伝えることでその価値を守ることができる。こちら側から情報を発信できれば、活きてくるものもあるだろう。


「ではそのように。そしてこちらが用事の中身です」


 そういってヨドインはカークァス様に黒い鞘に収められた一本の剣を差し出した。素朴な鞘ではあるが、その造りは確かなものだ。その中に収められている刃にも必然と期待を持ててしまう。


「投げ捨てたものが随分と物々しくなって帰ってきたな。……これは魔剣か?」

「一応はそのカテゴリに分類されます。ただカークァスさんの戦闘スタイルや、人間界で活動していることを考慮し、呪いや魔術といった類の力は一切含まれていないものを選ばせてもらいました」


 確かに魔剣と言われても、魔力は感じないし、そういう類の匂いもしない。吾輩の豪斬牙のようなものだろうか。

 カークァス様は鞘に収められた状態の魔剣を眺め、その重さなどを確かめている。


「……握りに細工があるな。中々面白い剣だな」

「ええ。技巧を駆使するカークァスさん向けで、抜剣の際に魔力を込めると――」


 ヨドインの顔の横に黒い刀身が現れる。それがカークァス様の抜いた魔剣であるのに気づくまで、少しばかりの時間を要した。

 そのことからその剣の魔剣としての異質さに気づく。今の抜剣、全く音が――


「鳴らずの剣か。握りから刃先まで回路が仕込まれていて、隅々まで魔力を流しやすく、鞘の中で滑るように剣が抜ける」

「……え、ええ。暗部向けに設計されたとされる一振りです。わけあって量産されることはなかったそうですが」

「暗部が持つにしては刃渡りが長いからな」

「ええ。抜剣からの戦闘までの過程では好評だったそうですが、そもそも持ち運びの際に邪魔になるとのことだったそうです」


 カークァス様は数度剣を振り、鞘へと刃を収める。その時にも音は全くせず、握りから手を離す音だけが辛うじて聞き取れたくらいだった。

 確かに面白い魔剣だ。音の有無もそうだが、抜剣の速度が向上するのは突発的な戦闘の際にも役立つ。カークァス様程の手練ならば、その差異を余すことなく有効活用できることだろう。

 もっとも吾輩の場合、戦場では抜剣し続けながら行軍するのだが。


「気に入った。ありがたく使わせてもらおう」

「それはなにより。手ぶらで視察されては、穏健派な魔王だと勘違いされてしまいますからね」

「その時は拳で分からせるつもりだったさ」

「……えっ、カークァスさんって肉弾戦も覚えがあるのですか?」

「なければ今日まで手ぶらでいるわけがないだろう」


 ヨドインが少しだけこちらを見た。言いたいことは分かる。牙獣族は近接戦において秀でた種族。武器を握った戦いでも、素手と牙だけによる肉弾戦も魔界の中では上位に食い込める自負がある。牙獣族と素手の喧嘩ともなれば、敬遠したがる種族の方が多いことは間違いない。

 その牙獣族相手に素手でも大丈夫だと豪語するカークァス様の底が、全く推し量れないといったところだろう。吾輩も量れない。

 その後ヨドインは食い下がることもなく、『一緒に見に行ったところで参考になることなんてないし』などと一々癇に障る言葉を吐きながら自らの領地へと戻っていった。

 そして吾輩はカークァス様と共に、館へと転移する。代々領主に継承されてきた指輪を使わずに転移するのは中々に新鮮な感覚だ。


「ここがお前の私室か」

「はっ。隣には寝室等もあります」


 魔王に仕える者として、各種族の領主達は転移門のある部屋を私室として使っている。これはいついかなる時も呼び出しに即時に対応してみせるという歴代の領主達の意思の現れでもある。


「……」

「あの、なにか……」

「いやなに、こう豪華な部屋を見るとお前も領主なのだなと、思いふけっていただけだ」

「は、はぁ……」


 そうか、カークァス様は外れ者として生きてこられた方。魔界での権力もなければ、人間という敵だらけの環境だ。質素にしてある吾輩の私室ですら、豪華に見えてしまっておられるのだろう。


「というより、寝室ではないのだな」

「歴代の魔王も利用した転移門ですから、寝室でお迎えするわけにも……ということはカークァス様の転移門は寝室に設置しておられるのですか?」

「真っ先に魔王城に向かうのであれば、少しでも身近にあった方が良いだろう」

「……流石です」


 体裁に囚われず、より効率的な面を考慮しての寝室への転移門設置。吾輩も戦場では目覚めれば即座に剣と鎧を手に取れるようにしていた。カークァス様にとっては、今もなお戦場と同じなのだろう。


「それで、今日はお前ではなく、その姉が案内をする話だったな」

「はっ。戦場での功績のみで成り上がった吾輩とは違い、我が姉はそんな吾輩を陰ながら支え続けた功労者。吾輩よりも上手く案内できることでしょう」


 噂をすれば扉をノックする音が鳴り響く。軽く合図を返すと、姉者が部屋の中へと入ってきた。姉者は少しだけカークァス様を見つめた後、静かに挨拶を行った。


「ようこそおいでくださいました。私はロミラーヤ=リカルトロープ、ガウルグラートの姉でございます」

「カークァスだ。今日はよろしく頼む」

「本日は我々牙獣族の日常をご覧になりたいと伺っておりますが、ご希望の場所などはありますでしょうか?」

「兵の鍛錬場に向かいつつ、領民がどのような暮らしをしているのかを見れる経路を頼みたい。方向としては問題ないか?」

「問題ございません。牙獣族は若き子供も日常から鍛練に勤しみます。鍛錬場は居住空間の延長のようなものですから」


 うむ。特に問題は起きそうにないな。カークァス様を良く思っていない姉者のことだから、開口一番に挑発的なことでも言い出すのではと思ったが、そんなことはなかった。

 そんな吾輩の心中を察してか、姉者は一瞬だけ冷ややかな視線を送ってきた。分かっているとも、吾輩は姉者を信じて任せると決めたのだ。

 でも姉者のことだし、鍛錬場に案内したついでに手合わせと称してカークァス様に喧嘩を吹っかけそうなのだよなぁ……。


「では頼んだ。それと、そうだな。鍛錬場には俺に不満を抱いている手練も集めておいてくれ。俺を殺せたら魔王の座をくれてやると言えば、すぐに集まるのだろう?」


 などと思っていたら、カークァス様の方が先に喧嘩を吹っかけてしまわれた。


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