予定の前に。その一

 定例会が終わり、転移門より館へと戻る。慣れ親しんだ空気の匂いに、全身に伸し掛かっていた重圧が解けていくのを感じる。


「――ふぅ」


 体が軽くなる感覚をより得ようと鎧を脱ぐ。だが魔王城より帰還した時に比べれば微々たるもの。カークァス様に対し、己がどれほど気負っていたのかを実感し、深い溜息と共に椅子に座る。

 今日の反省点は多い。ヨドインの挑発に乗り、短絡的に怒りを顕にしてしまった。ことあるごとに反発し、カークァス様に窘められてしまう始末……まるで反抗期の童のようではないか。


「どうして吾輩はこう口下手なのだ……」


 カークァス様に従うと決めてから何か役立てることはないかと考えるも、吾輩はあの御方のことを知らなさ過ぎる。

 下手な探りは忠誠心を疑われる恐れもあるし、かといって無難な範囲での持ち上げはかえって場の空気を悪くするだけだ。

 それに比べ、カークァス様の吾輩達に対する配慮の素晴らしさよ。誰か一人を叱るだけではなく、その相手の価値を守るようにお気遣いをされている。


「吾黙して佇むだけで場の空気は整う。お前にはそれだけの風格がある……か」


 自身の表情が緩んでいるのを感じる。ヨドインへの怒りがなければ、あの場で口がにやけてしまうところであった。あの御方にはその気はないのだろうが、自然体のまま相手を評価することができるのは中々にできることではない。

 などと余韻に浸っていると、扉をノックする音が部屋に鳴り響く。吾輩が利用した転移門の反応に気づいたのだろう。部下ならば暫く静かになりたいからと無視しようかとも思ったが……返事を待たずに扉が開いた。


「ガウルグラート、戻ったのね?」

「姉者か。返事を待たずに開けてはノックの意味――ゴブォッ!?」


 姉者の方へと視界を向けるのと同時に、華麗なる跳躍から繰り出された両足蹴りが吾輩の喉元へと突き刺さる。

 椅子と共に床に散らかる吾輩、それに追い打ちと言わんばかりに足蹴にしてくる姉者。流石は牙獣族最強の女、動きにまるで無駄と躊躇がない。いや、跳び蹴りを繰り出すことに躊躇がないことは問題があるのだが。


「定例会が終わったら、即座に私のところに報告に来なさいと言ったでしょう!?何を悠長に椅子の上で黄昏れているのよ!?」

「も、申し訳ない……。カークァス様との話が無事に終わって、つい気が緩んでしまっていた……」

「カークァス様、カークァス様、カークァス様!貴方は牙獣族を束ねる長!その貴方が懐いた幼獣のように尻尾を振る姿がどれほど周りに不安を抱かせているか分かっているの!?」


 姉者の怒りを蔑ろにすることはできない。確かに吾輩は牙獣族を束ねる長、吾輩の振る舞いがそのまま牙獣族の在り方として他の魔族に認識されることとなる。

 他種族との直接的な争いが起こらず、互いに対等な立場を維持したまま各領地は平定された。それでも領主達は互いの動きに細心の注意を払い続ける必要があった。

 どの領主が次の魔王となるのか、全ての魔族の視線はそこに注がれていたのだ。

 だが吾輩は、牙獣族の長としてカークァス様の下に付くと宣言した。これは実質牙獣族から魔王が誕生する機会を失ったことを意味する。


「――それは重々承知している。だが吾輩はあの時の決断を間違ったものだとは思っていない」

「――っ!」


 姉者に蹴り飛ばされ、壁へと叩きつけられる。

 牙獣族の長には最も誇らしき戦士が就任する。だからこそ領地を平定する過程で、最も功績を挙げた吾輩が領主となることに反対する者はいなかった。

 最も強き戦士の取る行動こそが誇らしい牙獣族の在り方だ。誰よりも先に進み続ける戦士の背中にこそ、一族は続くことができるのだ。

 傍目から見れば、吾輩の行動は無様に映っていただろう。『ガウルグラートを長にすべきではなかった』という視線を感じたことも一度や二度ではない。

 そういった意見を抑え込んでいるのが姉者なのだ。姉者は吾輩よりも賢く、同胞達の心を掌握する術に秀でている。

 牙獣族の女という縛りがなければ、吾輩よりも領主に相応しかったと言えるだろう。

 牙獣族の女は戦いの才能こそ男にも引けを取らないが、出生率が極めて低い。万が一戦場で戦死すれば、結果として多くの牙獣族が失われることを意味する。

 だからこそ姉者は戦場に出ることを許されなかった。吾輩と共に磨き上げた武の真髄の一割も、その生に役立てる機会を与えられなかったのだ。


「――姉者の蹴りはやはり効くな。吐き出したい想いがあるのであれば、いくらでも付き合うが」

「……本気の目の牙獣族を暴力で変えられるわけないでしょ。諦めついでの八つ当たりよ」


 そんな姉者の怒りは牙獣族皆の怒り。領主となってしまった今となっては、他の者ではおいそれと吾輩に手出しをすることができない。

 これは血を分けた姉にしかできない行動であり、この躊躇のなさがあってこそ、他の者は口を噤んでくれるのだ。いや、むしろ哀れんでくれる者も……いや、考えまい。


「八つ当たりで領主を壁まで蹴り飛ばすのはどうなのだ。そんなだから、嫁の貰い候補に次々と逃げられ――ゴフッ!」

「貴方こそ、その申し訳無さそうな態度をしておきながら、デリカシーの欠片もない言葉で刺してくるのを止めなさい!?」


 ロミラーヤ=リカルトロープ。牙獣族の中では十二分に美しく、交際を申し込む者もそれなりにいた。しかしその気性の粗さゆえ、ある程度進展する前には相手の方が瀕死の状態で逃げ出す事態が繰り返されている。


「いい?今貴方の立場は牙獣族の中でも揺れているの!いつ貴方の寝首を掻こうとする輩が現れてもおかしくないの!戦場を駆け抜けた経験でどうにかなる問題じゃないのよ?」

「だから姉者との情報共有は風よりも迅速にと約束を……」

「風が悠長に鎧を脱いで椅子に座って寛ぐの?」

「……」


 とりあえず土下座をしつつ姉者に踏まれることにした。手を出すのが風よりも速い姉者だが、吾輩にとっては数少ない心から頼れる味方だ。これで暴力的でなければ良い嫁になれるのだろうが、はたして姉者を娶れる強者は現れてくれるのだろうか。いや無理だろうな。そんな雑念を抱きつつ、今日の定例会の内容を共有する。


「――そう、件の魔王候補が私達の領地を見にくるのね」

「うむ。なので領主として、万全のもてなしをしようと――」

「私がやるわ」

「えっ」

「この私、ロミラーヤ=リカルトロープが応対すると言ったのよ。ただでさえ貴方は同胞達の支持を失いかけている立場。その元凶にへりくだる姿を皆に見せるわけにはいかないわ」

「しかし……いや、それも悪くないか」


 吾輩は根っからの戦士。戦場を駆け抜けることは得意なれども、それだけだ。カークァス様が我が領土と戦士達の練度を見にくるのであれば、相応の補足説明も行う必要がある。

 そういったことは吾輩を支えるため、勉学に励んでくれていた姉者にこそ相応しい。問題は姉者の気性だが……カークァス様ならばさほど気にするようなことはあるまい。

 吾輩のような口下手でも、その価値を認めてくださった御方だ。多少性格に難ありの姉者でも、吾輩よりはその良さを理解してくださるに違いない。


「……妙に素直に納得するのね。私がその魔王候補に何かしでかすとは思わないの?」

「姉者。吾輩は姉者のことをよく知っている。姉者はカークァス様を試すようなことはしても、姑息に謀るような真似はしないだろう。吾輩が語るよりも、直接あのお方と接して理解してもらった方が効果的だと判断しただけのことだ」

「……ふん」

「だが手料理は振る舞わないほうが良いぞ。姉者の料理はどれほど気持ちがこもっていようとも、舌にそれが伝わった試しがないからな。吾輩は食事の準備等裏方として働く、姉者は――」


 その後、蹴り飛ばされ続けた地響きに怯えた部下達が代わる代わる見舞いの品として差し入れを持ってきてくれた。

 吾輩が平穏とした様子で感謝を伝えると、なぜか感動してくれる部下達。吾輩、姉者のおかげで意外と支持者増えているんだよな。


 ◇

 闘技場、そこでは選ばれた者達が鍛え上げられた肉体と磨き上げられた技術のみを持って、自らの名声を求めて競い合う場所。


「そこだぁ!相手は息上がってんぞ!ぶっ殺せ!」

「ふざけんなよ!テメーにいくら賭けてると思ってんだ!負けたら首括れよこのクズ!」


 しかしそこに金銭を用いた賭けという概念が加わることで、それを見守る者達には多くの邪念が混じり、飛び交う言葉も品性に欠けている。

 自らが戦う必要がなく、命がけの闘争を目の当たりにできる。それを娯楽にまで昇華した人間の傲慢さには神々の悪癖の数々を想起しますね。


「うおぉっ!どっちも頑張れぇ!眩い!輝いているぞ!今お前達は自らの人生の集大成を余すことなく発揮しているぅっ!」

「うわ、うるさ」


 まあ、その中に子供以上に純粋な気持ちで応援をしているやべー人もいるわけなのですがね。しかも隣。

 何気なくぶらりとアークァスの家を尋ねると、彼は冒険者業も魔王業もお休みし、趣味である闘技場観戦にいくとのことだったので、興味本位でついてきたのですが……ここまで本気で楽しめているとは。

 とりあえずこのハイテンションは試合が終わるまで続きそうだったので、試合が決着するまで待ってから声を掛けることに。


「――理解に苦しみますね。今日戦っていた者達は、貴方よりも遥かに格下。取るに足らない存在でしょうに。そんな者達の小競り合いを見て、得るものなどあるのですか?」

「あ、ちょっと今余韻に浸っているから話しかけないでもらえる?」

「私女神ですけど、今このときばかりは女神を止めてこの場を破壊しつくしたい」

「やめろよ、魔王やる意味がなくなるだろ」

「魔王をやる意味が安すぎるんですよ」


 アークァスは『やれやれ、これだから人を上から見る女神ってやつは。わかっちゃいねーなー』という思考と表情で立ち上がり、客のいなくなった闘技場の観客席を静かに見渡しながら歩き出しました。ちょっと腹立ちますが、一応話は聞いておきましょう。まあ心を読めばすぐに分かるのですが。


「そりゃあ単純な強さで言えば、俺の方が強いことの方が多い。だけどな、俺は戦闘狂じゃないんだ」

「えっ、違うのですか」

「違うのですよ。そりゃあ強い相手と戦う時には感極まることもあるし、その果てに狂ったようにハイになることもある」

「戦闘狂じゃないですか」

「じゃないんですよ。俺は人の生き様を見るのが好きなんだ。闘技場という戦いの場は、それがシンプルに表れる。個人が個人と本気で向き合う光景、それをこれほどお手軽に見れるのは中々ないんだぞ」


 人は生きていれば本気になることがある。その時、その人物がこれまでに蓄えてきた経験、培った人間性が顕になる。その光景、人間讃歌こそが彼が愛して止まないものなのだと。

 確かに闘争は本能を顕にする手段としてはシンプルに手っ取り早い行為。それを個人同士、それも同レベルの者達を揃え、整った場として観測することができるのが闘技場。

 アークァスのように、斬り合うだけで相手の練度を見極められる観察眼があるのであれば、見えてくる光景も常人とは違うものがあるのでしょう。


「それでも、貴方の人生に比べれば陳腐なものも多いかと思いますが」

「やれやれ、これだから人を上から見る女神ってやつは。わかっちゃいねーなー」

「ついに口で言いやがりましたね。わりと一般的な評価基準だとは思いますがね」

「洗練された人生と、雑味だらけの人生じゃ比べるまでもないってか。比べる対象として判断している時点で比べているんだよ。雑味を楽しんでこその人生だろ」


 ――ああ、そういうことですか。彼が自らよりも劣る相手の人生に価値を見出だせる理由は、彼が澄みすぎているからと。

 武の境地という遊び場しかなかった彼は、愚直に鍛練のみを積み続けていた。その途方も無い繰り返しは、歴代最強とまで謳われた魔族の領主を正面から打ち倒せるまでに彼を洗練した存在へと昇華していた。

 だから彼にとっては雑味、不純物だらけの人々の人生が全て特別に映っている。自分との違いに感動ができ、人らしいと人を愛せる。


「……人の台詞じゃないですね」


 そういった思考を持つ存在も確かにいる。自らよりも遥かに劣る存在の生き死に対し、一喜一憂しながら、得るものがあると愛情を育む存在。

 だけどそれは人間などではなく、むしろ――


「魔王としちゃ、悪かないんじゃないか?」

「人の人生を賛美する魔王はウケが悪いですよ」


 アークァスと出会い、会話をしていて感じた違和感はこれでしたか。彼は間違いなく人間ですが、人間としての生き方を逸脱していた。

 だからこそ、話が簡単に進んだ。話しやすかった。まるで近しい存在と会話しているような、そんな気分にさせられていた。

 ……ま、だからといって何かが変わるというわけでもありませんが。多少気兼ねなく接することが出来るということと、多少は彼の趣味に理解を示せる……いや、これはあまり影響を受けたくはないのですが。


「……ところで先程から周囲をうろちょろと、何をしているのですか?」

「ん?何って、ゴミ拾いだけど。いやぁ、皆白熱するのは良いけど、ゴミを捨てていくのはよろしくないよなぁ」

「そういうのはこの闘技場の管理者が行うのではないのですか?」

「この素晴らしい聖域を、自分の手で綺麗にできるんだぞ?」


 子供よりも輝いている目で語らないでください。私の価値観が狂います。

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